第93話 持ち出しは禁止です
次の日の浮遊城での事だった。
「……ない。フィスファーナの身体が……ない!」
リヒトはいつもの様に見に来たガラスの棺から、蓋が開けられ彼女の身体がなくなっていることに気が付いて、思わず声を上げた。
彼には似つかわしくない慌てた様子で城を探す。
「嘘だ……そんな、フィスファーナが……」
そしていい天気の元で花が咲き乱れる中庭に、パトラクトラとロイの姿を見つけた。
「ロイにパトラクトラ様……あっ!」
二人に近付いてみて驚く。
パトラクトラがフィスファーナを膝に寝かせ、いくつかの花を乗せ、自分はロイと一緒に花冠を編んでいたのだ。
「ロイ! パトラクトラ様! なんて事を……」
焦ったリヒトの声に気付き、二人がこちらを向いた。
「あ、リヒト」
「おお、来たか。たまにはフィスファーナを外の空気に触れさせようと思ってな。
魂がこの器に戻らぬ今は、ただの殻にすぎぬ……だが、陽の光くらいは感じているかもしれんだろう?」
「外の空気、ですか……」
彼が安堵したように両膝に両手を添え、大きな息を吐いた。
「後、前に私を怖がらせた罰だ。どうだ、今、怖かっただろう?」
パトラクトラが意地悪くニヤけて見せる。
「……怖かったです、降参です。
それにしてもどうやってあの蓋を? かなりの重さですが……」
思いがけない言葉に、謝りつつもつい疑問に思った事を聞いてしまう。
「うむ。どうも私は怪力の様だ。両腕で易々と開けられたぞ。抱いて来るのも簡単だったし。
いつもあの湿っぽい棺に入れておくと、本当に死んでいる様に見えてしまってな。たまには出してやらないと可哀想ではないか」
「パトラクトラ様……ご幼少のみぎりから少しお転婆だとは思っておりましたが……大人になっても変わらないのですね。言われてみれば重い片刃湾刀の御架鷺や以枢木を抜刀術で自在に振るうお方でしたっけ。あなたの華奢な見た目ですっかり忘れておりました」
彼が呆れて言う。
「そうなのか。思っていたより私は逞しかったのだな。それより、ほら、お前の愛する者はこんなにも美しいぞ」
パトラクトラはそう言うと、フィスファーナの頭に編んだ花冠を乗せ、リヒトの方へとそっと向かせてやった。
彼女の顔は、朝の光を浴びて煌めく様に輝き、優しげに瞼を閉じて眠っている。
「……パトラクトラ様はまだご記憶が戻られないのでしょう?」
「そうだな」
「でも、フィスファーナの事は……」
「多分、姉だと思うのだ。とても懐かしいのでな」
「そうですか」
彼が二人を眺めて微笑んだ。
「お前はこの城でずっと一人だったのか?親やきょうだいはいないのか」
パトラクトラが聞く。
「私は鬼族の『千年侯爵』という種族なのです。寿命が千年あり、10年に一度しか年を取りません。大人の姿になったら、それから老ける事もない……ただし、生涯で結婚し、子供をもうけたなら、その子が10の歳になった時に死ぬことが出来るのです。長い寿命に終止符を打てる……」
言いながら空を仰ぐ。
「ですから、親戚もきょうだいもいません。長き寿命のせいで、『千年侯爵』の種族自体がほぼ滅んでいるのです」
「ほお……」
「私が10歳になった時、父も母も亡くなりました。そこから一人で生きて17の歳になった頃、……あなた方の年齢からすると170歳となりますが…あなたのお父上様の専属魔術師としてアガン王朝に迎えていただきました。
それからお父上様がご結婚され、あなた方もお生まれになり城が焼かれる日まで30年……その頃が1番幸せでしたね」
「そうだったのか」
パトラクトラが浮遊城を見上げた。
「この城は、元からお前の物なのか? 身の回りの世話をしてくれる傀儡人形達——式神もお前の術で……」
「そうです。ここは私の父母が作った城なのです。レサイア城が襲撃に遭った後、フィスファーナを抱えて以前住んでいたこの城に戻りました。父母が亡くなって、誰も住む者がいませんでしたから」
リヒトも同じ様に城を眺めて言う。
「ずっと一人で? 300年以上も?」
「はい。いつかフィスファーナの魂を呼び戻して彼女と過ごせる日が来る時の為に、一人で……」
彼がその続きで気になっていた事を聞く。
「……先日の件では……その、お怒りでしたよね」
「……うむ」
「出て行こうとはなさらないのですか……?」
リヒトはパトラクトラを酷く恐れさせた時の事を思い出していた。
「お前が、姉上を蘇らせる為に二人の命を使う事か……」
「……はい」
彼女は暫く考えて言った。
「その方法には、恐らく代償があるのだろう」
「え……」
ギクリとした彼が返す。
「どんな方法を使って相手を陥れるつもりなのかは知らないが、お前にも取り返しの付かない代償があるのに、実行しようとしているのなら……止めても無駄なのだろうなと思う」
「……」
「それにやはり、私には帰る所は無いのかも知れない。
調べてみても、この世に誰も私を知る者がいないのだとすると、それを確認してしまうのが恐ろしい……」
「パトラクトラ様……」
リヒトの瞳に哀れみの色が浮かんだ。
その時、
「リヒト、リヒトも花冠を作ろうよ」
と言ってロイが花を持って彼に甘えて来た。
「ああ……」
彼はロイが渡して来た花を受け取り、言った。
「……今の私には、ロイがいてくれて、パトラクトラ様も側にいてくださって……思いがけず、幸せなんです」
花をそっと束ねて括り出す。
「他人の命を使ってまでと言われても……いつか本当に、目覚めたフィスファーナに会えるのは勿論嬉しいのですけれどね」
「……」
パトラクトラが黙ってリヒトを見つめる。
「私の心は揺らぎ始めたのかも知れない。私は……どうしたいのでしょう……」
そう語る彼の指先から、器用に花冠の形が仕上がって行くのを、ロイは目を輝かせて見つめていた。
「この花冠が作れたらそろそろフィスファーナを返してください。私の術がないと身体がどうなるか分からないんです。……それに、あなたばかり抱き締めていてずるい……」
リヒトが拗ねた様に言う。
「フフ。仲の良い姉妹は毎日の様に抱き合うものなのだよ」
パトラクトラはそう言うと、もう一度見せつける様にフィスファーナの身体を抱き締めた。
「まあ、確かに御幼少の頃からお二人はとても仲はよろしかったですね。良き事です」
リヒトがそう言いながら花冠の最後の止めの部分を結ぶ。
「……そうか。何だか急に先生みたいな事を言うのだな」
自分の憶えていない過去の姿を言われ、パトラクトラは少し赤くなった。




