プロローグ② 賢者の最期
それは、賢者クラウドが死ぬ数年前のことだった。
「弟子よ……そこにおるか」
「はっ。ここに」
偉大なる魔法使いクラウド。
世界で魔法を使える者は多くない。しかし、彼ほどの功績を持つ魔法使いは他にいないだろう。
魔法を使えるというだけで、その者は世界中からの脚光を浴びる。
ある者は国のお抱えとなり、またある者は人里離れた秘境に篭る。
彼らの共通点は、自分の研究のみを第一であること。
国のお抱えとなるのも、国の危機に解決策を差し出す代わりに研究資金を得るため。
秘境に篭るのも、自らの魔法の研究に集中するため。
自らが所属している国が危機でさえなければ、他国が危機でも素知らぬ顔をする。
秘境のすぐ近くの村が災害に遭おうとも、自らに害が及ばなければ無視をする。
悪く言えば、自分勝手な人間であった。
そんな魔法使いたちの中で、クラウドほど民衆の支持を受けた者はいないだろう。
彼は、数多くの魔法を使い、時には新たな魔法を作りだし、人に降りかかる災厄を防いできた。
天災。凶暴化した獣。
それらの脅威を防いできた彼の功績は、自らの所属している国だけではなく、大陸全土にも及ぶ。
彼が晩年に差しかかる頃には、民衆は彼のことを英雄と呼んでいた。
特に二十年ほど前に、突如魔物の大軍勢が現れ、大陸中央に位置するダイヤモンド王国の王都を襲撃する事件があった。
その事件においても、クラウドの魔法は大いに活躍した。
その力たるや、まさに一騎当千。
もちろん、ダイヤモンド王国にも複数の魔法使いたちが召し抱えられており、彼も対応にあたった。
しかし、彼らは単独の魔物には勝つことができても、魔物の大群には手も足も出なかったのだ。
それほど、クラウドと他の魔法使いたちとの差があった。
しかし、そんな英雄も寿命には勝てなかった。
歳を重ねるごとに言うことを聞かなくなってくる体。
世界中を飛び回っていた賢者は、ついには家から出られないほど衰弱してしまったのだ。
そんなある日のことだった。
クラウドは弟子ーー若きハッコウを呼び出した。
この時、ハッコウは十五歳であった。
彼は五年前にクラウドに素質を見出だされ、弟子としてそばに置かれていたのだ。
「我が弟子よ……お前に最後の頼みがある」
「何でしょうか!?」
「私はこれから魔導書を作る。それを読めば、誰でも私のように魔法が使える指南書だ」
「ーーっ!!」
ハッコウは驚愕に目を見張る。
「実はな、先日、神からの天啓を授かったのだ……」
「神から……」
「うむ」
クラウドの言うことには、こうだ。
これより先、百年にも満たないうちに魔王が魔物たちを統べて世界に襲来する。
このままでは、魔物によって人類は滅んでしまう。
それを神は予見し、クラウドに伝えたと言う。
「なんと……」
「魔王に対抗できるのは私の魔法くらいだと、神は言った。しかしーー」
「百年後では……師匠は……」
「生きていないだろうな」
無情な宣告。
自分のことは自分がいちばん知っているのだろう。
そもそも人は百年も生きられない。土台、クラウドが魔王に立ち向かうのは無理な話だったのだ。
「しかし、魔王の復活は見過ごせん。そこで私は、転生魔法を作ろうと思った」
「転生……?」
「私が死んだ後、別の人間として生まれ変わるのだ。このクラウドとしての記憶を持ってな」
「そんなことが可能なのですか……!?」
それならば、もし魔王が復活してもクラウドが戦うことができる!
色めきたつ弟子に、しかし、師匠は弱々しく首を横に振った。
「作ることは可能だが、おそらく時間が足りん。転生魔法は今まで作ってきた魔法とは根本から異なる。かなりの時間を要するだろう。魔法を構築しているうちにぽっくり逝ってしまうかもしれん」
「それでは、どうなさるのですか……?」
「だから、魔導書を作るのだ」
読めば誰もがクラウドと同じように魔法が使えるようになる指南書。
それを作るだけならば、そんなに時間はかからない。
もともと、ハッコウ相手に魔法の使い方を教えていたところだ。
口伝だけではなく書物で残す。
方法が変わるだけならば、新たに転生魔法を作り出すよりもはるかに楽だろう。
「そんなことが……できるのでしょうか?」
「元来、魔法は素質のある者のみが使えるものとされてきた。しかし私は研究の末に、そうではないとわかったのだ」
確かに多少の素質の優劣はある。
しかし、魔法は誰でも使える。
それを後世に伝えるのだ。
「これからお前に私の魔法を叩き込む。それとは別に、魔導書を残しておく。これをどうするかは……ハッコウ、お前に任せることにする……お前が私の後を継ぐのだ」
「師匠……」
ハッコウはその瞳に涙をたたえた。
「ありがとうございます……正直、あなた様がボクを弟子ではなく召し使いか何かとしか考えておられないのかと思っておりました。そんな自分を殴りたい思いです」
「……そんなことあるわけないではないか」
嘘である。
この賢者、ちょっと前までハッコウを使い走りにちょうどいい人間だと思っていた。
素質というのも、魔法というよりもどちらかというとパシリの素質のほうがだいぶ高いだろう。
彼が断らないのをいいことに、実はクラウドは家事だけでなく、ちょっとした雑用もやらせて怠けまくっていたのだ。
とはいえ、魔法の素質がないかと言えばそうでもない。
パシリの素質が高すぎるだけで、魔法の素質も人一倍あるのだった。
もちろん自分に比べると足元にも及ばないレベルであったが、他の魔法使いたちの弟子ーー所在のわからない輩もいるがーーよりも優秀だろうと見ていた。
だからこそ、賢者は弟子に全てを託すことにした。
それからの日々はまるで豪雨後の大河の流れのように慌ただしく激しく早く過ぎていった。
クラウドはハッコウに魔法の理論を叩き込むのと同時に、魔導書を書く。
一冊、二冊……まとめていくうちに魔導書の冊数は増えていく。
弟子は弟子で、師に教えを受けると同時にパシられる日々。
単にパシられていた時よりも大変だったが、それでも彼にとっては充実したものだった。
そうして、数年をかけて賢者は魔導書ーー誰でも魔法を使えるようになる指南書をまとめあげた。
その日を境に、賢者は急激に衰弱し始める。
まるで、自らの務めは全てやり遂げたとでもいうかのように、賢者の命の灯はみるみるうちに消えていく。
「師匠!」
「……あとは、頼んだぞ」
「師匠おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
こうして、賢者・クラウドの人生は幕を閉じた。
ただし。
彼がすぐにこの世界に戻ってくることになることを、その時は誰も知らない。




