第70話 ミレーヌ姫の来城
アウドラがナザガランに正式に帰国すると決めた日から2日後の事だった。
その日のヴェイルとアウドラは、在国証明申請や魔王軍入隊許可の件について魔晶管制室で話し合いをしていた。
「姉上はこちらに住んでいる際に既に初陣を済ませているから、以前取っておいた生体認証がそのまま使えると思う」
「ああ、じゃあこっちのアクセスで行けるのね……」
ナザガラン魔王軍のビッグデータが管理されている巨大な結晶石に詳細を打ち込む。
目の前の魔鏡投影に承認画面が現れた。
「これで良いのね……後は……」
彼らは事務仕事に専念していた。
一方のリュークはその時、第三部隊を率いる前魔王グラディスのもとで、教官として自らの率いる少数精鋭の機動部隊である第二部隊の兵達に体術の指導を行っていた。
そこへ、彼らがいる鍛錬場へ側近が連絡を入れて来た。
「リューク殿下。トラフェリアのミレーヌ王女が、火急の御用との事でご来城です」
「……ミレーヌ王女が?私に?」
リュークが聞き返す。
「……はい。リューク殿下御本人に御用があるとの事です。第一応接室にいらっしゃいます」
リュークはグラディスの顔を見る。
彼も何も知らないようだ。
「陛下、どの様にいたしましょうか……」
「分からぬが……国に何かあったのかも知れぬ。行ってやるがいい」
「はい」
リュークは席を外し、訓練着を参謀服に着替えた。
胸元の貴石で、以前ミレーヌに渡した個人用通信貴石へのアクセスを試みる。
「……繋がらない。個人用貴石が渡してあるのに事前に何も言わずに突然来るなんて」
彼はよく身に付けている暗器の入ったベルトを見た。
扱いは魔王軍の中では自分が1番上手い。緊急時には魔法詠唱よりも速く使用出来るのだ。
「……やっぱりやめておくか。あの子の事は信用したいしな」
リュークはベルトに伸ばしかけた手を引っ込め、そのまま第一応接室へと向かった。
ノックをして返事がしたので開けると、ミレーヌが1人で座っていた。
「ミレーヌ。展示会以来だな。急にどうしたんだ?」
彼が声を掛けた。
「……リューク様……」
彼女が顔を上げる。その思い詰めた様な表情に、リュークはただならぬ気配を感じた。
服装はドレスなのだが、いつも会う時の様な上品な化粧もしておらず、何処かに必ず蛍光蝶のモチーフのアクセサリーを身に付けている筈が、それも見当たらない。
髪も少し乱れ、顔には疲労と不安の色が見える……何かあったに違いない。リュークは確信した。
「何が……あった?」
用心深く聞く。
ミレーヌが見透かされた事を悟った様に、ため息を吐いた。
「リューク様。……わたくしは貴方の事を愛しています」
「えっ?!」
突然の彼女の告白にリュークは驚いてしまった。
「ミレーヌ……あの……」
急な事に言葉が出ない。
「次の世では……」
不意にミレーヌの瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちて来た。
「次の世では、出来れば貴方と一緒になりたい……」
「待ってくれ、どうしたんだ。別に今でもいいじゃな……」
彼が動揺して彼女に言いかける。
「時間界!!」
ミレーヌが突然叫んだ。
――次の瞬間、ナザガランの魔王城の全ての時間が止まった……
鍛錬場のグラディスや訓練兵も、良い天気の元で庭園の草花の手入れをしている執事達も止まっている。
城内の虹馬の飼育場の馬達や、世話をする者、第四部隊の指揮を取っているミシュレラや、新たな武具を製作中の、槌を振り上げた姿のストリクも、全てがその時の姿のままに固まってしまっている。
ミレーヌは、目の前にいる動揺した顔で止まったリュークを見た。
涙が止まらなかった。
――ナザガランの『リューク=ノワール』を殺せ――
憎らしい顔のあいつはそう言った。
美しいトラフェリア王宮と臣下や母、全てを『石』に変え妹アリアを連れ去ってしまったあの男は!!
……ミレーヌは流れる涙を拭こうともせず、静かに持って来た短剣を鞘から抜いた。




