皮肉屋公爵と無表情令嬢~宿命のライバルと評された両家の次期当主同士が契約結婚をした場合~
セントアレクシア庭園。
帝国内でも最大級の庭園で、上流階級の男女がいつかはここでお茶会を開いてみたい、と願うほどの場所である。
ここでお茶会を開けるというのは、それほどのステータス、財力を意味する。
普段は上流階級の人々がにぎやかに過ごす庭園だったが、今日に限っては、庭園は異様な静けさに包まれていた。
「ねぇねぇ、今日何があるのかしら。なにか催しものでも?」
たまたま通りがかり、不思議に思った令嬢は、横の友人に問いかけた。
「あら、知らないの? ほら、例のご両家の……」
「あぁ、ツァンバッハ家とブランシュヴァイク家のご婚約ね……」
――ツァンバッハ家とブランシュヴァイク家。
ここ帝国の中心部では、知らぬものがいない名家である。
“武”のブランシュヴァイク家は代々武人を輩出し、”智”のツァンバッハは常に帝国中枢にその頭脳を送り出してきた。
ただ、両家の仲はとてつもなく悪かった。
知略こそが第一と考え、商会や各種手工業にその手を伸ばすツァンバッハと、武勇を第一と考え、騎士団に影響力を及ぼすブランシュヴァイクは、まさに水と油。
ブランシュヴァイクが軍備を拡張すべし、と言えば、ツァンバッハが阻止をする。
ツァンバッハが商業の活性化を唱えれば、ブランシュヴァイクが反対する。
そして、その両家を中心として、派閥が形成される。
かくして、帝国の二大名家の名は、帝国では知らぬものがいない語り草になっていた。
もはや、一触即発。
小競り合いなど、日常茶飯事。
仮に両家が衝突すれば、帝国の内乱は避けられないではないか、とすら噂された。
――しかし、つい先日。
帝国中を衝撃のニュースが駆け巡った。
これ以上、ことが大きくなれば問題だと判断したツァンバッハとブランシュヴァイクの現当主二名の連名によって、両家の次期当主同士の婚約が発表されたのである。
その静けさの中心、庭園の中心に位置する一画は、さらに物々しい雰囲気に包まれていた。
テーブルに座ってお互いに向かい合うのは、二人の男女。
しかも、その二人の後ろには、それぞれ五、六人の男女が控えていた。
「これで、貴様のツァンバッハ家と、我らのブランシュヴァイク家が結ばれる、というわけだ」
男――ブランシュヴァイク家次期当主、ネイト・ブランシュヴァイクは皮肉めいた表情で問いかけた。
「どうだ、ツァンバッハの女狐め」
「あら、別にどうということもありませんわ。たかだか、両家の争いを収めるための約定ではないですか」
それに平然と答えるのは、マイラ・ツァンバッハ。
ツァンバッハ家の次世代を担う若き才女である。
それを聞き、両者の陣営が色めき立つ。
「生意気に……!ツァンバッハのクズどもに、我らがどれだけ煮え湯を飲まされてきたことか…!!」
「よく言うわね。ブランシュヴァイクのような田舎者が、高貴なるツァンバッハに楯突く気か!!」
非難轟々である。
当然だった。両家のいがみ合いはここ数年で始まったことではない。
長年にわたる因縁。
お互いに言い分は十分すぎるほどある。
両家の婚約が発表されたとはいえ、素直に信じられる者はほとんどおらず、両家とも相手の家が仕組んだことだと本気で思っていた。
いわば今回の婚約は一時しのぎ。
今なお、両家の因縁は、火薬庫そのものである。
「いいから、落ち着け」とネイトは、後ろに立つ自分の陣営に呼びかけた。
「お前らがそんなに熱くなると、進む話も進まん。席を外してくれ」
「ネイト様。くれぐれもご用心を。相手は冷血無比のツァンバッハの女狐。相手に飲まれてはなりませんぞ」
渋々といった様子で、後ろに控えていたブランシュヴァイク陣営が引き下がっていく。
もちろん、距離を取っただけで、ネイトが一声上げれば、すぐに傍に来るだろう。
剣を佩いている者もあり、いつでも準備はできていた。
「こっちもそうするわ」
表情を一切変えず、マイラも応じる。
「マイラ様。お気をつけてください。相手はブランシュヴァイクの男。あの家の男どもは、猿より始末に負えません」
そういって、マイラの取り巻きも引き下がるが、その視線だけはネイトから一瞬たりとも離していない。
「やっと落ち着いたな。それともツァンバッハのお嬢様は、一人だと怖くてお話もできないかな?」
ネイト・ブランシュヴァイクはそう言いながらも、内心頭を抱えていた。
――可愛過ぎるのである。
目の前のマイラは、あまりにも可愛過ぎた。
周りに人がいなかったら、可愛さのあまり叫んでいたかもしれない。
そのくらい可愛かった。
鼻筋の通った完璧な美貌。薄めの唇に、切れ長で涼しい目元。
ツァンバッハ家特有の透き通るような銀の髪。
そして何より、一切の表情を見せない強い瞳。
社交界では、そんなマイラを冷血な女や血も涙もない女、と呼んでいたが、ネイトの意見は違う。
――こんな鋭い美しさ! 最高だ!!
最初、そろそろ婚約でも、と言われたときネイトは、まあこの年だし仕方ないか、とあきらめていたが、そんなネイトにも千載一遇のチャンスが迷い込んできた。
なんと、ずっと親しくしたいと願い続けてきたマイラ・ツァンバッハとの婚約が決まったのだ。
ブランシュヴァイク家では、ツァンバッハの名は忌むべきものと扱われている。
ツァンバッハ家の名前が出るときには、確実にその頭に、「憎むべきツァンバッハ」とか「我々最大の敵ツァンバッハ」だの、「ツァンバッハ家さえ滅亡してくれたら、もう貴族をやめてもいい」とか散々な言われようをしている。
そんなブランシュヴァイク家で、「ツァンバッハの姫と結婚したい」などと言い出したら、もうどんな目にあわされることか。
想像しなくたって分かる。
ブランシュヴァイク家の家訓は「鉄拳制裁」。
「一族を担うべきお前が何を腑抜けているんだ」と、一族中に殴られること待ったなし、である。
しかも一族のほとんどが騎士や武官として働いている以上、その暴力性は群を抜いている。
だからネイトは、婚約の話が出てきたとき、思わず神に感謝した。
まあ、とはいえ、
――こんな自分を、相手はどう思っているのか……。
ネイトは元々皮肉っぽい性格で、先ほどの『やっと落ち着いたな。それともツァンバッハのお嬢様は一人だと怖くてお話もできないかな?』という発言も、本当は『二人になれて嬉しい』という意味である。
婚約が決まってからというもの、何回か会ったことがあるが、どうも緊張して、毎回皮肉めいたことを言ってしまう。
当然、ツァンバッハの方だって、同じようにブランシュヴァイク家を嫌っているのだろう。
そんな中、自分と婚約することになったマイラ。
――俺、確実に嫌われてるよなあ……。
「ほらよ」と差し出された書類に、マイラ・ツァンバッハは、詳しく目を通していた。
「婚約の証書ですね。両家の印が入っている、と」
「その通りだ。大事な婚約に傷がついてはまずいからな」
証書に間違いがないか、くまなく探しつつ、マイラの脳内は全く関係のないことを考えていた。
――いつ見ても、彼。かっこよすぎる……!
今、目の前に座っている男性。かっこよすぎるのである。
ネイト・ブランシュヴァイクが、かっこよすぎるのだ。
言いたい。なんであなたはそんなにかっこいいんですか、と問いたい。
マイラは自分でもそれなりに頭の良い方だと思っていたが、そのマイラでも、ネイトのカッコよさは説明がつかない。
ツァンバッハ家の男性はヒョロヒョロしているのばっかりだが、目の前のネイトは武の名家にふさわしく、相当鍛えているのだろう。
しっかりした筋肉が、服の上からでもわかる。
さらに、マイラよりも頭一つ分以上大きい身長。
しかも、ブランシュヴァイク特有の浅黒い肌に、黒い髪色。
そして何より、時々放たれる艶っぽい皮肉。
――最高だ。
さきほど、「それともツァンバッハのお嬢様は一人だと怖くてお話もできないかな?」と言われた時なんてもう、「その通りです! 私、緊張しすぎてお話しできません!」と思わず言ってしまいそうになった。
ツァンバッハ家では、ブランシュヴァイクの名は馬鹿の代名詞として扱われている。
「ブランシュヴァイクのような馬鹿になっていいのか?」だの「勉強しないと、ブランシュヴァイクの間抜け共のようになるぞ」という会話は日常茶飯事である。
――なんでみんな、あの肉体のカッコよさがわからないのかしら。
マイラとしては自分とネイトの仲を自慢したいところだったが、今のところ、マイラはツァンバッハ家の中では、「あんな野蛮人の群れに放り込まれそうになっている悲劇の姫君」として扱われている。
ここで喜んでいたら、一族中の不興を買うだろう。
ツァンバッハの家訓は「叡智こそ力」。
肉体派のブランシュヴァイクを褒めたりしたら、「君は頭がおかしくなったのかい?」だの「いい病院があるからそこで頭を見てもらうといい」など一族中から説教されること間違いなしである。
こういう時に、マイラは表情が乏しい、という自分の特徴に感謝していた。
この特徴があるからこそ、これほどかっこいいネイトの前でもぎりぎり平静を装えているのである。
これがなかったら、いまごろネイトの圧倒的魅力の前に机で突っ伏していたかもしれない。
――でも、こんな自分は相手にどう思われているんだろう。
婚約が決まってから何回か顔を合わせたことはあるが、いつもマイラの表情は無表情だ。
ブランシュヴァイクでは、表情を顔に出すのはいいことだとされている、と聞いたことがある。
それに比べて、表情に乏しい自分はあまり面白くない相手なんじゃないだろうか。
「おい」
そんなマイナス思考にとらわれていたマイラを現実に戻したのは、ネイトだった。
「確認はし終わっただろ。同意が取れたら、俺は帰る」
マイラは無言で証書を返した。
「なんですか」
マイラは名残惜しみつつ、そろそろ帰ろうとしたのだが、ネイトがなぜか手を差し伸べてくる。
「握手でもしてあげようかな、と思ってな」
「特段する必要も感じませんが」
と言いつつ、マイラは自分の欲望に従い、ガッツリ手を握り返していた。
――温かい、大きな手。
もう最高である。
そのまましばし、時間が過ぎる。
ところが、相手も中々、手を離さない。
――ああ、こんな時間が一生続けばいいのに……、とマイラがうっとりし始めた、その瞬間。
後ろから冷え冷えとした声が聞こえてきた。
「うちのマイラお嬢様の美しい手に、そちらの野蛮な手を向けないでくれますかね?」
マイラが恐る恐る振り返ると、後ろには明らかにいらいらしているツァンバッハの皆さん。
「マイラお嬢様。帰りましょう。こんな男のガサツな手には触れてはいけません」
「へぇ。そうかい」とネイトが皮肉っぽく笑う。
「お宅のお嬢さんの方から離さなかったんですけどね」
「ふざけるなよ、ブランシュヴァイクの猿め」
そう言ったマイラの護衛は、マイラをぴしっと指さした。
「ほら、見なさい。お嬢様のこの表情を。お嬢様はいつも通り、一切その表情を変えていません。つまり、婚約者と言えど、あくまで契約結婚。お嬢様はあなたのことなど、何とも思っていないのですよ」
――そんなことないです。め、めちゃくちゃ感触を楽しんでいました。この表情は生まれつきです。
とは言いづらくなったマイラは、仕方なくこくり、とうなづいた。
騒ぎを聞きつけ、ブランシュヴァイクの方も続々と人が集まってくる。
「うちのネイト様になんか用か。頭でっかちども」
もはや収拾は不可能、と感じたマイラは渋々ここを去ることにした。
「じゃあ、まあ取りあえず次回はそのうち……」とだけ言い残して、マイラは帰宅の道に着く。
手を握ったその手に、ほのかな熱を感じながら。
「なあ、彼女の手があまりにも綺麗でさ。一瞬手を握るだけのはずだったんだけど、思わずずっと握ってしまって……」
「そうですか」
「……はあ、なんで彼女。あんなに可愛いんだろうな」
「知りません」
「なあ、女狐って誉め言葉かな? 結構、マイラ嬢は狐に似ていて可愛いと思うんだが」
「それも、知りません」
従者のバッツは、帰りの馬車で婚約者の可愛さを永遠に語る主人に辟易としていた。
「そこまで好きだと思うのであれば、ご本人に仰ってあげたらいいのでは?」
「いやそれはできない」とネイトが首を振る。
「なぜです? もう婚約者なんですから、それくらいは言えるでしょう」
「わかっていないな。おれはブランシュヴァイクの跡取りだぞ。兄上からも母上からも、ツァンバッハの女に目に物を見せてやれ、と口うるさく言われているんだ」
「ああ確かにそうでしたね」
バッツの知る限り、ブランシュヴァイク家では、この婚約で大騒ぎになっていた。
――恋愛は惚れた方が負けだ、というのが、脳筋ブランシュヴァイク家の家訓である。
「俺はマイラ嬢を自分の女にしろって無茶を言われているわけ。しかも見てみろ。ブランシュヴァイク家に付き従っている連中も大勢いる。そんな中で、ブランシュヴァイク家の次期当主がツァンバッハの次期当主に屈した、だなんてうわさが流れでもしたら、ブランシュヴァイクは終わりだ」
ネイトは髪をいじる。
「わかるだろ? これは形を変えた両家の戦いなんだ。惚れた方の家が負けさ」
「ネイト様」
「なんだ」
「本心はどうなんですか」
バッツとネイトの関係はもう長い。
だから、バッツにはネイトの真意がわかってしまう。
「本心か……。まあ、実を言うと……振られるのが怖い、というのもある」
そう言って、馬車のクッションに倒れこむ主人をバッツは微妙な表情で見ていた。
ネイト・ブランシュヴァイクと言えば、武勇に優れている、と評判の男である。多少皮肉屋な部分はあるが、カリスマ性のある男……のはずだが。
――ここにいるのはいったい誰なんだろうか。
バッツは、自らの主人が可愛い可愛い、マイラ嬢可愛い、とクッションに向かって叫ぶのを心底微妙な表情で眺めていた。
「なあ、次はいつ会えばいいと思う?」
「別に好きな時期でいいんじゃないですか」
「いや、やっぱり時期は重要だろ。一か月は遅すぎるかな。それとも一週間か。いやでも、あまりに早すぎてガッツていると思われるのも問題だし……」
ぶつぶつと、永遠に次に会う時期を考えるネイト。
そんなのどうでもいいじゃないか、とバッツは思った。
理想の騎士、とうたわれた主人の雄姿はどこに行ってしまったのか。これでは貴族学院の初等生レベルの浮かれようである。
――お願いします、マイラ様。もう両家とかなんでもいいので、この主人を早く楽にしてあげてください。そして僕をこの無間地獄から解放してください。
バッツは、からりと晴れた空を見上げながら願った。
いや、本気で。
――同時刻、帰りの途に着いていたツァンバッハ側も似たような展開だった。
「でね。彼の筋肉がかっこよくて。特に、あの浮き出た血管。もうほんと最高」
「そうですか」
「なんであの浅黒い肌はあんなにも色気があるのかしら」
「お嬢様」と、ツァンバッハ家専属メイドのヘルガは言った。
「ネイト様から離れた瞬間、私に向かってペラペラしゃべりだすのはやめてください。絶対、お相手はお嬢様が無口だと思われていますよ」
「いやだって、あまりにもかっこよくて……」
「その素直さを出せたら、もっと話は楽だと思うんですがね……」
ヘルガはあきれながら目の前で顔を抑えジタバタする主人に尋ねた。
「そもそもお嬢様から好きだと言えば、すむ話なのではないですか?」
「ば、馬鹿! なんていうことを」
「いやだって、わたくしここ最近ネイト様の話しか聞いていないせいで、ネイト様に、まあまあ詳しくなりましたよ。もういいじゃないですか、いい加減」
「無理よ」とマイラがため息をつく。
「ツァンバッハでは、いかにして主導権を奪えるかって話になってる。つまり、ネイト様を私の魅力で惚れさせろってことなのよ」
ふーンと聞き流していたヘルガは、マイラに訊き返す。
「実際はどうなんですか?」
「いや、ダメよ、それは。こっちから好きだと告白するだなんて、認められないわ。だってやっぱり殿方から求められたいっていうのが、乙女の夢じゃない。ネイト様に『お前しか考えられない』とか言われちゃったら、もうダメ……。そうやって私たちは熱烈な夜を過ごして……、彼のたくましい腕に」
今の姿のどこが、”氷の美姫”なのだろうか。
無表情の癖にペラペラしゃべりまくる主人を目にして、若干ヘルガは頭が痛くなった。
「あ、そういえば、今日のネイト様はラベンダーの香りがしたわ。今日から部屋中をラベンダーの香りで満たすのよ。それにより、私はネイト様の夢を見れるということで……」
「あの……お嬢様。この前はオレンジの匂いがしたって仰っていませんでしたか」とヘルガは嫌な記憶を思い出す。
「部屋中にオレンジの香料をばらまいたじゃないですか」
その作業を手伝ったせいで、ヘルガの全身はオレンジの匂いに包まれ、結果初めて会う人には、「オレンジ農家」だと思われる始末。
「あれまたやるんですか」
「もちろんよ。それより次はいつ会えるのかしら。あなた、殿方との再会はどのくらいの頻度でしたらいいのか、知ってる?」
「そんなの知りません」
「国立図書館に行って調べてみるしかないわね」とぶつぶつつぶやく主人を目にして、ヘルガはひたすら微妙な気持ちに襲われた。
――お願い申し上げます、ネイト様。お嬢様をお救いください。このままでは、お嬢様は香料まみれになってしまいます。
ヘルガは、憎々しいほどからりと晴れた空を見上げながら願った。
こちらも本気である。
「マイラ嬢は美しくて~」
「ネイト様はかっこよくて~」
馬車内で永遠に続けられるここにはいない相手への賛辞。
相手のいる前では一言も好意を述べないくせに、いなくなった途端ペラペラしゃべり始める始末。
マイラ・ツァンバッハと、ネイト・ブランシュヴァイク。
ツァンバッハ家と、ブランシュヴァイク家という帝国を二分する強大な名家の次期当主。
――育ちも派閥も、性別も、何もかも違う二人だったが、案外二人は似た者同士だった……。
こういうのが好きです。誰か書いてくれませんかね(他力本願)