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第三章 白い塔の街 ⑫ 塔の下で


 朝、朔は自分の名前で起こされた。


「サクさん」


 扉の外に、マレアが立っていた。


 白い服ではない。


 昨日と同じ茶色い長衣。

 腕の細い傷。

 後ろで束ねた髪。


 朔は寝台から身体を起こす。


「入ってください」


 自分で扉を開けた。


 マレアは室内へ入り、最初に網箱を見る。


 封印紐。

 土の器。

 蓋。


「火種に変化は?」


「ありません」


「夜中に音は?」


「一度も」


「身体は?」


「頭が少し重いです」


「眠れましたか」


「少し」


「少ししか眠っていないからでしょう」


 マレアは、そう決めつけなかった。


「ほかの原因もあり得ます。目を見ます」


「はい」


 光石。

 呼吸。

 脈。


 一つずつ説明してから確かめる。


「昨日より脈は遅い」


「緊張していないから?」


「緊張に慣れただけかもしれません」


「それは、落ち着いたことになりますか」


「身体にとっては、必ずしも」


 マレアは朔の手首を見る。


 薄い青の布。


 接続検査を、説明なしに始めさせないための印。


「外れていませんね」


「はい」


「今日は、これを外す判断をしていません」


「誰かに外せと言われても?」


「私が書いた印です」


 マレアは言った。


「私より強い権限を持つ者はいます。ですが、治療上の理由なく外すなら、その者の名前を残させてください」


 止められないこともある。


 だが、誰が止めたのかは残す。


 完全ではない。


 それでも、何もないよりはいい。


「ありがとうございます」


「礼は、まだ早いです」


「流行っているんですね、その言い方」


 マレアが少しだけ眉を上げた。


「誰が言ったんですか」


「何人か」


「便利な言葉なのでしょう」


 笑いにはならなかった。


 だが、朝の部屋に少しだけ隙間ができた。


***


「今日、審査があります」


 検査を終えたマレアが言った。


「内塔へ移すかどうかの?」


「それだけではありません」


「では?」


「あなたの状態を、現在の管理区分のどこへ置くか」


 また、区分。


「三つの門みたいに?」


「もっと多いです」


「多ければ、俺に合うんですか」


「合う可能性は上がります」


「合わなければ?」


「新しい備考が増えます」


 マレアは淡々と答えた。


 皮肉ではない。


 本当に、今の管理局ができることを言っている。


「審査には誰が出ますか」


「セオ審査官。中央審査室の記録官。私。エリオ」


「ノエさんは?」


「昨日の移送経緯の証言者として呼ばれています」


「リオさんは?」


「立会人として、塔下区画まで入る許可が出ました」


 朔は顔を上げた。


「誰が許可したんですか」


「セオ審査官が申請し、外郭管理官が認めました」


「リオさんは、来ると言いましたか」


「本人へ確認中です」


 来ると決めつけない。


 許可が出たことと、本人が来ることは違う。


「俺も、出られますか」


「あなたについての審査です」


「だから、外で待たされるかと思いました」


「通常は途中までです」


「今日は?」


「セオ審査官が、全ての議題へ同席させると記録しました」


「俺が求めたから?」


「それだけではありません」


「ほかには」


 マレアは少し考えた。


「昨日、あなたが走ったからでしょう」


 朔は黙った。


「説明しなければ、自分で確かめに行く」


「道を間違えました」


「それも含めてです」


 失敗したから、信用を失うこともある。


 失敗したから、隠して進める方が危険だと思われることもある。


 どちらになるかは、相手次第だった。


「セオさんは、俺を近くで見ておきたいだけかもしれません」


「その可能性もあります」


 マレアは否定しなかった。


「審査室で聞いてください」


***


 塔下区画へ向かう道では、ノエが案内した。


 昨日とは違い、朔の腕を掴まない。


 網箱を持つ手は、少し身体に近い。


 また走れば、今度は火を傾けないためだろう。


「この印は?」


 朔は壁に刻まれた円を指す。


「塔下設備区画です」


「昨日の四つの点との違いは?」


「四つの点は流路の交差。円の中に縦線があるものは、塔の支柱へ近い場所」


「支柱?」


「塔の重さと流れを、下の建物へ分ける部分です」


「見たことがありますか」


「外からだけです」


「中は?」


「設備担当以外は入れません」


 昨日なら、聞かずに形だけ覚えていた。


 今日は、意味を聞く。


「この青い帯は?」


 廊下の上部に、細い青布が渡されている。


「外郭からの立会人が通れる範囲です」


「リオさんは、ここまで?」


「審査室までです。それより先へは入れません」


「帰る時も、同じ道ですか」


「審査の終了時刻によります。夜になれば、北側の通路が閉じます」


「閉じる前に終わらなかったら?」


「別の道を使います」


「その道も、あとで教えてください」


「分かりました」


 ノエはすぐに答えた。


「私が、帰路の案内を担当するなら」


 自分ができない約束まではしない。


 それも、名前を持つことの一つなのかもしれない。


***


 塔下審査室は、これまでの部屋より広かった。


 白い塔の真下。


 そう聞いていたが、塔そのものは見えない。


 天井は低い。


 中央に太い柱が一本あり、壁の中から低い振動が伝わってくる。


 ごう。


 音というより、重さだった。


 塔が上にある。


 見えなくても分かる。


 部屋の中央には、円形の机があった。


 完全な円ではない。


 一か所だけ開いている。


 そこから出入りできる。


 席は七つ。


 セオ。

 マレア。

 エリオ。

 ノエ。


 灰色の長衣を着た、見知らぬ男が一人。


 胸の札には、細い文字が何行も刻まれている。


 そして、リオ。


 朔が入ると、リオは最初に手首の青い布を見た。


 次に網箱。

 最後に朔の顔。


「名前は」


 朔が聞く前に、リオは荷物の内側へ手を置いた。


「ある」


 それだけで、部屋の低い振動が少し遠ざかった。


「小刀は?」


「保管庫。今朝、状態を見せてもらった。傷も欠けも変わっとらん」


「ありがとうございます」


「礼は返ってからや」


「やっぱり流行っています」


「何の話や」


 リオは椅子を一つ引いた。


 朔の席。


 円の開いた部分に一番近い。


 出口が見える位置だった。


「そこへ座っていいんですか」


「俺が動かした」


「元は?」


「中央や」


 机の中央に近い席。


 囲まれる場所。


 リオが、出口側へ変えた。


「戻せと言われませんでしたか」


「聞かれたから、理由を言った」


「何と?」


「こいつは出口が見えんと、話より扉を気にする」


 セオが言う。


「事実に近いと判断しました」


 朔は椅子へ座った。


 網箱はノエが、見える場所へ置く。


 リオとは少し離れている。


 だが、同じ机にいる。


 外で待つ人ではなく、立ち会う人として。


***


「始める前に、立会人を含め、全員の名前と役割を記録します」


 セオが言った。


 見知らぬ男が記録板を開く。


「中央審査室記録官、グラド・ウェン」


 男が名乗る。


 名前が先。


 次に役目。


「審査記録の作成と、既存規定との照合を担当します」


 続いてマレア。


「マレア・ソン。治療官。身体状態および検査上の緊急性について証言します」


「ノエ・ハーラ。検査区画案内員。昨日の移送と区画離脱について証言します」


「エリオ・レイス」


 一度、そこで止める。


「条件付同行の保証者。勇者候補第二位」


 肩書きを消してはいない。


 だが、名前を先に置いた。


「リオ」


 リオは短く言う。


「行商人。サクの同行者。それから、こいつの名前を預かっとる」


 グラドの筆が止まった。


「名前を預かる、とは?」


「そのまま書け。説明は必要になったらする」


「記録上の役割に該当する区分が」


「立会人だけでええ」


 リオは言った。


「名前を持っとることは、役目やない」


 グラドはセオを見る。


 セオが頷く。


「立会人。証言上、サクさんの名前を預かっている人物」


「分けて書いたか」


「はい」


 最後に、セオ。


「セオ・ラグナ。殻管理局審査官。本審査の進行と、暫定的な管理判断を担当します」


 そして朔を見る。


「黒川朔」


 朔は自分で言った。


「ツヅリ村では、サクと呼ばれています」


「役割は?」


 グラドが聞いた。


 朔は少し考えた。


「今は、審査される人です」


「対象者」


「違います」


 グラドの筆が止まる。


「この場で、俺について話される人です。それから、話す人です」


「審査参加者、と記しますか」


「参加していることと、決定できることは同じですか」


 グラドは答えられない。


 セオが言う。


「審査対象兼参加者」


「対象を後ろにしてください」


「審査参加者。本人に関する判断を議題とする」


 エリオが読み上げた。


 朔は頷く。


「それでお願いします」


***


 最初に、マレアが検査結果を報告した。


「身体状態に、現時点で緊急処置を要する異常はありません」


 異常。


 マレアはすぐに続ける。


「ここでいう異常は、発熱、意識低下、呼吸障害など、治療上のものです。魔素反応については、通常経路との非接続または測定不能。危険性は判定できません」


「危険性なし、ではない」


 グラドが確認する。


「はい」


「危険性あり、でもない」


「はい」


「追加の塔接続検査は?」


「現時点で、医療上の緊急性は認めません」


「検査としての必要性は」


「審査官の領域です」


 自分の分かる範囲だけを言う。


 次に、ノエ。


 昨日の移送。


 朔が同意しなかったこと。


 走ったこと。


 道を間違えたこと。


 火種入れが傾いたこと。


 朔が支え、そこで走るのをやめたこと。


「本人は、制止に従ったのですか」


 グラドが聞く。


「最初は従いませんでした」


 ノエは答える。


「火種を支えた後は、自分で停止しました。その後、エリオ・レイスの同行判断に従いました」


「再度の逃走可能性は?」


「あります」


 ノエは朔を見る。


「説明されない移動が始まれば」


 朔は少し驚いた。


「俺が走る可能性、とだけ言わないんですか」


「昨日見た範囲では、理由と行動が繋がっています」


「理由が正しければ、走っていい?」


「いいえ」


 即答だった。


「ですが、理由を無視すれば、次も止められないと思います」


 優しくはない。


 だが、朔だけを危険な側へ置かなかった。


***


 エリオは、条件付同行の経緯を説明した。


 宿での交渉。

 自発同行ではないこと。

 二刻ごとの報告。

 荷物確認の条件。


 そして、自分の名前で報告を引き受けたこと。


「内塔移送指示に、その条件は引き継がれませんでした」


 エリオが言う。


「規定上、外郭条件は内塔区画への移送時に再設定されます」


 グラドが答えた。


「だから、担当が替わるだけです」


「担当が替わることと、約束が引き継がれることは同じではありません」


 エリオが言う。


「約束は個人のものですか」


「私の名前で引き受けました」


「なら、あなた個人の問題では?」


「管理局の手続きの中で、私が保証者として認められた約束です」


 エリオの声は穏やかだった。


 だが、退かなかった。


「都合のいい時だけ個人の約束とし、対象者を動かす時だけ管理局の権限を使うことは、整合しません」


 グラドが黙る。


 セオは何も助けない。


 エリオ自身に言わせている。


 役目の後ろではなく、自分の名前で。


***


「次に、現在の判断材料を確認します」


 セオが机へ三枚の記録を置いた。


「一つ。サクさんは、通常の魔素測定で返りが消失する」


「はい」


「二つ。既知の治療祈術との接続が成立しない」


「はい」


「三つ。Y.I.の識別符を持つ記録と、一部の反応が類似する」


「同じではない」


 朔が言う。


「類似です」


 セオは訂正しない。


「四つ。本人は塔接続検査に同意していない」


「はい」


「五つ。現在の状態に、緊急の身体的危険は認められない」


 マレアが頷く。


「以上から、管理局としては二つの選択があります」


「俺にとっては?」


 朔が聞く。


 セオは少しだけ間を置く。


「あなたにとっても、今提示できるのは二つです」


「聞きます」


「塔接続検査を受け、反応を確認する」


「もう一つは」


「接続を行わず、内塔前観察区画で継続観察を受ける」


「どちらも、管理局からは出られない」


「はい」


「検査を受ければ、出られる可能性は?」


「結果によります」


「悪ければ?」


「内塔での観察または治療」


「分からなければ?」


「同じです」


 接続する。

 接続しない。


 どちらを選んでも、白い塔の中に残る。


 選択肢は二つ。


 出口は一つもない。


「これは、選ばせているんですか」


 朔は聞いた。


「検査方法については」


「帰るかどうかは?」


「現時点では選べません」


 セオは言い換えなかった。


***


 朔はY.I.の記録を思い出した。


 保護直後には、通常の魔素反応があった。


 塔流路へ接続した時、返りが一度消えた。


「確認したいことがあります」


「どうぞ」


「Y.I.の返りが消えたのは、塔へ繋ぐ前ですか。繋いだ後ですか」


 グラドが記録を確かめる。


「接続検査中です」


「接続したから消えた可能性は?」


「因果関係は確認されていません」


「ないと確認されたんですか」


「それも確認されていません」


 空白。


 だが、今回は人の生死だけではない。


 検査の安全そのものに、空白がある。


「安全を確認するための検査で、返りが消えたかもしれない」


 朔は言った。


「それでも、俺を同じものへ繋ぐ?」


「Y.I.とあなたが同じ反応を示すとは限りません」


 セオが答える。


「違うなら、安全だと言える?」


「検査しなければ分かりません」


「検査したことで変わった可能性も、分からない」


「はい」


 セオは認めた。


「それでも、何もしない危険があります」


「あります」


 朔も答えた。


 セオの目がわずかに動く。


「俺が安全だとは言っていません」


「では」


「危険ではないと証明しろ、とも言いません」


 自分で自分を安全と決めれば、王都と同じことをする。


 分からないものを、自分に都合よく埋める。


「俺が危険かもしれないことは、分かっています」


 朔は続ける。


「火が反応した。祈りが避けた。返りがない。森や殻と繋がっているかもしれない」


 リオは何も言わない。


 マレアも、エリオも。


 朔自身に言わせる。


「でも、塔へ繋ぐことも危険かもしれない」


「はい」


 セオが答える。


「なら、なぜ決めるのが管理局だけなんですか」


「殻と魔素を扱う専門機関だからです」


「検査をする人も、危険を決める人も、記録する人も、全部この塔の中にいる」


「外部の者には、必要な知識がありません」


「この塔の人も、全部は知りません」


 壁の流路。


 検査石。


 照合規定。


 誰が作ったのか分からない移送手続き。


「知らないこと自体は、悪いことではありません」


 朔は言った。


「でも、知らない人たちだけで、知らないものの答えを決めるのは怖いです」


***


「では、誰が決めるべきだと思いますか」


 グラドが聞いた。


 少し苛立っているように見えた。


「殻のことを知らない行商人ですか。検査を拒む子ども自身ですか」


「俺一人で決めるとは言っていません」


「では」


「俺を見た人です」


 朔はマレアを見る。


「身体を診た人」


 ノエを見る。


「俺が走って、間違えて、火を支えたところを見た人」


 エリオを見る。


「条件を引き受けた人」


 リオを見る。


「俺の名前を持って、外で待った人」


 最後に、セオとグラドを見る。


「記録と、この塔の仕組みを知っている人」


「全員で決める?」


 セオが聞く。


「全員が同じ力で決めるかは、まだ分かりません」


 朔は言った。


「でも、誰か一人の正しさだけで決めない」


 古い巡礼名簿。


 火守り。

 名持ち。

 手引き。

 眠り番。

 殻渡り。


 どれが一番上でもなかった。


「昔の巡礼者は、眠った人を起こすかどうかを、一人に決めさせませんでした」


 セオの目が細くなる。


「どこで知りましたか」


「今は、言いません」


「判断材料になり得ます」


「話した人が、記録を恐れています」


 シオ婆の名前は出さない。


 答えだけ奪わない。


「内容は?」


「火を見る人。名前を持つ人。手で確かめる人。眠りを待つ人。役目が違う人たちで決めた」


「古い巡礼記録ですか」


「そう書かれた写しがあります」


「原本は?」


「持っていません」


「写しは?」


 朔は布袋へ手を置く。


「一部だけ」


 リオの視線が動いた。


 止めはしない。


 だが、誰に渡すか選べという目だった。


「今、提出するつもりはありません」


 朔は言った。


「なぜですか」


「守るための記録にも、捕まえるための証拠にもなるからです」


 セオは、その言葉を聞いたことがあるような顔をした。


 あるいは、自分でも同じことを考えたことがあるのかもしれない。


***


「管理局の判断を、古い写しより下へ置けと?」


 グラドが聞いた。


「上か下かの話ではありません」


「専門性を否定しています」


「否定していません」


 朔はマレアを見る。


「検査のことは、俺よりマレアさんの方が知っています」


 セオを見る。


「王都の記録は、セオさんの方が知っている」


 エリオを見る。


「ここでどの扉が開くかは、エリオさんの方が知っている」


 リオを見る。


「道の外で、何が起きるかはリオさんの方が知っています」


 そして、自分の胸へ手を置く。


「でも、俺が何を怖がって、何を失いたくないかは、俺が一番知っています」


 完全には知っていない。


 願いで間違えることもある。


 昨日、道を間違えた。


「俺も間違えます」


 朔は言った。


「昨日、間違えました」


「だから、専門家が判断する必要があるのでは?」


 グラドが返す。


「専門家は間違えないんですか」


 グラドの口が止まる。


「間違えない人を探しているんじゃありません」


 朔は続けた。


「間違えた時に、誰がどこまで戻すかを、一人にしないでほしい」


 一人に正しさを背負わせれば、間違った時に全員が壊れる。


 シオ婆の言葉。


 昔の巡礼者の知恵。


「俺を危険だと決めるなら、俺が何をした時にそう決めたのかを、俺にも分かるようにしてください」


「説明はします」


「説明するだけではなく、止める人も入れてください」


 マレアの青い布。


「記録する人と、訂正する人を分けてください」


 リオが読む。


 エリオが確かめる。


「俺の話を聞いた人と、数字だけを見る人を、両方入れてください」


 部屋の低い振動が、足元から上がってくる。


 白い塔の重さ。


 その真下で、朔は言った。


「危険かどうかを、あなたたちだけに決めさせない」


 声は大きくなかった。


 それでも、部屋の全員に届いた。


***


「それは、管理局の権限を認めないという意味ですか」


 セオが聞いた。


「違います」


「では?」


「管理局だけに、全部の権限を置かないでほしいという意味です」


「あなたには、その決定を要求する権限がありません」


 グラドが言った。


「はい」


 朔は認めた。


「だから、言っています」


「権限がなければ、通らない要求もあります」


「通らなかったことを、通らなかったと記録してください」


 グラドが黙る。


「俺が同意したことにはしないでください」


 言葉を残す。


 扉が開かなくても。


 今すぐ仕組みが変わらなくても。


 自分が何を求め、何を拒んだかを残す。


「それで、閉じ込められたままでも?」


 セオが聞く。


「よくはありません」


 朔は答えた。


「でも、出るために危険な検査へ自分から繋がったことにされるよりは、ましです」


 リオの口元がわずかに動いた。


 ましな危険。


 同じ言葉を、互いに持っている。


***


 セオは、すぐに結論を出さなかった。


 マレアへ向く。


「医学的見地から、塔接続を明朝まで延期することに問題は?」


「現時点ではありません」


「二日なら?」


「毎日の身体確認が必要です。急変がなければ、緊急性は認めません」


「接続しないことによる周囲への危険は?」


「私の検査では判定できません」


 次にノエ。


「観察区画での対応は可能ですか」


「本人への移動説明と、報告条件が守られるなら」


「再度走る可能性は?」


「あります」


 ノエは朔を見る。


「ですが、出口と予定を先に示せば、下がると思います」


 エリオ。


「保証者として、継続できますか」


「はい」


「勇者候補としての任務に支障が出ます」


「任務調整を申請します」


「順位への影響は」


「受けます」


 エリオは短く答えた。


 第二位。


 数字。


 それが下がる可能性を知っている。


 それでも、引き受ける。


「なぜですか」


 セオが聞く。


「私の名前で約束したからです」


 それ以上でも、それ以下でもなかった。


 最後に、リオ。


「外部立会人として、何ができますか」


「二刻ごとに来る」


「外郭待合所へ、毎回?」


「ああ」


「宿代も食費もかかります」


「請求する」


「誰に?」


「管理局に決まっとる」


 グラドが顔をしかめた。


「その費用区分はありません」


「備考欄があるやろ」


 朔は、少しだけ息を吐いた。


 笑いにはならない。


 だが、重さがわずかにずれた。


「費用は別途検討します」


 セオが言う。


「来訪自体は認めます」


「名前の紙も持ってくる」


「それは提出物ではありません」


「提出する気はない」


 リオは言った。


「あることを見せるだけや」


***


 セオは目を閉じなかった。


 机の上の記録を、一枚ずつ見た。


 検査結果。

 退出不許可。

 Y.I.との類似。

 昨日の逃走。

 エリオの保証。

 マレアの判断。


 それから、グラドへ言う。


「暫定判断を記録してください」


 筆が構えられる。


「塔接続検査は実施しない」


 朔はセオを見る。


「いつまでですか」


「三日間」


「三日後は?」


「再審査します」


「自動的に始めない?」


「本人への説明と、再審査なしに実施しない」


「記録してください」


「記録しています」


 セオは続ける。


「内塔前観察区画への移送は撤回。現在の観察室で滞在を継続」


「退出不許可は?」


「維持します」


 完全な勝利ではない。


 外には出られない。


「理由は?」


「危険性が否定できていないため」


「危険だと確認されたからではない」


「はい」


 グラドが書く。


「審査は、セオ・ラグナ、マレア・ソン、エリオ・レイス、外部立会人リオ、本人サクの意見を記録した上で行う」


「ノエさんは?」


 朔が聞く。


 ノエが少し驚いた顔をする。


「観察区画での行動記録を持つ人です」


 セオが頷く。


「ノエ・ハーラによる観察報告も判断資料に加える」


「グラドさんは?」


 グラドが朔を見る。


「記録するだけですか」


「規定との照合を行います」


「なら、あなたの判断も入っています」


 規定に合うかどうかを決める。


 それも判断。


「グラド・ウェンの規定照合意見を付す」


 セオが加えた。


 名前が増える。


 責任が薄まるのではない。


 誰が何をしたのか、分かれる。


「この形式は、正式な共同審査ではありません」


 グラドが言う。


「管理局の最終判断権は、セオ審査官にあります」


「はい」


 朔は答えた。


「でも、セオさん一人の考えだけでは決められない記録になりました」


 グラドは反論しなかった。


***


「一つ、条件があります」


 セオが言った。


「俺に?」


「全員にです」


 セオは朔の布袋を見る。


「古い巡礼の写しについて、三日以内に開示するかどうかを決めてください」


「出せと言わないんですか」


「今、命じれば、あなたは写しを証拠として扱われることを恐れて隠すでしょう」


「すでに、持っていることを言いました」


「それ以上を奪っても、正確な判断材料にはなりません」


 答えだけ奪うな。


 セオが、その言葉を知っているわけではない。


 だが、少し近いところまで来ている。


「見せるなら、誰が読むかを先に伝えてください」


「約束します」


「写しを持っている場所や、見せてくれた人を聞かないでください」


「内容の由来は、判断の信頼性に関わります」


「その人が危険になります」


「では、由来を伏せた状態で、内容だけを先に確認します」


「写しは預けません」


「同席して閲覧します」


「写しを増やさない」


「記録は必要です」


「何が書かれているかだけ。紙の形や傷まで写さないでください」


 セオは少し考える。


「三日後までに、条件を詰めましょう」


 今すぐ決めない。


 空白を残す。


***


 審査が終わっても、白い塔は動かなかった。


 振動は続いている。


 机の上には、書かれたばかりの記録。


 接続延期。

 移送撤回。

 退出不許可継続。

 複数の名前による判断資料。


 外へ出られるわけではない。


 ユイかもしれない少女へ会えるわけでもない。


 ハルの行方が分かったわけでもない。


 それでも、昨日までとは違う。


 誰も知らない規定だけで、次の扉が開くことは止まった。


 少なくとも、三日間。


「戻るぞ」


 リオが言った。


「リオさんは外へですよね」


「お前は観察室や」


「戻る場所が違います」


「途中までは同じや」


 円形の机から立つ。


 朔は出口を見る。


 来た時と同じ場所にある。


 ノエが網箱を持ち上げる。


 マレアが手首の青い布を確認する。


 エリオは記録板へ自分の名前を書く。


 セオは最後に、暫定判断の下へ一行を加えた。


「何と書きましたか」


 朔が聞く。


 セオが読み上げる。


「本人は、自身の安全を主張していない。危険性判断を管理局のみで完結させないことを求めた」


「それでいいです」


「あなたの言葉を、そのまま残さなくていいのですか」


 朔は少し考えた。


「残してください」


 セオが、別の行へ書く。


 危険かどうかを、あなたたちだけに決めさせない。


 白い塔の下。


 その言葉は、塔を倒さなかった。


 扉も開かなかった。


 ただ、塔の記録の中に、これまでなかった一行を残した。


 朔は、それを確かめてから歩き出した。

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