第55話 王女の影の姿
翌日の夜中の事だった。
ミレーヌは密かにトラフェリア軍部中央管制室に呼び出されていた。
隠密担当のドランとリヴィネアという、男女の刺客も同席している。
「夜分にごめんなさい。久しぶりに侵入者です」
そこにいた女王ハウエリアが疲れた様子で眉を顰めて言う。
手元の魔力感知貴石がレーダーの様に光っている。
「昨日の早朝にかなり上空にいた飛竜とは別物ですか?」
ミレーヌが言う。
竜がいた事には気付いていた様だ。
「あれは……結界の上空限界域を超えた場所にいたので、今回は警戒対象外でした。野生の飛竜もたまに紛れ込みますし」
ハウエリアが答える。
「今現在、我が国の結界を越えて侵入して来ているのはやはり他国の魔術師の様ですね。地下神殿書庫に2人……中央軍政庁戦略会議室記録庫付近に2人。別れて行けますか?」
ハウエリアはミレーヌ達に言う。
「はい。到着次第術を掛けます。通信石を2人に」
ミレーヌが答える。ドランとリヴィネアに時間を合わせる通信石が渡された。
ハウエリアが冷酷な声で伝える。
「今回は情報深部への侵入につき温情は与えられません。即刻処刑です。ただ神殿書庫前の者は1人は処刑、もう1人は尋問の為に拘束の後、処刑します。大方ティエンラ共和国の者でしょうが……遺体は本国に見せしめの為に返還しますので、なるべく酷い損傷は与えない様にお願いします。行ってください」
「はい」
ミレーヌとリヴィネアは地下神殿書庫へ、ドランは記録庫に向かった。
魔法陣で密かに目的地に到着した後、侵入者に見つからない様に近付き、目視で確認する。
「こちらは発見しました。書庫の扉の開錠に苦戦している様です。ドラン、そちらはどうですか?」
ミレーヌが小声で通信石に話し掛ける。
『こちらも侵入者を発見しました。記録庫の見張りが倒されています。同じく鍵はまだ開けられていない様ですね』
ドランから返事が来た。
「分かりました。今から術を発動します。あなたとリヴィネアのみが動ける様にしますので……時間は20プラク(20分)です」
『承知しました』
通信石から顔を離すとミレーヌは目を瞑り、詠唱を始めた。
古代エルフ文字の術式を唱え、最後に目を見開いて言う。
「時の王よ偽りを流れるその波を止め我が導きし者の他に静寂を命ぜよ―—時間界!」
途端にトラフェリア城内の時間が止まる。
城の窓辺に休んでいて飛び立とうとしていた夜闇鷹も、揺らいでいた蝋燭の炎やそれに照らされる影、口元を隠した姿で真剣に鍵を開こうとしている侵入者達も……自室で何も知らずにすやすやと眠るアリアも。
全ての物の時間が止まっている。
「姫様、後は私共がやっておきます。時間内には終わらせます。どうかご内密に、何事もなかった事にしてお部屋にお戻りください」
リヴィネアが鋭く光る剣を抜いて言う。
「ありがとう。おやすみなさい」
ミレーヌは踵を返す。
術の効果が切れる頃には魔力と体力をかなり失っているので、動き辛くなる。
自身の危険はなるべく避けるのが妥当だ。
耳の良い彼女には、背後からリヴィネアの動かない侵入者の命を断つ音が聞こえるが、一切振り返りはしない。
彼女は真っ直ぐに、止まった空間の中を歩く。
……歩きながら、独り言を言う。
「リューク様……わたくしは……ただの王女ではありません。あなたは気付いておられるのかしら。とっくに時間界など使えましたのよ?
そして……わたくしは以前から暗殺者。あなたと近い場所にいるのです」
ミレーヌは立ち止まり、薄暗い地下神殿の廊下で天井を仰ぐ。
「あなたと同じ様に、国と愛する者の為に、わたくしの手もとうに血で染まっているのですよ……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃、執務室で終わらない書類の整理に追われているヴェイルの姿があった。
その時、部屋の扉をノックする音がした。
「どうぞ」
彼が返事をする。
扉を開いてパトラクトラが入って来た。
「ヴェイル、遅くまで仕事か」
「母上。そうなんだ、下からの書類がなかなか上がって来なくて……今になっている」
パトラクトラは忙しそうなヴェイルの横にバサリと何かの書物を置いた。
「何これ」
「古代ラキシャ語の、分かる部分だけを抜き取った資料だ。古代エルフ文字との対応表も入っている。今度遺跡を探索する時に必要だから……勉強しておけ」
「ええ…?もういっぱいいっぱいなんだけど」
「そうか。しかし読める人間が……恐らく今の時代には私しかいないから、分からない所は私に聞くしかないと思って早めに」
ヴェイルはパトラクトラを振り仰いだ。
「母上『だけ』?他の最高位魔術院の魔術師達は?」
「古代ラキシャ語に関する資料は禁忌扱いになっていたらしく、250年前に全て焼き払われたそうだ」
彼が訝しげな顔をする。
「どう言う事だ。それなら何故母上には読めるんだ?母上だってまだ30代だろう?」
パトラクトラはハッとして言う。
指先が動揺で少し震えたかも知れなかった。
「そうか……そうだな。またお前が落ち着いたら話そう……邪魔をしたな」
「え、ちょっと」
彼女はクルリと身体を返すとそのまま部屋から出て行こうとした。
しかしふと歩みを止めて空を仰ぐ。
「ヴェイル。『時間の魔女』が動いているぞ」
「何?!ハウエリア様が?」
「いや、違うようだ……気を付けろ。『時空』と『次元』の魔女は世界的に排除対象になり滅んだが『時間の魔女』は汎用性が高いから残されているのだ。
今後お前達の脅威にならなければいいのだが……」
「……ミレーヌか」
「まだ悪事とは決まっていない。リュークには黙っていてやれ」
「うん」
パトラクトラは小さく頷くと、今度こそ部屋から出て行った。
ヴェイルは彼女の出て行った扉を見ていたが、暫くすると手元に視線を落とし、置いて行った書物をパラパラと捲ってみた。
「古代ラキシャ語……『鬼族』の使いし魔術詠唱文か。
確かタイカーシアには300年以上前に滅んだアガン王朝があり、宮廷魔術師に鬼族を置いていたらしいが……時空と次元の魔女がそれぞれ最後の姉妹の王女だったとも伝わっている」
彼は腕を組み独り言を言う。
「『排除対象』になった『時空』と『次元』の魔女。アガンの最後の王女姉妹……しかし明確に殺されたとは伝わっていない。
そして禁忌のように宮廷魔術師が使っていたであろう古代ラキシャ語の資料が焼かれている筈なのに、母上には一部だがそれが読める。
ダークエルフである母上は、誰からそんな種族の文字を『教わった』事になる?」
ふと何かに気付いたのか組んだ腕を解き胸に手を当てる。
珍しく体内の魔力回路が反応した気がしたのだ。
「まさか……母上が本物の……噂にも聞いた事はあったが『次元の魔女』……?」




