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55 噂とリボン

よし、大丈夫。平常心。

何があろうと仕事は仕事。

きっちりしっかり働こう。

姫様第一、王騎士セラちゃん出動します!



この胸の内を誰かに聞かれれば

何を馬鹿な事を言っているんだと呆れられるかもしれないが、

今のセラにとってはとても重要な事だった。

なんせ自室のドアを開けるという作業がこれほど

恐ろしく、困難だと思ったのはこれが初めての経験である。



許されるなら、仮病を使ってでも引きこもりたい。



けれどそれはそれで恐ろしいので、出来やしないのが本音である。

だって部屋にでも押しかけてこられたら、それこそ逃げ場がないのだから。

ドアの前でうだうだしている間にも、出勤時間は刻一刻と迫ってきている。

横目で時計を確認したセラは再度「よし」と気合を入れてから、

漸くドアノブに手を伸ばした。

彼女の足元では狼サイズのシロがやっとかと言わんばかりの顔でため息をついた。



…これは、想像していたよりも凄いわ…



眩い日差しが降り注ぐ廊下をセラはいつも通りの顔を意識しながら歩いていた。

心情としては膝と両手をつき所謂orzのポーズでの落ち込み状態なのだが、

そんな事を態々人に教える必要はない。

だから彼女はあえて笑顔を作る。

ひそひそとこちらを見ながら噂話をする人々に向けてにこりと笑顔を向けるのだ。

すると向こうは肩を揺らし、そそくさと逃げていく。

それを内心で勝った!と鼻を鳴らす、というそんな些細な事で

受けるダメージを減らしていたセラだが…



あ、駄目だこれ。

自分の性格の悪さに違う方向から妙なダメージ受ける…

それにかえって変な噂が立ちそう気が…



不自然に去っていく何人目かの後姿を見送って、

ふと冷静になったセラはスンとした顔で詰め所へと向かった。

人の噂も七十五日と心の中で唱え、向けられる視線を全て無視して。

そしてたどり着いた詰め所のドアの前で

セラはまたしても立ち尽くす羽目になった。

原因は、ドアの向こう側がいつになく喧しいからである。

漏れ出している会話で誰かを宥めているのが分かり、

セラはつうっと背中に冷や汗が流れたのを感じた。



…ものすごく回れ右してダッシュで部屋に帰りたい。

今なら自己新記録を出せそうな気がする。

タイムとか計った事ないけど…



それでも悲しいかな、逃げるわけにはいかない。

理由は先ほど述べた通りである。

つきそうになるため息を気合で飲み込んで、ドアを叩く。

途端にピタリと静かになった。

意を決してドアを開け「おはようございます」と恒例の挨拶を

述べる声は”いつも通り”に聞こえるように気を付けて。

ドアをくぐった途端に集中する多くの視線とその力強さには

思わず圧倒されたが、へらりと笑顔を返した。

廊下での遠巻きに噂している人々とは違い、

この場においては必要以上の力を入れた笑顔は意味をなさないためである。

聞いてくれるな、とオーラを出したところでどうせ無駄なのだ。

だから自分もその流れに乗るのが得策だとセラはそう判断した。


昨日キッパリと商売人とその客だと答えたのだ。

なので、昨日のヤールの行動は自分も

予想外だったと戸惑っている事を隠す必要はない。

だから別にじっとこちらを見つめてくる

アメジストから視線を逸らす事だって、不自然じゃないはずだ。

ただ逃げ腰になっているわけじゃない。

だって、別に、悪いことをしたわけじゃ、ないんだから。


そう思いながらも完全に尻尾をまいた犬の気分で

セラはこの部屋には聊か不似合いな人物と恐る恐る視線を合わせた。

けれど何を言っていいのかわからない。

でも、このままは辛すぎる…!



「おはようございます」

「…あぁ、おはよう」



結果、にこっと笑って挨拶する事にした。

妙に空けてしまった間が不自然ではあったが、それはエリオルも同じだった。

何か言いたげに視線を寄越すエリオルの顔はとても険しい。

まるでエルフの様な美しい顔立ちをしているだけに、

とてつもない迫力だった。美人程怒ると怖いものはない。

周りも固唾を飲んで見守っている。



「………、一つ聞くが、

 君のその髪に刺さっているのはペーパーナイフではないのかね?」

「えっ…あ、はい」



気まずい沈黙の後、重々しく口を開いたのはエリオルだった。

だが、その言葉と視線が思いもよらぬ場所へと向けられて

セラは戸惑いつつ、正直に頷く。

そして周囲の視線までもが自身の頭に集まり、何故そんなものをと語る。



「…お恥ずかしながら、今はこれしか手元になくて…」



セラは頬を染め、もごもごと口を動かした。

生憎愛用している髪紐はヤールの手元にあるのだ。

その上手持ちのアイテムの中に残念ながら髪紐に代わるものがなかった。

だから仕方がなく、昨夜と同じようにペーパーナイフを

簪代わりにして髪をまとめているのだ。

セラとしてはこれでも一応乙女の自覚はあるので、

昼休みにリボンでも買いに行こうかとは思っていたのだが。

ちなみに、ヤールのもとへ取りに行く勇気はまだない。



「なら、これを」

「え゛っ!?いや、あの、それは、」



視線を逸らし恥ずかしそうにしているセラを見て

エリオルは何を思ったのか、自分の髪を纏めているリボンを解いた。

背に広がるプラチナブロンドを彼は気にすることなく、

目を見開き固まっているセラへと差し出した。

セラが血相を変えて慌てて断ろうとしたが、

無常にも始業を告げる鐘の音が鳴り響いた。

その大きな音に遮られた彼女の纏まらない言葉は掻き消されてしまう。



「時間だ。私は会議があるのでこれで失礼する。

 いいかね、ペーパーナイフ(それ)は決して髪を纏めるものではない。

 君も年頃の女性(レディ)なのだから、もう少し嗜みというものを覚えたまえ」

「アッハイ。すみません」



唖然とするセラにエリオルは無理やりリボンを渡し、

言いたい事だけ言ってさっさと部屋を出て行ってしまう。

最後に、閉まりかけたドアをもう一度こじ開け、

”娘”への言わずにはいられなかったお説教を残して。

咄嗟に謝ったセラに彼はまだ何か言いたげではあるものの、

「分かればいい」と一つ頷いて、今度こそ去っていった。



「…エリオル様、セラちゃんには激甘じゃん…!」

「しっ!馬鹿アル黙ってろ!」

「だってぇ!さっきまでの態度と全然違う…!」

「言いたい事はわかるが、今は黙ってろ!!」



ポカンとした顔でドアを見ているセラの耳にそんなひそひそ話が届いた。

それが再起動のスイッチとなったのか今度は手の平の上にある、

深い色合いの紫のリボンを見て彼女はえぇー…と

また意識を遠くに飛ばしそうになる。

そんなセラの心情を察したのか



「ま、まあ、兎に角エリオル殿の言う通りだ」

「そうですよ。女性だけと言わず、身なりを整えるのは当然の嗜みです。

 遠慮せずに渡されたリボンをお使いなさい」



場の空気を換えようとしたのか、やたら大きな咳ばらいをして

ディルヴァがセラにソファを進めてくる。

そっと背に添えられた手の持ち主であるドラウンがそれに同調し、

優しい笑顔でセラに微笑みながらソファへと足を進めさせた。

セラは「いや、でも…!」と反論しようとするが、言葉が見つからない。

促されるままにソファに座り項垂れるセラに

他の騎士たちが見事なコンビネーションを発揮し、

ささっと鏡が用意され、櫛を握らされた彼女にもう逃げ道はなかった。



「………」



なんでこうなった…!と思いながら

目の前に置かれた鏡を見ると自分と目が合った。

物の見事に死んだ魚の様な目をしていて、頬が引きつる。

周りの急かしてくる無言の圧力に逆らう気すら起きず、

セラはそっとペーパーナイフを引き抜ぬいた。


首の付け根辺りで結んでいたエリオルとは違い、

高い位置から長い髪が支えを失い、流れ落ちる。

ぱさりと流れるその動きにセラ以外の視線が釘付けになった。

気付かないセラは櫛を通し、慣れた手つきで髪を纏め上げる。

一度は黒に隠された白い項が顔を覗かせ、彼らはサッと視線を逸らした。

中には顔ごと逸らし口を覆うもの、体ごと後ろを向いた者もいる。


別に普段から見慣れているはずの項だというのに、

何故こうも女性が身支度をする仕草は色目かしいのだろうか。


彼らは内心で戸惑い、項垂れた。

いつものポニーテールを作り上げたセラが

そんな彼らの不自然な行動に一人、首をかしげている。

ソファの足元ではシロが馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻を鳴らした。

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