2-17
「そんなに身構えなくても大丈夫だってば」
セレンティナは笑いながら狼狽しているアルシェラへ告げた。それから目尻に残った涙を指先で拭い、「はー、お腹痛い」と呟く。
「安心して。これくらいの質問なら、無料で答えてあげられるよ」
「そ、そう……ありがとう」
どうやらセレンティナにはアルシェラが支払う対価を心配しているように見えたらしい。
だが、取り消そうとした理由はそこではない。兄の封魔について本人のいないところで探るような真似をしてしまった。その後ろめたさに耐えきれなくなったのだ。
けれど誤解されたままの方がよい気がして、アルシェラはあえて訂正しなかった。
「結論から言うと、魔力暴走を起こさなくても封印を解くことはできるよ。ただし、それには解除するための魔術紋が必要なんだ」
「それは作れるものなの?」
「ううん。封印と同時に魔術紋が生成されるから、後から同じものを作ることはできないよ」
つまり、魔力の封印を施した時に、それを解除するための魔術紋も同時に生まれるらしい。
その魔術紋を魔紋巻に写し取り、保管する。
封魔とはただ魔力を閉ざす術ではない。閉ざしたものを正しく開く手段まで含めて、初めて完成するものなのだとセレンティナは語った。
「その魔紋巻が廃棄されている可能性はあるのかしら」
「うーん、完全には否定できないけど、どこかに厳重に保管されているんじゃないかなぁ。だってそれがないと、魔力暴走を起こさない限り封印が解けなくなるからね」
「そう……」
正しい方法で解除できない時の対処が、まさか魔力暴走を起こさせることだとは思わなかった。
アルシェラはその魔紋巻の在処を知らない。もしかすると父である先王が、レナトスにだけ伝えていたのだろうか。
けれど二人の父は、巨大な瘴門に対処するため出征し、そのまま行方知れずとなっている。王太子であった長男にすべてを伝える時間があったのかどうかも怪しかった。
「サマリンダは知っている感じじゃなかったよね。陛下も知らないなら、宰相さんか……アンソニーくらい?」
「ああ、その可能性はあるわね」
宰相は、アンソニーとレオノーラの父であるディラック伯爵だ。
だが近頃は病気を理由に登城の頻度が下がっている。そろそろ引退して療養に専念するのではないかと、以前レオノーラが言っていたことを思い出す。
「いずれにせよ、陛下は正攻法で解除した方がいいと思うよ」
「そうよね。魔力暴走は危険だし……」
「うん。さすがに魔人化しないように制御するのは、かなりの大仕事になるからあんまりやりたくないなぁ」
セレンティナにしては珍しく後ろ向きな発言に、アルシェラは少し驚いてしまった。
封じられていた魔力が暴走によって押し上げられた分も含め、アルシェラの魔力量は平均より少し多いと教えられている。
制御を手伝ってくれた時、終始平然としていたセレンティナが「大仕事」だと言うほどなら、レナトスの魔力量はどれほどなのだろう。
ふと、別の疑問が胸をよぎる。
そもそも、どうしてセレンティナは封じられているはずの兄の魔力量が分かるのだろうか。
問おうとしたアルシェラの目に、悪戯っぽい笑みが映った。
「言ったでしょ? 私はちょっと目が良いんだよ」
「そ、そう……」
両手を腰に当てて自慢するその姿は愛嬌があって可愛らしいけれど、同時に、それ以上は踏み込ませないという圧があった。
無邪気に見えて必要なところでは決して譲らない。それが調律者なのだとアルシェラも少しずつ理解しはじめている。
とりあえず、この話は終わりにした方がいいだろう。
そう判断したアルシェラは、さりげなく話題を変えることにした。
「そういえば、シャムサと知り合いだそうね」
「うん。元気にしてる?」
元気だったと答えると、セレンティナは「よかった」とにこりと微笑んだ。
古い友人の近況を知って喜んでいる。そう見えるのに、その奥にある感情はひどく淡い。安堵も懐かしさも確かにあるのだろう。けれど、普通の人間が抱くような強い執着や湿り気は感じられなかった。
その点にやはり少しだけ、違和感を覚えてしまうが、アルシェラはそれを口には出さなかった。
「私も久しぶりに会ったけれど、身体強化の魔道具が随分と小さくなっていて驚いたわ」
「あぁ! カヤ姉様がすごくこだわって作っていたね。活用できているならよかった」
「カヤ様が……?」
思わず聞き返してしまう。シャムサの歩行を支える魔道具が調律者の手によって作られたものだった。
その事実にアルシェラは小さく息を呑んだ。
セレンティナは自分の魔力制御を教え、シャムサの魔人化を止めた。さらにシャムサが人前で歩くための魔道具はグランヴィレア王城に新たに設置された魔術遮断器と同じ調律者が作っている。
思い返せば、それらはすべて特別な出来事のようでいて、魔塔にとっては世界の均衡を保つための役目の一部なのかもしれない。
知らなかっただけで大陸のあちこちで誰かが調律者の手を借りている。
そう気付いた瞬間、アルシェラの胸に静かな驚きが広がった。
調律者とはもっと遠い存在だと思っていた。
国と国の均衡を測り、天秤を用いて大きな契約だけを扱う魔術師。そんなふうに漠然と思っていた。
けれど実際にはシャムサの歩みを支える腕輪のように、誰かの日常のすぐ傍にも魔塔の技術が息づいているのだ。
やはり、グランヴィレアはあまりにも長い間、魔術から目を逸らしてきたのかもしれない。
仕方のないこととはいえ、やはり少しだけ悔しくもあった。




