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花の羅刹✿ 【第二部完結】  作者: 再図参夏
第弍部 千歳町編
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第四三話 生道再編

        ✿


「生きた肉体の中に隠れれば、灰神化の進行を一時的に止められる。ネズミの実母は本能的にそれを理解していたのかもしれません」


 その記憶を辿るような紅子の語りに、カリンは大いに瞠目する。

 考察の域ではない、まるで己が体験した思い出を振り返るような、手に取れるような輪郭を帯びていたのだ。


 ──母上は、なぜそこまで知っている? 


 聞きながら、常に疑問はあった。しかし、言葉にできずにいた。

 神の言葉を遮るわけにはいかず、カリンは遠慮がちに疑念を帯びる視線を注いでいたが、母はいつものように静かに微笑むばかり。


「ねぇ、カリン。楽しいですねぇ。あの親子は本当に、おもしろき花を芽吹かせました」 


 仮初の肉体で、紅子はカリンの頭を撫で付ける。

 その手つきが、ひどく、ざらついているように感じてしまう。

 言葉の端々、所作の節々。些細な違和感が、カリンの胸に広がってゆく。


「母上、あなたは──」


 口を開きかけたカリンの声を、紅子がゆるやかに遮る。


「ここまで胸が高鳴るのは、生まれて初めてかもしれません」


 しっとりと、夢心地にそう語る。

 遠く、甘く、五重塔の頂上に佇む獣に、囁くように。

 その声の湿り気は、肌を重ねた男女のように、熱に浮かされた質感があった。

 

「ネズミの肉体には、すでに灰神と化した自らの死体が隠されていた。さらに──灰神となった母親もそこに」


 言いさして、紅子は仮初の肉体の喉元に、労わるように手を添える。


「ですが、その母親は〈生編の花〉の意志により、ネズミの肉体から追い出され、私のもとへ送り込まれました。まるで刺客のようにね」


 そして、ネズミの実母は、神の命を摘み取ること叶わず、紅子の前で消滅した。

 残されたのは、秘匿の花と、腹に宿った赤子の小さき花。


「生編の花の恐ろしきこと。宿主の母親まで利用して、この香梨紅子の命を狙うとは。私が知るかぎり、これほど容赦のない花はありません」

 

 恐怖を滲ませるようなことを言いながら、母の声音はやはり弾んでいた。

 

「さて、ここからは私の憶測です」


 ひとつ息をつき、紅子は人差し指を掲げ、


「ネズミは人間であった自分を、獣の肉体の中で再編しています」


 意味深な考察を一滴落とした。


「……再編……ですか?」


「彼の本体(灰神となった肉体)は、獣の体内に埋もれている。〈生編の花〉は、それを素材に、ふたたび〝人間〟として、彼を作り直そうとしているのでしょう」


 もしくは、と、紅子は虚空に打ち込むように付け足す。


「神の支配《正しさ》から逃れられる獣のままか。あるいは〝別の何か〟に、なってしまうかもしれませんね」


 その言葉に、静聴していたカリンの背中に怖気が走った。

 あの汚らしい獣はすでに、紅雀を作り出し、母に迫る片鱗を見せていた。

 であるならば、『別の何か』とは──


 最強の羅神である、香梨紅子を凌駕しうる何か。


「おもしろき花です。手元に置いて研究したいところですが──」 

 

 言葉を途中で切り、紅子は惜しむでもなく、ただ花が咲くのを待つように微笑む。


「今回は、ここまでのようですね」


 言うと、紅子は誘うようにカリンの背中に手を添えた。

 退散の合図か、と、理解したその瞬間だ。


『捕まえました』


 カリンの頭の中に、愛らしい女子の声。


『我が名は女、絡舞からぶ 夢鐘ゆめかね 髙緒たかお


 その静かなる名乗りが、脳に木霊すると同時。

 視界が、夕暮れの霞のように淡くぼやけてゆく。 


「ぐっ……こうなるかッ……」


 悔恨を落として、カリンの全身が崩れるように弛緩する。

 絡舞の娘であるタカオが、〈夢誘の花〉を行使してきたのだ。

 ネズミとザクロの真の目的──ミチユキの救出のために。


『香梨が五女、カリン様。我が友のため、ひとときの眠りに落ちてもらいます』


 強制的に夢に誘う、洗脳系の能力。

 カリンの〈使役の花〉と同系統であるならば、弱点は知れている。


「まだ……間に合う……」


 微睡む意識の中、カリンは腰に携えた〈紅雀〉の柄を握った。

 激しい痛みを己に与えれば、能力に抵抗することは可能なはずだ。


『囲え、囲え、甘やかなる夢。母に抱かれるような、安堵の時を』


 その朗々としたうたに、カリンの意識が引きずられてゆく。

 リンリン、と、鈴虫のような鳴き声が頭の中を駆け回り、思考の手綱を奪われる。

 なんとか得物を引き抜こうと力を込めるも、


「ぁ……」


 カリンの手がするりと脱力して、衣擦れの音が立つ。

 紅雀の柄に手を添えるのもままらぬ有様。


「これはこれは、驚くべき強制力ですね」


 崩れるカリンの肉体を支えて、紅子が〈夢誘の花〉に賞賛を送った。

 朦朧としながらも、カリンはその声に首を上げる。


「母上……」


 縋るように言って、口元から血糊を一筋垂れ流す。

 燃えるような執念から、自身の舌を噛んで〈夢誘の花〉から逃れようとしているのだ。


「カリン、もういいのですよ。充分よくやりました。安心しておやすみなさい」


「……どこまでも……無様な姿を見せて……ごめんなさい……」


「無様なんてことはありませんよ? この母に、可愛い寝顔を見せてくれますか?」


 ああ、母がそう言うなら、と、カリンは紅子の胸に頭を預ける。

 決定的な敗北であるのに、母との抱擁の感触が、すべての憂いを消し去ってくれる。


「ゼイゾウ、速やかに身支度を済ませて退散しましょう」


「かしこまりました。こちらへ」


 血に濡れたカリンの口元を袖で拭い、紅子が愛娘を抱えて歩き出す。

 そして最後、燃えゆく五重塔を見上げて、母がぽつりと溢すのだ。


「愛しい我が子よ、見事でしたよ」


 深い慈愛がこもる、母の心からの賛辞。

 その花を贈られたのは、間違いなくあの灰獣かいじゅう


 閉じゆく意識の中、カリンは粘つくような嫉妬を覚えた。

 次は必ず──母の期待に応えなくては。


     ✿

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