38 肩書と混乱
「ふーん?まさかとは思うたけど、あの噂はホントやったんやぁ」
フリーズしているセラにそんな言葉を投げかけてきたのはヤールだった。
どうやらシロの準備が終わったらしく、呼びに来たようだ。
我に返ったセラがパッと手を引き抜き
にこにこしているアルフェリアからそそくさと距離を取った。
「噂?」
「お嬢、騎士になったんやって?」
赤い頬と気まずい雰囲気を誤魔化すように視線を
ヤールへと移したセラは彼の問いに「ええ」と素直に頷いた。
「へー、ほーん?」すぐさまそんな妙な返事が返され、
「何か言いたげね?」と彼女は片方の眉を上げて問いかける。
ヤールはそれに「まぁな」と頷き、じっとその細い目でセラを見つめた。
「坊ちゃんやあのお二人が知ったら、えらい血相変えるんと違う?」
「どうかしら?私の人生よ、私が選んだ事なら口を挟んではこないと思うわ」
この騎士だらけの場所で、なおかつセラの隣に立つ男が誰なのかを
知りながらも臆する事なくそう言い放ったヤールにセラは
呆れたようにため息をつきながらそう返事を返す。
アルフェリアはというとムッとした騎士たちを
まあまあと宥めながら2人を興味深そうに眺めている。
アルフェリアが知るセラはいつも笑顔で楽しそうな印象が強いため、
こうして誰かと言い合う姿が新鮮であり、
そして彼女の事をもっとよく知るいい機会だと彼は思っていた。
「へーえ?」
「…貴方は随分と気に入らないみたいね?」
「そう見えんの?」
「えぇ」
「そういうお嬢もえらい機嫌悪そうやなぁ?」
「当たり前でしょ?たかが騎士になったくらいで、
そんな態度を取られたんじゃ感じが悪いわ。
私が私である事に変わりはないのに」
「ははっ、そうであって欲しいとワイも思うとるよ」
言外に今後はどうなるかわからん、と
そう告げられセラは眉を寄せてヤールを睨んだ。
不機嫌な色を隠しもしないアメジストを彼は元々細い目を
更に細め、口元だけで笑みを返す。
細い目元から除く明るいグレーの瞳は見慣れているはずなのに、
いつもよりもずっと冷たく見えてセラは気圧されそうになるのをぐっと耐えた。
30秒程の無言の睨み合いをした後、セラが口を開いたのを
遮るように「ほな」とヤールが先手を打つ。
その短いたった2文字の言葉には明らかな拒絶の色が乗っていて、
彼女はしぶしぶ口を閉じた。
「シロやんの準備も終わっとるし、そろそろワイは行くわ」
それでも不満そうに睨んでくる
アメジストに彼はそう言ってくるりと背を向けた。
途端に今までスッと伸びていた背が丸くなり、
両手をポケットにいれたその後ろ姿はだらしがない印象を受ける。
「さいなら」
「…ヤール!」
振り向く事も、片手を上げる事もせずに
去っていこうとした背中にセラは声を張り上げた。
チラリと肩越しに向けられた「んー?」鋭い視線に彼女はにこりと笑顔を返す。
「お礼をまだ言ってなかったわ。ありがとう。またね」
「…ほんま、お嬢は敵わんなぁ…どういたしまして」
感謝の言葉だけでなく、そっけない態度を取ったというのに
これまでと同じ態度でバイバイと手を振る彼女にヤールは一瞬ポカンとした。
そしてやれやれと首を振り降参を示すようにひょいっと肩をすくめてから
一度ひらりと手を振って今度こそ、自分の仲間たちがいる列へと戻っていった。
そのひょろい猫背をアメジストと、垂れた深緑のエメラルドは
何か考える所があるのか、思案するようにじっと見送った。
「…お待たせしました。用意が完了しました」
「ありがとうございます」
「ご苦労さま」
そこへ彼ら曰く”ゴミ”を荷馬車に積み終えた騎士の報告が入り、
料金を支払ってから2人はシロが引く馬車へと足を進めた。
「シロ、お願いね」
「わふん!」
「…シロくんのハイスペックぶりにはいつも驚かされるなぁ」
「ええ、自慢の相棒です」
荷馬車を引くのに適切な大きさになっているシロの頭を撫でる
セラの隣でアルフェリアが関心を通り越して若干呆れ気味に
そう言うと彼女はにこりと笑みを浮かべて頷いた。
それからシロを連れて門を潜ると、四方からどよめきの声が上がり
2人は苦笑いを交わしてから「お騒がせしました」「もう大丈夫だよ」と
恐る恐るシロを見やる人々に声を掛けながらその中を歩いた。
「…ありがとうシロ、助かったよ。
先にシロのお昼ご飯作っちゃおうか」
「わん!!」
灰兎亭に戻ってきたセラは手伝ってくれる
アルフェリアと共に荷物を店の中に運びながらそうシロに声をかけた。
途端にいつもの見慣れた狼サイズに戻り、ぶんぶんと尻尾を振る
相棒の頭を撫でてセラは荷物の中から
シロの大好物アイレ=ストルッツォの肉を取り出した。
アイレ=ストルッツォの肉の中で一番大きな
その塊に思わずアルフェリアの視線が釘付けになる。
…あれだけで一体いくらの値が付くんだろう…?
ふと彼の脳裏に浮かんだのはそんな疑問だ。
アルフェリアも祝い事の席でアイレ=ストルッツォを食べた事はあるが
皿に乗っていたのはあの塊の何十分の一程度の大きさだった事を彼は覚えている。
なんせたったの3口で食べ終えてしまったのだから。
あの時はまだアイレ=ストルッツォの価値を知らなかった。
ただ、ものすごく美味しいという事だけは幼い舌でもわかり、
「もっと食べたい」と両親に強請った時にそのたった3口の量ですら
驚くほどの金額だった事を聞いてもっと良く味わって食べればよかった、と
後悔したのも懐かしい記憶である。
あれからアルフェリアがそのアイレ=ストルッツォを
口にする事が出来た回数はたったの4回だけである。
だが、人生で1度も味わう事なく亡くなる人の
方が圧倒的に多いので、4回も食べた事があるという時点で
ベルセリオス家がどういう家なのかがすぐにわかる事だろう。
「では、少しの間キッチンをお借りしますね」
「は、はい、どうぞ…」
元々借りる手はずになっていたのだろう、
恐縮している店主にその場を譲ってもらい手を洗った
セラは自分の鞄から長い鉄の串を大きな塊に突き刺していく。
コンロの火をつけ炙るとすぐさま香ばしい匂いが部屋を支配した。
その場にいた誰もがすんと鼻を鳴らし、ついでごくりと唾を飲み込んだ。
キッチンには入れないのでカウンターからのぞき込んでいるシロは
勢いよく尻尾を振り、しきりに舌なめずりをしていた。
「このくらいでいいかな?」
「わん!」
5分くらい炙ったところでセラは火を止めた。
そして串をシロに近づけると匂いを嗅いで確認した彼から
OKが出たので串から外した肉を乗せた皿を持ってキッチンを出る。
お座りをして待っているシロの前にお皿を置いてやると物凄い勢いで齧りついた。
前足で押さえ、豪快に肉を引き裂く。
とてつもなく野性味のあふれるワイルドな食事風景。
ただでさえ超高級な肉であるというのに、
ひと手間加えられたものを当たり前のように食べるモンスターの
舌はひょっとしたら俺よりも肥えているのかもしれない、とアルフェリアはそう思った。
「セラちゃん、先に荷物の確認をしたらどう?
私たちが口を出す事じゃないけれど、随分と雑な様だし…」
「いいんですか?助かります…!
お肉が両面こんがり焼けたら、このタレをかけてくださいね」
「わかったわ」
一緒に昼食を作る約束をしていたセレスたちの言葉に甘え、
セラはテーブルに並べられた”荷物”たちを見下ろした。
スッと半目になったアメジストにアルフェリアが申し訳なさそうにしている。
セラに荷物を渡した後で処理しなおすつもりだったのだろう、
”ゴミ”に随分と肉が残っていた。
「セラちゃん、上手いね…」
「まあ、普段は自分でやりますからね」
持ってきたナイフで綺麗に削いでいく
セラの手際の良さにアルフェリアが感心したような声を上げれば
彼女は手を止めることなく至極当然と頷いた。
大きな肋骨に残っている肉を削いでいるセラを眺めながら
アルフェリアはふと疑問に思う。
「…セラちゃんは普段から、こういうのを食べてたんだよね?」
「はい。…あ、それ以上は駄目ですよ、
ルドルファス様たちに言いつけますからね」
「えっ?…違うよ!?違うからね!?」
肉と素材を分けていくセラに浮かんだ疑問をぶつけると、
彼女は素直に頷いた後、ふと何かに気づいたようにアルフェリアを振り返った。
じとりと非難の色を宿して見つめてくるアメジストにアルフェリアは
慌てて首を横に振り、否定する。
その焦りっぷりに思わず噴き出したセラに彼は取り乱した事を
恥じる様に薄っすらとその頬を染め「あの人たちセラちゃんには
甘々だけど、本当に俺たちには容赦ないんだからね…!」と言い訳をした。
以前そのスレンダーな体系に対してうっかり素直な発言をしてしまったのを、
どうやら根に持っているらしいセラに彼はへらりと誤魔化し笑いを浮かべて
「そうじゃなくてね、」とやや口早にそう言って本題へと軌道修正する。
「…えっと、それにしては…あ、悪い意味じゃないよ?
ただなんか、随分質素な感じだよね?って事が言いたくて…」
「あぁ、そっちですか」
しどろもどろに言葉を選びつつそう言った
アルフェリアにセラは納得したように頷いた。
作業を再開した彼女に気分を害した様子は見られず、
彼はほっと胸を撫で下ろし改めて彼女を眺める。
印象として先ほど言った通り、贅沢をしている感は全くない。
よくよく見れば愛用されているベストもブーツも良い品である事が分かるが、
如何せん良く使い込まれているため、パッと見では気付かない。
だが、それだけだ。
年頃の少女たちがこぞって欲しがる、アクセサリーなどの
装飾品が首元にも耳たぶにも一切存在しないのだから。
ただ一つ左手首にはブレスレットが存在するが、
おしゃれでつけているわけではない、というのは
黒い皮で編み込まれている魔法石が主張していた。
アルフェリアはそんな質素な恰好をしているセラを
単純に旅暮らしでお金がないからだと思っていた。
けれど、現状を見るとそうでない事はすぐにわかった。
だからこそ、不思議に思う。
「そうですねぇ、意外と私、
お金に困ったりはした事ないんですよね、シロのお陰で。
でも宵越しの金は持たない主義っていうとアレですけど、
必要以上の物やお金は持たないようにしてるんで」
セラの答えはアルフェリアには理解出来なかった。
そんな考えを持つ人に出会った事がなかったというのもあるし、
何より大前提としてお金は貯めるものであり、いくらベルセリオス家の
長男であっても無駄遣いはしないようにと躾けられてきたからだ。
それなのに、ただの旅人であるセラはお金を貯めないのだと言うのだから。
「なんで?」心底理解できないといった様子のアルフェリアに
顔を上げたセラはひょいと肩をすぼめて苦笑いを浮かべた。
「だってお金って重いしかさ張るんですよ?
旅をするのに邪魔になるったらありゃしない」
「邪魔って…」
開いた口が塞がらない、とはこの事かとアルフェリアは思った。
まさかそんな理由で。
しかもお金を邪魔なんて言う人がいるとは思いもしなかったと。
頬を引きつらせる彼にセラはまあ普通はそうだろうなと思いつつも
考えを改める気は一切湧かない自分に気づき、心の中で苦笑いを浮かべた。
脳裏に浮かぶのは、逞しい背中が2つ。
いつだって彼女の理想で、追いかけつづけている
彼らのその背に彼女はふ、と一つ笑みを零して、
「お金の大切さはわかってますよ?
でも、私は旅人ですからね。
あの世に持っていけないものを態々持ち歩く程、
この世界に未練がないわけじゃないので」
そう言い切ったセラにアルフェリアの視線は
縫い付けられたように彼女を見つめたまま微動だにしない。
理解できない気持ちは未だに脳裏で主張しているのに、
片隅に生まれてしまった奇妙な納得が彼の口を閉ざしたままにしていた。
彼女にとってお金よりも大事なもの。
当たり前すぎて意識しない”それ”を一番だと言い切ったセラに
アルフェリアの心臓は何故かドキリと大きく音を立てた。
「…旅人って、みんなそうなの?」
「さぁどうでしょうね?」
乾きを訴える口をどうにか動かしてそう問いかけたアルフェリアに
セラは苦笑いを浮かべて答え「ただ、」柔らかな微笑みを浮かべて
こう答えた。
「私が目指している人生の先輩たちは、そういう人なので」
「へぇ…凄い人たちがいるんだね…」
口元に緩い笑みを乗せ、視線は手元に落ちたままだが、
その美しいアメジストには”目指している人たち”が浮かんでいるのだろうと
すぐに気付く程にその視線は暖かく、それでいて強い憧れの感情が見て取れた。
そんなセラを見てアルフェリアは酷い焦りが湧き出てくるのを感じた。
だから咄嗟に、手が伸びる。
触れた先は彼女の黒髪だった。
驚きから丸く見開かれた、
美しいアメジストに彼はそっと微笑んで。
「でも、勿体ないよ。
こんなに綺麗で可愛いのに、おしゃれの一つもしないなんて」
艶やかな毛先に口づけを落とすと、セラは真っ赤になった。
はくはくと口を開け閉めする初めて見せたセラの動揺に思わず
口元を緩めるとそれを見咎めたアメジストが涙目で睨んでくる。
大丈夫、ちゃんと手の届く場所にいる。
アルフェリアはそう、先ほど突然湧き上がった焦躁にそう言い聞かせた。
捕まえてなきゃ。漠然とではあるが、そんな感情が脳裏を占めた結果が、
先ほどの行動だった。
何故そんな事を思ったのかは自分でもわからない。
けれど、セラが何処か手の届かない場所へ
行ってしまうような気がして仕方がない。
それはいけない事だ。
エリオル様やヴェールヴァルドのご家族が悲しむ。
ソフィ様も姫様も、顔には出さないだろうがリュー兄も寂しがるだろう。
彼女をこの場に留めておくためにはどうしたらいいのだろうかと
アルフェリアは勢いよく立ち上がり、
自分で削いだ肉を持ってキッチンへと駆けていく細い背中を見送った。
もっと、セラちゃんの事が知りたい。
理解したい。
そうすれば、無理やり彼女を留めているこの現状ではなく、
彼女が自らここにいる事を望んでくれるんじゃないかとアルフェリアは思った。
そして、セラにここにいて欲しいと思っている自分に気づき、
彼は昼食が出来上がるまで混乱の境地で立ち尽くす事になった。