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第三十三話 シエルの決断

 ガレージの片隅、オイルの匂いと冷えた鉄の感触が混じり合う静寂の中で、葵とピピから差し出された極秘の情報が、青白く不気味な光を放つ。


 そこに映し出されたエルフ国の裏切り者の正体は、シエルの思考を、一瞬にして凍りつかせる衝撃の人物だった。


 シエル自身も、その忌まわしい名前を口にすることさえ躊躇われるのか、端正な顔立ちを驚愕と深い悲しみに歪ませる。


 彼がこれまで信じて疑わなかった、エルフ国の平穏な日々が、足元から音を立てて崩れ去っていくような絶望感で、部屋の重苦しい空気を支配していく。


 裏切り者の名は、グラハム・レッドウッド伯爵。


 長老会の一員としてエルフの古き伝統を重んじ、国内では強硬派の急先鋒として多くの同胞から尊敬を集めていたはずの人物が、影では帝国の魔手と深く繋がり、自分たちの未来を無慈悲に売り渡していた。


 グラハム・レッドウッド伯爵は、帝国から禁忌(きんき)とされる古代魔導技術の供与を受ける見返りに、エルフ国が数千年もの間守り続けてきた聖域や遺跡の情報を切り売りしていた。


 シエルは、モニターに写し出された情報を見つめ、絞り出すような声で、その真実をみんなに告げる。


 シエルの顔は、かつてないほどの激しい怒りと悔しさによって歪んだ。


 震える声には、最も信頼していたはずの高潔な大人に、無防備な背後から刺されたことへの憤慨と、やりきれない空虚さが色濃く滲み出していた。


「この男を今すぐ失脚させ、その腐りきった影響力を完全に削ぎ落とさなければ、エルフ国の管理下にある他の聖域も、すべては帝国の軍靴に踏みにじられてしまう。……何より、これ以上の同胞たちの犠牲を出すわけにはいかないんです」


「でも、どうやってその高い地位から引きずり下ろすつもりなの? 相手は国を動かす長老の一人なんでしょ? シエル、奴を追い詰められるだけの、確実な証拠は掴めているの?」


 楓は、そう問いかけながらも、どこかスリル溢れる悪巧みを楽しむ子供のように、不敵に瞳を光らせる。


 その好奇心旺盛で、恐れを知らない真っ直ぐな姿勢が、追い詰められていたシエルの心を、微かに解きほぐしていく。


「証拠はまだ、完全には掴みきれていないんだ、カエデ。彼の屋敷の最深部には、帝国との秘密裏の通信記録が保管されているはずだが、そこは鉄壁の警備魔法によって守られ、鼠一匹通さぬほどの厳戒態勢が敷かれているのだよ」


 シエルが、己の無力さにもどかしく歯噛みしたその時、葵とピピの二人は、すでに端末に映し出された伯爵邸の複雑な魔導警備システムの構成図を、獲物の急所を狙い澄ます鷹のように、鋭い眼差しで見つめる。


「屋敷の警備は、最新鋭の術式と物理的な防壁が組み合わされた強固な複合型ですね。遠隔からのハッキングで突破するのは不可能に近いですが、システムが外部の招待客を受け入れるために、一時的にその牙を隠して緩和される、唯一の隙が存在します」


 葵の理知的な赤い瞳が、冷徹な計算の果てに、確信を持って輝いた。


 その声は、まるでチェスの盤上で完璧な詰みを宣言するように、静まり返ったガレージの中に凛と響き渡る。


「伯爵邸で年に一度だけ開かれる、エルフの有力貴族たちが一堂に集う大晩餐会。その華やかな宴の喧騒に紛れ、物理的に内部へと侵入して直接データを奪い取る以外に、やつの罪を暴く道はありません」


「パーティー!?  あたしたちが最高にドレスアップして潜入するってこと!? ふふん、面白くなってきたじゃないのぉー、葵くん。危険な橋だって分かってるけど、そんな時こそアタシの出番だよね!」


 楓がキランと目を輝かせ、まるで冒険映画のヒロインにでも選ばれたように声を弾ませる。


 重苦しかった空気は一変し、潜入ミッションという新たな挑戦に向けた、高揚感に満ちた緊張感へ塗り替えられていく。


「ええ、姉さん。正面から力で押し通るだけが、僕たちの戦いではありません。シエル様、僕たちが身分を偽って会場へ入り込む、伯爵の懐へ深くもぐり込むための、特別な招待状を用意していただけますか?」


 葵の冷静沈着な指示を受け、シエルは双子の大胆不敵な提案に、一瞬だけ呆気に取られた。


 しかしすぐに、その顔には彼らとならば不可能さえも突破できるという、希望の光が宿り、力強く頷く。


「分かった。僕の持つすべての権限と人脈を使い、君たちを晩餐会の最重要客として送り込もう。しかし、本当に君たちは、いつだって僕の想像を遥かに超えた次元に、迷いなく飛び込んでいくんだな」


◆ ◆ ◆


 同じ頃、冷徹な秩序が支配する帝国の首都アイゼンガルド。


 氷のような空気が張り詰めたヴァイス公爵(こうしゃく)の執務室は、針の落ちる音さえも不敬と感じさせるほどの深い静寂に包まれている。


 報告を終えた副官ゼクスは、彫像のように完璧な姿勢で直立している。


「シュヴァルツ・アインツの動きか。ふふ、実に興味深い、実に愉快で愛らしい連中ではないか」


 ヴァイス・ヘルシャフト公爵が、長い影を落とす椅子から低く呟いた。


 その声には、敵意を越え、手に入れたばかりの希少な玩具を愛でるような、底知れない好奇心と、冷酷な愉悦が混じり合っている。


「まさか、あの小僧たちがグラハム・レッドウッドの裏切りを、こうも早く嗅ぎつけるとはな。ゼクス、奴らの次の出方を、貴様はどう見ている?」


「おそらく、近日中に伯爵邸で行われる晩餐会に狙いを定めるでしょう。公爵様、いかがなさいますか? 今すぐにでも、その不遜な芽を摘み取るための手を打ちます」


 ゼクスが、仮面の下から冷たく無機質な声で問うたものの、ヴァイス公爵は、窓の外に広がる帝国の夜景を愉しげに見つめたまま、暗い笑みをその唇に深く刻んで、ゆっくりと首を左右に振る。


「いや、泳がせておけ。奴らが足掻き、世界の深淵を暴こうとすればするほど、脆い均衡は崩れ、世界の歪みは肥大していく。その巨大な歪みこそが、我らが悲願である最終兵器を真に目覚めさせるための、何よりの潤滑油となるのだからな」


 公爵の冷徹な笑い声が、誰もいない広大な執務室に吸い込まれて消えていく。


 双子の勇気ある行動さえも、巨大な陰謀という名に血塗られた歯車の一部として組み込まれていることに、まだ誰も気づいてはいなかった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


エルフ国の裏切り者、グラハム伯爵。

その罪を暴くため、葵と楓は危険な晩餐会への潜入を決意します。

しかし、その影にはヴァイス公爵の底知れない企みも……。

二人の華麗なる潜入ミッションはどうなるのでしょうか。


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次回もお楽しみに!


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