Scene 13 エピローグ
殺人事件を担当する警視庁捜査一課はその日、午後三時をまわった頃にいきなり、上へ下への大騒ぎになった。
所轄から殺人事件の一報が入り、その被害者がなんと、あの木内貴史らしい、というのである。
なぜ断定ではないかといえば、首なし死体として発見されたからで、第一発見者は、三日前に出前をした日本料理店の店員で、器を回収に来て発見したのだ。
何度チャイムを鳴らしても出てこないので、門に手をかけると、鍵がかかっていなかったため、これは勝手に入ってこいという意味だと思って、中に踏み込んだらしい。
前にも同じことがあったので、不審には思わなかったそうだ。
ところが、玄関には鍵がしっかりかかっていて、やはり応答はないので、様子をうかがおうと庭に回りこんだところで、遺体を発見したのだ。
その連絡を受けてすぐ、館川と虎賀は現場に飛んでいったが、これがまた、当惑することになった。
木内貴史の首の断面は、またしても獣が、力任せに噛み切ったようなひどい状態になっていたが、肝心の頭部がいくら探しても見つからないのである。
周囲は血まみれだが、持ち去った痕跡は見つからない。
遺体の傍に、土が軟らかくなっている部分があったそうだが、そこも埋めた跡とはどうも違うし、実際掘り返してみたが、なにも出ては来なかった。
それにもう一つ不思議なのは、庭にある桜の樹だ。
染井吉野は確かに、そろそろ花のシーズンは終わりを迎えているが、近所に聞き込みに行った者の話では、確かに三日前までは、満開になっていたというのに、散ってしまったどころか、すっかり枯れてしまっていたのだ。
根元も徹底的に調べられたが、掘り返した跡も、薬品等をかけられた後もなく、これもどうしてそうなったのかわからない。
三日前という符合からしても、なにか関係があるのではないかと、そこにいた誰もが首を思い切りひねる中、いきなり桜の樹は根元から、腐っていたわけでもないのに倒れ、しかもその下から、根にぐるぐる巻きにされた、木内貴史の首が発見されたのであった。
もちろん、白骨化していたわけではない。無念の表情を浮かべていた首は、腐乱さえしていないのに、指ほども太さのある根っ子に、まるで抱え込まれるように絡みつかれていたのだ。
倒れた樹によるけが人はなかったが、現場に戦慄と、ちょっとしたパニックが発生したのはいうまでもない。
いかに経験を積んでも、こんな不可解極まりない事件に遭遇した者など、到底いるわけもなかった。
若手の捜査員の中には寝込む者まで出たのも、ある意味無理はないだろう。
その当事者の一人である虎賀は、さえない表情で、大塚にある東京都監察医務院に来ていた。
三階建ての鉄筋コンクリートのこの建物は、東京都二十三区内で起きた、死因不明の遺体の司法解剖を行う医務院である。
彼がここまで足を運んだ理由は、当然、例の木内貴史の死因を知るためだった。
顔色がよくないのは、不思議な現象を目撃したせいではなく、すでに捜査が行き詰まりを見せてしまっていて、寝不足だからだ。
本来なら、ピシッとしているはずの茶系の背広も、少しよれて、皺が目立っている。
「よう、きたな」
一階の受付に行こうと入り口をくぐったところで、待ち構えていたらしい誰かから声をかけられた。
本来、必要書類は送ってきてもらえるのだが、監察医からより詳しい話が聞きたかったので、連絡を入れてわざわざ出向いてきたのだ。
それが、ここを訪れるための表向きの理由だった。
「例の、首なし死体の件だろう?」
声の方を見るとそこには、こちらも忙しいのか、よれた白衣にぽつぽつと無精髭の生えた、四十半ばほどの眼鏡の男性が、その奥の瞳をしょぼしょぼさせて立っていた。
虎賀は眉間に皺を寄せて、記憶の中をひっくり返した。
面識はなかったが、覚えている顔の造作。
「え……と、狐塚先生ですよね…?」
写真で見せられただけなので、自信がなさそうに聞き返すと、虎賀より少し背の低い彼は、からからと陽気な笑い声を上げた。
「ああ、そうだ。俺の部屋で話そう」
なにせかなり特殊な状態で発見されたし、解剖にはもちろん刑事が立ち会ったのだが、そうしたことに慣れているはずの彼らですら、気分が悪くなったのでというので、その結果を虎賀が代わりに自ら立候補して聞きにやってきたのだ。
本当は、館川も一緒に行動すべきなのだが、彼は現在、やっと自宅に戻って休んでいるので、上司には捜査に行くわけではないから、一人で大丈夫だからと断りを入れた。
これが終わって、書類を警視庁に持ち帰れば、虎賀も自宅に帰れることになっている。
目配せされて首肯すると、先を歩き始めた狐塚の後についていく。
一般人の出入りもある場所で、話ができる内容でもない。
見るからに手狭な受付から、少し奥に入った、関係者のみ利用可能なエレベータに乗って、三階にわりあてられているという、狐塚の仕事用の個室へと向かった。
彼はここでも、一、二を争う、腕利きの監察医なのだそうだ。
しかし、こうしてこっそり観察する限りでは、気のいい中年にしか見えない。
エレベータを降りると、白い、病院というよりは大学か研究所という雰囲気の廊下を抜け、いくつか同じような白いドアの並んだうちの一つに通される。
中に入ると、それほど広くはない縦長の室内に、資料やら書類やらありとあらゆるものが、机の上に乱雑に積み上げられている有様に、正直虎賀は固まった。
動いただけで、崩れてきそうだ。
「もてなしてはやれないが、勘弁してくれ」
部屋の真ん中に集まっている、よくあるタイプの事務用机から、椅子を一つ失敬して、虎賀へとキャスターで転がす。
机にもがたがたぶつけているので、大慌てで受け止めたが、思ったよりも安定しいるらしく、揺れても崩れてくるようなことはなかった。
しかし、これだけ机があるというのに、狐塚以外誰もいないということは、人払いがされているようだ。
そういえば、入り口でも待ち伏せされていたみたいだしと、目の前の人物に目をやる。
両サイドの壁は、事務所などでよく見かける、灰色のスチール製の棚やら戸棚が占拠しているので、狭くて多少圧迫感がある。
扉の正面の、唯一の窓の前にくっついている同じ型の机が狐塚のものらしく、その椅子を引っ張り出して、背もたれを前に、その上に腕を置いて逆向きにまたがるように腰掛けた。
虎賀も、その前へと椅子を引っ張っていって座る。
まだそっちの方が、広く床が見えているからだ。
「木内貴史だが……死因は、立花美和子と一緒だな。喉の噛み傷…どころか、食い切られちまったがな」
おそらくは面倒くさいからだろう、短く切られている髪を狐塚は掻き回して、虎賀の顔をうかがった。
名目上は、それを聞きにきたのだから、出だしとしては当然の話題だ。
「……そうでしょうね」
それは予想されて、しかるべき死因だった。
虎賀の落ち着いた態度に、狐塚はよくわからない唸り声を上げた。
それから、急に顔を上げ。
「あんた、名前は……」
少し考え込んでから、今更ながら、そう尋ねてきた。
彼も写真は見たのだろうが、名前は忘れてしまったらしい。
「虎賀です。虎に、年賀の賀です」
間髪いれずにそう答えると、狐塚は肩をいからせ、じっと虎賀の顔を、穴が開きそうなほど凝視する。
そして、ためらいながら、一つの地名を口にした。
「……月城から来たのか?」
そのあまりに直接的すぎる問いかけに、虎賀は吹き出したくなる。
だいたいにおいて初対面では、こんな風に腹の探りあいになるのが常だが、彼はちょっと、そうしたことをするには感情が素直に表に出すぎているようだ。
「そうです」
こういう人が相手では、あまり焦らすのはかえって気の毒なので、あっさり肯定すると、狐塚はそれで大いに安堵したようだった。
「そうか、それじゃあんた、上の人だな。こないだのパーティには参加したのかい?」
膝をぽんとたたいて相好を崩しながらそう言うと、やっと思い出したようにごそごそと、机の上の、おそらく書類一式を探し始めた。
それを見やって、虎賀は表情を曇らせた。
「いえ、仕事の方が急がしくて……」
「確か、あんたの相棒は、あの館川さんだって聞いたぜ? それじゃ、無理ないや」
あの人、、まさしく刑事そのものって感じだからな。
そう言って、またからからと笑うと、かき分けた書類の山の中から、これだこれだと、封筒に入れてあるそれをようやく見つけ出して、虎賀へと差し出した。
「これがそうだ。……それじゃ、まだ、あの三人には会ってないわけだな」
それを、軽く頭を下げて受け取って、いきなりまじめな顔になった狐塚に言われたことに、無言でうなずいた。
空気が少しばかり重さを増す。
狐塚は、重苦しそうに息を吐いた。
「それじゃ、次に会う時でかまわないから、あんまり頻繁に事を起こすなって、釘を刺しておいてくれ。まだ、ごまかさなくても大丈夫なようだが、こちとらその度に、寿命が縮む思いしてるんだからな。いくら人間の一生が短いって言っても、お前さんの相棒みたいに、忘れない奴が出てくるからな」
虎賀は、はあ、とその剣幕に気おされながらも、困惑して首をかしげた。
「狐塚さんが、直接言えばいいんじゃないですか?」
それに、狐塚はとんでもないとぶんぶん手を振った。
「俺は、あのパーティに呼ばれるほどの血筋じゃないんだ。だから言ってるのさ」
狐塚も、月城の出身ではあるが、瞳の色すら変わらない。
事情に通じているというだけで、後は、ただの人間と差はないのだ。
虎賀は、それならとため息をついた。
「……わかりました。でもまだ、先の話でしょう」
承知したものの、次のパーティが開かれるのは、少なくとも四ヶ月後になるはずだ。
その時に自分が注意をするということは、それまで、野放しということにはならないのだろうか。
虎賀のもっともな疑問に、狐塚は渋い顔になった。
「その前に機会があるんなら、頼んどきたいが、いろいろ事情もあるしな。他の連中からも、注意ならぬ嫌味は相当言われてるだろうし、まさか墺守だって馬鹿じゃないから、それくらいは、自粛するだろう」
ただ……と、言いよどむ。
「ここんとこ、インターバルが短くなってきてるようだから、それが気にかかってるんだがな……。職業柄、あんたが言ってくれるのが、一番効果がありそうなんでな。一応一族にかかわることだから、頼むよ」
片手を顔の前でたて、すまなそうにいうのに、虎賀はうなずいた。
「狐塚さんが気にすることはありませんよ、そのために来たようなものですから」
それに、狐塚はさらに渋面になった。
「……やっぱり噂になってるかい?」
やはり気にはなるらしい問いかけに、虎賀は、天井を見上げ、しばし考え込んだ。
なんと言ったらいいのだろうか。
「……噂にならない方が、不思議でしょう。彼は『異端』ですから」
いたましげなその声音に、狐塚は目を伏せた。
彼が、悪いわけではない。
それは、天が与えた宿命であり、彼が望んで得たわけではない。
わかってはいるはずなのに、同族の者さえ、彼を忌み嫌う。
生気をすすって、命をつなぎ続けるがゆえに。
しかしそれを、やるせないとは思っても、自分達はどうすることもできない。
彼自身、同情されることを、快くは思わないだろう。
だからこそ彼は、ありとあらゆる感情を呑み込んでいる、新宿という街に身を潜めているのだ。
あの街は、どんな存在も拒まないし、受け入れもしない。
ただ、流されるように生きるだけ。
「ま、よろしく言っておいてくれよ。あんたの相棒にもな」
立ち込める暗い空気を振り払うように、あえて狐塚が明るくそう言えば、虎賀もはいと返事をして立ち上がった。
胸の内を、隠して。
用はこれで全部済んだ。
必要な書類は受け取ったし、狐塚に会うという本当の目的も果たせた。
「それでは、また……といいたいところですが、あまり顔を合わせないほうがいいんでしょうね、私達は」
別れの際の常套句を口にしかけて、虎賀は気がついて、肩をすくめる。
それに、狐塚は笑った。
「まあ、職務上はまた会うこともあるさ。その時には、三人が元気だったかどうか聞かせてくれよ。俺達は、忙しくない方がいいんだからな」
それは暗に、彼らに会うまでは、個人的には会わない方がいいということだろう。
自分達の存在は、人に知られてはならない。
それが、一族の不文律。
冗談めかしているそれに、虎賀もここに来て初めて、にこやかな笑顔を浮かべた。
「刑事としちゃ、困るんだろうが、この件が無事迷宮入りするのを祈ってるよ」
狐塚の皮肉に、虎賀は苦笑すると握手を求めた。
人間は、一族以上に、異端に対して容赦がないから。
「これからよろしくお願いします。それでは、失礼します」
瞬きをした虎賀の瞳が一瞬、鈍色に光る。
だから、人間の中に、こうして紛れ込みながらも、自らを偽る。
「ああ、気をつけてな」
その様にうなずいて、部屋を出て行く背中を見送るだけにとどめる。
送ることはしない。こう見えても忙しいのだ。
虎賀を話をするために、助手達をこの部屋から追っ払ったのだから、もうすぐ不機嫌になりながら戻ってきて、次の仕事へと追い立てられるに違いない。
自分の担当したわけだが、あの事件は近々、闇から闇へと葬られることになるだろう。
どんなに優秀な刑事であろうとも、解決できるはずもない。
本当の闇を知らない、人間達には。
「知らない方がいいのさ」
この真実はな……。
呟きは、誰もいない部屋に溶けた。
闇中輝眼
これにて『闇中輝眼』終了です。
ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました!