夜行バスと眠れない二人
不安って、誰にも見えない。
でも、自分の中ではすごく大きくて、
「もしまた間に合わなかったらどうしよう」って考えるだけで、外出が怖くなることもある。
第2話は、そんな“見えない不安”を、美咲と奈々が少しずつ共有していくお話です。
夜行バスという逃げ場の少ない空間の中で、二人は「安心できる準備」があることの大切さを知っていきます。
少し恥ずかしくて、でもどこか安心できる。
そんな空気を感じてもらえたら嬉しいです。
夏休みの終わり頃。
美咲と奈々は、県外で行われるライブへ向かうため、夜行バスに乗ることになった。
美咲は出発前、自分の部屋で荷物をまとめていた。
ライブTシャツ。
タオル。
お菓子。
充電器。
そしてバッグの奥には、長距離移動用の紙おむつ。
美咲は昔、高速道路で渋滞に巻き込まれて、トイレに行けず本気で焦ったことがある。
それ以来、長時間移動の時だけは“念のため”準備するようになっていた。
「……これで大丈夫。」
そう思えるだけで安心できるから。
⸻
夜。
駅前で奈々と合流すると、奈々はいつも通り明るかった。
「ライブ楽しみすぎる!」
「まだ始まってもないのに。」
「だって夜行バスもイベントじゃん!」
二人は笑いながらバスへ乗り込む。
車内は薄暗く、静かだった。
発車してしばらくすると、周りの人たちも眠り始める。
窓の外には高速道路のライトが流れていた。
その時、奈々が小さな声で聞く。
「……ねえ。」
「ん?」
「今日も持ってきてるの?」
美咲は少しだけ固まる。
「……なにを。」
「紙おむつ。」
奈々は慌てて言い直した。
「あ、変な意味じゃなくて!」
美咲は少し恥ずかしそうに頷く。
「……持ってきてる。」
奈々は少し黙ったあと、小さく笑った。
「なんかさ。」
「ん?」
「前までは、“そこまで必要?”って思ってた。」
美咲は静かに聞く。
奈々は苦笑いした。
「でもプールの時、自分も間に合わなくなったじゃん。」
その言葉に、美咲も少し笑う。
「うん。」
「だから今は、“安心できる準備あるの大事かも”って分かる。」
その声は、前よりずっと真剣だった。
⸻
深夜一時。
夜行バスはサービスエリアへ到着した。
二人は眠そうな顔でトイレへ向かう。
夜風が少し涼しい。
その帰り道。
奈々が少し言いづらそうに口を開いた。
「……ねえ、美咲。」
「ん?」
「もし不安だったら、その……。」
奈々はかなり小さい声になる。
「私も使ってみたいかも。」
美咲は目を丸くした。
奈々は慌てて手を振る。
「いや、ほんとに不安対策って感じで!」
美咲は少し考えてから、バッグを開ける。
中には予備が入っていた。
「……一枚ならあるよ。」
奈々は驚いた顔をする。
「いいの?」
「うん。安心できるなら。」
奈々は袋を受け取りながら、少し照れたように笑った。
「ありがとう。」
⸻
バスへ戻ると、車内はさらに静かだった。
二人はブランケットをかけて眠る。
バスは暗い高速道路を走り続けていた。
⸻
どれくらい眠っていただろう。
美咲はぼんやり目を覚ました。
車内はまだ暗い。
頭がぼーっとする。
でも次の瞬間、強い尿意に気づいた。
(……やば。)
前のモニターを見る。
【次の休憩まで 1時間02分】
「……うそ。」
その時。
隣で奈々も目を覚ました。
「……ん……。」
数秒後、奈々の顔色が変わる。
「……え。」
美咲はすぐ分かった。
「奈々?」
奈々は情けなさそうに小声で言う。
「……やばい。」
「私も。」
奈々はモニターを見て絶望した。
「あと1時間!?」
「うん……。」
二人とも完全に寝起きだった。
しかもかなり限界に近い。
奈々はブランケットの中で足を縮める。
「無理かも……。」
「大丈夫?」
「バス揺れるのやばい……。」
でも奈々は、バッグの中にある一枚を思い出す。
そして少し迷ったあと、小さく言った。
「……使ってみる。」
美咲は静かに頷いた。
「うん。」
周りはみんな寝ている。
奈々はブランケットの中で静かに準備する。
数分後、小さく呟いた。
「……履けた。」
「安心した?」
奈々は少し考えてから頷く。
「……うん。ちょっと楽。」
その時だった。
バスが少し揺れる。
奈々の肩がぴくっと震えた。
「あっ……。」
小さな声。
そして。
じゅっ……。
ブランケットの中で、小さな音がした。
奈々は顔を真っ赤にする。
じわ、じわっ……。
静かな車内だから、自分でははっきり分かる。
奈々は恥ずかしそうにしながら、小さく息を吐いた。
「……はぁ。」
でもその表情は、“間に合わなかった”焦りより、“助かった”安心感のほうが大きそうだった。
美咲は小さく笑う。
「大丈夫?」
奈々は顔を隠しながら頷く。
「……うん。」
そして少し照れながら笑った。
「なんか、“終わった……”って感じしない。」
「準備してたからね。」
「うん……。」
奈々はブランケットをぎゅっと抱きしめる。
「安心って大事なんだね。」
その言葉を聞きながら、美咲もゆっくり息を吐いた。
自分もかなり限界だった。
でも隣には奈々がいる。
“分かってくれる人”がいる。
それだけで、不思議と気持ちが軽かった。
美咲もそっと力を抜く。
すると。
じゅわっ……。
小さな音と一緒に、張っていた感覚がゆっくり消えていく。
「……っ。」
少し恥ずかしい。
でも安心感のほうが大きかった。
奈々が小さく吹き出す。
「美咲もじゃん。」
「うるさい……。」
「お互い様だね。」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
⸻
しばらくして。
車内アナウンスが静かに流れた。
『まもなくサービスエリアへ到着いたします』
奈々がぱっと顔を上げる。
「……助かった。」
美咲も小さく笑った。
「ほんとに。」
夜行バスはゆっくり減速していく。
窓の外にはサービスエリアの明かりが見えていた。
二人は周りを起こさないように静かに立ち上がる。
まだ少し恥ずかしくて、お互い顔を見て笑ってしまう。
「なんか変な感じ……。」
奈々が小声で言う。
「さっきまでめちゃくちゃ焦ってたのに。」
「うん。」
「でも今は、“とりあえず大丈夫”って感じ。」
美咲は小さく頷いた。
バスを降りると、朝方の空気はひんやりしていた。
サービスエリアには大型トラックが並び、自販機の明かりだけがやけに明るい。
二人は並んでトイレへ向かう。
歩きながら、奈々が少し照れくさそうに笑った。
「……なんかさ。」
「ん?」
「前だったら、“絶対こんなの無理”って思ってた。」
美咲は静かに聞く。
奈々は肩をすくめた。
「でも、“安心できる”ってすごいね。」
その声は、少し本気だった。
トイレへ入って数分後。
二人は洗面台の前で合流する。
奈々は手を洗いながら、小さく息を吐いた。
「なんか、ちゃんと落ち着いた。」
「よかった。」
鏡には、少し眠そうな二人が映っている。
でも、さっきまでの焦った顔ではなかった。
奈々は鏡越しに美咲を見る。
「……ありがとね。」
「え?」
「一枚くれたの。」
美咲は少し照れながら視線を逸らす。
「別に大したことじゃないし。」
「いや、かなり助かった。」
奈々は小さく笑う。
「たぶん、持ってなかったら今ごろ半泣きだった。」
二人は顔を見合わせて吹き出した。
静かなサービスエリアのトイレに、小さな笑い声が響く。
⸻
トイレを出たあと。
二人は自販機の前で温かい飲み物を買った。
外は少しずつ明るくなり始めている。
奈々は缶ココアを両手で持ちながら、小さく笑った。
「……なんか、まだドキドキする。」
「分かる。」
美咲も苦笑いする。
「寝起きだったから余計びっくりした。」
奈々は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「でも、準備してたから助かった……。」
そのあと少し黙ってから、小さな声で続ける。
「……ねえ、美咲。」
「ん?」
「新しいのって、ある?」
美咲はバッグを開ける。
まだ予備は残っていた。
「……あるよ。」
奈々はほっとした顔になる。
「よかった……。」
そして小さく笑った。
「なんかもう、“念のため”あると安心する。」
美咲はその言葉に頷く。
「うん。私もいつもそう。」
二人はサービスエリアのトイレへ戻る。
朝早い時間だから、人は少なかった。
静かな個室の前で、奈々が少し照れくさそうに笑う。
「……なんか不思議。」
「なにが?」
「前の私だったら、“絶対嫌!”って思ってたのに。」
奈々は小さく肩をすくめる。
「今は、“準備してると安心”って思ってる。」
数分後。
二人はそれぞれ準備を終えて個室から出てくる。
奈々は少しそわそわしながら聞いた。
「……変じゃない?」
美咲は小さく笑う。
「全然分からない。」
奈々はほっとした顔をした。
「よかったぁ……。」
そして小さく息を吐く。
「なんか、“また寝ちゃっても大丈夫”って思える。」
美咲も頷いた。
「安心感あるよね。」
二人は並んで洗面台で手を洗う。
鏡の中の自分たちは少し眠そうで、でもどこか安心した顔をしていた。
外では、夜行バスのエンジン音が静かに響いている。
奈々は小さく笑った。
「……これで帰りまで安心。」
「うん。」
「次から長距離移動の時、私もちゃんと準備しようかな。」
その言葉に、美咲は少しだけ嬉しくなる。
誰にも理解されないと思っていた“不安”を、今は奈々が自然に分かってくれている。
それが、なんだか温かかった。
二人は顔を見合わせ、小さく笑ってからバスへ戻っていった。
第2話「夜行バスと眠れない二人」を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、美咲だけではなく、奈々も“安心のために準備する気持ち”を理解していく回になりました。
最初は「そんな必要ある?」と思っていた奈々が、実際に不安を経験することで少しずつ考え方が変わっていく。
そして、“一人じゃない”と思えることで、不安そのものも少し軽くなっていく。
このシリーズでは、ただ失敗を描くだけではなく、
* 誰かに理解される安心感
* 準備があることで落ち着ける気持ち
* 恥ずかしいことを共有できる関係
を、ゆっくり描いていけたらと思っています。
次回も、美咲と奈々の日常を見守っていただけたら嬉しいです。




