後日談 メイドは、ふたりのようすを、たのしんでいる!
8/18.若干文章を追加&イラストを追加
「クックック……面白い。我がメイド・リンリルネよ……そなたの言葉は本当だな?」
「ええ、魔王様」と魔王城のメイド――リンリルネは答えた。
場所は"魔王の間"。
身の丈をはるかに越える玉座に魔王――ガイゼルは悠然と座っていた。
身長が追いつかないので、相変わらず足をぷらぷらさせている主人を見据えつつ、リンリルネは口を開いた。
「魔王様も、聖女様と闘いたいんですよね。
でしたら……私が、教えて差し上げますわ。特定の相手にのみ、絶大な効果を有するという伝説の武術――『壁ドン』を」
にっこりと笑うメイドに対し、ガイゼルも興味深そうに答えた。
「ほう……申してみよ」
「なるほど、壁際に追い詰めて敵を無力化する技……か」
メイドの説明を聞きつつ、ガイゼルのテンションは上がりっぱなしだった。
そもそも、最近、何かがおかしいのだ。
勇者を倒した後――もちろんこれもガイゼルの本意ではない戦いになってしまったが――ガイゼルは"恐怖と絶望"の魔王として、君臨する予定だった。
しかし、聖女の言うことを聞くたびに、おかしなことになっていってしまったのだ。
聖女は言った。
「魔王様。まずは人間に優しくしてください」と。
ガイゼルは、もちろん頭に疑問符を浮かべた。
どういうことなのか、と。
「簡単なことですわ。
人間は魔族、ひいては魔王に恐怖心を持っています。
ですが、同時に人間は恐ろしいほど、目の前の物に飛びつきやすい生き物。
恐怖心を持っていたはずの魔王に優しくされたら、いともたやすく、ころっと懐柔されてしまうでしょう」
たしかに最初の統治だし、気合を入れないとな、と思ったガイゼルは、なるべく人間に優しくするようにしてみた。
無理な税は課さない。集めた金の行き先をなるべく透明にする。出自は貧しくとも、優秀な人間を取り立てる。魔族と人間に問題が発生しても、魔族だからと言ってひいきせずに、公正に処罰する。
――結果、聖女の目論見は大当たりだった。
たしかに、人類は未だ魔王に対する恐怖を強く持っていたが、ここまでちゃんと統治をしてくれると、「あれ? かつての領主よりよっぽどマシでは?」となったのである。
ガイゼルが魔族で、人間側のルールに縛られない、というのも一因だろう。
人間同士であれば、やはり積み重ねられた習慣を自分から破る、とは言い辛いものである。どれだけ非効率的な慣習であっても、自分からやめよう、と言える人間は少ない。
しかし、この場合、相手は根本的に異種族なのだ。
異種族がそう言っているならまあ仕方ないか、と、人々は自然に納得した。
結果として、魔王ガイゼルの統治は、結構な評判を呼んだ。
しかし最近、ガイゼルは、それで悩んでいた。なんかこう、人々の目線が生易しいのだ。
ガイゼルは、魔王として華々しい活躍を予定していた。
人間を踏みにじり、恐怖と絶望を与える魔王。
ところが近ごろは、人間の街に行けば、「ありがとうございます!」だのと手を振られ、
支配した農村に行けば、「これでも食べておっきくなってください!」と食糧を渡される始末。
おかしい。
これでは当初の予定と全然違うではないか、とガイゼルは立腹していたのだった。
「というわけです。よろしいですね魔王様」
メイドから説明を受けて、ガイゼルは、なるべく冷酷そうな笑いを浮かべた。
「クックック……ああ、たしかに。
吾輩と聖女は、元はといえば、敵同士。そもそもが分かり合えぬ運命なのだ。ここらで白黒決着をつけてやるとするか……」
こうして、魔王ガイゼルの特訓の日々が、始まった。
メイドに言われた通り、愚直に壁ドンを繰り返す日々。
ガイゼルの見た目はおこちゃまであるとはいえ、その身に宿る魔力は絶大である。
毎日、魔力をまとった拳で、壁を突くガイゼルに、臣下は恐れおののいていた。
昔からガイゼルを見守っていた側近の"じいじ"も、「城をむやみやたらに壊さないでください」と泣きを言う始末。
そんな周囲からの反応もあって、ますますガイゼルは自信を深めた。
ああ、これは、と。これこそが、噂に聞く伝説の武術なのだ、と。
そうして、約一ヵ月が経ったころ、魔王ガイゼルは、"魔王の間"で聖女と向かい合っていた。
「さて、聖女よ。貴様との日々も中々に楽しかったが……貴様との縁もここまでだ!!
さあ、吾輩の必殺の武術を食らうがいい!」
――瞬間、莫大な魔力が爆ぜた。
魔王ガイゼルは誰がどう見ても年少である。
しかし、なぜそんなに彼が魔王と崇められているのか。
それは圧倒的なまでの魔力の量。人類が束になっても敵わぬような魔力の量。
その溢れ出る魔力を推進力にしたガイゼルは、一瞬で聖女を壁際に追い詰めた。もちろん、腕は壁に押し付けてある。
これが伝説の"壁ドン"である。
ガイゼルは、舌なめずりをした。
さあて、どうしてやろうか、と。
ここらで魔王たる威厳を取り戻してやろう、と、ここまでのガイゼルは割とワクワクであった。
「さあ、聖女よ!! 恐怖と絶望に――」
しかし、そのガイゼルの笑みは、目の前の光景を見て、一瞬にして消え失せた。
「えっ」
魔王ガイゼルは、年少である。
そして本人もなんとなく薄々、自分には威厳が足りないのだろうか、と常日頃から悩んでいた。
その結果、ガイゼルはわざと高めの玉座に座ったり、威厳たっぷりな言い方をしたり、とそれなりに気を遣っていたのである。
そんな彼は、ほとんど聖女と同じ地面に立って並んだことがなかった。
つまり、ガイゼルは失念していたのだ。己と聖女の身長差を。
――ガイゼルの目の前には、2つの双丘。
そう。身長差的に、ガイゼルの目の前には、ちょうど聖女の胸があるのである。
「あっ、いやあの」
これには、ガイゼルも焦った。
もちろん、興味が無いこともないが――あ、いやでも立派な魔王は色欲なんかには負けないぞ、と顔を真っ赤にしたガイゼルは、とりあえず首を直角に曲げることにした。
「ガイゼル様…?」
なぜか、敵を壁際まで追い詰めたにも関わらず、顔を逸らして、真横を見続けるガイゼル。
それを見て、聖女も不思議そうな声で言う。
「どうかされたのですか?」
「だまるのだ! これはその……決闘だ!」とガイゼルはなるべく恐ろしく聞こえそうな声で唸った。
「正々堂々、貴様を倒して、吾輩は魔王として君臨するのだ!!」
そう啖呵を切ったガイゼルは、心の中でガッツポーズをした。
まあ、多少は締まらないことになってしまったが、それはそれでいいだろう。
自分にはやっと挽回できる機会が来たのだから。
たしか、メイドの発言によれば、『壁ドン』とは敵を壁際まで追い詰めて逃げ場をなくしてからが本番とのこと。
だからこそ、ガイゼルは聖女に恐怖と絶望を与えてやろうと目論んでいたのだが――
「ふふっ、お可愛いですね」
目の前の聖女は余裕そうであった。
「は?」
「まったく、ガイゼル様ったら……」
「おい、聖女。貴様、この状況で何ができると――」
と言おうとしたガイゼルの顎には、ほっそりとした聖女の指が添えられていた。
「……んなッ! なんだこれはッ!」
聖女がやったのは――
俗にいう"あごクイ"という姿勢であった。
「ひ、ひぃ……!」
あまりにも羞恥心を与えてくるこの格好に、ガイゼルは無言で口をパクパクさせた。
ふざけるな! とか我輩を愚弄するのか! とか文句はいくらでも浮かぶ。
しかし、真っ赤になったガイゼルはもはや二の句も告げられず、「あぅあぅ」と何やら不明瞭な言葉をぶつぶつ言うしかない。
だが、そんなガイゼルに対し、聖女の攻撃は止まらなかった。
つつぅ、とガイゼルの顔が聖女の方へと流されていく。
「ひ、うひぃ……」
「ガイゼル様はこういう勝負がお好みなのですか?」
そのまま、ガイゼルの耳の方に、聖女の顔が近付いてくる。
「……私、こういう勝負も嫌いじゃありませんよ」
いたずらっ子のような顔で聖女が笑った。
しかし最終的に、ガイゼルは答えることができなかった。
なんかよくわからない、いい匂いがしてくるし、なんかよくわからない聖女の存在感を近くに感じるしで、もはやガイゼルは限界であった。
あまりの緊張のため、恐怖と絶望の魔王は、泡を吹きながら、完全に気を失ってしまっていたのである。
こうして、意気揚々と、新技『壁ドン』と共に、聖女に決闘を申し込んだガイゼルだったが、あえなく返り討ちにされ、無事敗北した。
あれだけの莫大な魔力を有する魔王に一矢報いたとあって、魔族からの聖女の評判は、再びうなぎ上りである。
なお後日、聖女に敗れた魔王ガイゼルが、
「あの女を見てると、吾輩の胸がなぜか苦しくなる……!
きっと吾輩は何か呪いをかけられたに違いない!
あの女が近くを通るたびに話しかけたくなるし、あの女が他のやつと話しているだけでもモヤモヤするのだ!!!
どうか、解呪ができるやつを探し出し、我が呪いを解いてくれぇぇ……!!!」
とトチ狂ったことを言い出し、配下一同があきれ果てた目で魔王を見つめていたのは、別の話である。
ちなみに、魔王に『壁ドン』を教え、返す刀で聖女にも『あごクイ』を教えた悪魔のメイド――リンリルネは、そのことについて問い詰められた際、あっさりと高笑いをした。
「だって――あのふたり、かわいいんですもの。それ以外に理由が必要ですか?」
魔族は、己の欲望に正直である。
リンリルネもその例外ではなく――
そして彼女は一切、全くといっていいほど、反省していなかった。