要塞
『なるほど。状況は理解できました。報告ありがとうございます』
テレビを使って連絡を取ると、生倉さんが応じてくれた。
それでも俺が勝手なことをしたせいか、態度がやたら事務的だったが。
「それで、もしよかったらなんですが……」
俺がそう言いかけたところで、彼女は目を細めた。
『それは依頼ですか?』
「えっ?」
『依頼でしたら料金が発生します』
「ああ、いや……」
そうだ。
彼女たちはプロなのだ。
いくら同じ事務所とはいえ、プロをタダで動かすわけにはいかない。
生倉さんは溜め息をついた。
『それより、別件で依頼が入りまして。あなたにもその件で動いて欲しいのですが』
「えっ?」
いま?
このタイミングで?
その依頼のために、別館から戻れと?
まあ仕事なんだから、俺の個人的な欲求よりそっちが優先されるのは当然だが……。
『依頼主はセンさん。内容は、感謝教団が別館でおこなっている破壊活動の阻止。しかし正直、支払われたのは前金だけでして。成功報酬を回収できる見込みはありません。彼女は、自分の配偶者が支払ってくれると主張しているのですが』
「……」
配偶者?
奇遇だな、俺も支払おうと思ってたところだ。足りればだけど。
『霧島さんは、現地で情報収集を開始してください。こちらは身辺警護の都合があるので、すぐには向かえませんが。依頼を受けた以上、可能な範囲でサポートします。なにかあったら連絡ください』
「了解」
じゃ、俺の個人的な用事ではなく、仕事のほうを優先させることにしよう。
結局、どちらでも同じことだが。
通信を終えると、クソガキが寝転がりながら脇腹を掻いた。
「お? 仕事かぁ? せいぜい頑張れよな」
「なんだよ? 手伝ってくれないのか?」
「あーしは探偵じゃねーからな。このままだと、一人だけタダ働きだゾ」
彼女の主張は完全に正しい。
ただでさえ危険を伴う仕事なのだ。知り合いだからといって、タダでやる道理はない。
「もしお前を雇うとしたら、料金はどれくらいなんだ?」
「現物支給でいいゾ。あーしが屋台で食いたいもんがあったらオマエが払え。あと、あーしがなでて欲しいときは必ずなでろ。それが守れるならやるゾ」
いつも通りだな。
これじゃタダ働きと変わらない。
「分かった。ひとまずそれでいこう。成功したらボーナスを検討しておく」
すると「待て」をしていたイヌが近づいてきた。
「アタシも同じ条件でいいよ」
「ありがとう。助かるよ」
ん?
同じ?
マリカはニヤニヤしている。
まあアパート全体の問題なのだから、全員が無給でやってもいい仕事ではあるが。依頼という形で入ってきた以上、少なくとも俺は仕事の形式でやらなくては。
形式は大事だ。これをやめたら、俺たちは動物と変わらなくなってしまう。どんなにバカげていても。ま、動物にならざるをえないタイミングでは、形式も意味をなさなくなるが。せめてその瞬間までは守ってもいいだろう。
*
マリカと分かれた俺たちは、女子校へ向かった。
もちろん敷地には入らない。
やや離れた場所から、なんとか交渉を試みる。
「男の人は、それ以上近づかないでくださーい!」
女子生徒が、バリケードの上から警告してきた。
前回来たときは、ただ床に線が引かれ、「立入禁止」の看板が置かれているだけだった。監視もいなかった。
しかしいまは堅固に廊下が封鎖されている。感謝教団の襲撃でよほどイラつかされたものと見える。
「西那さんの知り合いなんだ! 少し話をさせてくれ!」
「証拠はあるんですかー!?」
「証拠? いや、それは……」
そんなものあるわけない。
モメていると、女子高生たちが集まってきた。
「え、なに? また来たの?」
「女の子連れてる」
「油断させる作戦かも」
まあ襲撃を受けまくっているのだから、疑心暗鬼になってもおかしくはない。
どうしようか迷っていると、向こうから声をかけられた。
「あ、霧島さんじゃん! なにしに来たの?」
この忘れもしないデコ。
三千穀舞華だ。
「西那さんと話がしたいんだが」
「分かった! ちょっと呼んでくるね!」
すると生徒たちも「知り合い?」「あの刀の人じゃない?」「刀どこ? ここ?」などと言い出した。
どの刀の人なのかは……考えないようにしよう。
ややすると、困惑顔の西那さんが来た。
「霧島さん? なぜここへ……」
いろいろ大変だったらしく、かなりやつれている。急に歳をとったような。
「大事な話があるんです。中に入れてもらえませんか?」
「それは困ります。いま部外者を中に入れるわけにはいかないので。ここで言えない話ですか?」
「さあ、どうかな」
思わせぶりな返事をしたつもりはない。彼女たちに聞かれてもいい。だが、近くに感謝教団のスパイが潜んでいないとも限らない。
「分かりました。では、特別に! 特例で! お入りください。どういうわけか霧島さんは……しばしばトラブルの種にもなりますが、問題の解決力もあるようですから……」
「ありがとうございます」
はて? トラブルの種?
記憶にないな。
比企地の暗殺はバレてないはずだし、その後、津邑がバラバラになった件も冤罪だった。なんのトラブルを言ってるんだ? どうせ前の住民たちで、なんでもかんでも俺のせいにしてたんだろうけど。
*
重たい木製のゲートが開かれ、俺たちは中に入った。
「そちらの……」
「たまこだゾ」
「たしか、ふうこさんの妹さんでしたね。打ち合わせが終わるまで、あなたは生徒たちと遊んでいてください」
「そうするゾ」
バリケードの内側なら安全だろう。
公園を改造した校庭で、部活をしている生徒もいる。
*
小さな職員室へ通された。
職員室といっても、他の職員がいるわけではない。席を外しているだけかもしれないが。ここは西那さんが一人で切り盛りしている可能性がある。
腰をおろすと、西那さんが溜め息混じりに切り出した。
「それで、お話しというのは?」
「感謝教団のことですよ。俺は、あいつらをどうにかしたいと考えてまして」
俺が本館にいたことは知らないと思う。もとの部屋を出てからは、特にこれといった交流もなかった。
彼女は、すると不審そうに目を細めた。
「あなたが? 一人で?」
「いや、何人かでそんな話をしてるところなんです。できたら、この学校とも協力できればと思いまして」
「お断りします」
「はい?」
迷いもせずに?
即答?
「あの高田という男には、私たちも困っています。ですが、いまのところ自分たちでなんとかできています。あなたの力は必要ありません」
「いや、いまはそうかもしれませんけど、そのうち……」
「そのうち? なんです? まさか勢力を拡大して、ここへ攻め込んでくるとでも?」
「そうですよ」
分かってんじゃねーか。
いや、分かっていないのか?
西那さんはまた溜め息だ。露骨にうんざりした態度で。
「そうやって大袈裟に言いつのって、この学校をあなたの傘下におさめるつもりだとしたら?」
「はい? 俺が?」
「そういう手合いは多いんです。ここには若い女性が集まっていますからね。一見、紳士的に見えても、中身がどうなってるかまでは分かりません。私には、彼女たちを守る義務があります」
「でも状況が状況ですよ?」
「この状況だからこそです。なにか事件を利用して、自分の利益にしようとする悪い人間もいますからね。もちろん、あなたをそうだと言っているわけではありませんが」
どういうことだ?
この人は、俺に説教するために中に入れたのか?
「べつに傘下に入って欲しいとは言ってません。バラバラに独立してないで、連帯したほうがいいって言ってるんです」
「学校というものは、独立した自治をたもつべき場所です。もちろん社会とも無縁ではいられませんが……」
「共和国のときはどうしてたんです?」
「特になにも。ですから、今回も」
「襲撃されたんですよね?」
「戦闘には至っていません。ただ、言葉で言っても止まらなかったので、バリケードを作っただけで。けど、あれで十分防げています」
自分たちだけでどうにかなっている。
他人に借りを作りたくない。
そんなところか。
ここまで頑固になるのだから、それだけの理由が存在するのだろう。
実際、津邑みたいな愚か者もいた。いままでも、住人たちの心ない態度でイヤな思いをしてきたに違いない。女だけで集まっていると、なぜか上から指図するヤツがいる。そういう経験が蓄積しているのだ。
「分かりました。強制はしません。そんな権利もありませんし。ただ、こっちは独立した人たちに連帯を呼び掛けて回る予定です。もし困ったことがあったら、そのときは俺の言葉を思い出してください。いつでも歓迎します」
「ご勝手に」
取りつく島もなく拒否されてしまった。
からといって、ここで腹を立てて、彼女たちを敵に回してはダメだ。
あとで仲間になるかもしれない。
ともあれ今日の交渉は終了。
かと思いきや、西那さんがバツの悪そうな顔でこう続けた。
「ところで、みゅーちゃんを見ませんでした?」
みゅーちゃん――。たしか、たまこのことだ。目の前に本人がいたのに、まったく気づかなかったとは。まあ普通気づくわけもないが。
「またいなくなったんですか?」
「ずっとですよ。あれから。どこにもいないんです。見てませんか?」
感謝教団の襲撃よりも、ネコのほうが大事なのかこの人は。
ネコは人を狂わせる。
ネコは危険だ。
禁止したほうがいいかもしれない。
俺はスーツの内ポケットから名刺を取り出した。
「じつは俺、いま探偵をしてまして」
「はい?」
「ネコ、探しておきますよ。いえ、お代は結構ですよ。ネコの行方は俺も気になるので」
「生倉探偵事務所……?」
「安心してください。その事務所やってるの、俺と違って立派な女性ですから」
「女性なの? へえ」
その情報を開示しておいたほうが、西那さんも安心するだろう。
俺はべつに、男がどうだとか、女がどうだとか、主観で決めつける気はない。ただ、なにかあったとき、重大な被害を負うのは、統計上は女性のほうが多い。警戒したくなる気持ちはよく分かる。こっちもムリにこじ開けるつもりはない。
*
外に出ると、たまこがもみくちゃにされていた。
「いつもどこにいるの?」
「学校には通わないの?」
「なんか洗ってないネコのにおいする!」
バレてる。
三千穀舞華が苦笑気味に近づいてきた。
「あの子、かわいいじゃん。霧島さんの家族?」
「いや、知り合いの家族だな。それより、さっきは助かったよ」
「気にしないでよ。恩返しだから。先生との話は終わったの?」
「ああ。提案、断られちゃったけど。たぶんまた来ることになると思う」
「ホント? じゃあまた会えるね」
無邪気な笑顔だ。
彼女の友人の件では……なんとも言えない経験をした。乗り越えてくれたなら嬉しいが。いや、乗り越えなくてもいいのかもしれない。ああいうのは、一生引きずるものだ。あとはどう付き合っていくか。正解なんかない。納得のいく結論を、自分で出すのだ。それ以外にしようがない。
「たまこ、行くぞ」
「お、おう……」
四方八方から女子高生にかわいがられて、耳まで赤くなっている。
こんなにちやほやされたのは初めてだろう。
髪もボサボサの生意気なクソガキだが、動物っぽい愛嬌はある。背も低いし。あんな感じで遊ばれるのも分からなくはない。
*
「大変な目にあったゾ……」
「人間状態でそれなら、ネコになったらもっとヤバいことになるな」
学校を離れ、廊下を歩いている。
尾行はない。
「じつは西那さんから、ネコを探すよう言われてるんだが……」
「ぜってーイヤだゾ」
そうなるよな。
「けど、かなり心配してんだよな。ちょっと顔を見せるくらいならどうだ?」
「まあ、あいつ、餌だけはくれるからな……」
ネコを交渉の道具に使うなど、あまり褒められた行為ではないが。
このままだとアパートが滅ぶかもしれないのだ。多少のダーティープレイはやむをえまい。たまこにとっては、母を救う行為でもある。
「どうした、霧島?」
「いや……。アパート、守らないとなって思って」
「なんだよそれ」
説明しておくべきだろうか?
雲外老師は、たまこに言うつもりでいたらしい話を、なぜか俺に丸投げしやがった。おかげで、俺に余計な負荷がかかっている。
たまこは、自分のことを、正体不明の樹から生まれた食用肉だと思い込んでいる。
まあそれは事実なのだが。
その樹がスエという女性で、たまこの母親であるということは、まだ伝えていない。伝える必要があるのかも分からない。
どうしたらたまこにとって一番いいのか。
俺には分からない。
(続く)




