第100話 ルムンの翼
胴衣の効果によって、アウドラは転移杭の所まで退避させられた。
「アウドラ殿下!」
そこに待機していたワイアーガとレンダルが驚いて声を上げる。
程なくしてフィスファーナが、続いてラザルが現れた。
「フィスファーナ! 良かった!」
アウドラが声を掛ける。
「殺されるかと思った……マジでこれ死ぬって……陛下、怖かった……」
ヴェイルに剣で殴られたラザルが青い顔をして呟いた。
二人共リヒトの言霊術は解けたようだ。
しかし、フィスファーナは涙を溢しながら言う。
「やっぱりそうだった……『フィスファーナの復活の為の贄とする』って……言ってた……リヒト……!」
そのまま顔を覆ってしまう彼女の身体を、アウドラはそっと覆ってやった。
「その事はまた後で考えましょう。あなたのせいではないわ」
そしてラザルを向いて言う。
「ラザル! もう一度遺跡に行くわよ!」
「は、はい! 殿下!」
さっきは咄嗟に呼び捨ててしまったな、と思いながら彼が立ち上がる。
二人で鬼族の門まで行く。
しかし、鍵が掛かっていない筈のその扉はびくともしない。
「きっとあの傀儡人形が封印したのよ。邪魔が入らないように」
フィスファーナが気を振り絞り、涙を拭いながら言った。
「避けててね!」
アウドラが言い、最大出力の風魔法をぶつける。
ラザルも彼女に倣い、魔法をぶつけた。
しかし門の扉は開かない。
「くっ! 鬼の封印とはここまで強いものなのか……陛下! リューク殿下!」
ラザルが扉を悔しげに殴った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方の遺跡の中では、ヴェイルとリュークの身体に巻き付いていたラキシャ文字が書かれた細い帯が、スルスルと解けて落ちて行っていた。
彼らが同時に頽れてしまう。
「今……俺達は何を言った……?」
ヴェイルが膝を突き、右の鎖骨の付近を抑え、呆然として呟いた。
「『魔石プラバライアにこの命を捧げる』……だと?」
リュークが信じられない様子で言う。
二人共意識は元に戻ったようだ。
任務が完了したせいか、傀儡人形の姿はもうそこにはない。
「う……?」
彼らが身体に違和感を覚えた。
身体の上半身が……体内からゴキゴキと骨を形成する様な不気味な音を立て始めている……
「これは……」
ヴェイルが不安気に呟いた時、何処かから足音が聞こえてきた。
「……やはり間に合わなかったな。お前達か、リヒトが狙っていたエルフの子らは」
柔らかな声が頭上から聞こえたので、二人は不思議そうに見上げた。
一人の女性が立っている。
何処かで見た様な、と思った所で、遺跡の入り口近くの兵器の辺りに彫ってあった女性の像だと気が付いた。
「あなたは……」
リュークが問う。
「私はこの遺跡の番人のラソニアだ。誰かが入って来たらこうして実体化するのだが……
お前達、私が奥に入らないように、忠告の為に置いておいた200体の彫像はどうした?」
「……番人……ですか。人になれるんですね。
彫像は敵だと思って全て倒しました……」
彼が申し訳なさそうに言った。
「何?」
ラソニアと名乗ったその番人は、改めて辺りを見回してみた。
「あれは時間稼ぎの代物だ。『去れ』と言っていただろう。私のせめてもの良心だったのに。
恐ろしげにしておけば迷い込んだ鬼族の者でも引き返していたのだ。
私が壁から実体化して出て来るのに半刻程掛かるからな。
……それを全て倒すとは……」
彼女が呆れて言っている間にも、二人の身体の異変が進む。
「うぐ……」
リュークが痛みに呻く。
ラソニアがしゃがんで彼らの肩に手を当てた。
「魔石の核が正確にお前達の魔力回路に撃ち込まれている。もうすぐ翼が生えるぞ」
「ええ? ど、どうやって……」
彼が怖そうに聞いた。
「我々は鬼族なのだが、魔石は神の魔法だ。仕組みは分からないが、骨格から組み変わるからかなりの痛みだ。耐えろ」
「……あなたはリヒトの所業を……ご存知だったのですよね?
何故……彼を止めなかったのですか」
ヴェイルが途切れ途切れの言葉で問う。
その間にも痛みが増して来る。
「……リヒトは、恋人の身体を保存する為に毎年自分の命をひとつずつ使っていた。
6年前からは更に少年の遺体を維持する為にも使っている……
彼は数ヶ月前に再びここに来た時に『大切なものが増えた』と言っていたのだ。その少年のことだろう。
かつての主人を守る為に使ってしまった分と合わせると、リヒトの命は随分と減ってしまった。
それでも、恋人を復活させる為にこの遺跡に残りの命の半分を捧げたのだ。
私もその昔、同じ事をした。……止める道理はない」
「大切な……少年の遺体の維持……」
リュークが呟く。
「いいか、よく聞け。その翼は生えてから1000フォラの時間を掛けて漆黒から純白に変わり、宿主の魔力と命を吸い切って殺し、核と共にその体から抜け落ちる。
けれども強い魔力を持つ者はギリギリまで待たなくても700フォラ程で全て純白に変わる。
だからと言って、核を傷付けたり取り出そうとしたりしても、神の魔力に殺されてしまうから、核を刺激してはいけない。
1000フォラを超えてしまうと確実に死ぬが、それまでの間に翼が純白に変わったなら、『核を騙して』身体から離れさせ、翼を落とすことが出来る」
「核を騙す? ……それは……どの様に……するのですか?」
ヴェイルが聞いた。
身体が……今にも裂けそうだった……
「そこは自分達で考えてくれ。核に『身体の生命活動が終わった』と錯覚させるのだ。上手くいけば死なずに済む。
……私にはそこまでしか言ってやれない」
二人はしかし、もうその後の彼女の様子を知ることは出来なかった。
彼らの背中から、急激な勢いで皮膚を裂き、鎧を突き破って、強引に形成された巨大な猛禽類に似た翼が生えたからだ。
その漆黒の羽が巻き上げた鮮血は、遺跡内の空間に広がり落ち、床を紅く染めて行く……
——門の外にいる五人に、断末魔の様な悲鳴が聞こえた。
「嘘! 嫌あぁっ! リューク! ヴェイル!」
アウドラが扉を叩いて必死で叫んだ。
扉はまだびくともしない。
「……ああ……」
フィスファーナが耳を塞いで震えながら泣きだした。
ラザルとワイアーガ、それにレンダルは、信じられない思いで呆然として立ち尽くしていた。
アウドラは震える手で通信貴石を取り出し、泣きながら叫んだ。
「叔父上様! 叔母上様! 来てください! リュークとヴェイルが……
座標を送ります! 急いでください……!」
程なく転移魔法陣でグラディスとミシュレラが駆け付けた。
二人を門の前に導き、話す。
「この奥に彼らが閉じ込められています。少し前に悲鳴が聞こえました……
扉は私達の魔法ではびくともしないんです」
「分かった。離れろ」
グラディスが言う。
皆が離れた事を確認し、地面に手を付き控えめに魔法を掛ける。
「地殻爆破!」
彼の詠唱で硬い門の下の地面に人が数人通れる程の穴が空いた。
ここは地下の遺跡なので、あまり大きな破壊は地盤崩壊に繋がってしまう。
彼らは急いで遺跡の奥へと向かった。
そしてヴェイルとリュークが、鎧を破壊され背中を裂いて大きな漆黒の翼が生えてしまった姿で、血みどろになって横たわっているのを発見した。
番人の姿はもう、どこにも見当たらない。
ただ静かに、壁に元の様に精巧な女性の姿をした彫像が埋め込まれているだけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リヒトがふと下を向いて呟いた。
「……成功したか」
遺跡から離れた浮遊城の彼の手元に、藍玉色に光る正八面体の結晶が現れた。
それは空中に浮かび、光を散らしながらゆっくりと回転している。
表面には淡く『任務完了。接続開始』の文字が浮かんでいた。
「よくやった。遂に……遂に『贄』を手に入れた……」
彼は目を細め、結晶に手を伸ばして愛おしげに撫でた。
「これでもう、血に塗れたお前達の命は私の物だ。
私が美しく、有難く使ってやろう……」
指先から結晶に、チリチリと細い静電気の様な魔力が注がれていく。
「リヒトー! 薔薇を摘みに行ってくるね」
離れた場所からロイの声が響く。
「ああ、気を付けて」
リヒトはその方向に顔を向け、優しい声で返事をした。
そして何事もなかったかの様に結晶を掌で包み、保管魔法で掻き消す。
——消える瞬間、縦に一筋の光の残照が落ちた。
それは、誰かの涙の跡のようにも見えた。




