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異世界交差点の小料理屋〜10年修行した女板前は、今日も日本の裏口から仕入れた食材で疲れた異世界人の胃袋と心を癒やします〜  作者: タカノ


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第5話:持ち込み食材は、スライムのプルプル?

仕込みの時間は、板前である栞(しおり)にとって、心を整えるための大切な儀式のようなものだ。

午後三時。日本の裏路地に面した勝手口からは、遠くの幹線道路を走るトラックの走行音や、どこかのスーパーの特売を知らせるスピーカーの音が微かに聞こえてくる。しかし、厨房の中に一歩足を踏み入れれば、そこは栞だけの神聖な領域となる。

ピカピカに磨き上げられたステンレスの調理台。壁に整然と掛けられた、用途の違う何本もの和包丁。そして、コンロの上で静かに湯気を立てる大きな寸胴鍋。

今日の出汁も、完璧な黄金色に仕上がっていた。利尻昆布のふくよかな甘みと、本枯れ節の力強い香りが、厨房の空気を優しく包み込んでいる。


「よし。これでいつでも、表のお客さんを迎え撃てるわね」


栞は味見用の小皿を置き、ふう、と満足げな息を吐いた。

表の引き戸の向こう側は、剣と魔法のファンタジー世界である王都の路地裏に繋がっている。開店初日にボロボロの騎士バルトルトをだし巻き卵で救済し、数日後には行き倒れ寸前の新米魔法使いミレイユを塩むすびと豚汁で蘇生させた。

すっかり異世界人たちの駆け込み寺になりつつある『小料理屋 結(むすび)』だが、栞としては大歓迎だった。美味しいものを食べて笑顔になってくれるなら、お客さんの出身地が東京だろうが異世界だろうが関係ない。


——カラン、コロンッ!


開店時間にはまだ少し早い午後四時過ぎ。表の引き戸が、勢いよく開け放たれた。

「店主さーんっ! 約束通り、食材を調達してきましたよーっ!」

元気いっぱいの声を響かせて飛び込んできたのは、黒いローブに身を包んだ魔法使いの少女、ミレイユだった。初来店の時のように床を這いずるような悲壮感は微塵もない。むしろ、意気揚々と胸を張り、両手には大きな麻袋を抱えている。

「いらっしゃい、ミレイユちゃん。ずいぶんと早かったわね。討伐クエストのついでに採ってきてくれたの?」

「はいっ! 前回の塩むすびと豚汁の恩は、絶対に倍にして返すって決めてましたから! 私の風魔法を駆使して、森の奥深くからとびっきりの珍しい素材を集めてきましたよ!」


ミレイユは自慢げに鼻を鳴らし、どっこいしょ、とカウンターの上に麻袋を置いた。

物々交換による、記念すべき初めての異世界食材の持ち込みである。

栞は期待に胸を膨らませながら、カウンター越しに身を乗り出した。ファンタジー世界の食材といえば、やっぱりドラゴン肉だろうか。それとも、一口食べれば魔力が溢れ出すような伝説の果実だろうか。十年間磨き上げた和食の技術で、それをどう調理してやろうか。料理人としての血が騒ぐ。


「さあ、見て驚かないでくださいね! これが、私が命がけで採ってきた異世界のレア食材です!」

バサッ、とミレイユが麻袋を開けた。

中から出てきたのは——泥だらけの『葉っぱの束』と、ソフトボールほどの大きさの『半透明のゼリー状の塊』だった。


「…………えっと?」

栞は、瞬きを数回繰り返した。

「どっちがドラゴンのお肉かな?」

「いやいや、新米魔法使いの私にドラゴンなんて狩れるわけないじゃないですか! こっちの葉っぱは『生命の薬草』で、こっちのプルプルは『清流スライムの核ゼリー』です!」

ミレイユは満面の笑みで言い放った。


薬草と、スライム。

栞の脳内に、RPGゲームの初期村周辺で手に入る、最も安いドロップアイテムのイメージが浮かび上がった。

「あのさ、ミレイユちゃん。これ、本当に食べられるの?」

「もちろんです! 生命の薬草は、すり潰して水に溶かすと微弱な回復ポーションになります。ただ、めちゃくちゃ苦くて青臭いので、冒険者からは『罰ゲーム草』って呼ばれてますけど。で、こっちの清流スライムのゼリーは、清らかな水辺にしか生息しないスライムを倒すと落とすんです。無味無臭で栄養もないので、普通は夏の暑い日に氷代わりに首に当てて涼むくらいしか使い道がない捨てアイテムですね!」


「……罰ゲーム草と、ただの保冷剤じゃないのよ、それ」

栞は思わず頭を抱えた。

どう見ても、美味しい料理になるビジョンが見えない。しかし、ミレイユは期待に満ちたキラキラとした瞳で栞を見つめている。

「店主さんのあの『おにぎり』という名の奇跡の魔法なら、きっとこの薬草とスライムも、極上のご馳走に変えてくれると信じてます! 私、お腹ペコペコです!」


プレッシャーが重い。

だが、栞の板前としてのプライドが、ここで逃げることを許さなかった。

「……わかったわ。売られた喧嘩は買う主義よ。その薬草とスライム、私に預けなさい」

栞は腕まくりをし、二つの異世界食材を厨房へと持ち込んだ。


まずは『生命の薬草』からだ。

泥を綺麗に洗い流すと、ほうれん草やクレソンによく似た、肉厚で鮮やかな緑色の葉が姿を現した。葉脈がほんのりと淡い光を放っているのが、いかにもファンタジーの植物という感じだ。

栞は葉の端を少しだけ千切り、毒見のために口に含んでみた。

「……うっわ、苦っ!」

思わず顔をしかめる。ミレイユが言っていた通り、強烈な青臭さと、舌の奥が痺れるようなエグみがある。このままサラダにするのは絶対に不可能だ。


「でも、繊維の感じは小松菜に近いわね。エグみが強いってことは、和食の基本『アク抜き』でどうにかなるはず」

栞は大鍋にたっぷりの湯を沸かし、日本のスーパーで買ってきた粗塩をひとつまみ放り込んだ。塩を入れることで、葉の鮮やかな緑色を保ちつつ、細胞膜を壊してアクを抜けやすくするのだ。

沸騰した湯の中に、薬草を茎の方から沈めていく。

十秒待って、葉の部分も一気に湯に沈める。

——グラグラグラッ。

お湯の中で薬草が鮮やかなエメラルドグリーンに発色した瞬間、栞は素早くトングで引き上げ、用意しておいた氷水の中に一気にドボンと投入した。

「熱の入りすぎを防いで、シャキッとした食感を残す。これが青菜を茹でる時の鉄則よ」


氷水の中で完全に冷えた薬草を取り出し、水気を絞る。

ここで力を入れすぎると繊維が潰れて食感が悪くなるため、親指の腹を使って優しく、しかししっかりと水分を押し出す。

端を少し切り取って味見をしてみる。

「……うん! 嫌なエグみと青臭さが完全に消えてる。少しのほろ苦さが、逆にいいアクセントになってるじゃない」

アク抜きは大成功だ。

栞はこれを四センチほどの食べやすい長さに切り揃え、ボウルに入れた。

そこに合わせるのは、先ほど引いたばかりの特製の一番出汁、薄口醤油、そして本みりんを絶妙な黄金比で合わせた『浸し地(ひたしじ)』である。出汁をたっぷりと含ませることで、ただの葉っぱが極上の小鉢へと昇華する。

器にこんもりと美しく盛り付け、仕上げに天盛りとして糸賀喜(いとがき:極細に削った上質な鰹節)をふわりと乗せれば、異世界の薬草を使った『特製おひたし』の完成だ。


「よし、次はこのプルプルね」

栞の視線の先には、まな板の上でわずかに震えている『清流スライムの核ゼリー』があった。

触ってみると、ひんやりとしていて弾力がある。匂いはまったくない。日本の食材で言えば、寒天やゼラチン、あるいは葛切りなどに非常に近い性質を持っている。

「無味無臭で食感だけがあるなら、味付け次第でどうにでもなるわね。この透明感と弾力……決めた。あんたは『ところてん』の刑よ」


栞は厨房の奥から、木でできた長方形の筒状の道具『天突き(てんつき)』を取り出してきた。先端には細い糸が格子状に張られており、寒天を入れて棒で押し出すと、細い麺状になって出てくるという昔ながらの調理器具だ。

スライムのゼリーを天突きの筒に入る大きさに切り分け、中にセットする。

そして、押し棒をセットし、力を込めて一気に押し出した。


——ニュルルルルルッ!


小気味良い音と共に、格子状の糸を通り抜けたスライムゼリーが、美しく透き通った細い麺となってボウルの中に押し出されてきた。

「おおっ、完璧なところてんのフォルム! 日本の道具って偉大だわ」

栞はテンションを上げながら、押し出されたスライムをガラスの器に盛り付けた。

問題はタレだ。関西風の黒蜜で甘くしてデザートにするのもアリだが、ミレイユは空腹を満たしたいはず。ならば、関東風の『三杯酢(さんばいず)』でサッパリと食べるのが正解だろう。

米酢のツンとした酸味を抑えるために一度火にかけ、そこに醤油、砂糖、みりんを加えて味を調える。冷ました三杯酢を、透明なスライムの麺の上にたっぷりと回しかけた。

最後に、味の引き締め役として、和辛子(わがらし)を器の縁にちょこんと添え、香ばしい白ごまをパラリと散らす。


時計を見ると、薬草の下処理からわずか十五分しか経っていなかった。

和食の手際の良さが光る二品の完成である。


「お待たせしました、ミレイユちゃん! 異世界食材の和風アレンジ、第一弾よ!」

栞はカウンターのミレイユの前に、二つの器を並べた。

一つは、美しい緑色が映える『生命の薬草のおひたし』。

もう一つは、涼しげなガラスの器に盛られた『清流スライムの特製ところてん』。


「うわぁ……!」

ミレイユは身を乗り出し、目を輝かせた。

「あの苦くてドロドロのポーションになる薬草が、こんなに綺麗なお料理に!? それにスライムのゼリーも、細長くてキラキラ光ってます!」

「見た目だけじゃないわよ。まずはその薬草のおひたしから食べてみて」


栞に促され、ミレイユは不器用な手つきでお箸を持ち、おひたしを少しだけつまんで口に運んだ。

彼女の脳内には、罰ゲームと呼ばれるほどのあの強烈な青臭さが刻み込まれている。恐る恐る咀嚼した瞬間、彼女の表情が驚きに染まった。

「……えっ!? 苦くない! それに、なんだかすごく……お出汁の味がジュワッて……!」

「和食の『アク抜き』っていう下処理のおかげよ。嫌な苦味だけを抜いて、薬草本来の香りと、鰹節と昆布の旨味を染み込ませてあるの」

「シャキシャキしてて、噛むほどに旨味が出てきます! これ、すごく美味しいです! 薬草がこんなに美味しい食べ物になるなんて、王都の錬金術師たちが知ったら卒倒しますよ!」

ミレイユは感激の声を上げ、あっという間におひたしを平らげてしまった。


「ふふっ、喜んでもらえて何より。次はそっちのスライムね。器の端っこにある黄色いのは『辛子』っていう香辛料だから、少しずつスープに溶かしながら、細い麺をすすって食べてみて」

「スライムをすする……? なんだか不思議な感じですが、いただきます!」


ミレイユはお箸で透明な麺をすくい上げ、ズルルッと勢いよくすすり込んだ。

——ツゥゥゥンッ!

「ひゃああっ!?」

初めて経験する米酢の酸味と、和辛子の鼻を抜けるような強烈な刺激に、ミレイユは目を白黒させた。ファンタジー世界には、酸味を主体とした料理や、辛子のような揮発性の辛味は非常に珍しいのだ。

「か、からい! すっぱい! でも……!」

むせそうになりながらも、ミレイユは再びお箸を伸ばした。

「この酸っぱさが、なんだかすごくクセになります! スライムのツルッとした喉越しと、冷たいスープが合わさって、いくらでも食べられちゃいそうです!」


無味無臭のスライムが、三杯酢の深いコクと酸味、そして辛子のアクセントによって、極上の前菜へと生まれ変わっていた。ツルツル、ズルズルと、ミレイユは音を立ててところてんをすすり続ける。

「あぁ〜、美味しい……。森の中を歩き回って疲れた体に、この酸っぱさが染み渡りますぅ……」

あっという間に二つの器を空にしたミレイユは、カウンターに突っ伏して幸せそうにため息をついた。


それを見て、栞も安堵の笑みをこぼした。

(異世界の得体の知れない食材でも、日本の調味料と和食の基本技術があれば、ちゃんと『料理』として成立するのね)

それは、料理人としての栞にとって、とてつもなく大きな発見だった。

裏口を開ければ、日本の業務用スーパーで完璧な調味料が手に入る。そして表口からは、ミレイユのような冒険者が、地球には存在しない未知の食材を持ち込んでくる。

この二つの世界が交わる『小料理屋 結』の厨房は、無限の可能性を秘めた実験室なのだ。


「ごちそうさまでした、店主さん! 私の持ってきたヘンテコな素材を、あんなに美味しくしてくれるなんて、やっぱり店主さんは魔法使いです!」

「私はただの板前よ。美味しい調味料と道具の力、それだけ。でも、これなら物々交換としては十分成立するわね。次も期待してるわよ、ミレイユちゃん」

「はいっ! 次はもっとすごいの、採ってきますからね!」


ミレイユは満足そうにお腹をさすりながら、元気いっぱいに手を振って店を後にした。

嵐のように現れて、嵐のように去っていく少女を見送り、栞はカウンターの上の空になったガラスの器を手に取った。

生命の薬草のおひたしと、清流スライムのところてん。

記念すべき、日本と異世界の奇跡の融合メニュー第一号だ。


「……ふふっ。お店のメニュー表、書き換えないとね」

栞はチョークを手に取り、黒板に掛かれた品書きの端に、新しいメニューを書き加えた。

見慣れない異世界の単語が並ぶメニューボードを見つめながら、栞の胸の奥で、料理人としての探究心が静かに、しかし熱く燃え上がり始めていた。

次に来るお客さんは、どんな悩みと、どんな未知の食材を抱えてやってくるのだろうか。

不思議な小料理屋の長い夜は、まだ始まったばかりである。

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