娯楽
数日後、バカげた支配がウソだったかのように、別館はもとに戻った。
たぶん。
表向きは。
三等市民を見下していた二等市民も、一等市民も、そんなことありませんでしたみたいな顔で日常生活を送っている。
扇動する人間がいなければこんなものだ。数が集まると途端にクソになる。減るとおとなしくなる。
食堂近くの広場には、椅子に拘束された高田が「展示」された。
もちろん死んではいない。
栄養は点滴で与えているし、トイレは自動で下に落ちるようになっている。
投票箱が二つ設置されており、住民は自由に「無罪」か「死刑」かを選択できる。
死刑の投票箱はいっぱいだ。
無罪のほうは……同情で数票入っている感じか。
「多賀峰さんよ、なんでこんな残酷なこと思いつくんだよ?」
「私のことナメてる? 共和国では普通のことよ」
いまは敵ではない。
あくまで表向きは。
許したわけではないが……。すでにいっぺん殺しているので、それ以上はオーバーキルだと判断した。互いのツラにはうんざりしており、殺し合うほど元気になれなかった。
*
たまこは、俺たちの動きを察知していたらしい。
だから仲間たちを集めて行動してくれた。
安田少年も、赤尾さんも、先生に殺されはしたが、反魂の護符のおかげで無事だったらしい。
「師匠、なにかお手伝いできることありますか?」
「いや、大丈夫だ。座っててくれ」
安田少年が生きていたのはいいが、師匠にまとわりついて鬱陶しいことこの上ない。
一番弟子である俺の存在を忘れてないよな?
俺はいま、報告のため本館の事務所に来ていた。
「お疲れ様でした。ちょっと情報の理解に……時間が必要でしたが」
さすがの生倉さんもくたびれた表情だ。
御所と俺に挟まれて、調整するのに疲れたのだろう。
「依頼主は?」
俺の問いに、ボスは肩をすくめた。
「配偶者が支払うと言ったきり、逃走しました。料金を踏み倒すつもりですね」
「なら、その分は俺が払いますよ」
「じつはそれでは足りないのですが」
「もっと働いて返します」
「いいでしょう」
それにしても、今回の御所の動きにはガッカリだった。
陛下は議会を尊重するため、強権を発動したくなかったのだと思うが。お祈りデマが蔓延したせいで、ひとつもまともな策を打ってくれなかった。
生倉さんはじっとこちらを見た。
「お疲れのところ申し訳ないんですが、じつは霧島さんに御所から招集が来ています」
「行きますよ」
心身ともにすり減ってへとへとだが、俺も御所には用があった。
なにか言ってやらないと気が済まない。
*
別館を経由せず、事務所から直接御所へ向かった。
活況だ。
歩いている不命者のみんなが楽しそうにしている。屋台の謎の食べ物を食べながら。まあマナーはよくないから、ポイ捨ても多いが。ちゃんと掃除するものもいる。あらゆる労働に対価が発生している。
以前の殺伐とした雰囲気がウソみたいだ。
ま、こんだけ楽しいなら、いちいち別館の人間なんて気にしてられないだろう。
本当は別館だけでなく、本館もなくなる危機だったのだが。
御所では、すぐさま執務室に通された。
女性だらけの執務室。
陛下は……いや、ふうちゃんは、人なつこい笑みで出迎えてくれた。しばらく会わなかったからか、少し照れている様子もあった。
「どうぞ座ってください」
「失礼」
俺が腰をおろすと、侍女たちはすっといなくなった。
「お話はうかがいました。大変でしたね」
「もし御所から協力を得られたら、もっと楽に解決できたかも?」
彼女を責めるべきではないのだが、どうしても言いたくなってしまった。
お姉さんは申し訳なさそうに眉をさげている。
「うー、ホントにごめんなさい。いま皇帝の権力に頼ると、また議会のバランスが崩れてしまうので……」
「冗談だよ。大変なのは分かってる。たまちゃん連れてこなかったけど、大丈夫だった?」
「はい。今日はまた、雲外老師の要望なので……」
「ああ、そっち」
アパートを守った英雄に金一封でも進呈してくれるのかと思った。
そうすれば借金をどうにかできたかもしれないのに。
*
だだっ広い部屋に、老人が座していた。
「やりとげたのぅ」
今日もこちらに背を向けて、壁の穴に棒を突っ込んでいる。
釣りごっこだ。
俺も隣に腰をおろした。
「死にましたけどね」
「死んどるの。ただのぅ、もう分かってるとは思うが、ここでの生き死になんぞ、たいした問題じゃあないんじゃ」
不命者にはともかく、人間にとってはたいした問題なのだが。
「して、ご用というのは?」
「うん。生命の樹が朽ちるっちゅーことを、伝えようと思ってな」
「はい? 朽ちる? 間に合わなかったってことですか?」
「そうじゃ」
そうじゃ?
なんでこんなに他人事なんだ?
まさかこの爺さん、最初からそのつもりで?
「老師、あなたの目的はなんなんです?」
「娯楽じゃ」
「はい? 俺らをコマにして、遊んでたってわけですか?」
「嘘を言わずに答えれば、そういうことになる」
曖昧な情報を小出しにして、誘導するフリをしてたのは、そういうことか。
「そんなことして、なにが楽しいんです?」
「それはもう、お主にも分かっとるじゃろ」
「はい?」
「ここはのぅ、わしにとっちゃ、あの砂漠みたいなもんなんじゃ……」
砂漠――。
なにもなかった。
風も、緑も、光も、音楽も……。
老人はつるつるの頭をなでた。
「前も言うたな? わしにゃ未来は見えん。じゃけ……それでも予想が当たってしまうんじゃ……。なんもかも、思った通りに転がってく……」
「今回も?」
俺の問いに、老人は初めてこちらを見た。笑っていた。
「今回は違う。わしの予想はことごとく外れた。興味深いのはあのネコじゃ。予想が外れるとき、たいていアレが関係しとる」
「たまこが?」
「ありゃ、スエに可愛がられとるな。生命の樹がの、あの娘を守ろうと必死で式神を動かすんじゃ。まるで子守でもするみたいにのぅ」
その首を刎ねた俺は、さぞかし嫌われたことだろう。
老人は壁から竿を抜き、床に置いた。
「わしゃ、アパートがどうなろうとええんじゃ。ただ、お主らを使って、どれだけ未来を予想できるか試しておっただけでの」
「ですが、結果として、たぶん救われました。お礼を言います」
俺は頭をさげた。
老人は目を細めて笑っていた。
「善意でしたわけじゃない」
「それでもです。厚かましいお願いですが、もっとお知恵を授けていただければ」
知恵は武器だ。
その武器をタダでくれるというのなら、いくらでも頭をさげる。
老人はふんと鼻で笑った。
「こざかしい人間じゃのぅ。わしはなんも思いつかんから、好きに尋ねるといい。知ってる範囲で答える」
「ここは金輪ですか? 水輪ですか?」
俺が尋ねると、彼は片眉をつりあげた。
「ほう。ま、その中で言えば、金輪じゃろな」
「だとするとその上に来るのは?」
「知っとるじゃろ。ここは上と下がつながっとる。あの砂漠は風輪じゃ。もうひとつ水輪がある。行きかたは前に言った通りじゃ」
「前に?」
それは砂漠の上にあり、アパートの下にある。
クモの糸では行けない。
となると、アパートを下っていくほうが早い。
思い出した。
それはアパートの「出口」だ。
本館を下ってゆくと、そこに開かずの扉があるという。扉は生命の樹の根で守られている。根を壊すと樹が死ぬ。
だが、もうそんなことは些細なことかもしれない。
俺たちは間に合わなかった。
アパートは消滅する。
老人はぼそりとつぶやくように言った。
「思い出したか?」
「はい」
「なにがある?」
「開かずの間と、樹の根っこです」
「根腐れを起こしてるいまなら、スエを殺さずとも中に入れるぞ。もし興味があるなら、アパートが消滅する前に行ってみるといい」
「……」
そうか。
本当に終わるんだな。
だいぶ住み慣れてきたところだったんだが。
*
みんな、アパートがなくなったらどうするつもりなんだろうか?
人間はいい。たぶん、居場所を作れる。
だが不命者たちは?
いまさら人間社会に溶け込めるのか?
*
御所を出た俺は、金もないのにある店に来ていた。
その名も「ネコキャバ 快楽」。
今日も愛嬌のあるネコ耳お姉さんが呼び込みをしていた。
「あ、人間のお兄さん! お久しぶりだにゃ! 寄ってくにゃ?」
「カネがないんだ」
「ツケでも飲めるにゃん!」
「じゃあ一杯だけ」
我ながらクソしょうもない。
寂しさを紛らわせる手段が、結局これとは。
「あんだっちゅ? ずいぶん長いことちゅみみをほっといたっちゅね?」
ネコキャバなのに、ネズミをつけられた。
看板に偽りありだ。
「少し飲みたくてな」
「あのクソネコはどうしたっちゅ? 急にバックレて、店長もぷんぷんだっちゅ」
「重要な仕事があったんだ」
「かーっ。仕事ナメんのもたいがいにしろっちゅ。これだからネコとタコは信用できねーっちゅ」
細い体で頑張ってバニー衣装を着ている。頭にはネコ耳。
フリーで入ると必ず出てくるということは、あまり指名をもらえていないのだろう。それでも頑張って地道に働いている。
「頼む、ついでに俺のことも怒ってくれ」
「あんだっちゅ? ドMっちゅか? いや、ちゅっみはそういうのやってねーっちゅよ……。あんまり怖がらせないで欲しいっちゅ……」
体をちぢこめながら、酒を用意してくれている。
ムリな状況で頑張って働いたこと、御所が手を貸してくれなかったこと、金がないことなどを話し、俺はちゅみみに慰めてもらった。
まさかネズミに人生相談するハメになるとは思わなかった。
*
事務所へ顔を出すと、生倉さんだけが残っていた。
「お帰りなさい」
「あれ? 皆さんは?」
「帰りましたよ。さすがにそろそろ時間ですし」
そうだ。「通りゃんせ」の時間だ。
別館のはただの騒音で済むが、本館のはシャレにならない。
「あ、じゃあ俺も帰ります」
「大丈夫ですか? 少し飲んでいるみたいですが」
「えっ? ああ、まあ、軽くなんで……」
普通にしていたつもりなのに、バレてしまうとは。
さすが探偵事務所のボスだな。
*
外壁を伝って細い通路を渡り切り、別館に入った。
毒ガスで滅んだ旧共和国のエリア。
ここでは多賀峰と戦った。
先生とも戦った。
外壁がボロボロだ。
凄まじいひっかき傷がある。
毒が染み込んでいないところを見ると、最近できた傷だろう。きっとデカいトカゲがつけたに違いない。
食堂に入ると、懐かしい婆さんが店番をしていた。
「もう店じまいだよ」
「どこにいたんです? 心配してたんですよ?」
「もちろん禁足地だよ。あたしゃ危険なことにはかかわらない主義なんだ。それで? 残りモノでよければ食うかい?」
「お願いします」
薄暗い食堂。
ほかに客はいない。
俺はカウンター席でコロッケをふたつもらった。揚げてからだいぶ経ったような、油ギトギトのコロッケだ。
「あんたも知ってるだろうけど、最近、収穫量が減っててね」
「ごちそうですよ」
「あの樹、枯れちまうのかい?」
俺が箸をつけようとした瞬間、老婆はそんなことを尋ねてきた。
「さ、さあ。どうでしょうね」
「あんた、ウソがヘタだね」
「いただきます」
箸でコロッケをほぐしていると、じっとこちらを見ていた老婆が、また口を開いた。
「あたしがいない隙に、禁足地にネコが入ったみたいだね……」
「なにか問題が?」
「許可がないのは通さないことになってるんだよ。たとえネコだろうとね」
「よく言っておきますよ」
これじゃ叱られるために来たようなものだ。
ネズミは勢いで言ってくれるからいいが、婆さんのは辛辣すぎる。
ただ、こうしてワーワー言われていると、ようやく日常が戻ったんだなという気分にはなる。
もっとも、その生活も、アパートごと消滅してしまうわけだが……。
(続く)
 




