第101話 羽ばたき1日1万回
血だらけで背中に異形の翼を生やしてしまったヴェイルとリュークは、皆に抱えられる様にして、封印魔法の解けた門からナザガラン遺跡側に脱出した。
急を要したので、数人で協力して作り出した大きな転移魔法陣で帰還する。
彼らを見た周囲の驚きと憐れみの顔や恐れた様子は、2人の気持ちをますます沈めてしまった。
身体と異形の物質との境目の傷は暫くすると綺麗に癒え、滑らかに繋がった。
神の力で形成されたルムンの翼はナザガランの医師達を驚愕させた。
同時に痛みも和らいで来た様だった。
しかし医局ではあまりの翼の大きさに、身体を横たえる場所がない。
アイランドソファーをあるだけ集めて診察ベッドを作るので、その間に身体と翼を綺麗に出来ますかと言われ、グラディスが急遽魔王軍の寮の浴場を貸切にする命令を出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
湯気が籠る浴場の、広い浴槽の隣に椅子を置き、ヴェイルは下半身に浴用の薄衣を纏って腰掛けていた。
隣には同じく薄衣を纏ったグラディスが立っている。
手には虹馬の柔らかなたてがみで作ったブラシを持ち、彼に生えてしまった巨大な翼に着いた血を拭い取ってやっていた。
「もう痛みはないのか?ヴェイル」
「はい。大丈夫です。……申し訳ありません、父上……」
「ん?何が?」
固まった血を湯桶に汲んだぬるめの湯で流し、拭ってやりながらグラディスが聞く。
「……何もかもです。この様な姿になってしまったのも、軍の寮の女性用大浴場を貸切にして……父上に翼を洗っていただいている事も……
それに結局母上の行方も分からず仕舞いになってしまいましたし……」
「仕方ない。素肌は臣下にすら見られたくないだろうし。
俺は構わんよ。共に風呂に入るなど、お前が小さかった頃以来だ。
まあ、血さえ流し終えたら、狭いが一応明日からは自分の部屋の風呂に入れそうだしな。今日だけだ」
彼が意外にも機嫌良く返す。2人だけなので、口調も柔らかい。
しかしふと顔を曇らせて言った。
「パトラクトラに関しては……お前達の話を総合的に判断すると、リヒトの元にいるのではないかと思うのだ。
偶然かも知れないが、次元黒碧竜にやられた時に連れ去られた線が強い気がする。
離れていてもあれだけ強力な言霊で相手を縛る魔法を持っているんだ、彼女もきっと操られて囲われているのだろう……」
「父上もそのようにお考えですか。リュークも同じ事を言っていました……
今回俺達がやられた所を見ると、確かにあのお強さの母上でも、リヒトの術には掛かりそうですね」
ヴェイルが気落ちした様子で答える。
「そうだな。……俺も詳しくは知らないが、ラタウスが落ちた辺りから鬼族の地に向かう海上には、反重力物質を含む巨岩群の浮島が幾つかあるそうだ。
海上から600ガルドル程浮いて存在しているらしい。
鬼族は単体で生活する種族が多いから、その島を拠点にしている者もいると聞く」
「では……その辺りを捜索するとリヒトに繋がる何かが発見出来るかも知れない、と……?」
彼が父を振り仰ぐ。
「そうだ。しかしその地へ行くには長距離飛行が出来る紫炎竜が必要なのだ。
先程、タイカーシアに調教済みの竜を数体譲って貰えるよう交渉する命令をラザルに出した」
「流石ですね、父上。彼なら程なく手配出来ることでしょう」
「目処が付くところは探したいからな」
グラディスが頷き、続けて言う。
「それからな、今回はやはりお前達だけで行かせた事は失策でもあった。こういう事態を想定するべきだった。
見つけた時は、死んでしまったのかと思って肝を冷やしたぞ。
お前が生きていてくれて良かった」
「いえ、父上はご同行されなくて本当に良かったです。
あの場でまず上がったのは父上のお名前でしたから。
……確かに気は遠くなり掛けました。人生で1、2位を争う激痛で……まあ下手したら40日後に死にますけどね。
こんな翼が生えるなんて……今でも信じられないぐらいです」
彼が小さな声で言う。
「だからこそ俺の失策だと思ったのだ。我が子をこんな目に遭わせてしまった、とな……すまなかった。
しかし本物の翼なんだな。ロイの翼の話を聞いていたとは言え信じられなかったのだが……」
グラディスがそう言いながら、大きな翼の根元を撫で広げてみた。
「わっ……」
ヴェイルが微かな声を出し、ヒクリと肩を震わせる。
「気持ちは分かるが、頼むから死んでしまうなどとは言わないでくれ。まだ時間はある。
うーん……肩甲骨の斜め下辺りから、まるで両方にもう1本ずつ腕が生えた様に翼が生えて来ているな。
一見素肌から生えている様に見えるが、接続部の皮膚が徐々に変化して固くなって、小さな羽毛から生えて巨大な風切り羽根にまで揃って来ている。これは本当に鳥類の翼だろうか……漆黒で艶があって実に美しい。
筋肉構造はどうなっているんだ?
……ほお、腕とは別物か。特に劇的に増えた感じはしない」
彼が構造に感心しながら、翼の内側を触って筋肉の具合を確かめてみる。
「……っ」
ヴェイルがまたピクリと動き、目をキュッと瞑った。
熱心に観察する彼は気付かず、検証している。
「ふむ。普通では見られない支柱のような骨が形成されている……
恐らく人の身体で支える為の神とやらの魔法だろう。
片翼の長さは……そうだな、広げたら4ガルドル程か。物理的にはこんな物で飛べる訳がないんだが……」
グラディスはいろんな方向から翼を撫で、眺めながらぶつぶつ話す。
「父上……くすぐったい……」
ヴェイルがとうとう堪らず肩をこわばらせて言った。
「ああ、すまない……いや、くすぐったいのかコレ」
父は気付いて止まり、翼から手を離した。
そのまま続けて洗ってやる。
座ったヴェイルの膝の上の薄衣に、時間が経って赤黒くなった血が湯で薄められて落ち、滲んで行く。
「リュークは大丈夫でしょうか。俺より長く伸びてましたが」
彼が不安げに言った。
「ああ、大丈夫だろう。アイツこそ両親が揃って男湯で洗ってやってるからな、お前より早く上がって来るかも知れん。
この後医局に行って身体と魔力回路をしっかり見てもらえ」
「はい。……フィスファーナは?」
「彼女はやはり、リヒトが自分を生き返らせる為に、お前達を生贄にした事に相当ショックを受けていた様だ。
今はアウドラが付いてやっている」
「……そうですか……」
ヴェイルは心配そうに返事をする。
「ほら、だいたい洗えた。一度濯ぎで浴槽に沈んでみろ」
グラディスに言われて、彼は身体と翼全体を広い浴槽に沈めてみた。
そのまま縁に上半身を上げる。
「重っ……骨……折れる……水吸うとこんなに重くなるんだ……」
「必要性があって生えてるんだから骨は折れないだろう。折れたら神に責任取ってもらいたいぞホントに。
……羽ばたいて水気を切ってみたらどうだ?」
「羽ばたきですか。出来るかな……」
そう言いながら半分湯に浸かったまま、グッと力を入れてみる。
思いがけず、両手が握り込まれた。
ブワリと巨大な翼が広がった瞬間、湯気が一気に霧散した。
そのまま数回羽ばたいてみる。
神の力が宿った翼は、宿主の身体に損傷を与えない様に補正を掛け、うねりながら滑らかに波打った。
勢いに合わせて水滴が浴槽内に雨のように降り注ぐ。
閉ざされた浴室内での羽ばたきの音は、風の塊がぶつかり合うような低い唸りを上げて響いた。
「うわっ!」
浴室内を巡って吹き荒れた風を受け、グラディスが顔の前を庇って後ずさる。
しかし、直後にヴェイルはグッタリと身体を折って縁に寝そべってしまった。
力を振り絞った後の白く光る身体を、水滴が滑り落ちていく。
「……背中痛い。筋肉どうなってるんだ、これ……」
到底支えきれそうにない細くしなやかな上半身を捩らせ、恐る恐る顔を傾げて脇の方を覗き込むが、自分からは上手く見えない。
「華奢な身体に対して翼が巨大すぎるな。物凄い力だった。
飛べそうにないと思ったがこれはやはり飛べるな……
鍛える為に明日から羽ばたき1日1万回するか」
グラディスが腕を組んで言う。少し目が輝いていて羨ましそうだ。
「……先に羽ばたき訓練で死にますよ、それ」
彼はうんざりしたように呟き、手を付いて上げかけた身体をまたペタンと縁に落とした。




