04.冴えない主人公のたった一つの冴えた育て方 1
放課後。この時間に至るまでビクビクしながら授業を受けていて、生きた心地がしなかった。休み時間になると、クラスメイト達がドッと押し寄せてきて四月一日との関係について質問攻めをしてきた。俺は、あっ、とか、いや、それは……しか喋れないのと見て取ると、段々と俺の周りでの騒ぎは集束していった。四月一日はのらりくらりとかわすので、みんな自分達で話というか、噂をし始めた。尾ひれのついた噂が、学校中に触れ回れるのは正直、時間の問題だ。
辟易しきった身体に鞭打つようにして、家庭科室の前の廊下まで辿りつくが、
「四月一日先輩、どうしても、部活に戻ってくれないんですか?」
どうやら、お取込み中のようだった。よりにもよって家庭科室の前で、先輩と後輩らしき二人の女子が話し合いをしている。口論をしているかのような語気。切迫した空気が流れていて、とてもあっ、すいません、そこを通してください、邪魔ですよとか、言えるような雰囲気ではない。踵を返して、廊下の角の死角に身を置く。
「あれは……?」
先輩の方は四月一日。そして、もう一人の女子の顔は初めて見た。他人の名前や顔を覚えるのが苦手な俺でも自信を持って、そう言える。
「ごめんね、泊ちゃん。最近、忙しくて部活は、ちょっと」
「そう、ですか……そう、ですよね? でも、やっぱり――」
「もしかして、頼まれた?」
「えっ?」
「泊ちゃんが、積極的にこんなことするなんて、ちょっと意外だったから」
「……みんな、先輩には帰ってきてほしいって思っています。先輩だったら全国大会にだっていけるのに……。リレーじゃ、私達足手まといにしかならないけど、先輩がいてくれるだけで、私達も励みになるんですっ! 私だって、私だって、先輩には帰ってきてほしいですっ! だから、これは自分の意志ですっ!」
赤の他人の俺でさえ冷や汗をかいている。や、やばい。四月一日は本気でキレそうになっている。あんなに心を掻き乱されたあいつを見たのは初めてだ。後輩の女の子も、あれだけ冷たい顔をしたあいつとよく正面切って話せるもんだ。
俺だったら、ガタガタ奥歯を鳴らして、な、なんでもないっす、と会話を打ちきっているところだ。
「あの、これ、入部届です。――受け取ってください」
「…………………ごめん、それは受け取れない。みんなへの期待には応えられないよ」
両手で渡された入部届は、四月一日にとって、ゴミクズ程度の価値しかないのか。冷たく睥睨すると、入部届を突き返す。
「……わ、私、諦めませんから!」
今にも泣きそうな声で言い放つと、床を勢いよく蹴る。
うわっ、こっちくる。逃げろっ!
「あっ、すいませんっ」
だけど、後輩の走る速度が思いの外早過ぎて、衝突する。そして、後輩の瞳から、透明なものがこぼれおちた。ちょっと手を伸ばした時には、もうどこかへ行ってしまった後だった。
あの子、泣いてたな。
泣いていた彼女と身体がぶつかった時に感じたあの感触。服をひっぱるように隆起した胸は、着やせしていないと思いきやしていたようだ。つまり、想像以上の大きさで――
「ああ、変なところ見られちゃったね。気にしなくていいよ」
まるで、部屋のエロ本を母親に片づけられていた時のような気まずさと罪悪感が重たくのしかかる。なんとか気をまぎらせようと、適当に会話の種になりそうなやつをばらまいてみる。
「リレーって、陸上部でもやってたのか?」
「陸上部じゃなくて、水泳部だよ。四人が交代で100メートルずつ泳ぐ、メドレーリレーっていう競技があるんだ。私は、四種類の泳法全部できるから重宝されてたんだよ。バッタとかバックとか速く泳げる人って、なかなかいないんだよね」
「……バッタって昆虫?」
「ああ、バッタがバタフライ。バタとも言うね。あの、溺れている人みたいな泳ぎ方の奴で、バックが背泳ぎっていう意味だよ。背泳ぎは、分かるよね、うん。でも……ごめんね。変なところ見られちゃったね。気にしなくていいよ」
「いや、別に謝らなくてもいいけど……」
やっぱり他人と話したことがないせいか、微妙な距離のとりかただ。こういうの、苦手だ。面倒だと思ってしまう。さぐり、さぐり。相手の様子をうかがないなら気遣うぐらいなら、家に帰って一人でラノベ読んでいる方がずっと有意義だ。
「こんなところで立ち話もなんだから、入ろうか?」
どこからか取り出したのは、家庭科室の鍵。そりゃそうだ。放課後に家庭科室の鍵がかかっているのは当然。思いつかなかったな。
「はい、どうぞ」
「……どうも」
ドアを開けてもらって、滑り込むように入室する。ちょっと気分いいなあ、って思っていると、後ろ手で素早く締められる。鍵なくとも内側から開けられると分かっていても、なんだか袋の鼠気分だ。
「なんで、鍵持ってるんだ?」
「今日は、家庭科の調理実習があったでしょ? それで忘れ物があるからって、もらってきたんだ。長話はできないけど、ここなら誰の邪魔も入らずに、すぐに話せるよね?」
「はー、頭いいな」
「ほんとうはファミレスとかひと気のない神社でも良かったんだけど、それだと、キミは突いてきてくれないと思ってね。キミは、人間に迫害を受けた獣みたいに警戒心が強いからね。ほら、ここなら怖くない、怖くない。ほらっ、怖くない……ねっ……?」
「ナ○シカか、お前は……」
パシッ、とさし伸ばしてきた手を思わず払ってしまったが、気にしていないようだった。今のは冗談だったらしい。
「さっきの子さ」
「ん?」
「ほら、さっきの水泳部の後輩。宿母泊って言うんだけど、凄いいい子でさ。私に懐いてくれて、泳ぎ方教えてくださいっていつもくっついて、性格良くて、みんなからも好かれて、だから、ちょっと苦手なんだ……」
「苦手って、えっ、あいつのこと嫌ってるの?」
「ううん、そんなことないよ。大好きだよ。だけど、嫌いと苦手は違うって話。ああいう天然記念物みたいないい子を見ていると、自分がどれだけ造り物っぽいのかが分かっちゃうから、ちょっぴり辛いんだ……。あの子は、全然悪くないんだけどね」
「…………」
「……ただ、あの子をけしかければ私も頷ずくだろって、そんなことを計算した他の水泳部の子達には少しだけ腹が立ったかな?」
少しだけ、という言葉には語弊があるようだ。表情にはでていないが、相当キレているのは雰囲気から伝わってくる。
「いや、そこまで考えていないんじゃないのか? ただ、たまたま呼びかけの代表があの後輩だったってだけで、計算とか、そういうんじゃないと思うんだけど……」
「……そうかもね。まっ、どういう意図かは分からないけど、ボクは絶対に水泳部には戻らないよ。本当にやりたいことが見つかったからね」
「………………? ほんとうにやりたいこと?」
「さて、と。本題に入ろうか」
なんだか要領を得ないけど、いいか。俺には四月一日の人間関係なんて関係ないし興味もないしな。
「ああ……。そうだ。俺の一万円返してくれるんだよな?」
「もちろん。はいっ」
「お、おう」
「今度は忘れたら、だめだよ?」
もっと押し問答があると思いきや、あっさりと返却されて肩透かしをくらう。一万円を財布に入れると、四月一日が話を再開する。
「よし、これでようやく本題に入れるね」
「えっ、これじゃないのか? まだ、なんか話あるのか?」
「もちろんだよ。そもそも本題というべき話を全然初めてないんだから、当たり前だよ。ボクは、キミにお願いがあるんだ」
「お願い?」
「その前に、自己紹介から始めようかな?」
そうして、どこまでも軽妙な口調で、
「ボクのペンネームは《巨人殺しの弟子》。初めましてでいいかな? 《空の夢》クン」
とんでもない爆弾発言を投げかけてきた。
「は、はああああああああああああ!? なんで、俺の小説のペンネームを知って――っていうか《巨人殺しの弟子》って、あの? 人気ネット小説家の?」
し、信じられない。
同じ地域に住んでいることは知っていた。そして、それがかなり近いことも、何度かネット上で交流したから予備知識として頭にあった。だけど、まさか同じ学校で同じ年齢なんて偶然ありえない。だけど、俺のペンネームはこの学校の誰にも漏らしていない。それなのに、どうしてこいつは知らないはずのことを知っているんだっ!?
「そうだよ。人気かどうかは分からないけど、そんなことはどうでもいい。ボクから、キミへのお願いは、たった一つ。――――キミには主人公になって欲しいんだよ」