エンリの思い出1
エンリの昔語りとなります。
ええ、忘れもしませんとも。
あれは私が10歳になって、初めて北の森に入った時のことでした。
昔のイシロ村には、10歳になったら一人で森に入り、森の中心にある祭壇へ捧げ物を置きに行くという風習があったのです。
その日朝早くに起こされた私は、両親から捧げ物を受け取って森へと送り出されました。
捧げ物は不思議な光を放つ石でした。
初めて入った森は神秘的で、まるで別世界へ迷い込んだかのように感じました。
村から祭壇までは道標かありましたから迷うことなんてないはずなんですけどね。
ですけどその時の私には、優しい両親が待つイシロ村から遠く遠く離れた場所を旅しているかのように感じていました。
それでも私は不安にはなりませんでした。
むしろ希望に満ちた気持ちで歩き続けます。
何しろこの儀式が終われば、ようやく見習いとして家の仕事を教えてもらえるようになるのですから。
ずっと子ども扱いされてきた私がついに大人への階段をのぼることができるのです。
しばらく歩くと祭壇が見えました。
私はそれに駆け寄って両親に教わった手順で光る石を捧げました。
そうしてその儀式を終えた私は、立派にやり遂げたことを両親に報告するためにイシロ村へ帰ることにします。
異変が起こったのは祭壇を降りようとした時でした。
イシロ村へ続く道標と、その側にあった大きな木が低い音を立てながら動いたのです!
それより以前、両親や近所の大人たちからあるお話を聞かされたことがありました。
イタズラ好きの男の子が森に入って迷子になったというお話です。
夜になっても帰ってこない男の子を村総出で探したところ、森の祭壇で眠っているところを見つけました。
男の子に話を聞くと、祭壇でイタズラをしたら道標が動いて村への道が分からなくなったということでした。
それを聞いた村の大人たちは祭壇の主である女神さまの罰が下ったのだと言いました。
当時の森は禁足地で儀式の時にしか入れない場所でした。
ですので、大人たちが言う女神さまの罰というのは、子どもたちが面白半分に森へ入らないようにするための方便だとばかり私は思っていたのです。
ですが私の目の前でそれが実際に起こったのです。
私は女神さまの罰が下ったのかと不安になり始めました。
いったい何がいけなかったのだろう?
捧げ物を供える方法が間違っていたのだろうか? 普段からイタズラばかりしていたのを女神さまが怒ったのだろうか? もしかしたら、以前面白半分にこの森に入った子どもがまた来たと、女神さまに勘違いされたのではないかとさえ考えました。
村から来る時のような前向きな気持ちはもう完全にしぼんでしまっていました。
頼れる両親も今は側にいません。
心細くなった私はとにかくこの場所から離れようと考えて、祭壇を駆け下りて走り出しました。
多分、それは間違いだったのでしょう。
少なくとも祭壇で待っていれば、両親が迎えに来てくれたはずですから。
後で聞いてみれば、帰りが遅いので心配になった両親は祭壇まで私のことを探しに来たらしいのです。
ですが私の姿がないので、慌てた両親は村へ戻り人手を集めて再び捜索を行ったのでした。
私は三日程もさまよい続けました。
幸い森には口に入れることのできるものがあちこちにあったので、飢えを凌ぐことはできました。
あの時の私にとって、道標のなくなった森は本当の意味で別世界でした。
もうこのまま両親に会えないかもしれないと考えると、とても悲しい気持ちになりました。
私は夜になるたび、女神さまに「村に帰れますように」と泣きながら祈りました。
森で迷って三日目の朝のことです。
私が泣きながらも歩き続けていると、見覚えのある物を見つけました。
それは村から祭壇への目印です。
私はついに帰れるのだと思いその目印を辿ってかけ出しました。
ですがいくらその道を進んでも、祭壇にも、村にも辿り着くことはありませんでした。
歩き疲れた私は、祭壇に捧げ物をした時に目印が動いたことを思い出します。
この目印は村には続いていなくて、どこか恐ろしい場所につながっているのかもしれないと思い始めます。
ですが私には他に頼れるものはありません。
藁にもすがる思いでそれを辿りました。
やがて、大きく開けた広場のような場所に出ました。
その中央に黒い大きな岩の塊がデンと鎮座しています。
珍しい物を見つけたと思い、私は岩に近づいてそっと手を触れました。
すると私の手と、その巨大な岩が光り始めました。
驚いた私は手を離して後ずさります。
岩の塊がズズズと音を立てて動きました。
そして、バサリと大きな翼が広げられ、二つの眼光が光りました。
私がただの岩とばかり思っていたそれは、なんと、巨大な黒い竜だったのです!
竜はゆっくりと起き上がると私を見つめました。
私は金縛りにあったように動けません。
竜は口を開けます。
私はこのまま食べられてしまうのだと思い、目をぐっと閉じました。
ですが、私を襲ったのは竜の鋭い牙ではなく、とてつもない咆哮でした。
私は驚いて尻餅をつきました。
大地は揺れ、大気がビリビリと震えます。
まるで嵐がきたみたいでした。
ものすごい勢いで木の葉が舞いました。
竜は空に口を向けて、また吠えます。
すると今度は森と村を覆っていた霧がすっかり晴れてしまいました。
竜はのそりと歩き始め、私がやってきた道へと顔を向けました。
私を見逃してくれるのかと思ったその瞬間です。
竜はすさまじい光を吐き出しました。
その威力はさっきの咆哮の比ではありませんでした。
その光はこの世界を滅ぼしてしまうのではないかと思ったほどです。
なにせ、竜が光を吐き出した方向には、何も、本当に何も残っていなかったのですから。
私はその威力にただ呆然としていましたが、あの方向には村があったのでは、と思いました。
あの優しい両親や村人たちは消え去ってしまったのでしょうか?
喪失感が私を襲います。悲しみがやってきます。それから怒りがふつふつと。
私たちのことなど何も知らないこの竜が、村を気まぐれに消してしまった。
そんなの絶対に許せるはずがありません。
頭に血が上った私は、恐怖も何もかもを忘れて、地面に転がっていた木の棒を掴んで竜に突進しました。
竜は私に気づいて、大きく開いた口を私に向けました。
それがただの脅しだったのか、それとも本当に私を殺そうとしたのか、それは分かりません。
私は、竜が口を向けたのなんて構わずに突っ込んでいきました。
ですが私の決死の突撃は成功しませんでした。
突然、私と竜がいる間の地面に光る円が浮かび上がり、そこから大きな三角帽子を被った女の人が現れたのです。
女の人は走り来る私を難なく抱き上げると、私が握っていた木の棒を取り上げました。
そして何やら呪文をつぶやくと、私の体が光り出します。
私が驚いていると、突然目の前が真っ暗になりました。




