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59 予想外の馬鹿

ゴーン、ゴーンと昼休みを告げる鐘の音が響き渡る、人気のない渡り廊下。

荘厳たるその音をセラは気を抜くと

飛んでしまいそうになる意識の中でぼんやりと聞いていた。

目の前には見知らぬ剣騎士が一人。

背はそう高くはないが、がしりとした体格とそこそこ整った顔立ちの男だ。

年は20代半ばくらいだろうか。

クリエル=マルドスと名乗った彼は、

しゃんと背筋を伸ばし真面目な顔でセラの返答を待っていた。

真正面から熱い視線を注がれ、正直セラは頭痛がした。



どうしてこうなった。

色々と覚悟はしていたつもりだけど、

これは予想外にも程があるし、あまりにも酷くないかい?



今しがた告げられた高らかなる自己紹介と

歯が浮くような言葉の数々を思い出し、セラはゾッとした。

初対面であるにも関わらず、腑に落ちない程の熱量を

お持ちの彼にセラは思わず原因を作ったヤールに恨み言を言いたくなる。

本音を言えば、時と場所を選んでよ!と今すぐにでも怒鳴り込みに

行きたいくらいであるが、勿論そんな事など出来るはずがない。

兎に角目の前の彼をどうにかしなければいけない、という心理だけで口を開く。

胸の内は何でこうなった???という疑問で溢れかえっていた。



「…ええと、その、お気持ちは大変ありがたいのですが、

 申し訳ございません。貴方のお気持ちにお応えする事は出来ません」



兎に角、頂いた気持ちに真摯に応えなくては。

そう思ったセラは申し訳なさそうな表情で深く頭を下げた。

彼女からしたら当然の答えだったのだが、目の前の彼は

まさか断られるとは思ってもいなかったのか、目を見開き固まっている。

そんな彼の表情から伝わる心情にセラはそれこそまさかだろ、

どれだけ自信があったのよ。っていうか何処から来たの?その自信。と

疑問ばかりがあふれていく。

今一番いて欲しい、頼りになる相棒は席を外していた。

何してるのシロ!と思わなくもないが、

こればかりは我慢させるわけにはいかない事案だ。

膀胱炎にでもなったりしたら可哀想すぎる。

そんな僅かな時間にこうして本日一の厄介事が舞い込んでくるなどとは

シロも思いはしなかっただろう。



「…理由を、聞いてもいいかな?」

「あの、貴方の事をよく知りませんし、」

「だったらこれから知ったらいい」



そう訊ねてきた彼の顔には一見爽やかにも見える笑み。

けれども対面しているセラからはその瞳の奥が

全く笑っていない事がよくわかった。


怖い。


彼女は久しく感じる事のなかった感情を思い出す。

旅の中で命の危険を感じる事は多々あった。

けれども、正直今の方が彼女にとっては恐ろしく感じる。

食うか食われるかの自然の摂理よりも、

戦っても負ける事はないだろう相手から向けられる

”負の感情”が恐ろしかった。



「”彼”とは付き合ってないんだろ?」

「ええ、はい。でも、それとこれとは話が別かと…」

「俺では君が愛するに相応しくないと?」

「そうは言っていません…

 でも今日顔を合わせたばかりの人と、突然お付き合いしたりは出来ません」



この人は危険だ。

そう判断したセラは角が立たぬよう、

丁重にお断りする事をやめ、きっぱりと拒絶の意志を伝える事にした。

怯んだ気持ちに喝を入れ、まっすぐに視線を返し背筋を伸ばし、胸を張って。

「ごめんなさい」と本音を言えば下げる必要があるのかないのかすら、

わからなくなってきた頭を下げながら、セラは込み上げる不快感を押し留めた。



「っ、」

「あっれー?クリエルじゃん、こんなところで何してんだ?」

「…マルコ」

「あ、セラ嬢も一緒だったんだ」



下げたままの頭で耳が拾った

まだ何か言いたげに言葉を探す音に逃げ道を必死に考える。

いっその事、回れ右をして物理的に逃げてやろうか。

セラがそんな身も蓋もない考えに思い至ったその時、

クリエルの後ろから聞き覚えのない、

そしてこの場には似つかわしくない明るい声が響いた。

目の前の彼が小さく舌を打つ。

そして振り返り第三者の男の名前を呼んだ事でセラはそろりと頭を上げた。

同時にひょいとクリエルの向こうから顔を出したマルコと呼ばれた男と

目が合い、彼女は反射的にビクリと肩を揺らした。



今度は何だ。

これ以上の厄介事はいらないんですけど。

シロ、お願い出来るだけ早く帰ってきて…!



まだ昼になったところだというのに、

すでに散々な目に合っているのでどうしても身構えてしまう。

初めて真正面から見たアメジストに警戒の色が濃く見えて

マルコは内心で苦笑いを浮かべながら「こんにちは」とにこやかに挨拶をする。

唐突な挨拶と思ってもみなかった親し気で人の良いマルコの笑顔に

セラは虚を突かれ目を丸くしながら「こ、こんにちは」挨拶を返す。

もう一度にこっと愛想よく笑ったマルコは不機嫌そうに

突っ立っている同僚に「なんか珍しい組み合わせだな?」と笑う。



「で、何してたんだ?」

「…別に何もしてないさ」



問いかけにクリエルは苦々しく顔を歪め、ぶっきらぼうに答える。

そしてさっさと背を向けて今しがたマルコが来た方向へと足を進めた彼に

「クリエル?」とマルコが不思議そうに声をかけるが、

クリエルはひらりと手を振っただけで振り返る事はなかった。

心配そうに「邪魔しちゃった?」と問いかけるてくるマルコの向こうから

憎々し気な視線が飛んできて、セラはマルコに首を振りながら

助かったと胸を撫で下ろした。

そしてまるでその視線からセラを守るようにそっと立ち位置を修正した

マルコに気づき、彼女は驚いた顔で彼を見上げる。

視線の先にいた彼はセラが気づいた事に気づいたようで、

少し気まずそうな顔で視線を逸らした。



「ごめんな、来るのがちょっと遅かったな」

「いえ、とんでもない…正直とても助かりました」



「ありがとうございました」という言葉と共に深々と下げられる

頭にマルコは居心地悪そうに、がりがりと頭をかき

「いやいや、頭を下げられる程の事はしてねぇよ」と呟いた。

そしてふと目に入った彼女のトレードマークであるポニーテールを

結ぶ紫色のリボンに気づき、彼は無意識に息を飲んだ。

瞬時に彼の脳裏には最近感じる、もやっとするが

気にないように気を付けていた、疑問の数々が浮かぶ。

そして唐突にはじき出された”とある答え”に

彼は馬鹿野郎と自分自身を叱り付ける。

ゆっくりと元の位置に戻った彼女の顔の中で一番に目に入り

主張する、色と目が合い、彼は慌てて笑みを取り繕った。



「改めまして、俺はマルコ=ドラッドノート。アルフェリアの腐れ縁だよ」

「アル先輩の…

 えっと、既にご存じでしょうけれど、セラと申します」



左胸に手を当て、恭しく名乗るマルコに

セラも礼を取り「はじめまして」と挨拶をした。

知った名前が出たからか、セラが纏う警戒の色が

薄くなったのを見てマルコはほっと胸を撫で下ろした。



元々争いごとは好きじゃないが、

この案件には特に不用意に首を突っ込むべきじゃない。

知らされてもいない”答え”を探るような”疑問”を持つと碌な事がない。

平和が一番。そして平和に過ごすためには平凡が一番。



それがマルコの信条である。

同期たちがだんだんと出世していく中で、

マルコだけはある一定の立場から上がる事をしなくなった理由。

とある同期たちからは見下され、アルフェリアの様に仲の良い同期からは

ぶーぶーと文句を言われるが、マルコはこの位置を変えるつもりはない。

けれど、それと同時にやっぱりこの少女と敵対するような事は下策であると、

考え込む仕草を見せているセラを眺めながらマルコはそう悟った。



「…あの、マルコさん。お聞きしたい事があるのですが、

 よろしければ少しお時間を頂けませんか?」

「いいよ。っていうか、さっきのクリエルの事だろ?

 …その前に一つ確認してもいい?あのゼドロス商会の若旦那とは」

「付き合ってません」



ちらりとお伺いを立てるように見上げてきたアメジストに

マルコはにこっと愛想のよい笑みを返してから、気になっていた事を尋ねる。

食い気味に否定したセラの勢いに彼は目を瞬いた。

にこり、と笑みを模るアメジストだが、そこに温度がなくて

思わず身を引いたマルコだが、その視線は正直なもので疑いの色が残っている。

気付いたセラが眉を寄せ不満そうに口を尖らせる。



「疑ってますね?」

「そりゃあね。あんなところでキスしてたくらいだし」

「されないです。まあ、他の人からはキスしてるようにしか

 見えないくらい、上手に隠してくれやがりましたけど。

 でも、実際にはギリギリ、触れてはいないんですよ。

 あれでも、見かけほど信用ならぬ人ではないので、

 恋人でもない女性に勝手にキスするような馬鹿な事はしないんです」



っていうか、マルコさんにも見られいてたのか。

その事実にセラはまた頬が熱を持った事が分かった。



本当にもう、やめてほしい。

朝から何回言わせる気だ。

その度にヤールのあの視線と熱量を思い出してしまうというのに。

昨日からずっと血の巡りが良すぎてくらくらする。



言い聞かす様な早口でそう言ってのけたセラに

マルコは圧倒され「はぁ」と気の抜けた返事を返した。

そして「そっか」とセラがそう言うなら一応納得する素振りを見せる。

それ以上追及してこないマルコにセラはほっと胸を撫で下ろした。

シャーロットやヴィオラには何故か不満そうにされたからである。



「俺も含めてあの現場を見てた野郎が多いのはセラ嬢も知ってるだろ?」

「うっ…はい」

「でな、男にはちょっとした事で

 すぐ”馬鹿”になっちまう奴が多いってのはわかる?」

「…?」



こてん。

小首を傾げるセラに嗚呼これは本当にわかってないなと

マルコは気が遠くなる思いでため息をついた。

血色のいい頬や若干潤んだ宝石のような瞳だけでも、

十分に男を馬鹿にしてしまうものだというのに。

極めつけにこの無防備さである。

ただ、思い浮かんでしまった”予想”と、

アルフェリアたちの様子を知っているマルコは若干デレっとはしつつも、

守ってやらなければとまるで兄の様な気分になった。



「セラ嬢って普段はこう、なんていうか、遠目から見てると

 年齢よりも大人びてて隙がない感じなんだけど、あの時は違ったっていうか。

 顔を真っ赤にして狼狽えたセラ嬢はさ、年相応だったし、

 ぶっちゃけ俺もときめいちゃったくらい、めちゃくちゃ可愛いかったんだよ。

 それで男ってのは単純だから、それまで”突然出てきて旅人から王騎士になんて

 大出世した子憎たらしい小娘程度に思ってた女の子”が、

 実はとんでもなく可愛い事に気づいちゃって、

 クリエルみたいな”馬鹿”が出て来ちまったってわけ」



なんだそれ。

マルコの説明にセラは思わず真顔になった。

そんなセラにマルコは苦笑いを返し、続ける。



「んで、相手があのゼドロス商会の若旦那だろ?

 奪っちゃえば箔も付くし、初心で可愛い彼女も出来るし、

 一石二鳥だって考えるわけだよなぁ”馬鹿”だから」



だから、なんだそれ。

どんどん目が据わっていくセラの前で「嘆かわしい事にな」とマルコが肩をすぼめた。

しかも、その馬鹿はセラの優秀過ぎる護衛シロがいない

隙しか突けぬほどの腰抜けであるので、ため息しか出て来ない。



「んで、セラ嬢は否定してまわってるわけだろ?

 さっきのクリエルみたいにそれなりに身分も肩書も持つ

騎士からすりゃ”付き合ってる人がいるから”って断られる

以外にフラれる理由なんて思いつきやしないのさ。

 告白と同時に、色々自慢されただろ?」

「…はい…そういう事だったんですね…色々、謎が解けました」



告げられた好意に纏わりついていた違和感の正体はそれだったのか。

まさかそんな思惑があったとは…王都って怖いなぁ。

騎士様って言ってもやっぱり、リュグナード様や

王騎士の皆さんたちみたいな人ばっかりじゃないんだなぁ…知ってたけど。



マルコの話を聞いてセラは道理でと納得した。

一応「好きだ」と告げられたにも関わらず、ときめかなかったわけだと。

只管沸き出てきた疑問と戸惑い、

それらの根本にあった違和感の出所はそこだったのかと。

セラが一人死んだ魚の目をしながら納得していると、

不意にマルコがセラの後ろの方に見慣れた狼を見つけた。

目が合った途端、凄い勢いでこちらに駆けてくる彼に恐怖を覚えた

マルコは頬を引きつらせながら退却を選択する。



「おっ、セラ嬢専属の騎士が戻ってきたみたいだな。

 んじゃ俺はこれで失礼するよ。あー…嫌な思いはするだろうが、

 ちゃんとメシは食べないと体が持たないからな」



今朝食堂で見かけなかった事を思い出し、

マルコは早口で言いたい事だけ言ってさっさと逃げようとしたのだが、

思っていた以上にシロの足は速かった。

あっという間にセラの足元に戻ってきて、下から思いっきりガンを飛ばされる。

何だかチンピラとかヤンキーに理不尽に絡まれているような気になりながら、

頬を引きつらせたマルコは「や、やぁシロくんこんにちは」と挨拶をする。

狼相手に何してんだと思われかねない行動だが、

このヘル=ヴォルフの賢さは最早場内に広がっているため誰も馬鹿にはしない。

なのでシロを呼び捨てにしない、寧ろ出来ずにくんを付けて呼んでいるのである。

挨拶が功をなしたのか、誰だこの男と訝し気に睨んでいるが、

牙をむいて唸ったりはしないので、マルコはほっと胸を撫で下ろした。

「なんだったら、アルにでも詰め所まで運んでもらいな」と

言い残してマルコは去っていった。

遠ざかる背中にセラは

…なんかマルコさんって、お兄ちゃんみたい、と思いながら見送った。

その”お兄ちゃんみたいな彼”が角を曲がった途端に、

ひぃいぃぃい!!と内心で情けない声を上げる事など知りもせず、

彼女は心配そうに見上げてきた相棒の頭を撫で、くるりと背を向け歩き出した。

クリエルをフッた事でまた一つ変な噂が立つだろうなぁと

憂鬱な気持ちになりながらも、

その歩調と心は、先ほどまでよりはほんの少しだけ軽かった。

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