第86話 地に伏した巨竜ラタウス
四人はグラディスに一旦パトラクトラ捜索隊の結成の中止を依頼し、遠征の準備をして再び竜達の元へと集まった。
ストライアに乗ろうとしていたヴェイルが、二人用の鞍の後ろに座るアリアに声を掛けた。
「もしも飛んでいる最中にフィスファーナに変わっても大丈夫な様に、安全ベルトと、俺とも繋ぐベルトを締めるね」
そう言いつつ二人の身体をベルトで繋いだ。
「ありがとう。この鞍、持つ所もあるけれど、うっかりしがみ付いたらごめんね」
アリアが両脇にある持ち手を掴みながら言った。
「それは……遠慮なくどうぞ……」
前の席でベルトを締める手を止め、彼が小さく言う。
ストライアが嬉しそうにクアアと鳴いた。
四人はそれぞれの竜に乗ってタイカーシアまで飛んだ。
上手く動けないラタウスの元へと向かうためだ。
彼の元に着いたのは、出立してから2フォラ(2時間)程経った頃だった。
その巨大な竜は、広大な海を越えてタイカーシアの陸地に上がり、内陸へ約50ギガルドル(約50km)程進んだ地点に伏していた。
巣にしているレサイア城跡地まではまだ数百ギガルドルある。
[海水で濡れた翼が塩で固まり、飛翔に必要な羽ばたきが出来なくてな……なんとか足で歩いてここまで帰って来たのだが……]
心配して駆け寄ったヴェイルを見ると、ラタウスは苦笑して言った。
「ラタウス……間近で見ると大きいな」
ユシュランから降りたリュークが言う。
「翠玉竜と違って全身が羽毛だから、塩を洗い流さないと飛べないんじゃないかしら……」
同じく竜から降りたアウドラが言った。
「ラタウス、大丈夫なのか? 怪我などはしていないのか?」
ヴェイルが聞いた。
[我は大丈夫だ。力を奪われ、気を失ってしまって海に堕ちたのだ……しかし、主……パトラクトラとはその間にはぐれてしまったようで、何処に行ってしまったのか分からない。てっきり同じく海に堕ちたと思っていたのだが]
その時、ヴェイルと共に巨竜の側に来たアリアが突然ふらついた。
彼が隣で身体を支えてやる。
程なく目を開いて立ち直った彼女が、ラタウスを見て言う。
「……黒竜? こんなに巨体のものが?」
「フィスファーナ……これはラタウスだよ」
ヴェイルの顔が悲しげに曇り、伝える。
「ラタウス!? ……まさか……ああ、こんなに巨竜になったのね……」
アリアからフィスファーナに変わってしまった彼女はそう言うとラタウスに駆け寄り、大きな顔にしがみついた。
[……この者は?]
巨竜が聞く。
「彼女はアリアという名前の女性だが、身体の中にどうやら母の姉……フィスファーナの魂が入ってしまったみたいなんだ。時々こうして人格が交代してしまう」
ヴェイルが説明した。
[何? フィスファーナ? ……本当なのか。どおりで……]
驚いたラタウスが、懐かしげに彼女を見た。
そして今回起こった事を彼らに詳細に話した。
「……母が親族間内争の時に320年ぶりに呼び出した『次元黒碧竜』が、フィスファーナの存在を感知した……? それが元で襲われただなんて……」
ヴェイルが衝撃を受けて呟いた。
「私のせいで……パトラクトラが?」
フィスファーナも驚いて胸に手を当て、下を向いてしまった。
離れた場所で見ていたアウドラとリュークが顔を見合わせる。
[300年以上も前に死んでいるフィスファーナを今頃差し出せと言うなどと、無茶な話だと思ったのだが……
本人の魂まで今の時代に飛んで来ていたとはな]
ラタウスが言った。
[しかし……]
彼がやや言い辛そうに付け加える。
[何故300年も先に飛ばしてしまったのだ……あまりにも時間が経っていたので驚いたのだぞ?]
「ごめんなさい……あの術を掛けたのは初めてだったのよ。何年先とか考える余裕はなかったの。
あの時は何が起こるかも分からなかったのだけれど、とにかく妹を逃さないと、と焦っていて……」
彼女が縮こまって答えた。
[『強すぎる力』か…… 次元黒碧竜が欲しがるわけだ]
ラタウスが、かの竜に襲われた日の事を思い出して言った。
フィスファーナは続ける。
「それにしてもおかしいのよ。自分で言うのもなんだけれど、魂が他人の身体の中に入ってしまうなんていう現象、有り得なくない? 私の身体は何処に行ったのかしら」
[フィスファーナは、レサイア城が襲撃された時にパトラクトラに術を掛けて避難させた後、倒れてしまっていた。リヒトが抱えて何処かに消え去ったので、そこでもう暴動は止まったのだ]
「リヒトが……」
「そのリヒトが、今もフィスファーナの身体を保存している、とは考えられないか?」
ヴェイルが言った。
「リヒトが——私の遺体を?」
「正確には君は亡くなってはいないのかも知れない。それに、リヒトは『不死』だと母に聞いた。寿命はどれぐらいなんだ?」
「……彼は鬼族の中の『千年侯爵』と言われる種族なのよ……」
「千年侯爵?」
「10年に一度しか年を取らず、成人してからは亡くなるまで姿が変わらないの。そしてその年齢の数だけ命がある……だから『不死』に見えるのよ。
私の父の代にアガンの宮廷魔術師になって以来30年程で、私と婚約したの」
「婚約? 失礼だが、鬼と婚約したのか?」
話を聞いていたリュークが言う。
「ええ……そうね……。私にとってはかけがえの無い人になって行ったのよ、彼は。
『千年侯爵』の種族はその長い寿命のせいでほぼ絶滅仕掛けていたわ。その呪いの様な体質を彼は恨んでいた……」
「呪いの様な体質?」
ヴェイルが聞く。
「長すぎる寿命を途中で断つには、結婚して子を為すしかないのよ。子が出来れば力がその子に移り、自分達は100年程で亡くなる事が出来るの。だから一人か二人しか子を為せない『千年侯爵』は人数が減ったのよ。
偶然……恋に落ちたのではあるけれど、ダークエルフである私と混血すれば、子にはその呪いは遺伝しなくなって……子供はきっと『人』になれるだろうって……」
「人になりたがった『鬼』、か」
リュークが呟いた。
「でも、その事は関係なく彼は私を深く愛してくれたわ。……私にとってはつい最近までの話なの」
彼女の瞳に涙が浮かぶ。
「フィスファーナ……」
アウドラが側に寄り添った。
しかしフィスファーナは気丈に目元を拭き、やや微笑みながら大丈夫だと言って彼女の気遣いに感謝した。
ヴェイルが黙ってその様子を見ている。
……今の彼女はアリアではない。それは分かっている。
しかし、恋人の姿をした人が、自分ではない人物への想いに涙を流す姿に、彼は心の奥が焼け付くような気持ちを覚えて堪らず俯き、目を瞑った。




