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Shadow hides──その犬たちは少女の番をする  作者:
【第一章】吠声の行方
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第7話(2)

「ここ、違う」


 青いメッシュの青年が赤ペンでノートを叩いた。三畳の和室には教科書と消しゴムのカスが散らばっている。

 その隣、キッチンでは風竜が詩歌のもとで夕食づくりの手伝いをしていた。彼なりの詫びの仕方らしい。


 本日を締めくくるメニューはチキン南蛮だ。

 少年は聞き覚えのある料理名だそうで目を輝かせる。先ほどの落ち込み具合が嘘のようだ。


 長髪が卵を茹でている間に、彼は玉ねぎを刻むよう言われた。ツンとした匂いと刺激に苦戦しつつも何とか包丁を立てる。騒ぎながら野菜を切る彼を笑いながら、詩歌は冷蔵庫から食材を取り出した。

 手際よく鶏肉の下処理をする彼に、風竜は目をこすりながら問う。単純に興味が湧いたのだ。


「あんた、なんで千万路(ココ)に入ったの?」


 青年の作業する手は止まらず、生肉に塩コショウを振った。

 薄い唇は優しげに弧を描いている。彼は手短に、君のように拾われたと答えた。

 意外な返しだったが、風竜は「ふーん」と相槌を打つ。質問した側だのに冷たい態度だったが、あえてそうしているのだと詩歌には分かった。


「私は元々LL(リーレ)の隊員だったんだ」


 茹でた卵の殻を剥がす。逞しく太い指は、丁寧で繊細な手つきだった。


 彼は続ける。

 自分の呪文が発現した当時は、今よりも異能所持者への風当たりは厳しかった。

 言影を持つ者はLead Letterに入らなくてはいけないという趨勢に呑まれ、あれよあれよという間に隊員になり、全国の無法地帯と化した都市を駆けずり回ったそうだ。


「あの頃は言影が何なのか分からないことが多くて。大変だったよ」


 風竜は耳を傾けたままボウルを掻き混ぜる。タルタルソースからのレモンが鼻腔を撫でた。


 彼は少々苦しげに、生きた心地がしない時期だったと呟く。

 仲間の死を見送ることが多かった。もちろん自分も、違反者の処罰という名目で人殺しをした。殺さなければ殺される、そんな荒れ果てた世界だったと。


 油が弾く。真夏の夕立かと錯覚してしまうほど激しい音だった。

 青年は皿を出してくれと頼む。その間に、彼は味噌汁を作り始めた。


「私は、狂うことができなかったんだ。初対面でも目の前で死なれた日は眠れなくてな」


 出汁の香りが立つ。風竜は皿を出しながら口を閉ざした。

 キャベツを切りつつ、詩歌はフライパンの様子を見る。鶏肉をひっくり返して火の通りを確認すると香ばしい匂いがした。


 詩歌は続けて語る。二年ほどそんな生活を送ったが、精神の限界を迎える方が速かったと。

 どこにでもあるような橋から飛び降りようとした。せめて自分の故郷で死にたいと、手すりから身を乗り出す。だが、結果として彼は死ななかった。


(とどろき)さんが止めてくれたんだ」


 油の浅瀬から鶏肉を引き上げ、キッチンペーパーへと並べる。


 新しく出た名に、黒髪は誰かと尋ねようとした。しかしタイミングよく少女の声が被さる。


「パパがどうしたの」

「昔話だよ。丁度できたところだし霞人も呼んでくれ」


 青年は茶の長髪を揺らして居間へと行く。はぐらかされたが、響は深追いすることなく風竜を見上げた。彼は主からの視線にわざとらしく肩を竦める。


 食卓に料理が整列する。いつの間にかポテトサラダと漬物も列に加わっていた。


 湯気が食欲誘う香りを運ぶ。今日は四人で手を合わせた。

 早速、下手な持ち方の箸を使って食べ始める風竜は、痛くなってしまうのではないかと思うほど頬張った。それをじっと観察していた隣の主も、なぜか真似して白米を詰め込む。向かいに座る忠犬は、気にせず味噌汁を啜った。


 言葉を介するよりも美味しそうに食べる彼らを眺めて、詩歌は嬉しそうに目を細める。解いた茶髪がさらりと流れた。

 ふと、飲み込んだ響が言う。


「そうだ。今夜は初仕事だよ、フリュー」

「はふひほと?」


 きょとんとした顔で少年は首を傾げる。対して霞人は目を伏せて女児に訊いた。


「確か志辰(ししん)組だったか。どれほどやっていい」

「抵抗されたら殴ってもいいよ」

「え、ちょっと待ってなんの話??」


 会話の裏に物騒な気配がした。思わず少年は箸を止める。

 小学生と同僚の話題に乗り遅れたが、彼女はチキン南蛮を摘みながら答えた。借金の取り立てだと。


 唐突なヤクザ風の単語に呆然としていると、詩歌がしっかりと訂正してくれた。とはいえ物騒なことに変わりはなかったが。


「昔はショバ代と呼ばれていたな。それを払わず半年滞納している組から徴収しに行くんだ」


 もちろん殺しは駄目だと言う。大事なところはそこではないが、風竜は黄色い目を何度も瞬かせた。

 何故今夜なのかと問うと、幼い組長は平然と「必ずいるから」と返した。裏付けは取れているため確実に支払ってもらえと言いながら咀嚼する。


 では、もし払えなかったらどうするのだろうか。指でも詰めるのかと少年が尋ねると、糸目の青年が笑い出す。ヤクザではあるまいし、と言って茶碗に視線を落とした。


「組は解散させ、組織長は働かせる。綺麗な金で返してもらわないとな」

「てことで二人とも、任せたよ」


 響は隣と向かいに目を順に向ける。二匹は揃って返事をしたが、互いの顔を見ると嫌そう表情になったのだった。

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