07.ここがあの女のハウスね 1
「ここがあの女のハウスね……」
城。
庶民の眼からしたらそう称せざるを得ないご立派な家だった。ただし、洋風な家ではなく、和風の家。石造りの塀がどこまでも続き、視界には終わりが見えないほどの敷地の広さ。自分の身長より高い木製の扉を開くと、そこに広がるのは――――庭。鯉の泳ぐ池があって、鶏が庭で餌を探すようにコツコツと地面に転がる石ころ嘴でつついていた。
田舎で土地が安いとはいえ、こんな家は流石に初めて見た。学校からそう遠くないところに建てられていて、今まで何度か通ったはずの道に建てられているのに、視界に入れていなかった。
想像もしていなかった。同級生がこんな豪邸に住んでいるなんて。だから、自分には無関係で一生関わり合いにならないと思っていた。なのに、俺はここにいる。現実感がなさすぎて、うざいくらいにそわそわする。
案内された四月一日の部屋も広い。初めて女子の部屋に入ったが、芳香剤を使っていないはずなのに、なにかいい匂いがする。ただ、部屋の中は女性らしくなく、勉強机と椅子と、ベッドと、クッションと、それから本棚ぐらいしか置いていない。無駄が嫌いらしい。俺の部屋はフィギュアやらタペストリーが置いてあるので、ものすごく殺風景に見えてしまう。
だけど、ここにいても全然飽きない。何故なら、本棚にはずらり、と漫画やラノベが並んでいるからだ。二千冊は軽く超える本の大半はラノベで占められている。ジャンル的には、少女漫画から青年コミックまで幅広い。主人公がサラリーマンをやっている漫画まであって、高校生の感覚からして何が面白いのかちょっと分からない。表紙からして地味だったが、四月一日にとっては購入するほど好きなのだろう。
だけど、一番はやっぱりラノベ。ラノベだ。
こんなの天国だ。あらゆる年代のラノベが置かれていて、俺が知らない昔のラノベまである。
「す、住みてぇ……」
プロだとマンションの一室丸ごと資料やラノベ置き場にしている人もいるらしいが、こんな部屋で暮らせたら本望だ。
「うわー、ドラマCD付きのやつとかまであるよー。すげー欲しい」
俺の部屋にあるフィギュアやらタペストリーは、ゲーセンでゲットしたものが多い。千円かけずに、ハイエナプレイでゲットしたものばかりだ。お小遣いがそれほどあるわけでもないので、小冊子付きやらドラマCD付きの限定版のラノベにまで手が出せない。だから憧れている。こういうのは、一度発売したら二度と販売しない。ネットオークションで出回ることもあるが、定価よりもかなり高く、足元を見られる。だから新品を買った方がいいのだが、どうしても金がないのだ。
「バイト、しようかなー」
バイトならコンビニが楽だと聴いたからやったことがあるけど、全然そんなことはなかった。商品の陳列、レジ、フライヤー、掃除ならまだしも、煙草や宅配便などの郵送物、切手、公共料金の支払い、おでんや焼き鳥などの販売、温度管理等々、やることが多すぎて、まず覚えられなかった。特に煙草の銘柄を覚えるのは辛くて、番号でなく頑なに銘柄しか答えない面倒な客は少なくない。
店長からは「仕事前に速めに来てこういうのは憶えるものなんだよっ! これだからゆとりはっ!」と叱られた。みんなが楽だと言っているコンビニバイトで、ちょっとへこたれて泣きそうになっている俺って……もしかして本当に何もできない? と、家に帰ってから電気を消した状態で、隅っこの方で体育座りして落ち込んだ。そういう辛いことをラノベのネタに生かそうとしないところが、俺の悪いところなのだろうか。
ガチャッ、と考え事をしていると、部屋の扉が開けられる。
「ん? 今、バイトするって言った? そんなことする余裕なんてないでしょ? なんなら、ボクがお金だそうか? ボクが出せる範囲ならいくらでも貢ぐよ」
「いやっ、いいから! というか、持つわ、それ!」
まるでファミレスの店員のように、器用にお盆を腕のところに乗せながら扉を開けているので、慌てて運ぶのを手伝う。部屋に連れてきた後、何か飲み物でも持ってくるよっ、と言って出て行った。
そうして持ってきたのは、明らかに市販の飲み物ではない。なんだか茶葉から入れたような紅茶だった。どうりで、えらく時間がかかったと思ったよ。
「なに、これ? 紅茶、だよな? 香りが凄いな……」
「ダージリンだよ。ボク、これけっこう好きなんだよね」
「やべえ、ガ○パンでしか聴いたことがないやつ……」
夏なので氷が入っていて、ありがてぇ、キンキンに冷えてやがるっ……!
「それより、ボクが紅茶いれている間に、何か漁ってないよね!?」
「漁ってないよ」
ちょっとラノベは手に取って読みたくなったけど。
「机の中の二重底に気がついてもだめだよ。正しい手順で開けないと、秘密のノートは燃えて、誰も読めなくなるように仕掛けを作っているからね」
「……デス○ートか!! そんなの、自分もその仕掛け忘れて燃やしそうだけど!?」
目を逸らして本棚にそっと視線を何気なくやって、そして――――心臓が跳ねあがった。
「うわっ、このラノベ持っているの!?」
「えっ、知っているの? 夢野クン。でも、これってあんまり有名じゃないよね?」
「知ってる、知ってる。だって、これって、あのレーベルの大賞作品だからな。まあ、三巻で打ち切りになっちゃって、作者も作家辞めちゃったみたいせいで誰も知らないんだけどさ……。この作者今何しているんだろうな。あとがきで、ラノベ作家になったので会社辞めちゃいました! 編集には止められたけどね! とか言っていたのに……。再就職できたんだろうか……」
大賞作品をとっても、一巻、二巻で打ち切りになることなんてざらだ。そんなのラノベを読んでいる人間なら誰だって知っている。だけど、俺は手に取った作品が打ちきれた理由が悲しすぎて、忘れることはできない。
斬新過ぎたのだ。
今の流行は主人公がゲーマー設定っていうのが流行り。だが、この作品は五年以上前の作品。流行る前に、今の作風で描いていて、なおかつめちゃくちゃ面白い。キャラは立っているし、作者は頭がよくて、伏線をキッチリ綺麗に回収し、驚愕の展開がいくつもあって、欠点など見当たらなかった。
だけど、あまりにも時代を先取りしすぎて、売れなかったのだ。この作品をパクって数十倍に薄めたような作品が売れているのを観て、イライラしたことがある。だって、キャラの名前から、ストーリー展開の細部までそっくりなのだ。それなのに、売れたら正義。売れなければ悪となる。
きっと、この作品を今他人に薦めても、パクリ作品、テンプレじゃねぇーか、と馬鹿にされるだろう。だけど、あの頃は本当に斬新だった。これだけ面白い作品でも、運がなければ売れない。そういう現実を知る度に、プロの壁を高く感じてしまう。流行は速すぎても、遅すぎてもだめなのだ。
「夢野クンも、このぐらいラノベ家にあるでしょ?」
「えっ、いやないな、残念ながら。お小遣いあんまりもらえないし、バイトも今はしていないからなー。金あれば俺もこのぐらい欲しいよ。図書館にラノベ置いているから、それ読んだりして、本当に好きな作品しか買えてないんだよな」
バイトをしてみると分かる。楽そうに見えても、楽な仕事なんてこの世にないってことを。みんな頑張っているってことを。店員にため口を聴いてくるクソみたいな客が社会にどれだけ蔓延っているかってことを。お金を稼ぐのがどれだけ大変なのかってことを。
金は欲しいけど、もう働きたくないでござる。絶対に働きたくないでござる。
「それに、俺の家って小さいし、金があったとして、ラノベ大量にかったら床が抜けるんだよ。だから、最近は電子書籍になっちゃってるな」
「電子書籍? パソコンとかスマホでラノベ? ボクは実際に手で紙をパラパラめくるのが好きなんだけどね」
「俺もだけど、仕方ないよ。ラノベを売ったり捨てたりしても、結局また読みたくなって買い戻すよりかは、電子書籍として読みたいなってなるんだよ。出版社とか作者とか本屋からしたら、もしかしたら電子書籍は嫌なのかも知れないけどさ、俺は何度でも読みたい派だからね。好きな作品は十回以上読みたい派」
「ボクも、ボクも。好きなラノベは何週でもしちゃう。……そっか、電子書籍か。手を出してないなー、今のところ。でも、最近は電子書籍限定の特典小説みたいなものも流行っているしね。ボクもそういう時だけは買ってみようかな。もちろん紙媒体の方も買うけど。せめて、アプリだけでも教えてもらえる?」
「えっ、そ、そ、そう? これとか、これおすすめだけど」
スマホを取り出して、操作してみせると、四月一日もスマホを取り出してきた。
「へー、こんなのもあるんだー」
「…………」
「ん? どうしたの?」
「いやー、やっぱり行動力ある人って、成長しやすいのかなって思って」
「……どういうこと?」
「ほら、普段の学校生活とか、オフ会に参加した時とか、今みたいすぐにおすすめしたものを取り込んだりさ。特に電子書籍は結構抵抗あったはずなのに、すぐやったよね?」
「そうかな? 普通だと思うけど」
「普通じゃないんだよ。俺は自発的に何かしようと思わないし、誰かに誘われても尻込みする。だけど、四月一日は、目の前にハードルがあったらすぐに飛び越える。これが――差――なんだろうな。この小さな差がとてつもない大差を生むんだろうな」
「…………ボクは、キミのそういうところが凄いって思うけどね」
「え? なんだって?」
「――だからさ、ボクはそんなこと考えずに、さらっとやってしまうのは普通だよ。だけど、こんなさりげないことに気がついて、さらに言語化できる方が凄いと思うけどね。キミはやっぱり、ラノベを書く才能あるよ」
「才能? これが?」
行動力がないから、立ち止って人間観察するのが癖になっているだけのちょっとしょぼい奴ってだけな気がするんですが……。
「そうだよ。ボクには決して真似ができないもので、キミだけの持ち味だよ。ボクはそういうところが好きなんだ」
「ええっ!?」
「小説ね! 小説! キミの小説が好きってこと!!」
「ああ、そういう、ことね、はいはい。――ってどっちにしても恥ずかしいなっ!!」
パタパタと、手で熱くなったであろう頬に微風を送る。
「…………」
「…………」
そして、互いに言葉を出し尽くす。今までのは距離感を測るためのほんのジャブ。挨拶のようなもので、そろそろ当たり障りのない話は終わる。
カラン、と氷が動く。まるで西部劇のガンマンが、地面にコインが落ちた瞬間に銃を抜くように、その氷の音を合図にして口火を切る。
「あのさ、どうして、最近、新作の小説を書いてくれないの?」
「それ、は……」
「答えて欲しい。ずっと気になってたんだ。それを聴かなきゃ、きっと小説をちゃんと書けないと思うんだ。だから――お願い」
誤魔化そうと思った。へらへら笑って、なんでもいいから適当な嘘をつこうって。だけど、四月一日はそれを許してくれなかった。苛烈な言い回しで言われるよりも、重いものを喰らった気分。正直、彼女には――《巨人殺しの弟子》にだけは告げたくなかった。
「怖くなったんだよ、小説を書くのが」
だけど、もう、隠すことにも疲れた。誰にも告げることができなかった。小説を掛けなくなった理由が、人によってはとてつもなく、くだらないものだってことを俺自身理解できている。だけど、どうしても俺は書く意欲がなくなってしまったのだ。
「きっかけは、あの人にブロックされた時かな」