31 11日目の変化
翌日。
いつも通りの時間に「おはようございまーす」と挨拶しながら
詰め所に顔を出したセラはドアを開けて早々、パタンと閉じた。
私は何も見なかった、と心で呟いて「ちょ、閉めやがった!」
「セラ嬢!?」等とドアから漏れだしている声を無視して、
スンとした顔で何事もなかったかのように踵を返そうとしたのだけれど。
振り返った所で「み゛っ!?」ぼすんとした衝撃。
痛む鼻を押さえてて顔を上げればそこには
見慣れてきた上司のにこやかな笑顔。
「…おはようございます、ドラウン様」
「はい、おはようございますセラ嬢」
穏やかで優しい顔立ちをしているのに
何故か圧を感じる笑顔を前にしてセラはしら~っと視線を泳がせた。
如何にか逃げ出したいという気持ちからか
引け越しになる彼女の腰にさり気無くその長い腕を回し
「皆さまお待ちかねのセラ嬢ですよぉ」なんて言葉と共にドアを潜る。
途端に飛んでくる二人に対しての朝の挨拶と、
セラへ向けての文句に彼女は誤魔化すように
へらりと笑み浮かべて「すみません、つい」と謝った。
何故つい、なのかと言うと
いくらイケメンでも朝から暑苦しいのは無理。
という本音を流石に告げる事が出来ないからである。
”言葉にしなければ伝わらないのだから、思うだけは自由”と
セラは一人視線を逸らした。
それくらい今朝の詰め所は暑苦しかった。
なんせ、まだ8時だと言うにも関わらず、
何故か彼らのテンションがとても高いのだ。
大柄の男たちにドアを開けた瞬間に、まるで飼い主の帰宅を
待ちわびていた犬の様に顔を輝かせ詰め寄ってこられては、
強面の知り合いが多いセラでも流石に怖い。
口々に「よくやった」だの「流石セラ嬢」だのと褒められ
肩や背を軽く叩かれ、頭を撫でられるのだが
彼らのそのハイテンションに彼女だけがついていけていない。
「はぁ、どうも」と若干引き気味に返事を返しているセラに
最初に賛辞を述べてから、少し離れた場所で眺めていたユリウスが
苦笑いを浮かべて理由を教えてくれた。
ユリウス曰く、昨日の出来事に彼らはとても感動したらしい。
よくぞ陛下と姫様の溝を埋めてくれた!と湧き上がる気持ちを
伝えたくてセラが戻ってくるのを、そわそわしながら待っていたのだが。
彼女はあの後、ソフィーリアとシャーロットと共に
フェリクスが参加している会議室に乱入し、あっさりと和解させ、
定時を告げる鐘が鳴ったので「では、後はご兄弟で」と
爽やかな笑みを残してそのまま部屋に戻った。
従って肩透かしを食らった彼らの遣る瀬無さが今爆発した、という事らしい。
なるほど、それは悪いことをした、と
ユリウスの説明を聞いてセラはほんの少し申し訳なくなった。
忙しいリュグナードまでもが書類を持ってきて、
一緒に待っていたと聞いて後で謝りに行こうと心に決めた。
引継ぎを兼ねた朝礼の後、見慣れたドアの前でセラは襟をただした。
すぅはぁと一つ深呼吸をして、足元にいるシロににこりと笑ってから
彼女はそのまま無理のない笑みを浮かべてドアを開く。
「姫様、おはようございます」
「おはよう」
部屋に入り、毎日欠かさず告げてきた挨拶を口にすれば
何処となく気恥ずかしそうにしながらも、ちゃんと返事が返ってきた。
嬉しくて思わずにこにこしながら彼女を見ていれば、
おずおずと視線が合い、控えめな微笑みが返される。
その愛らしい笑みにセラはだらしなく
緩みそうになる頬を押さえるのに必死だった。
姫様、超!可愛い!!
やだもうっ、陛下の無茶振り受けてよかった!!
可愛いは正義!!これ、本当に真理!!言い出した人素晴らしい!!
許されるのなら、抱きしめたいっ!
ぎゅーって、ぎゅーってして、頬ずりしたいぃいい!!
内心では、未だかつてない程激しくハートが舞い踊っている。
自身はロリコンではないと主張しているが、
可愛い美少女が嫌いな人などいるものかと言い切る彼女である。
ぶっちゃけていうと、シャーロットは彼女の好みドストライクだった。
そんな彼女の内心など誰もわからないので、
11日目にして漸く、距離が縮まった二人の様子に
部屋にいたメイドやドラウンが感動し、ほっと胸を撫で下ろしていた。
*
そして現在。
何故かセラはシャーロットではなく、ソフィーリアの自室に招かれていた。
座り心地の良いソファに腰を下ろし、いつも通りの笑顔を浮かべながらも
内心ではどうしてこうなったと冷や汗が止まらない。
テーブルの上には湯気を立てる香りのよい紅茶と、
本日のおやつであるロールケーキが用意されていた。
それらを前にセラは持っていたナイフで、しょりしょりと林檎をむいている。
元々果物が好きなのと、甘い物続きでげんなりしていた騎士さまたちへの
口直しの差し入れのつもりで、休憩時間に買ってきたのがいけなかったのか。
城へ戻るやいなや、セラを探していたらしいアルフェリアに捕まり
この部屋へと押し込まれ、林檎を持ったままだったので
何故か一緒に頂く流れになってしまった。
いや、確かにいつか同じテーブルに着かせてやるとは思ってたけど…!
まさか私までその席に着く事になるとは思いもしなかった…!
と、同じテーブルに着くソフィーリア、フェリクスを前に、
そして隣にはシャーロットという構図に彼女は内心の
居心地の悪さを悟られぬまいと、兎に角笑顔に気を付けていた。
同じ部屋で待機している同僚たちから寄こされる
やたら微笑まし気な視線が居心地の悪さに拍車をかけている。
っていうか、何だこの沈黙。
折角仲直りしたんだから、もっとこう…
和気藹々と会話してもいいんじゃないのか。
…私か?私がいるからか?
王子も姫様と和解したとは言え、
そりゃあ嫌いな私がいれば話し辛いだろう。
よし、さっさと林檎だけ置いてとんずらしよう。
「…?どうかなさいました?」
最後の一欠けらを皿に置き、どうやって切り抜けようかと顔を上げると
何故か3対の瞳に林檎の入った皿を凝視されている事に気づいた。
セラが何か可笑しな所があるだろうか、と一度林檎に目を落とし
いつも子供たちに大人気な”ウサギ”を確認して我ながら上出来と
一人満足しながら、ふと沸いた疑問を口にする。
ちなみに足元から聞こえるバリバリという豪快な音は
シロが器用に前足で林檎を押さえ皮も種も気にせず齧りついている音だ。
「…林檎ウサギを見るの、初めてです?」
「それは”林檎ウサギ”というのか?」
「初めて見たわ」
「随分と器用なんだな」
「えぇと、私が勝手にそう呼んでるだけで、正式名称は知りませんけど…」
食いつきのいい3人に気を良くしたセラがひょいと一つを
摘まみ上げ「可愛いでしょう?」と笑みを見せればすぐさま
「ああ」「ええ」と姉妹から賛同の声が上がり、
キラキラした目を向けられる。
控えている騎士様たちが口元を押さえていたり、
視線を逸らして震えてたりしてるけど一体なんなんです?と、
手を拭き、紅茶を口に運びながら不審な動きをしている騎士たちを
アメジストが不思議そうに見つめる。
それに気づいた彼らはごほんと咳払いをして
”何でもない”と手でジェスチャーを送ってきた。
「どうやって食べるんだ?」
「え?このまま、皮の部分を持って普通にパクリと…
あ、手掴みはマナー違反ですよね?
じゃあフォークで、グサリと…
ってそんな悲しそうな顔しなくても!普通に林檎ですよ!?
あぁもう、ウサギに切った私が悪いですね!?」
フェリクスの問いかけに一瞬こいつ何言ってるんだ?と
思ったセラだが相手が王族である事を
思い出し誤魔化すように笑顔を浮かべる。
ロールケーキ用に置いてあったフォークを見つけたのでそのまま
口に出せば、何故かソフィーリアとシャーロットにぎょっとされた。
そして何処か悲し気にしょんぼりと
林檎を見つめるのでセラはどうすりゃいいの!?焦る。
「食べるのが勿体ないわ」
「いえ、早めに食べなきゃどんどん黄ばみますよ?」
「「「!?」」」
「えっ、私何か間違ってます!?」
「林檎って変色するのか?」
「見た事ないけど…?」
「ええと、それは恐らく厨房の方々がひと手間かけてるからでは…?
林檎はレモン水に少しつけておくと変色するのを防げますし」
「そうなのか」
「知らなかったわ…」
なんだこの王族の質問攻めは…!
突然饒舌になった3人にセラは目をパチクリさせながら質問に答えていく。
まさか林檎一つでここまで場が盛り上がるとは予想外だったが、
まあいいかと彼女はへらりと笑って手に持ったままの
林檎をどうしようかと頭を悩ませている。
いい加減食べたいんですけど、と。
「ところで、民は皆林檎をこうして食べるのか?」
「えっ、どうでしょう…?
小さいお子さんのいるお家では多いんじゃないかと…?
ただ私は誰かと食べる時にこう切るとウケがいいので、
癖がついたと言うか…話しのきっかけ作りにも意外と重宝するんですよ」
「…なるほど」
ソフィーリアが納得したように頷き、手を伸ばした。
可愛いウサギ型の林檎をまじまじと見つめ、そのままパクリと口に入れる。
思わず「あ」と声を出したフェリクスに彼女はチラリと
流した視線に悪戯っ子の色を乗せて「美味しいぞ」と笑った。
そんな彼女を見てシャーロットが続き、最後に苦笑いを浮かべた
フェリクスが林檎を手に取ったのを確認して漸くセラも口を付ける。
前世の林檎よりは酸味が強いが、これはこれで甘酸っぱくて美味しい。
「セラちゃんってさ、この林檎といい
差し入れのメッセージといい、意外と可愛いものが好きなの?」
「えーっと、まあ。それに、ああいうのは子供受けがいいですし」
何処か満足げに林檎を齧っているセラに声をかけたのは
ソフィーリアの近くで控えていたアルフェリアだ。
すぐさまロベルトから鋭い視線が飛ぶが、彼は特に気にした様子も見せず
深緑の瞳に浮かぶ好奇心を隠しもしないでセラを見つめる。
目が合うとただでさえ垂れている目尻が優しく下がるのだから、
やめて欲しいとセラは心底そう思った。
色気溢れるイケメンオーラが半端なかった。
この部屋にいる騎士はセラを除いて4人。
ソフィーリア付きのアルフェリア、フェリクス付きのハーヴェイ、
そしてシャーロット付のユリウス。
この3人はセラにとっても何かと付き合いのある人物たちだが、
最後の一人ソフィーリア付きのロベルトだけはあまり関わり合いがなかった。
ちなみに初日からセラに向けてガンを飛ばしてきた騎士であり、
涙目で甘味を突いていたセラに一人、また一人と
陥落する中で一番最後まで見て見ぬ振りを決め込んでいた。
けれど最終的には「甘い物は好きじゃないが、仕方がないから
1つくらいは手伝ってやる!!」とキレながらも優しさを発動させたり、
今朝だって何故か悔しそうではあったが素直に
賛辞を述べてきたりと、不器用な男である。
アルフェリア曰く、曲がった事が大嫌いな熱血くそ真面目な性格だとか。
もうお分かりかと思うが、この二人はとても仲が悪い。
「ちょ、紙とペンを用意しないでください…!
…あぁもう、わかりましたよ…何か、リクエストあります?」
ササっと紙とペンを用意したのはハーヴェイだ。
文句を言い終える前にさあどうぞ、と言わんばかりに
目の前に置かれてしまい、彼女は口を尖らせながらもペンを握る。
期待&興味の籠った視線×3に彼女は最早駄々を捏ねる気力もなかった。