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09.ここがあの女のハウスね 3

 クーラーのきいている部屋なはずなのに、汗がじっとりと手のひらから滲みだしてきた。このまま抱擁を続けていると、茹った蛸のようになりそうだ。

「ごめん。そろそろ離れてくれないと……」

「ご、ごめんね。つい。嫌だった?」

「うん」

「えっ――」

「嫌だよ。これ以上抱きしめられたら、幸せすぎて頭がどうにかなるから」

「え、ええっ!?」

 まるでばね仕掛けのおもちゃのように四月一日は、後ろに退く。俺的には熱に浮かされたように何を言ったのか、半ば自分でも把握できていないが、とにかく、離れてくれて助かった。ようやく新鮮な空気を体内に取り込める。脳に酸素を浸透させると、

「そ、そういえばぁ!」

「え、え、え、な、なにぃ!?」

 お互いに声が裏返る。ごほん、ごほん、と咳き込んで、本来の声を取り戻す。

「《ツブシアン》さんってどうなったんだ? 最近、投稿サイトで観なくなったからさ、ちょっと気になっていたんだよな……」

「ああ、あの人なら――」

 四月一日はスッ、と真顔になる。


「一ヶ月前くらいに『ヴァルハラ』を退会したよ」


 衝撃が奔る。

「えええええええええええっ!? な、なんで!? ちょ、おまっ、ふざけんなよっ!! 俺にトラウマ植えつけておいて、なんで辞めるんだよっ!!」

「ええっ!? じゃあ、『ヴァルハラ』続けて欲しかったの?」

「いや、正直、《ツブシアン》さんの名前を眼にする度に、胃がキュッてなってたんで、どこか俺のあずかり知らぬところで小説を書いていてくださいって思っていたけど、いたけどっ!! やっぱり、辞められるのもシャクだっ!!」

「どっち?」

「俺の屍を越えて強くなって欲しかったんだよ。俺に勝ったからには優勝しろよな! みたいなっ! 少年漫画でトーナメントに負けたモブキャラみたいな気分だったのにっ!!」

「いやいや、夢野クン、勝負とかしていないよね?」

「そうだけど! そうだけど! しっかし、どうして、いきなり退会するかなー。まあ小説執筆って肉体労働みたいなもんだから、体力的にきつかったのかな?」

 一日中座りっぱなしなんだから楽じゃーんって思っている人もいるだろうが、ほんとうにキツい。ゲームをただぶっ続けで十二時間プレイするのと、勉強をぶっ続けで十二時間するのとでは疲労の格差があるように、小説を書くのは相当辛いのだ。試しに十二時間ぶっ続けで小説を書いて欲しい。意識が朦朧として、パソコンの画面が歪み始めます。そのままやっていると、ほんとうに気絶するように寝て、朝起きたら、保存するのを忘れてしまっていて、データが吹っ飛んでいます。これが、物書きあるあるっ!

「そうじゃないみたいなんだよね。ボクも分からなかったんだけど、今さっき夢野クンの話を聴いてから、分かっちゃったかも」

「……どういうこと?」

「オフ会の時に、すごい話しかけてきてね。他の人がボクに話しかけようとしたら、それを邪魔してきたんだよね。ものすごいっ、露骨に。それでひいちゃってさ。でも、それに《ツブシアン》さんは気づかなくって、それで場の雰囲気がすごく悪くなって、だから、一喝したんだ。ここは、みんなと楽しむ場です。みんな仲良く楽しむ気がないなら、今すぐ帰ってくださいって」

「うわー」

 その場にいなかったのに、何故かいたたまれない気持ちになる。

「それで、どうなったの?」

「《ツブシアン》さんはほんとうに帰っちゃって。それから反省会みたいな空気になって、それで、『ヴァルハラ』でも居場所がなくなって、いつの間にか退会してた。もしかしたら、二度と小説書かないかもね。そもそも、《ツブシアン》さんって全部で十万文字程度しか書いてなかったよね? そもそもやる気なかったんじゃないのかな?」

「いや、怖いよ。十万文字を程度って言えるとか、ラノベ一冊分ぐらいじゃん。十分文字って十分書いているだろ?」

「へぇ。じゃあ、夢野クンはどのぐらい書いているの?」

「投稿しているだけでも、百万文字かな。投稿しなくて、ボツになった小説を合わせたらもっと書いていると思うけど」

「ほら。ヤル気ある人だったらそのぐらい書くよ。そもそも、夢野クンってそこまで速筆ってほどじゃないのに、百万文字書けているんだから、そのぐらい書けなきゃ、やる気なしって烙印を押されてもしかたがないと思うんだけどね……」

「……遠回しに俺、責められます? やっぱり、俺が書くのを諦めたこと、内心裏切ったって思っています?」

「ご、ごめんっ! そんなつもりは!!」

 半分冗談、半分本気でからかってみるが、ディスられても反応が可愛いから許せてしまう。

「まあ、別に退会するのは珍しくないよな。何年もアマチュアでくすぶっていたら、やめたくもなるよ。小説って完成させるのに、時間かかるしな。イラストだと一つのカットで人を感動させることはあっても、小説は一ページだけで他人を感動させることはできない。何万文字も文字を積み重ねて、ようやく人の心を揺れ動かすことができる。完成させるまでの時間と労力がえぐいんだよ」

「だけど、だからこそ面白いんじゃないかな? それでも辛いっていうんなら、それこそネット小説はイラストみたいに、コンスタンスに感想もらえるよ? 感動させられるよ? ほら、ネット小説なら一話投稿したら、ものすごい反響あるから、プロの作家さんよりモチベーション上がって楽しいと思うけど?」

「……それは、人気作家だけのお話ですっ! 一アクセスもされない作家さんだっているんですよ!?」

 プロだってペンネームを変えて投稿したらアクセス数ゼロ――つまり、誰一人として登校した小説を読んでくれていない――という最悪な結果になることがある。それだけネットでアクセス数を獲得するのは難しいのだ。

「さて、と」

「ダージリンなくなっているね。またいれようか?」

「いや、いい。そろそろおいたましようかな」

 話の話題も尽きてきた。そもそもここまで人と会話するのは久しぶりだから疲れた。家族ですらこんなに話さない。誰かの家に入って、それから二人きりで話すとかかなりのハードル。だけど、どこか充実感のある疲労感。自然と笑えてくる。

だけど、このままじゃずっとここにいそうだ。グラスの飲み物も空っぽなのでちょうどいいタイミング。とりあえず、家に帰って一息つきたい。それから、小説を書きたい。久々に、燃えてきた。ガンガン創作意欲が湧いてくるっ! 書きたくてしょうがないっ!

「そうだね。そろそろ親も帰ってきそうだし」

「そういえば、今一人だよな?」

「そうだよ。両親はあまり家に帰ってこないから、お手伝いさんがたまにくるよ。家政婦さんってやつかな?」

「………………」

 こんなに広い家なのに、両親が帰ってこなくてお手伝いさんしかいない。しかも常にいるわけではないのだろう。さっきから人の気配などここしかなく、広い故に音があまり反響せずに集束する。ちょっとお邪魔しただけなのに、なんだか四月一日の普段の一人ぼっちさが分かるようだった。クラスではあんなに人に囲まれているのに、家ではずっと孤独なまま。こんなにおいしい紅茶をいれられるのだって、やっぱり普通の高校生としてはおかしい。こんなの、親が勝手にやってくれるものだ。四月一日がなんでもできるのは、きっと、なんでもできるようにならなければならなかったからかもしれない。

「家に帰って、何するの?」

「え? ああ、そうだな。小説、書いてみようと思う。というか、投稿はしていないけど、小説は書いていたんだよねー。とりあえず、書いているやつまとめて投稿しようかな。最初は一気に四話ぐらい投稿しないと、アクセス数伸びないし、ちょうどいいかなって」

「へぇ。どんなやつ、みせて、みせて」

「いや、大丈夫。今日、投稿するから、そこから読んでみて」

「いやいや、今、読みたいの」

「ちょ、ちょっと待ってっ!」

 リア充らしい気安さで密着してくる。俺の伸ばしている腕にくっついて、スマホを奪おうとする。背伸びをすると、四月一日の胸が強調されて、それが今は顔面にぶつかりそう。まるで、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように、視線を引き剥がすことができない。

 夏服だから少し動いただけで、制服の隙間からどこまでも白い肌が露出しているし。しかも、ブラらしきものが一瞬チラッと見えたような気さえしたし、全ての思考を放棄し、陥落しそうになる。

 だけど、小説を読ませたくない。投稿までしておいてなにを言っているのかと思われるかもしれないが、俺は、他人に小説を読ませるのが恥ずかしいのだ。

小説とは、良くも悪くも自分の中からしかアウトプットできない。だから、小説を他人に見せると言う行為は、剥き出しの心を曝け出すようなもの。裸になるようなものだ。果実を齧る前のアダムとイブじゃあるまいし、見せろと言われて簡単には見せられない。

 どうしようかと思っていると、四月一日はいきなり手を引っ込める。

「…………?」

「…………ねえ、夢野クン。もしかして、ソシャゲってやってる? 覗き込むつもりじゃなかったんだけど、視界に入っちゃったんだよね」

 どうせ冗談で覗き込むような友達もいないし、スマホ画面のロック設定はしていなかった。そのせいで、見えてしまったらしい。画面にはたった一つだけ、ぽつんとインストールしたアプリがあることを。

「ああ。やっているよ。一つだけ。それがさー、ものすごくストーリーが凝っててさ。元々エロゲ畑、いや、同人上がりっていえばいいのか? まあ、とにかく有名な人のやつなんだけど、面白くてさ。やっているよ」

「もしかして、重課金?」

「ないない。一年に一回ぐらいだよ、課金するのは。正月にね。ストーリーを楽しみたいし。――でも、最高レアのキャラほんとうにでないよなー。1%の排出率らしいけど、全然だよ。この前だって、溜まりに溜まった石でガチャ引いたんだけど、出ない、これが出ないッ!!」

 なんとか我慢しようとするのだがTwitterを何の気なしに起動すると、これでもかというぐらいに最高レア出ましたという自慢画像がズラリ。ブチブチッと勢いよく頭の中で何かが切れる音。それだけで、ブロック余裕です。

 嫉妬で身が焦がれそうだが、それでも、プロの尊敬できるお方たちはブロックの対象外。同人作家さんとかでそういう人は多いのだが、それは百歩譲って理解できる。週刊連載しているわけではないし、年に数回出していないような人ならば、時間の余裕もあるだろう。

 だけど、プロのラノベ作家が画像を晒して、しかもそれが一、二巻で打ち切りになる作家だと、仕事しろっ! とリプを送りたくなる。今が正念場なはずなのに、フレンド登録して確認してみると、俺より頻繁にログインしていて遊んでいる奴が多いっ! その癖刊行スピードが遅いもんだから、俺じゃなくてもキレるだろう。

「……ガチャって種類あるよね? ボクもやっているから分かるけど、今特殊なガチャ二つやっているけど、どういう風に引いているのかな?」

「そりゃあ、均等に、全部のガチャを引いているよ」

「――偏らせた方がいいんじゃないのかな? 一つの種類のガチャを集中的にやった方が、確率は集束すると思うんだ。他のガチャをやったら、確率がまた振り出しに戻る気がしない?」

「そ、そんなの分からないだろ!?」

「分からないけどさ、今やっていることがだめなら、違うことをやってみる。それが例え運試しのガチャだとしても、そうするべきだよ」

「でも、今やっているのは、円卓のガチャと、水着のガチャだぞ!? 俺どっちも好きなキャラがでるのに、そんなの選べないよっ!!」

「相対的に好きなものを選べばいいんだよ」

「相対的判断なんて糞喰らえだッ! 誰を選んで、誰を見捨てるかなんて――俺は――もう決められないッ!!」

「現実から逃げたって苦しくなるだけだよ!?」

 現実なら見ている、見ているはずだっ!

「そうだっ! タイムリープすればいいっ!!」

「仮にタイムリープしたって、一%の壁は越えられないっ!!」

「やってみなきゃ分からないだろっ!?」

「自分が爆死するのを見るだけなんだよ!?」

「それでもッ――俺はもがいてやるッ!!」

 待ち受ける結末がどれだけ残酷だろうと、挑戦しなければ可能性は0。0と1は違うっ!!

「二百連したのにでないってなにってなんたけども!? 星5ならまだしも、星4すらでないってどういうことってなったけども!! それでも、俺は諦めない。世界が何らかの意思を持って俺に星5を引かせたくないのか、なかなか世界線が変動しなかった! どうしても、ダイ○ージェンス1%の壁を越えられないッ!! それでも、アト○クタ・フィールドの干渉を受けつけない唯一の世界線――シュ○インズ・ゲートを目指せっ!!」

 まるで世界が俺の爆死を望んでいるかのように、レアが引けない。もしかして、この前のアンケートで調子こいて、数万文字以上の改善点や感想を書いてしまったせいか? そのせいで運営に眼をつけられたのかっ!?

「出た時の台詞として、これがシュ○インズ・ゲートの選択だよ、ってドヤ顔する準備はできているのに……」

「……ご愁傷様、夢野クン」

 ポン、と慰めるように軽く肩を叩いてくる。

「そうだ。フレンド登録してみない?」

「えっ?」

「レアキャラがでないと、先に進むのは大変だよね? ボク結構レア引いているから、手助けできると思うけど」

 フレンド登録すれば、他の人のレアキャラを借りて攻略することができる。自分自身のパーティーが貧弱でも、他人の強いキャラを使えば攻略はかなり楽になるのだ。デメリットはないし、なにより俺の貧弱パーティーを見てフレンド登録しようなんて奇特な人は珍しい。こんなの、二つ返事だ。

「わ、わかったっ! フレンド登録しようっ!!」

「そうだ。ついでに、LINEの交換もしようっ!」

「お、おうっ!」

 他人と連絡先を交換するなんてこと、家族以外で初めてなので手間取る。四月一日の指示通りに操作し、それから全てが終わって、何かに気がついても手遅れとなったところで、


「計画通り」


 ニヤリ、と契約した悪魔はほくそ笑む。

「えっ?」

「フレンド登録の特典。それは、フレンドが最後にプレイした時間の表示。つまり、夢野クンがプレイした時間が何分前かが、ボクのゲーム画面にも表示されることになる」

「ま、まさか……」

「そうだよ。キミにはソシャゲなんてやっている時間はないんだ。キミはずっと小説を書いていなければならない。これで、遊んでかどうか監視できる」

「なっ、なに――謀ったなああああああっ!!」


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