16.飢えなきゃ勝てない
校舎から離れ、グラウンド近くに建設されている部室棟。もしも、空き教室を勝手に使っていることが教師にバレたら、咎められる。だったら「空いている部室を使えばいいだろ」と、百目鬼に提案されたので、こうして集まった。
図書館だとどうしても無意識的に声のボリュームを抑えてしまうが、ここならば話し合える。今回の集まりは、三人が結託して初めての会合なのだ。波乱のあまり、議論がヒートアップすることは火を見るより明らか。だから、誰も立ち寄らない、百目鬼の知っている穴場の場所に来た。
「自己紹介から始めようか」
四月一日が場を仕切りだすが、場を掻き乱すのに長けている新人が黙っていない。
「知っているよ、二人とも。二重人格に、冴えない根暗男だろ?」
「そういうことじゃなくて! もっとみんなのこと知っておかないとだめだと思うんだよね。協力していくからには、三人の性格だって知るべきだよ。お互いに、お互いの作品は知っているけど、もっと深いところまで知ろうっ!!」
「そう、かな……」
百目鬼ほどじゃないが、俺もそこまで乗り気ではない。自己紹介は苦手だ。自分のことって普段考えないから、いつも詰まる。せめて新学期のクラスが始まる時ならば、どうせ毎年最初に自己紹介があるからと準備ができているからいいが、今は全く準備ができていない。頭が真っ白だ。どうしよう……。というか、いきなり自己紹介とかなんか気恥ずかしい――とぐだぐだ考え込んでいる内に、勝手に四月一日が始めだす。
「それじゃあ、言いだしっぺのボクから自己紹介するね。ボクの名前は四月一日真。好きな洋画は、トゥ○ーマン・ショー、キ○ーブ。……閉鎖的な世界観が結構好きかも。そこから脱出しようとするところがいいよね! ほらほら、こうやって自己紹介することで、自分でも気がつかないことだって気づくでしょ? だから、自己紹介って大事なんだよっ! はいっ! 次は、夢野クンッ!!」
「えっ!? いきなり?」
次は、俺か……。なんだろう、ただ名前を言うだけじゃなくて、それっぽいことも言った方がいい流れだな。
「えっ、と、夢野空です。好きなもの、好きな偉人は――織田信長と豊臣秀吉かな? 個人的には、豊臣秀吉の方が好きかも……。織田信長はあらゆる意味で天才的だったけど、農民出身だからこそ重点に置いたところが違って面白いんだよね。特に『太閤検地』は単位を明らかにしたことで歴史的にもかなり重要な意味があって――」
「長い、長い。お前って、歴史の勉強できたか?」
「いいや、だいたい赤点。大丈夫、歴史は漫画で勉強しているから!」
「……ああ、そう」
勉強は大体できないんだよっ! 国語の現代文は勉強しなくても点数がとれるからいいけどなっ!
「それじゃあ、次は百目鬼さんの、」
四月一日の弾んだ声を、
「オレに質問するな」
どすの利いた低い声がかき消す。
「どうでもいいんだよ、お前らのことなんて。勝手に自己紹介でもなんでもしていろ。そんなこと、必要ないだろ」
この前のこと、そうとう根に持っているな。無理やり騙す感じで引き入れたんだから、しかたないけど……。四月一日の魂胆は分かっている。この心の壁を構築している百目鬼の態度を柔和なものにしたいのだろう。狙いは分かるが、難しいだろうな。
「ボクらに興味ないことはいいよ。だけど、ボクはキミのことが知りたいな」
「……はあ?」
「本当にこれは大事なことなんだ。ライトノベルじゃ、編集がトラブルを避けるために作家とイラストレーターの交流を禁止することが多いって聴くけど、そのせいで文章と絵の矛盾がうまれるよね」
「……それは、作家が締め切りを守らないせいで、そのしわ寄せがイラストレーターにきたってだけの話だっ!! イラストレーターは何も悪くないんだよっ!!」
さらに怒らせてどうするんだ。情けないが、もう俯いて嵐が去るのは待つしかない。だけど、四月一日は違った。
「だとしても、コミュニケーションをしっかりしておけば何の問題もなかったはずだよ。せめて一回ぐらいは話ぐらいさせた方がいいって、ボクは思うけどね」
「まっ、確かにイラストレーターと密に話し合って作るタイプの作者もいるけど、そういうラノベのイラストは生き生きしているな……」
「そうでしょ? 絵をうまくするためにはお互いに知ることも大切だと思うんだ。だから、聴かせてよ、百目鬼さんのことを」
「…………」
「クリエイティブな仕事って端的に言えば、インプットしてアウトプット。自分の中のものをどんな風に表現できるかってかなり重要なはずだよね。だから、この自己紹介だって全くの無意味ってわけじゃない。ボクらにとってはプラスになるはずだよ……」
「分かったよ、やればいいんだろ、やれば」
百目鬼は悪いいい方をしてしまうと、プライドの高い意識高い系。そういうタイプには感情論ではなく、理論の方が納得しやすい。そして、百目鬼の興味を引きやすい具体例を織り交ぜる。
う、うーん。やっぱりイラストなんて普段書かないし、あまり絵師にも興味がない俺には絶対に説得できなかっただろう。それをこんなに簡単に抑え込むなんて、やっぱり、四月一日は頭いいな。常にクールだ。咄嗟にここまで判断するなんて。
「百目鬼女々、嫌いな食べ物は、枝豆と焼き鳥」
ポツリ、と百目鬼がようやく答えてくれるが、
「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよっ!!」
四月一日さん、ブチ切れです。クールな時はあるけど、たまにこうやってヒートするときがあるのを思い出した。情緒不安定過ぎるだろっ!
「な、なんだよ」
「嫌いなものより、まずは好きなものを話し合おうよっ! お互いのことをほとんど知らない状態で嫌いなものの話はしないほうがいいんだよっ! 意見が違った時に喧嘩になるからね! あっ、ちなみに、なんで焼き鳥が嫌いか教えてくれる!? 内容によってはめちゃくちゃ反論するよ?」
「わ、わかったよ! 好きなものいえばいいんだろ! そんなに、焼き鳥好きなのかよ。親がよっぱらいながら、いらないって言っているのに勧めてきた食べ物だから嫌いなんだよ」
百目鬼さんは、ごほんっ、とちょっと恥ずかしそうにしながら好きなものについて語る。
「好きな変身フォームは、サイクロンア○セルエクストリーム。好きな十○は、アーロ○ロ・アルルエリだ。これで満足か?」
「…………そ、そうなんだ」
「…………す、すごいね」
「なんだ、この……マラソン大会でビリの走者に拍手で迎えてあげましょうみたいな同情的な空気は……。だから嫌だったんだよっ!! マニアックで悪かったなっ!」
咄嗟にうまく反応できなかった。名称長いのスラスラ言えるってことは相当に好きなんだろうな。
「つーかさ、なんでお前ら好きなラノベ答えないの? 二人ともラノベ好きなんだよな?」
「だって、なあ?」
「うん、好きなラノベあり過ぎて厳選できないよね。強いて言うなら、ボクは叙述トリックのあるラノベが好きかな。最後の最後にどんでん返しする、推理物なら犯人は主人公でしたとかいう奴とか、好きだよ」
「俺はバトルものかな。ラノベとバトルものって相性があんまり良くないと思われがちだけど、面白いものもたくさんあるからな」
はあ、と百目鬼は疲れたようにため息をつく。
「……わざわざ確認するつもりもなく、二人はラノベ好きってことね……」
「うん、うん。無事、ボク達に興味を持ってくれて嬉しいよ、ボクは」
「うっせぇな! そういうのじゃねぇから!」
火に油を注いでいくスタイルだけど、なんだかうまくいっている気がする。怒っている時の方が、バンバン本音がでるのだ。この二人、意外に相性がいいかもしれない。
「興味じゃなくて、確認だよ。どれだけお前らがラノベを好きかって確認。二人は何度かプロになる覚悟をお互いに確認してたみたいだけど、オレは途中参加だろ? どの程度好きなのか確認したかっただけだ」
「へぇ。それで、キミの感想を聴きたいね」
ああっ、そう。じゃあ遠慮なく言わせてもらうけどよ、と前置きすると、
「温いんだよ、四月一日真――お前のやり方は」
さっきまで弛緩していた空気をぶち壊す。
「その男に甘すぎると言ってもいい。ただ大雑把な課題を与えるだけじゃなくて、もっと踏み込んだ指示を与えた方がいい。こいつの小説のプロットは読ませてもらったけどな。なんというか、全体的にまだまだ曖昧なんだよ、主人公のキャラ設定や話の展開がまだまだ雑だ。オレはこんなもののために共犯者に誘われたのか?」
「それはまだプロット段階だからだよ。これから肉付けしていくつもりだよ」
プロットの紙、それから数ページの小説を、パラパラとめくっている。百目鬼はあくまでイラスト担当だ。俺や四月一日のように小説を書いたことがある訳ではない。それなのに、どうしてこんな上から目線なのか。
「…………」
「納得いっていないって顔にかいているな。だが、門外漢だからこそ、部外者だからこそ、俯瞰して物事が見えるってもんだ。――時間、ないんだろ? だったら手っ取り早く肉付けさせてやるよ」
「…………? なにを?」
自前のノートパソコンと、タブレットの前に座る。タッチペンをくるくると回すと、
「なーに、ちょっと本気出して絵を描くだけだ」
一気に描いていく。全ては一筆書きで、迷いなどない。線は形を成して、俺の小説の主人公を描写した。顔と首まわりだけだが、ものの数分で主人公らしい主人公を描写した。少し頼りなさそうに眉が垂れ下がったりしているあたりがリアルだ。
「うわっ、すげっ……。あんな少ない情報なのに、俺の思い描いていた主人公のキャラが描けてる……っ!」
「まっ、まあな。このぐらいプロ志望なら誰でもできるんだよ」
「そっか。百目鬼もプロ志望なんだな」
「ああ、イラストレーターっていうのはすごいんだよ。プロ作家の中には、没になった絵に感化されてから、キャラを逆輸入する奴もいる。それだけ、絵の力は偉大なんだ。ラノベがアニメ化された時だって、絵がかなり劣化したように感じることがあるけど、それはラノベの挿絵が特別だからだ」
「特別?」
「アニメとも漫画とも違う。ラノベは一枚絵だ。動かさないことを前提とした特殊な絵を描けるんだよ。それに、一枚絵だから時間をかけて描けるから芸術的なイラストにできる。だからオレはラノベの挿絵が大好きなんだ。この世の絵の中で一番最高なんだ。だから、基本的にオレはジャケ買いだよ。特に、漫画やアニメでは決して真似できないラノベ特有の繊細で儚いイラストが好きだな」
「ああ、俺もジャケ買いするよ! 最初の文章を読んでから自分に合うか合わないかって判断するけど、やっぱり最初は本屋で平積みされている本の表紙に目が奪われることが多いんだよ!! いやー、俺は絵は描けないから百目鬼のこと、本当に尊敬するよ! それに、そういう観点からラノベのこと考えたことなかったなあ。いや、ほんとにすごい! こんな素敵な絵を描いてくれてありがとうっ!」
「……ま、まあ、な」
思わず、感激具合を共有するように手を握ってしまう。暴言の一つでも吐かれると思ったが、振りほどきもしないので、調子に乗ってベラベラ話す。
「四月一日が共犯者に選ぶだけあって、実力桁違いだな!! どこか応募に出したりしているの?」
「いいや。でもTwitterやら、コミケやらでスカウトうじゃうじゃいるらしいし……。今のところはどこかのコンテストに出す予定はないな。それに、正直まだ、漫画でいくか、イラストレーターでやっていくか決めかねているしな」
「大丈夫だよ! このぐらい実力あるなら! どんなことだってできるって!」
「あ、ありがとう……」
なんだかしおらしく、顔を赤らめているのを見ているとあっ、この人女の人だったな、と失礼な感想を持ってしまう。不良だから制服をいつも着崩していてぶっちゃけエロイ。エロいんだけど、声はでかいし、いつも他人を威嚇してくるし、俺みたいなカースト最底辺には冷たい。だから、女性として意識するのは難しい。
借りてきたネコでももっと元気だが、今のように弱弱しく返事する彼女を見て、初めて素直に異性として見える。可愛いと思える。そうすると、意識してしまう。握ってしまっているこの手を、どのタイミングで切り離していいのだろうか。ガッチリ、と、指と指が交差してしまっているし、いまさら、百目鬼の指ってすごい、綺麗だし、なんだかすべすべしているし、とか余計な感情が頭に浮かんで、
「はい、もう終わりです」
どうしようもなくパンク状態になった俺の頭を、強引に戻してくれたのは四月一日。ものすごい力で俺と百目鬼の指を引き剥がした。
「ラブコメの波動を感じた! 禁止だから! ボクらの間では恋愛禁止条例だから!」
「そんなんじゃねぇよ! 確かにオレの知り合いがやっていたバンドも、男女の仲が原因でバンド解散なったけど、こいつとオレが恋愛関係になることは一生ないと断言できるっ!!」
「あっ、そ、そうですよねー」
分かってはいるが、直接言われるとなんだか悲しい。別に、百目鬼のことを好きというわけでもないのだが、まったく望みがないとつけつけられると、なんだか落ち込んでしまう。
「で、でも、百目鬼のおかげでほんとうにやる気が出たよ。ありがとう」
「ハア? やる気がでた、ね。――それだけか?」
「えっ?」
「文字通り死にもの狂いで創作活動しなきゃいけないんじゃないのか? お前には、勝者が持っていなければならないものが決定的に欠けている」
「そ、それは……」
小説関連だけでなく、よく「どうしてお前は何故ベストを尽くさないのか?」と言われることは多い。俺なりに本気になっているつもりでも、他人からみたら手を抜いて人生を浪費しているように見えるらしい。
「あの《ツブシアン》とか言う奴のやったことは褒められたものじゃないが、それでも、誰かを蹴落としてもいいっていう『漆黒の意志』があった。――いいか、プロになるってことは今プロになっている奴らの席を奪うということだ。弾かれたプロは二度と復帰できないかもしれない。他人を犠牲にしなきゃプロになれない。それは、わかっているよな?」
「分かっているよ……。いるけど――」
普段から意識しているわけではない。
たくさん作家がいるから、無限にラノベを発刊できる――というわけではない。出版には枠が存在し、仮に一ヶ月に一冊刊行できる速度で書き上げたとしても、毎月一冊ずつ出せるとは限らない。だいたい、制限を掛けられてしまう。
レーベルごとに枠は決まっているからこそ、新たなレーベルがまるでたけのこのようにニョキニョキ現れるのだ。それでも、限界はある。俺がチャンスをつかむということは、誰かのチャンスを潰すということ。もしかしたら、とある人間の人生をぶち壊すことになるかもしれない。
「自分の夢が叶った時は、必ず誰かの夢破れるということを忘れるな。お前はまだ本気で小説を書いていない。誰かを犠牲にするってことは、覚悟が必要なんだ。自分自身の全てを犠牲にするような覚悟がっ!」
「…………」
誰だって後味の悪い想いはしたくない。誰かを犠牲にしている事実から、みんな目を逸らしている。それでも、現実的には誰かを犠牲にしなければ上へはいけない。俺は、そんな当たり前のことを失念していた。
「『飢えなきゃ』勝てない」
グッ、と百目鬼が握りこぶしを握る。俺に発奮をかけるように、声を張り上げる。
「ただしあんな《ツブシアン》なんかよりずっと、ずっともっと気高く『飢え』なくては!」
俺は、飢えるほど小説を書いていたか。確かに寝不足ではあるが、それだけだ。あの時ほどではない。毎日小説を更新していたあの時。ある日、指に怪我をした。血が滲みながらも、キーボードを叩くのをやめなかった。そのせいで学校の怪談みたいに、キーボードが血だらけになったことがあった。激痛に苛まれながらも、小説を更新しきった。
あの時ほど、俺は飢えていない。死ぬ気で小説を書いていない。
「……確かに、俺の考えは甘かったかもしれない。毎日決められたノルマをこなすことしかしなかった。受け身になっていた。……でも、それじゃあ、だめなんだよな。与えられたもの以上を、期待以上のことを実行しなきゃ、きっと俺はプロになれない。なれたとしても、きっと続かないっ……!」
「フン。そうだな。分かればいいんだよ、分かれば。だがまあ、一番悪いのは、四月一日、お前だよ」
「な、なんでボクが?」
「過保護なんだよ。この底辺作家のことを気に入っているのは分かるが、あまりベタベタしていてもこいつが成長しないんだよ。谷底へ落とす勢いで厳しくしなくちゃならないだろうが」
「ボ、ボクだって厳しくしているよ」
ほんとうだよ……。睡眠時間がガンガン削られていっているし、ズケズケ物おじせずに俺に足りない部分を指摘してくる。それでも、やっぱり、それだけなのだ。四月一日だけでは、俺の意識改革はできなかった。四月一日は完璧すぎて、なんでもできるように見える。だけど、一人の人間。どんな人間であろうと、死角が発生する。
右を見ながら左をみることなど、影分身を持つ忍者にしかできない。それを、四月一日と百目鬼が二人いるなら左右同時に見られる。
プロ作家には編集が二、三人以上つくという。どうしてそんなに必要なのか甚だ疑問だったが、少しわかった気がする。死角を埋めて、創作活動を盤石にするためだ。
「…………」
「なんだよ?」
「いや、思ったよりも真剣にやってくれるんだなって」
「やると決めたらキッチリやらなきゃ気が済まない性分なんでな。それなりにお前のフォローはさせてもらうつもりだ。――それに……」
「それに?」
「今のところ、お前自身には興味はないが、四月一日真っていうチートキャラが認めたお前には興味がある……」
「――必ず、俺自身の実力を認めてもらえるように、頑張るよ」
フッ、と俺の強気な態度が気に入ったのか、
「ようこそ『男の世界』へ」
きっと『男』というよりかは『漢』と読める意味の歓迎の仕方をされたけど、無粋なツッコミをせざるを得なかった。
「いや、お前、女だろ」




