第56話 魔王の孤独
夜、1日の全ての仕事を終えてヴェイルは自室に戻った。
魔王である彼の部屋は広く、ベッドルームだけではなくミニキッチンとグルメバーが設置されたリビングや書庫の並ぶ書斎、陶磁器陳列棚とゆったり座れるソファーが置かれた応接コーナーや、常に新鮮な湯が満ちるバスルームとシャワールームもある。
入浴を済ませた彼は、デキャンタに用意されていたフレーバーウォーターをコップに注いで飲んだ。
果物やハーブを漬け込んだ冷たい水が、火照った体を冷やしてくれる。
その後、立派なソファーがあるにも関わらずベッドルームにあるお気に入りの広い腰窓に座った。
執事が気持ちのいい肌触りのクッションを常に2、3個用意してくれている。
ヴェイルはそこで考え事をするのが好きなのだ。
部屋の照明を落としてカーテンを開き、蛍光蝶が数頭入った籠の明かりだけにすると、あまり欠ける事のないこの星の衛星、双月の光が淡く窓際から入り込んでくる。
「アリアとの斬撃訓練、楽しかったな。妖魔力も上手く使える様になってたし。彼女、成長したなあ」
数日前の早朝に会いに行って、剣を交わしたアリアの事を考える。
本当に大切に思っているし、愛しているのだと思う。
魔王である自分が望めば、彼女を傍に置くことも可能だろう。
だがアリアはトラフェリアの勇者だ。
「考えてみれば俺、最初は殺されかけてたな」
小さかった頃以来に久しぶりに会った時の事を思い出して苦笑する。
勘違いとはいえ、自分を討ちに来たのが昔からの想い人だったとは――
皮肉にも思えるが、それでも好きなことに変わりはない。
だが想いを告げれば、その瞬間に彼女へ国を捨てる選択を強いることになってしまう。
だからこそ、曖昧なままにしてしまって踏み込めない。
彼女は、自分の過去を知ってなお屈託なく接してくれる人だ。
その事実はとても有り難いことだと思っている。
「妖魔力か。あれ?そう言えば俺の中にもある」
ふと自分の中の、昔アリアから吸い取った妖魔力に気付く。
「もしかして……」
彼女に教えた時と同じように、自分でも静かに集中してみる。
すると、胸の奥――右鎖骨の下あたりがうっすらと熱を帯びた。
魔族の体内の魔力回路がある辺りだ。
そこに左手を当てると、自分の身体の中から剣の柄が、ゆっくりと現れて来た。
ヴェイルは驚いた。
まるで身体が鞘となり、剣を抜くように――エルフの剣が、静かにその姿を現したのだ。
アリアが使う様な大きな剣ではなく、全長が50ルドル(約50センチ)程で、持ち手には繊細な装飾が施された小剣だ。
ヴェイルは無言で見ていたが、やがてその剣を持って腰窓から降り、照明を付け直すとベッドサイドまで行った。
サイドテーブルには執事がいつも置いておいてくれる新鮮な果物が入った籠がある。
今日は旬のシェルフェンピーチと、自分の王機竜ストライアも大好きな露葡萄が入っていた。
―—俺はいつもそんなに食べられないのにな。
そんな事を考えながらエルフの剣を右手に持ち替え、ピーチを左手に取る。
そのままポンと空中に投げ上げ、剣を素早く十字に動かす。
ピーチは中の固い種ごと綺麗に4等分に切れた。
それを落とす事なく左手で受け、籠の横にある皿に乗せる。
柔らかい果肉の部分も潰れたりよれたりはしておらず、切り口は精密な機械で切ったかの様に美しい。
「普通に切れるんだ」
ヴェイルは呟くと、キッチンに行って剣に着いた果汁を洗って拭いた。
どうしようかと思ってその剣を眺めていたがまた左手に持ち替えた。
剣士でもある彼は両利きに訓練されている。
そのまま軽く振ると、用心深く出現して来た元の場所にそっと突き刺す。
予想通り、剣は痛みもなくスルスルと胸に吸い込まれていった。
抵抗は一切なく、ただ最初からその場所に戻るべきだったかの様に身体の奥へと馴染んでいく。
「これ、人の所業じゃないな」
自虐的に呟くと、一旦止めて手を離す。
胸に剣が突き刺さっている状態だ。
「微妙に位置は違うけど、前に見た光景だ」
少し嫌な事を思い出しながら、柄を持って引き出してみる。
エルフの小剣は先程と同じ形を保って彼の手の動きに合わせて出現して来た。
「……」
黙ってもう一度全て胸に差し込んでみる。
今度は身体に入って見えなくなってしまった。
しかし何もなくなった所に集中して手を当ててみると、やはり胸の中からエルフの小剣が出現して来る。
体内では妖魔力として分散され、体外に引き出されると同時に細かい部分から形成されて行くらしい。
まるで砂鉄が磁石に引かれて集まるかのようだ。
「アリアと同じで詠唱も要らない。服の上から出せるって事は、鎧の上からも出せるって事だよな。出現スピード『ゆっくり』と『普通』、『神速』……」
ヴェイルは暫く検証していたが、最終的に小剣を完全に胸の中にしまった。
「……人にはあまり知られたくないな」
回路の辺りを押さえて寂しげに呟く。
周りの人よりも自分がなんだかもっと遠い存在になってしまった気がしたからだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふと、自分が切ったシェルフェンピーチを眺める。
―—シェルフェンピーチ、リュークが好きだな。アイツの部屋にも用意してあるのかな。
ヴェイルは思う。
そう言えばこの前のドレス展示会の日は失敗した。
ルガリエルの奴らに腹を立てて、初めて使う大技の出力制御をオーバーし、術の反動で両腕に酷く火傷を負ったのだ。
痛みで着替えも出来そうになかったし、あのまま魔力を回復に使ったら、もう予定していた呪術室に転移する力が残らなかったと思う。
そこをリュークが察して自分の控室に連れて行ってくれた。
服を脱ぐのを手伝ってくれて、自分の過失をもっと怒るかと思ったのに責めずに魔力まで分けてくれた。
「優しかったな。テールコートも肩に掛けてくれたし」
お蔭で何食わぬ顔でいつもの魔王服に着替えて呪術室まで飛べたのだ。
自分が女装して参加するなんていう、おかしな状況のドレス展示会にも大真面目に付き合ってくれたし、感謝しかない。
「リュークは俺のこと、迷惑なんかじゃないって言ってくれてたけど……本当のところはどうなのかな」
再び部屋の明かりを落とし、ヴェイルは腰窓に戻って双月を見上げた。
「兄上……」
魔王になってからは呼ばないようにしていた、年上の従兄弟であるリュークへの敬称をそっと呟く。
——座面に置いた手に力が入り、指が自然と握り込まれる。
「兄上、俺は……どこまで変わってしまうんだろう。
いつか……『人』ではなくなってしまうのかな……」
寂しげな独り言は、誰にも届かず静かな夜の空に吸い込まれてしまう。
——その静寂を裂くように、夜闇鷹がバサバサと羽音を立てて窓の外を横切って行った。




