9.母親
その子は、ただウミューの目をまっすぐに見据えるだけだった。
だが、それを肯定だと取ったウミューは、「勝手にしたらいい……ただし、俺の邪魔は……するな。」とつげて歩きだした。
「ああ、そうだ、ウミュー、すまない。敵のサンプリングをよろしく頼むよ。」
ウミューはドーシェに背を向けたまま頷くと、歩きだした。
「え!?え、ネーデルも!?」
「え、え、ネーデルも。」
その子はネーデル手を引っ張って小走りに走りだすと、ウミューは小さくため息をついた。
「……名前、つけてやれば?」
ウミューが小さくぼやいた言葉をネーデルは決して聞き逃さなかった。
「じゃあ、何が良いかな!ね、ね、ウミュー、何が良いと思う?」
「知らねぇ……お前が拾ってきたんだからお前が責任もて。」
口早に切り捨てると、ネーデルはむくれた。
「いいもん……じゃあ、ネーデルの言葉真似するからネーデル二号とか!どうかな?どうかな?」
「おまえ、それ本気で言ってるのか?」
ウミューの本来の早さで言葉を紡ぎ、ネーデルを見ると、ネーデルは至って真面目にウミューを見返した。
「……ネーミングセンス悪すぎ……。」
「じゃあ、ウンネ?」
どこから“じゃあ”という発想になるのか全く理解できないが、ウミューは、「なんだそれ。」と呟いてあたりをキョロキョロと見渡した。
その時だ。
ずいぶんと静かにしていると思っていた仮名、ウンネが戦死した劔メンバーの墓を掘り返し、その骸にかじり突いたのを見たのは。
ウミューは走り、一瞬にしてウンネの前に立つと、殴り飛ばした。
「何をしている!」
ウンネは拳で殴り飛ばされた頬を押さえながらウミューの声が聞こえていないとでも言うように立ち上がり、一言、「不味い。」 と呟いた。
「今……なんて?」
ネーデルが大きな瞳をさらに見開きながらウンネを見た。
「これで自分は言葉というものを覚えました。」
「……うそ……。」
「ウソではありません。自分はこの人から情報を得ました。人間というのは様々な言葉を使って意思の疎通をするらしい……もっとも、あなた方は人間であって人間でないようですが。」
「だからなんだ。それが死者を食っていい理由になるのか。俺たちが純粋な人間じゃない。それが、なんだっていうんだ。」
ウミューが本来の調子で話したため、ウンネは少し肩をすくめて、「ごめんなさい、自分は彼女と違うのであなたの早口は聞き取れないみたいだ。」と、特に悪びれもせずに言った。
ネーデルはピリピリとしたウミューとウンネの間に割り込むと、「ね、ね!君の名前、ウンネでもいいかな?かな?」と笑った。
「好きなように読んでください。」
そういうと、ウンネは少しだけ笑った。
どうやらネーデルには気を許しているらしい。
ウミューはくるりと二人に背を向けると、サンプル採取のために歩きだした。
「あ、待って!待ってほしいの!ウミュー!」
小走りにネーデルがウミューについていくとその横を涼しげな顔でウンネが歩いてくる。
数メートルほど歩いた所でウンネは、「……美味しそう。」と呟くと、ウミューに劣らぬ早さで何かの塊に飛び付き、かじりついた。
「ウンネ!?」
ネーデルが驚いていると、そこにはあっという間にディンガンロー進化系新種を平らげてしまった。
「食べ……ちゃったの?」
ネーデルが呆気に撮られていると、ウンネは足をのばし、開いて座ったまま盛大なゲップを一つした。
「貴重な……サンプルを……!」
ウミューは怒りに目を見開いたが、黙って背をむけ、歩きだした。
ただ一言、「ネーデル、おまえはついてくるな。」とだけ言い残して。
ネーデルはうなだれるように落ち込むと、「いきなり死骸を食べちゃダメだよ?よ?」と、ウンネに告げた。
ウンネは丸い瞳をクリッと動かしてネーデルを見ると、「何故です?死んだものを貴方たちだって食べるでしょう?自分も同じ事をしているまでです。」と告げた。
「だけど……サンプル採取頼まれてたのに……ね?ウンネ、次からはちょっと待ってからいただきますしようね?ね?」
「……いただきます、ね。それは何の儀式なのです?遥か昔から人間という奇妙な生命体は儀式を行ってきたようですが。」
妙な質問を去れ、考えた挙げ句、困り果てて、小さく、「え……知らない……。」とだけネーデルは言った。
ウンネは大地にゴロリと横になると、目を閉じた。
「……大地が泣いている……血で汚れてしまったから……植物に彼らの血は有害すぎた……木々が復活するまでにあと何年、何十年……いいや、あと何百年かかる事だろう。それなのに、大地の上には殺すだけ殺して、遺体をそのまま放置して、ゴミだらけにしている。倒された彼らも泣いている。何が悪いのか自分にはわかりません。ネーデル。あなたにはわかりますか。自分のやっていることが必ずしも正しい事だと思いますか。自分達はこの星の上を掃除しているだけに過ぎません。そして劔もこれを掃除しているだけにすぎないと言い張るのでしょう。自分には何が正しくて、何がどう正義なのか、理解しかねます。」
ウンネはそう言い終わると、深呼吸を一つした。
「……ネーデルにもわからないよ……何が正しいのかなんて……わからないの……。」
そういいながらネーデルは劔メンバーの顔触れを思い浮べていた。
みんなに良いところがある、みんなにダメなところもある。
戦うのが当たり前としてきたけど、本当は違う考え方があったってよかったのかもしれない。
でも、人々は恐れた。
異形である変種を含め、人の形をした変種混合型人間さえ。
そこから世界は分裂した。
共に生き、歩んだ命は少なく、自分たちと違うものを恐れた。
時には違う事で恨み、憎んだ。
時には暗い闇へ心の内を放り投げたまま心を閉ざした。
時には、死を持って安らかな眠りについた。
時には、死さえ感じなかった。
ネーデルの頭に刻まれた様々な仲間たちが通り過ぎては消えていった。
みんな本当はどこかで問いかけていた。
“自分は何のために戦うのか?”と。
「わからないよ……。」
ネーデルはもう一度そう呟くと、ウンネのように肢体を大地に転がした。
湿った土からはかすかな泥の匂いと、血の匂いがした。
「泣かないで。」
ネーデルの頬に冷たいウンネの指の腹が辺り、微かに頬を撫でる。
「……ウンネ?ネーデル、泣いてないよ?よ?」
不思議そうに起き上がりながらウンネを見ると、ウンネは、「心が泣いてる。」と言ってネーデルの顔に手を伸ばして、再度頬に触れた。
「ウンネ、ネーデルは大丈夫なの。ウンネはどうしてネーデルに敬語使うの?みんなネーデルに敬語なんて使わないよ?よ?……ルリクレッサは別だったけど……。」
「……それはあなたが自分の母であるからです。あなたになら別に使われてもよいと自分は判断したのです。あなたは、自分に一番はじめに言葉を教えました。そして、自分に名前と言うものをくれました。人間でいう、存在の大きな者を父、母と言うらしい事に習い、自分の母はあなたであると……そう判断したのです。」
「ママ……?ネーデルが?」
とてもではないが、信じられないと言った顔でネーデルがウンネを見ると、ウンネは至って真面目な顔で、「あなたは、純粋な心をおもちですから。」と言って頷いた。
「ネーデル、ママになっちゃった!ねぇ、ウンネって男の子なの?女の子なの?」
半分驚いているようにも、半分遊んでいるようにも聞こえる声でネーデルは言うと、ウンネは、「どちらでもなく、どちらでもあります。」と言って、ネーデルをまっすぐに見返した。
「……どう言うことなの?……女の子なら、成長と共に丸みを帯びてくるし……男の子なら、筋肉が発達してくるよ?……って、前に聞いたよ?よ?」
ネーデルには、よくわからないけど、と言った顔をして肩をすくめた。
女の子なのに丸みを帯びた体つきではない子を見たし、男の子でも女の子のような子もいたからいまいち男女の差がネーデルにはわからないのである。
ネーデルが理解しているのは、とりあえず、男と女は違うのだと言うことだけだ。
「……自分は、不完全な人間を、完全にしたものです。その気になれば、どちらか片方の性別の思考にもなれる。だけど、それは、この与えられた体を捨てることになりかねません。何故なら、体もどちらか片方に偏ってしまうからです。そのため、自分は特定の誰かを恋愛対象として好きになる事はありません。そしてまた、繁殖は、自分一固体で出来、誰かと繁殖行為をする必要もありません。」
一気に説明され、よくわからずにネーデルが目を回していると、ウンネが「大丈夫ですか?」と尋ねてきた。
「ネーデルには難しいの~……。」
そう答えてから数秒後、後ろからガサガサと言う音が聞こえ、ネーデルが勢いよく振り替えると、満面の笑みになった。
「ウミュー!!」