魔王さま、魔王さまに会う
魔王視点に戻ります。
アマレットは侍女に案内されて奥の部屋へ入る。それを確認して、アガリアはオレに言った。
「ジン様と、アマレット様がおいでになったことをヴィリ様にお伝えしましたら、ぜひ夕食をともにしたいとのことです」
「願ってもないことだよ。けどアマレットにテーブルマナーは期待するなよ」
「ヴィリ様はお気になさらないでしょう」
確かに。むしろ兄上も堅苦しいのは嫌いだと言っていた記憶がある。
アガリアがオレにあてがわれた部屋の扉を開けた。
ベッド、テーブル、イスがあるだけの、少々殺風景な部屋だがオレには十分すぎた。
イシロ村にあるオレのすみかと比べたら、天と地ほどの差があるからだ。
オレは中に入り、窓のそばへ寄った。
そこから外を見ると、空は赤く染まり、街の通りには灯りがポツポツと見えている。
なかなか見晴らしがいい。兄上との面会の時間までこのまま外を眺めているのもいいな。
「ジン様」
振り返ると、アガリアが真剣な面持ちでオレを見ている。
オレは何事かと身構えて、彼女の言葉を待った。
「あの、夕食は私もご一緒しても?」
アガリアが言って、オレは拍子抜けした。
なんだ、夕食のことか。
「もちろん。だがどうしたんだ? 珍しいな」
「実は私もヴィリ様に誘っていただいたのです。その、ヴィリ様に食事に誘われたのは本当に久しぶりなので……」
なるほど、アガリアからしたらそれは重要なイベントだろう。
アガリアは兄上に好意を持っている。
仕事中は公私混同することなく激務をこなす彼女だが、プライベートでは兄上に対して、ちょくちょくアプローチをかけているようだ。
そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、兄上はまるで見向きもしないのだ。
オレが物心つく頃からそんな関係を続けているのだから、アガリアも一途なヤツだ。
「お前も大変な人を好きになったもんだ」
「お恥ずかしい限りです。ですが必ず射止めてみせます」
「そうか。まあ、ガンバレ」
瞳の奥に静かな情熱を宿して微笑む彼女に対して、オレはエールを送るぐらいしかできなかった。
アガリアが出ていったあと、しばらく部屋でぼんやりしていると、ノックがされて、侍女らしき人物の声がした。
「ジン様、会議が終わりましたので、ヴィリ様がお会いになられるそうです。ヴィリ様のお部屋までご案内いたします」
ようやく会議が終わったのか。
魔族がミシャを占拠したからといって、人族を隷属させているわけではない。
互いの権利を主張すれば、そりゃ長引くわけだが。
それを取りまとめる兄上の気苦労は知れないな。
「ではアマレットを迎えに行くか」
オレは自分にあてがわれた部屋を出て、隣の部屋の扉をノックした。
「アマレット、兄上がお会いになるそうだ。お待たせする訳にはいかない。早く行こう」
「分かりました!」
部屋の中から元気な声が聞こえて、パタパタと足音が向かってきた。
ガチャリとノブがまわり、ドアが開いて、笑顔のアマレットが現れた。
「よし、行こう」
「はいっ」
オレたちは侍女に案内されて、兄上が待つ部屋へ向かった。
アマレットは部屋を出てからずっとニコニコしている。
大きな一人部屋をあてがわれて恐縮しているかと思ったが、杞憂だったようだ。
やはりコイツの神経は図太い。
「さっきちらりと見えたが、お前の部屋はずいぶんと豪華だったな」
「はいっ、最初、魔王様の部屋と間違って案内されたのかと思っちゃいました」
実は彼女の部屋を見た時、オレもそう思った。
だがアマレットの部屋の方が豪華なのは兄上の方針だろう。
レディーファーストというどこかの国の文化らしい。
昔、兄上が外遊した際、様々な国の文化を持ち帰り、それが魔族の間で定着していったのだ。
レディーファーストもそのうちの一つだ。
「今日はミシャを観光できたうえに、お城にも泊まれるなんて夢みたいです! 魔王さま、ありがとうございます」
「それはオレだけのおかげでもないが。ま、礼は素直に受け取っておくよ」
雑談しながらしばらく歩くと大きな扉の前についた。
侍女は扉の前で立ち止まり、一呼吸おいてノックをした。
「ヴィリ様、ジン様とそのお連れ様をご案内いたしました」
するとすぐに兄上の声が返ってくる。
「ご苦労。アガリア、開けてくれ」
「はい」
奥からコツコツ、と足音が近づいてくる。
やがてそれが止まり、扉が開かれるとアガリアが姿を現す。
「お待ちしておりました。中へどうぞ」
部屋の中はとても広く、奥の机へ向かう通路以外は無数の本棚で埋め尽くされていた。
多分ここが兄上の執務室なのだろうが、ここは図書館です、と言われても違和感は感じない。
「わあ、本がいっぱいありますね」
「ああ、兄上は本の虫なんだが、相変わらずのご様子だ」
ぼそぼそ会話をかわして奥に行く。
部屋の最奥には、背の高いブロンドの青年が立っている。
広いテーブル上に資料を広げて、何やら作業をしているようだ。
この青年こそが、我らヘルウーヴェンが誇る勇者、ヴィリ・ヘルウーヴェンその人であり、オレの最も尊敬する兄上だ。
アガリアは兄上の様子を見て声を上げた。
「ヴィリ様! ジン様がいらっしゃったのですから、もう作業はお止めください!」
「ハハハ、ごめんごめん」
彼女に叱られて頭をかく兄上。
なんだかんだいってもこの二人はお似合いな気はする。
兄上は親父殿と共に、魔族の間で半神格化されつつある。
このように兄上を咎めることができる女性など、アガリアの他にいるはずもない。
兄上は作業を止めてこちらに向き直った。そしてオレたちを見て目を細める。
「ジン、久しぶりだな。あえて嬉しいぞ」
「オレもです、兄上。今日はお忙しいところ、時間を作っていただきありがとうございます」
「かまわないさ。さて、まずはお前の話を聞こうか」
「はい。兄上には相談したいことがあるのです。ここ数日でイシロ村にて起こったことなのですが……」
オレは、イシロ村で起こったことをなるべく詳しく説明した。
兄上は時々頷きながら、真剣に話を聞いている。
オレが説明を終えると、兄上は腕を組んだまま黙り込んで何やら考えている。
兄上がこんなふうにするのは、厄介なことがあったときに限る。
彼の知恵を拝借すれば、イシロ村の魔獣も簡単に対処できると考えていたオレは、見込みの甘さを思い知らされた。
「何か思い当たることがあるんですか」
恐る恐る尋ねてみるが、兄上は考えこんだまま呟くのだ。
「ふと頭に思い浮かんだ筋書きがあるというだけだ。口にするには情報が足りなさすぎる。こちらで一応の対策はしておこう、進展があればお前にも連絡する」
兄上にしか分からない何かが起きているということだろうか?
兄上がそのままの格好で固まってしまったので、オレは不安になりはじめた。
が、兄上はオレの様子に気づいて顔を向けた。
「迅速な報告感謝するぞ。親父殿にも今日中には届けておく」
兄上が笑顔でそう言ったので、オレの不安も少し和らいだ。
「ありがとうございます」
「アビスが言ったように、帝国の罠だという可能性も考えられる。こちらで分かることは調べておこう。お前も十分に気をつけることだ、特に帝国の動きにはな」
「兄上、忠告はありがたいんですが、イシロ村からでは帝国の動きは知りようがないのです。魔族はオレとアビスしかいませんし、村の人間もこのアマレットを除けば、老人ばかりで帝国まで行かせるのは難しいのです」
「む、そうだったな。ではトカゲを一匹持っていけ。あれなら村からここまで時間もかからないだろう。ここで毎週やっている帝国対策会議に出席するといい。それにトカゲを森と村の間で飼っておけば魔獣対策にもなるんじゃないか?」
昔から兄上は飛竜のことをトカゲと呼ぶ。
飛竜は人ひとりのせる事ができる程度の竜族だが、それでもその辺の魔物とは比較にならないほど強い。
そんな飛竜も兄上からみれば、文字通りトカゲなのだろう。
「飛竜を頂いてもいいのですか?」
「ああ、一匹持っていると便利だぞ。結構賢いから可愛がり甲斐もある。最近はお前にかまってやれなかったからな。その詫びだ」
「兄上! オレはもう大人ですよ!」
オレはアマレットがいる手前、子供扱いされたことに対してつい声を上げてしまう。
それに最近では自分に自信がついてきたところなのだ。
だが兄上は笑いながら言った。
「親父殿や私から見たらまだまだヒヨッコだよ。それは自分でも分かっているだろう?……お前から見たら完璧に見えるだろうリーグもまだ甘いところがある」
「リーグ兄もですか……兄上がそうおっしゃるなら間違いないのでしょう。悔しくはありますが心に留めておきます」
「フッ、お前のその素直さは美徳だよ」
「美徳では利を取れませんよ」
単純だと言われているようで、オレはすこしムッとして言ったが、彼は首を横に振る。
「それが目先の利に勝ることもある……それも心に留めておくといい」
オレには兄上の言っていることはよく理解できなかったが、頷いておく。
きっと何か意味があるのだから。
そんなオレの様子を、兄上は満足げに見る。
「魔獣対策としては、そうだな……結界も張ってあるんだろう? 村の守りとしては、結界とアビスがいれば十分だよ。アビスに村を守らせておいて、その間にお前とソラヤ、飛竜で魔獣を狩っていけばいい。お前たちの実力なら、数日で森から駆除できるだろう。食用にできる魔獣の肉は、魔素を多く含むから貴重だし、凍らせておいてから魔石に放り込んでおけば保存もきく。何ならここで買い取ってもいいしな」
なるほど、戦力が増えたのでそういうことも可能だな。
しかもカネになるなら願ったりかなったりだ。
砦の改築費――いや、ブチ壊して建てなおすから建築費か――に充てよう。
オレからの相談を終わらせた兄上は、アマレットに目をやった。
「さあ、今日はもう魔王は休業だよ。君はアマレットといったかな?」
アマレットは全く物怖じせずに挨拶を返す。
「はいっ、アマレットです! イシロ村の村長の孫です。魔王さまにはいつも助けて頂いています」
「そうかいそうかい、ジンは自慢の弟だ。うまくやっているようで良かったよ」
兄上はニコニコしながら言ったあと、オレに顔を向けてニヤリとした。
「愛らしい子じゃないか。ここに連れてくるほど気に入っているのか?」
「兄上!」
こういうからかわれ方には慣れていないオレは、反射的に反応してしまう。
兄上はさも面白そうに笑った。
「ハッハッハ、すまないすまない。そんなに怒るなよ。だがお前も悪いんだぞ? 可愛がっていた弟が、魔王を拝命して初めての報告に来たという。よくよく聞いてみれば、アビスの代わりに見知らぬ女性を伴っているって言うんだから。ククッ、いったいなんの報告に来たのかと思ったよ」
「そ、そういうことでしたら、言い訳のしようもないんですが」
「いいさ。凶暴化した魔獣がいるから村にアビスをおいておくという判断は正しい。だがジン、これだけは守ってくれ」
「なんでしょうか」
急に真剣な顔つきになった兄上に、オレは背筋を伸ばして聞き返した。
「もしもその時が来たら、いきなり親父殿のところへその子を連れて行ってはいけないよ。前もって書面で報告しておくんだ。ククッ、何せ式場や儀式の準備は、数日やそこらでは終わらないからね。大切な花嫁をあんな殺伐としたところへ何日も置いてはおけないだろう?」
最初は何の話をしているのかも分からず、ポカンとしていたのだが、やがてからかわれたのだと理解したオレは叫んだ。
「兄上! 怒りますよ!」
「ハハハ、これくらいで怒るなって。彼女を見ろよ、全然動じてないだろ? お前もこれくらいの度量を持ったらどうだ」
兄上に笑いながら言われてオレはグッと詰まった。
アマレットのほうを横目で見ると、確かに普段通りニコニコとしている。
コイツの場合は今の話を聞いていたのかどうかもあやしいですよ! と言いそうになるが、ぐっとこらえた。
アマレットの性格はだいたい把握したと思うが、なにせ知り合ってまだ数日なのだ。
兄上の言うとおり、今の話を聞いて全部分かったうえで『仲の良い兄弟ですね!』とか考えている可能性もある。
「ま、話の続きはメシを食べながらにしよう。今日はお前が来ていると聞いたので、街の料亭から人を借りて作らせているんだよ。そろそろ出来ている頃だ」
久しぶりにオレをからかって満足したのか、兄上はそう言って呼び鈴を鳴らした。
するとすぐ、廊下で待機していたらしい侍女があらわれる。
「先に食堂へ行ってくれ。私はこの資料を片付けたら行くよ」
侍女について部屋を出るとき、アガリアが兄上に小声で話しかけるのが聞こえた。
「ヴィリ様、先ほどは業務終了だとご自分で仰ったでしょう」
「いやいや、資料を片付けたら、というのは仕事をやっつけるという意味ではなくて、言葉通り、資料を仕舞ったら、という意味だよ。私だって早く行きたいんだ。君も手伝ってくれるだろう?」
「し、失礼いたしました。ですがヴィリ様にも問題があると思います。普段のお振る舞いを考えれば、私が勘違いするのも……」
ちょっと慌てたアガリアの小言は、執務室の扉がパタリと閉じられて聞こえなくなった。




