49 仲良し
剣騎士たちに両側をがちりと拘束され連れて来られたその男を
見た途端セラが思わずといった風に勢いよく立ち上がった。
反動で倒れた椅子が大きな音を立てたが、
彼女は気にする事なくヤールを拘束している騎士たちを睨んだ。
「今すぐその手を離して」
「「は?」」
苛立ちを隠す事なく乗せた声に騎士たちは
それまで浮かべていた誇らしげな顔を戸惑いへと変化させる。
次いで不快感をあらわにセラを睨み返した。
この場でなければ恐らく罵倒が飛んできただろうなと想像に
難しくない、その表情を前にしてもセラは怯む事なく「早く」と急かす。
けれど当たり前の事だが、一応王騎士ではあるが何の権限も持たない
セラの言葉を彼らが素直に聞くはずもなく、両者の間で火花が散った。
拉致が明かないとセラが一歩を踏み出しかけたその時、
「彼女の言う通り、今すぐ彼を解放したまえ」
「えっ」
「何だね?」
「い、いいえ!」
エリオルが援護に出た。
てっきり褒めてもらえると思っていたのだろう
騎士たちは冷めた声とその言葉に動揺を隠せない。
けれど宰相様の命令に応えないわけにはいかず、
折角捕まえた”大罪人”の縄をしぶしぶ解いた。
その最中に用が済んだならさっさと出て行け、
そんな言葉が聞こえてきそうな部屋の雰囲気に気づき
彼らは青ざめた顔でそそくさと退出した。
扉の閉まる音を聞き届けて、
セラは縛られていた手首をさすっているヤールへと近づく。
気付いたヤールは口元だけで小さな笑みを返した。
あちらこちらに傷や泥を付けたボロボロ姿だというのに
相変わらず飄々とした態度を崩さない男である。
状況を理解できない程馬鹿な男ではないというのに、
女王陛下やこの国の中枢を担うお偉いさんたちを前にしても
ヤールは”いつも通り”な態度を貫くつもりのようだ。
「…少し見ない間に随分と男前になったわね」
「まぁな、惚れ直したやろ?」
呆れを滲ませたセラの嫌味にもヤールは
ただでさえ細い目を細めて悪戯がバレた子供の様な顔で笑う。
何故か自慢げな様子にセラは首を傾げた。
背を向けているため、背後でぐっと下がった空気に気づかずに。
笑った事で傷が痛んだのか「いっ」小さく漏れた声に
「馬鹿」と返しながらセラが軽く背伸びをしながら右手を伸ばす。
彼女の意図に気づいたヤールはくすぐったそうに笑って、腰を折った。
近づいた距離に踵を地面に戻した
セラの右手が腫れた頬に優しく添えられる。
じとりと見上げてくるアメジストに無茶な悪戯を
叱られているような気がして彼はそろりと視線を逃がした。
まるで大きな子供の様な人だとセラはそんなヤールを見て思う。
頬を包む心地よい体温と耳障りの良い歌声。
息を飲むような音と身を刺すような視線の数々に
内心で優越感を覚えながらヤールはうっとりと目を閉じた。
紡がれる歌は途切れる事なく、暖かな手の平が次々と傷を癒していく。
「いやぁいつ見ても見事なもんやなぁお嬢。ほんまおおきに」
見える範囲の治療を終えたセラに
ヤールが傷があった場所を撫でながら礼を告げる。
けれども何故か一歩下がったセラはそれに頷きだけを返し、
頭の天辺から爪先まで視線を落としていく。
その間も続く歌声にヤールが小首をかしげると、セラが暴挙に出た。
「うぉっ!?」
「セラ嬢!?」
突然ヤールのシャツをめくり上げたのである。
思いもよらぬ彼女の行動に会議室は騒めいた。
ヤールも盛大に肩を跳ねさせ、咄嗟に細い手首を掴んで制止させた。
突然何て事するんや!?と非難を込めて見下ろすと、
ギロリとアメジストが睨み上げてきた。完全に目が据わっている。
小さな唇からは相変わらず美しいメロディが紡がれているといのに、
「あ゛ぁ?」だとか「あ゛ん?」とか言うガラの悪い幻聴が聞こえた
気がしてヤールはおずおずと掴んでいた手を離した。
途端にピタリと脇腹に触れられ彼は小さく体を
揺らしてから静かに項垂れた。
拘束が解けたので遠慮なく胸元までシャツを捲りあげた
セラに彼女の背後で息を飲む声がいくつも上がる。
変色した部分をぺちぺちと軽く叩いて責められ
「…すまんて…」
ヤールは気まずそうに頭をかいた。
それから暫く視線を天井あたりでうろつかせ、
じろりと見上げてくるアメジストに根負けして頭を垂れて謝った。
小さな謝罪に満足したセラは一つ大きく頷き、掌に魔力を集中させる。
すっかり熱を持っているその場所を労わるように撫でながら
よくもまぁ平気な顔をしていられたものだと呆れを隠すことなく。
居た堪れないヤールはと言うとビシバシと飛んでくる
視線から赤くなった顔を必死で逸らしている。
願いが聞き届けられるのなら体ごと後ろを向きたい所だが、
少しでも身じろぎをすれば動くな大人しくしていろと
アメジストが睨み上げてくるので只管耐えるしかなかった。
肌の色が元通りになるとセラはくるりとヤールの
背後に周り今度は背中側のシャツを捲り上げる。
「ちょ、お嬢!?もうあらへんて!勘弁してぇや!」
すぐさまヤールから悲鳴染みた言葉が飛び、
背中には古傷しかない事を確認した彼女は漸く歌うのをやめた。
そして非難を込めて少し力を入れてべちりと背中を叩く。
「勘弁とは失礼な。
ちゃんと言わないヤールが悪いんでしょうが」
「そうかもしれんけども…!」
「大体女の子がいきなりあんな事したらアカン…!」
「だから、ヤールが隠さなきゃしなかったわよ」
ムッとした顔で文句を言うセラにヤールは手で顔を覆い、
ぐるぐると腹の中で暴れまわる感情に
お手上げだと言わんばかりに天を仰ぐ。
隠しきれない赤い耳にセラは気づく事なく
「なんで重症の方を黙ってようとするかな」と
ぶつぶつ文句を言っている。その事にヤールはキッと
鋭い視線をセラへと落とし、「破廉恥や!」と吠えた。
赤く染まった目尻にキラリと光るものが見えて
セラは思わず真顔で「乙女かな」と切り返した。
「ちゃうわど阿呆!乙女なんはお嬢のハズやろ!?
年頃の娘さんなんやから、ちょっとくらい
照れなアカンとこやで!?」
「傷の手当で一体何に照れればいいのよ…
あのね、割れた腹筋くらい自慢にはならないのよ?」
「何処見とんねん!別にそんなん自慢にしとらんわ、って
そう言う事ちゃうねん!もっとこう…なんちゅーか、
恥じらいっちゅうもんを持たな…!!」
「えぇ?乙女だって何時でも何処でも
恥じらってばかりで生きていけるわけないでしょ。
可憐で可愛い女の子だって時と場合によるわよ」
「つまりワイの裸は照れるに値せんと…!?」
「だから傷の手当をしただけでしょうが。
ちょっとシャツを捲ったくらいで
男がギャーギャーと騒ぐんじゃない!」
キャンキャン吠えるヤールと呆れながらも応戦するセラの
テンポの速いやり取りに部屋にいる面々は一瞬呆気にとられ、
次いでじわじわと込み上げてくる笑いを必死に噛み殺した。
ある者は真顔で唇を噛み、またある者は俯き自らの脇腹を抓り、
震えながら耐えるその可笑しな光景と徐々に温度を下げている
雰囲気に2人は気づく事なく漫才の様な会話を続けている。
「…セラ。今の行いは彼の言う通り、
年頃の女性として聊か不適切だったように思う。
以後気を付けなさい」
「…はい。すみません…」
ごほんとワザとらしい大きな咳払いに2人は現状を思い出した。
ゆっくりと振り向いたセラに彼女の顔には
まずい、忘れてたとしっかり書いてあり、
エリオルは一つため息を付く。
気持ちを落ち着かせるようにあえてゆっくりを意識して、
言いたい事は沢山あったがとりあえず
一番気になった事への注意だけに留まった。
許されるのなら、今すぐにでも引きはがしたいが、
出来ないのだからもどかしくてならない。
話しには聞いていたが、思っていた以上に2人の親し気な様子に
途中からエリオルの機嫌が急降下していた。
リュグナードとアルフェリアも今朝見た時よりも更に親し気な
2人のやり取りに、もやもやした何かが胸に住み着いたのを感じ
眉をひそめている。
「ヤールと言ったかね?
話があるので、2人とも席に付きたまえ」
セラは父の美しいがとてつもない
圧を感じる笑顔に素直に首を縦に振り、慌てて椅子に座る。
ヤールはヤールでセラよりも濃い色のアメジストが自分に向けられる
視線がこの場の誰よりも鋭い事に内心で小首を傾げ、
真意を図ろうと元々細い目を更に細めじっと視線を見つめ返す。
エリオルの凍てついた瞳を前にすると
大抵は蛇に睨まれた蛙の様に竦み上がるものだ。
だがヤールはというと流石セラと
仲がいいだけあって妙な所で心が強い。
怖気づく様子もなく真っすぐ見つめ返してくる男に
出会うのは久々だな、とエリオルは内心で少しだけ彼の株を上げた。
突っ立ったままのヤールに気づくと彼女はそろりと手を伸ばし、
彼の袖をちょんちょんと引っ張り着席を促す。
見下ろしてきた糸目に「座って」と小声で急かせば
彼は一度大きくため息を付いて、疲れたように肩を落とした。
そしていつの間にかセラの隣に追加されていた椅子にどかりと腰を下ろす。
「シロ?」
「おぉ…シロやん、おったんか…いや、そりゃおるわなぁ…」
太々しい態度のヤールの膝にシロが飛び乗った。
セラにしか友好的な態度を取らないシロの意外な行動に目を丸くする一同。
一方でセラは苦笑い、ヤールは頬を引きつらせた。
シロがぱかりと小さな口を開いたかと思うと、
勢いよくヤールの腕に噛みつく。
「…痛い痛い、シロやん、痛いて。
相変わらずの焼きもちやきさんやなぁ…ぅぐ…!?
ワイがすまんかった、ちょ、ほんまそれ以上はアカン!」
あぐあぐと腕を噛むシロにヤールが遠慮がちに訴える。
途端にギロリと金色の目に睨まれて、
彼は眉を下げて「すまんて」と謝った。
歯型がバッチリつきはするものの、
血が出る事はないので2人はいつもの事だと特別慌てる事はない。
が、ヤールの言葉が気に入らなかったのか
今日はいつもより力が入ったようだ。
身悶えるヤールから「今度シロやんの好物持ってくるから!」と
ちゃっかりご機嫌取りの言葉を引き出し、シロは漸く口を離した。
今日も今日とて綺麗についた歯型にヤールはため息を付き、
セラは満足げな顔をして膝の上に戻ってきた
シロを苦笑いを浮かべて背を撫でた。