エンリの思い出2
気が付くと、私は一人で森のなかに立っていました。
その場所には見覚えがありました。
女神様の祭壇があった場所です。
村への目印もありましたから見間違えるはずはありません。
ですが、祭壇のあったはずの場所には、何も存在していませんでした。
女神様の祭壇は消え去り、そこには底の見えない大きな穴がポッカリと開いているばかりです。
私は夢を見ているのかと思いました。
道に迷ったのも、あの恐ろしい黒い竜も、突然現れた女の人も、はたして全て夢だったのでしょうか。
穴の底を見つめながら考えていると、そこへ私に声をかけた人がいたのです。
その人は、私を探しに来た村の若い青年でした。
私を見てホッとした表情を浮かべます。
私は青年に駆け寄って、今まで見てきたことを話そうとしました。
ですが青年はそれを遮って、まずは村へ帰ろう、と言います。
村は無事だったのです。
そのことに安心した私は頷き、青年と村へ帰ったのでした。
家に帰り、両親と再会を喜び合ったあと、私たちは村長の家に向かいました。
そこで私は森で起こったことの一部始終を村長に説明しました。
ですが村長は、黒い竜など聞いたことがない、人が突然現れるなんてそんなことがありえるのか、と言って考えこんでしまいました。
ただ村長は、私の話すこと全てを疑っているわけではないようでした。
女神様の祭壇が消えてしまい、そこに大きな穴ができていたことを、森に入った村人から聞いていたらしいのです。
人の力の及ばない恐ろしいことが起こったことは事実なのですから。
村長が考え込んでいると、慌てた村人が部屋に飛び込んできました。
消えてしまった女神様の祭壇を調べていると、そこへ不思議な格好をした女の人が出現したというのです。
きっと私を助けてくれた女の人だ、と私は言いました。
こうなると村長も私のいうことを信じざるをえません。
やがて、私を助けてくれた女の人が村人に伴われてやってきます。
彼女に初めて会った時は、頭に血が上っていて気づきませんでしたが、彼女は原色で固められた奇抜な色使いの服を着ていました。
彼女はその場にいる村人たちに自己紹介をしました。
なんと彼女はエル帝国から来た魔女だというのです。
どうやら帝国の偉い人でもあるようでした。
彼女は封印された竜を完全に消滅させるために、あちこち飛び回っていると言いました。
私が会った黒い竜も以前から調べていたらしいのです。
そして竜の強い力を感じて飛んできたら、私がいたのだと説明しました。
彼女は私を別の場所へ飛ばしたあと、あの黒い竜をたった一人で退治してしまったようです。
その証拠に竜の黒いウロコと、大きな牙を袋から取り出して見せました。
その大きさに村長も両親も村のみんなも驚いていました。
私は竜から助けてもらったことに対してお礼を言いました。
両親も頭を下げてお礼を言います。
彼女はそれに頷いて、ただニコニコ笑うだけでした。
イシロ村は、森に封印されていた竜に滅ぼされるところだったのです。
そして魔女はイシロ村を救ってくれたのでした。
それまで村には、これほどまでに大きな出来事は起こったことがありません。
村長はこれは村の一つの節目だと言って、祭りを行うようみんなに言いました。
その日の夜は村をあげて、村の恩人である魔女の歓待パーティが行われました。
祭りの途中、私はもう一度魔女にお礼を言おうと思い彼女のもとへ行きました。
魔女は、村長や両親と一緒に村のことについて話をしているようでした。
私が近づいてお礼を言うと、彼女はニコニコして言いました。
「この村では10になったらあの祭壇で女神さまの祝福を受けて、魔術が使えるようになるらしいの。あなたもそうなるはずだったけれど、残念ながら祭壇が壊れてしまって祝福が受けられなくなったわ」
私は驚きました。
なんと村の人達は全員が魔術師だというのです!
私が両親を見ると、少し気まずいような顔で頷くのでした。
魔女は続けて言います。
「だから私が魔女の祝福をあげるわ。運が良ければあなたも魔術を使えるようになるかもね」
魔女は私の手を取って呪文を呟きましたが、私にはなんの変化も感じられませんでした。
でも、きっと何か意味があるのだろうと思いました。
朝になると魔女は消えていました。
村の人たちは恩人が何も言わずに消えてしまったので、村の中、森の中を必死で探しましたが何も見つかりません。
女神様の祭壇跡にあった大きな穴も埋められていて、ただの地面になっていたのです。
事件の後には、祭壇が消えてしまい、村を覆っていた霧が完全に晴れてしまったという事実、それだけが残ったのです。
大人たちは村の特徴だった霧が失われたことを嘆きましたが、私の目には、以前とは違う豊かさが映っていました。
確かに当時の村は、いつも薄く霧がかかり神秘さに満ちていて、毎日外に出るたびに女神さまの加護があるように感じられました。
ですが、新しい世界も美しい。
私は眩しい太陽の光を感じながら、きっと、世界は生まれ変わったのだと思いました。
***
まるで子どもに昔話を聞かせるようなエンリの語りを聞き終えて、オレは以前のイシロ村に思いを馳せた。
エンリが子どもの頃、イシロ村の住人達は魔術を操ることができたようなのだ。
しかも北の森には竜が封印されていた。
そして、魔女が現れてその竜を倒してしまったというのだ。
オレがエンリの話に驚いていると、彼女は言った。
「そのあと村長と両親から約束させられたことがあります。村人が魔術を使えるということを、これから生まれてくる子どもや村の外の人間には喋らないようにと。村長たちは魔女からアドバイスを受けたようでした。エル帝国で革命が起りそうだということ、そして革命が成功すればイシロ村も帝国の領地になるかもしれないこと。そうなれば魔術師がいるイシロ村は帝国に目をつけられるでしょうから。その頃の帝国では、すでに一般人が魔術を使うことは禁止されていましたので」
「なるほどな……だがいいのか? 村長や両親との約束を破ってしまって。今、こうしてオレたちに話してしまっているじゃないか」
オレが聞くと、エンリは微笑んだ。
「ふふ、確かに約束は大切ですが、もっと大切なこともあります。私に話を聞きにいらっしゃったのは、イシロ村の未来に関係することがあるからでしょう? それに、私も誰かに話したいという気持ちは常にありました。この出来事を知っているのは、もう私一人になってしまいましたからね。皆さんに秘密を聞いてもらって胸のつかえが取れたようです。ありがとうございました」
***
エンリの家をあとにしたオレたちは、村長の家に戻ることにした。
「有益な情報が手に入ったな。面白い話も聞けたしよかった」
とオレが言うとアビスも頷いた。
「ええ、あの独特なリズムの話し方も趣がありました」
「それは物語を話すことに慣れているからでしょうな。この村の者はエンリの話を聞いて育ったようなもんですわ。アマレットも未だに話をせびりに行く始末で」
村長がアマレットを見ながら言った。
「エンリおばあちゃんはとてもたくさんのお話を知っているんですよ。でもさっきのお話みたいに、エンリおばあちゃん自身が体験したことを話してくれることは余りなかったんですよ」
まあ、そうだろうな。
村の子どもが話を聞きに来たら、自分の体験したことよりも普通の物語を聞かせるのが普通だろう。
「村長はさっきの話、知っていたのか?」
「いえいえ、初めて聞きましたな。先代の村長からもそんな話は聞いておりませんでした」
かなり口の固い村人たちだったようだ。
そんな出来事があったんなら、話したくて話したくて仕方がなかったろうに。
「だが……小屋の持ち主は旧エル帝国の魔女か。探すのは苦労しそうだな」
オレが呟くとアビスは、
「小屋の持ち主だと決まったわけではないのでは?」
「いや、オレはあの小屋を見てるからな……原色で固められた奇抜な色使いの服装だと言っていたろ? 絶対に関係ある!」
オレが強く断言すると、アビスは呆れて肩をすくめるのだった。




