28 あと、もう一歩
さんさんと日差しが降り注ぐ中。
中庭には大きなパラソルが立てられていた。
その下にはテーブルとイスが用意されていて、そこに腰を下ろし
優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいるのはこのお城のまだ幼いお姫様。
傍にはメイドたちが控え、少し離れた場所から騎士が見守っている。
優秀な庭師たちにより美しく整えられたその場所でシャーロットは
久々にすがすがしい気持ちでそのひと時を満喫していた。
青く澄み渡った空、美しいお庭に、
華やかで可憐な花々、時折聞こえてくる小鳥たちの囀り。
ああ、なんてすばらしいの…!
なんて声には出せない本心を心の内で呟いた
彼女はお気に入りの紅茶の入ったカップに手を伸ばした。
ソーサーの傍らには大好きなお茶菓子が並び機嫌は上々だった。
なんせ”あの騎士”がいない。
10日前に姉であるソフィーリアが
”シャーロット付き”として寄こした騎士。
黒髪のポニーテールが印象的な珍しい紫の瞳を持つ彼女は
明るく元気でいつも笑顔を絶やさない”非常に厄介な人間”だった。
これまでに寄こされたエリートたちと違い旅人だったからか、
彼女は全くシャーロットの思い通りにならない。
無駄にガッツがありすぎる。そろそろへこたれろとシャーロットは思ている。
いつだってニコニコしていて何を言いつけても文句ひとつ言わずに
キビキビ動く彼女は何故かとても輝いて見えて、シャーロットの癇に障るのだ。
日に日にイライラが募り、それに比例して彼女への風当たりが強くなっていった。
本当はこんな嫌がらせ何てしたくないし、キツイ言葉だって言いたくない。
けれど彼女を自分から遠ざけるための手段がシャーロットには
他に思い浮かばず、こうして前例たちと同じように追い払うしかなかった。
私の事なんて構わないで欲しいのに。
お姉様もお兄様もお忙しいのはわかっているから、大人しくしていたいのに。
心配なんてしなくていいと、私は大丈夫だといつだって言っているのに。
ちゃんとお母様との約束を守って、”いい子”にしているのに。
これでいいはずなのに。
あの騎士のせいで上手くいかない。
シャーロットは自分の感情が不安定になっている事を自覚していた。
同時に込み上げてくるのは”焦り”だった。
このままじゃいけない、あの騎士を早くやめさせなければ。
母が亡くなるまでは、よくこの中庭でお茶会を開いていた。
忙しい姉や兄も時間を見つけては長くはいられずとも顔を出してくれた。
笑顔があふれる場所だった。恋しく思う気持ちに蓋をして
シャーロットは少し冷めてしまった紅茶に口を付ける。
母が大好きだった、優しい味と香りが広がる。
大丈夫よ、お母様。
私はちゃんと”いい子”にしているわ。
やたら根性のある、あの厄介極まりない騎士もいい加減
こんな”可愛くない姫の我儘”に怒って匙を投げる頃だろうし、
これからもちゃんと”いい子”にしていられるわ。
胸の内で何度も繰り返した誓いを、もう一度繰り返す。
ふと見上げた空が眩しくてそっと瞳を閉じると
瞼の裏にいる大好きな母が優しく微笑んでくれたような気がした。
*
ソフィーリアは自室から中庭を見下ろしていた。
昨日広がった幻想的な光景とは打って変わり
いつも通りの美しい庭に見慣れたパラソルが立てられている。
ここからでは見えないが、その下では彼女の妹がアフタヌーンティーを
楽しんでいる事を彼女は知っていた。
「お義母様…、私は一体どうすればよかったのだろうか…」
呟いた声は広い部屋の空気にそっと響いた。
ぼんやりと中庭を見下ろしながら脳裏に浮かぶのは以前の風景。
あの頃は仕事の合間を縫って義母が開くお茶会に顔を出すのが当たり前だった。
長居は出来ずにひょこりと顔を出すだけの、ソフィーリアやフェリクスを
いつだって温かく受け入れ、大切にしてくれた優しい義母と可愛い妹。
おねえさまも、おにいさまもだいすき!
舌足らずな声が運んでくる、真っすぐな気持ちが嬉しくて。
辺りを照らすような眩い笑顔が可愛くて。
抱き着いてくる小さな温もりが、愛おしくて、大切で。
あの頃は自分たちの間に
こんな溝が出来てしまう事なんて夢にも思っていなかった。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、触れる事が叶わない。
声はちゃんと届き会話は出来るのに、心が交わらない。
ここでふとソフィーリアはセラに言われた言葉を思い出した。
それは彼女を騎士にしてから数日後、
フェリクスも一緒にお茶を飲みながら近況報告を受けていた時の事だ。
「前に陛下は”言葉が届かない”とおっしゃられていましたが、
ならいっその事、何も言わずにだた抱きしめてみてはいかがです?」
現状では取り付く島もないと苦笑いを浮かべた後、
そう続けたセラの言葉にソフィーリアはぎくりとした。
何故ぎくりとしたのかはその時はわからなかったが
今こうして時間をおいて考えてみればすぐに分かった。
怖かったのだ。
もし、振り払われでもしたら。
そう思うと情けない事に足がすくむ。
だからあの時も「そんな簡単な事で解決するなら苦労はしない!」と
声を荒げたフェリクスを「落ち着きなさい」と諫めるだけに留まった。
「案外効果的だったりするんですけどねぇ」と言って肩をすぼめて見せた
セラから視線を外し、紅茶を飲む事でソフィーリアはその話題から逃げたのだ。
そして今も、こうして眺める時間があれば足を運べばいいと
わかっていても、作り笑顔で告げられる”私は大丈夫”の言葉の壁を
無理やりにでも乗り越える勇気がどうしても持てなくて。
シャーロットが私の事を”嫌い”でも
”大嫌い”にならないように振舞う事しか出来ない。
だからセラに頼るしかなかった。
まだ出会ってから間もないがソフィーリアは彼女を大変気に入っている。
初めて顔を合わせたあの日、話しを聞いているうちに
ソフィーリアは彼女に強く惹かれていくのが分かった。
サッパリした人柄と凛として崩れない態度、
損をすると分かっていても見て見ぬ振りをしないと決めた彼女の正義。
女王であるソフィーリアを前にしても逸らされる事のないアメジストは
芯を持ち日々をしっかり生きている、彼女の在り方をそのまま映し出していた。
だから”彼女なら”とソフィーリアは思った。
情けない私の代わりに、シャーロットにちゃんとぶつかってくれるのではと。
この時にはもう既に分かっていた。
本当はどうしたらいいのかを、知っていた。
傷つく事を恐れずに真っ向から向き合うしかないのだと、わかっているのに。
結局今もこうして、足を踏み出す事が出来ない弱虫で。
情けないな、姉失格だとソフィーリアが負のループに落ちかけたその時。
「あ、いたいた!姫さまー!」
明るく元気な声が聞こえてきた。
視線を落とすと、最後の希望とすら思える彼女が駆け寄っていくのが
見えてソフィーリアはゆるりとその深い海色の瞳を伏せた。
*
優雅なひと時をぶち壊す様に響いた、聞きたくないのに
すっかり覚えてしまったその声にシャーロットは思いっきり眉を潜めた。
不機嫌を隠しもせずにカップをソーサーに戻す。
騎士やメイドたちに挨拶をし笑顔で駆け寄ってきた”自分の騎士”に
彼女はその愛らしい顔にありったけの怒りを込めてギロリと睨む。
けれどこれくらいで怖気づくようなら、最初から苦労はしないのだ。
シャーロット渾身の睨みを向けられても
全く崩れない無駄に明るく人懐っこい笑顔の主は息を弾ませながら
「見つけましたよ、ほら!」
そう言ってずいっと両手を差し出した。
目に入った四葉のクローバーに本当に見つけてきたのか、と驚きつつも
初めて目にする本物に自然と頬が緩んでしまった事に気づく。
慌てて口をへの字に曲げて顔を上げると、どこか誇らしそうに
微笑んだセラと目が合いシャーロットは思わず息を飲んだ。
――何て顔をするの。
そうシャーロットが狼狽えてしまう程、目の前の彼女は本当に嬉しそうで。
初めて至近距離で見たその珍しい色をした瞳がとても美しく見えた。
何も言わないシャーロットに不思議そうに首を傾げたセラを見て
ハッと我に返った彼女はまたもや慌てて不機嫌の顔を作る。
いや、作ろうとした。
嫌いな声が「姫様」優しさと共に耳に届く。
「聞いてた通り、姫様の笑顔ってすっごく可愛いですね」
笑ってくれて、凄く嬉しい。
言葉にされずとも伝えてくるその笑顔が、
周りの微笑ましそうな雰囲気が、何故かとてつもなく不快で。
カッと頭に血が上った彼女は咄嗟に立ち上がり
その手を勢いよく振り払った。
パチン!
静かな中庭にその音は殊更大きく響いた。
叩かれた振動でセラの掌から四葉のクローバーが零れ落ちた。
シャーロットは俯き、わなわなと肩を震わせている。
咄嗟に動こうとした数名をセラは静かに視線だけでその場に縫い付ける。
そしてゆっくりと跪き、長いブロンドで
隠れてしまっている表情を覗き込もうとした。
その時、戸惑いを浮かべるアメジストをライムグリーンが睨み上げた。
ぎゅっと噛み締めた小さな唇はわなわなと震えていて
ふっくらとした白い頬は怒りから赤く色づいていた。
――きた。
そんな様子のシャーロットを前にセラは待ち望んだ瞬間が訪れた事を悟る。
間違っても笑みなど浮かべないように意識しながら、彼女が口を開くのを待つ。
だが、開いては閉じ開いては閉じを繰り返す小さな唇に
彼女は止めとばかりに、あからさまに眉を下げて見せた。
いかにも――傷ついています、と訴えかける様に。
するとそんなセラの表情を見たシャーロットはくしゃり、とその顔を歪める。
やめて…!
そんな顔をさせたいわけじゃないの。
でも、そんな顔をさせる行動を私に取らせるのは、貴方なのよ…!
「あなたにっ…!!」
その声は小さく、震えていた。
嗚咽を堪える様に彼女はぎゅうっと両手でドレスを握りしめて、
滲む視界から”それ”を零れ落とさないように必死で睨み上げてくる。
シャーロットの頭には色んな言葉がぐるぐると駆け巡っていた。
自分の中で何かが爆発したのがわかった。
ずっと押さえていた何かが爆発した原因は、目の前の彼女で。
何か言ってやりたいのに、何と言っていいのかわからない。
気持ちが高ぶり、溢れ出た事だけは良くわかるのに。
そんな混乱の境地にいるシャーロットに続きを促すために
セラはわざとらしく小首をかしげた。
「貴方に、何がわかるっていうのよ…!」
ごちゃごちゃの気持ちのままシャーロットはそう叫んだ。
中庭に響いたその絞り出すような彼女の震える叫びに
ソフィーリアの足は自然に駆け出していた。
乱暴に扉を開けて、長い廊下を駆け抜ける。
今まで怖気づいていたのが嘘のようだとソフィーリア自身、
そう思う程の衝動からくる咄嗟の行動だった。
ドレスを持ち上げ、はしたないと分かっていながらも止まれない。
シャーロットにかける言葉は、まだ見つからない。
けれど取る行動だけは決まっていた。
早く、早く、あの子を抱きしめてあげなくては――!
ただその一心でソフィーリアは階段を駆け下りた。