帰省
もちろん策など思いつかなかった。
というか、小細工でどうにかできるレベルではない。逃げるが勝ち。あとは、どう逃げるかでしかない。
俺は食堂でメシを済ませ、自宅へ戻った。
自宅というか、勝手に住み着いているだけの他人の自宅だが。
ドアの前で待ち伏せされていた。
「よう。あんまし彼女を待たせんなよ」
「誰のこと言ってんだ?」
たまこだ。また俺のジャージを勝手に来ている。サイズがあってないからぶかぶか。
まさかジョークで言っているのではなく、ホントに彼女気取りなのか?
俺はドアを開き、クソガキを中へ招いた。
「なにかあったのか?」
「ジャージ交換してくれ。これ返すから」
「なんでだよ」
「いいから」
イヌか……。
問答するのも面倒だったので、俺はジャージを渡してやった。するとクソガキは、着替えるために風呂場に行った。
こちらの都合などお構いナシだ。
俺は戸棚をあさり、クソガキのおやつになりそうなものを探した。前に赤尾さんが置いて行ったスルメしかない。まあこれでいいか……。ネコの世話は大変だ。
たまこがジャージからジャージに着替えて出てきた。
「あーしの、そこ置いといたから」
「スルメあるぞ。食うか?」
「お前、ネコにスルメって……。まあ食うけどな」
「ダメなんだっけ?」
「あーしは平気だゾ」
無遠慮にかじり始めた。
急に死ななければいいが。
俺はかぶせてあるカーテンを少しよけ、イチカに「ただいま」と告げた。
クソガキは顔面をしわだらけにしてこちらを見ている。
「オマエ、気持ち悪いことしてんな……」
「なんでだよ?」
「いっつもやってんのか、それ?」
「いっつもやってんだよ。いいだろ。俺の唯一の趣味なんだから」
「返事もしねーヤツに話しかけて楽しいのかよ……」
ふてくされている。
「なんだ? お姉さんとケンカでもしたのか?」
「ぜんぜん。ただ、オマエがなんか……変だから……」
変か?
まあ、なにも変わっていないと言えばウソになる。少なくともイチカの件は引きずり続けているわけだし。
「お前、大切な人と別れたことあるか?」
「ねーゾ。別れた瞬間、大切じゃなくなるからな」
本心ではないのだろう。怒ったような顔をしている。
「いま普通に喋ってるように見えるかもしれないが、俺は毎日、頭がどうにかなりそうな衝動と戦ってんだよ。少しは優しくしてくれよ」
「優しくして欲しかったら、その衝動ってのをちゃんとあーしに説明しろ。なんなんだよ。こんなとこでコソコソ暮らしてさ」
「それは……まあ……そうだな。たぶん、お前の言う通りなのかもしれない」
「そのうち戻ってこいよ。姉ちゃんも寂しがってるし」
姉ちゃん――。
その言葉を聞いた瞬間、仕事のことを思い出してしまった。
「えーと、そのお姉さんのことだけどさ。最近、変わったことない?」
そう尋ねると、たまこは信じられないような目でこちらを見た。
「オマエ、なんなんだよ? いま言っただろ! オマエが出てったせいで、落ち込んでんだよ!」
「ああ、いや、そうじゃなくて。なんかもっと……俺以外が原因の……」
「オマエが原因のことしかねーゾ? なんだ? 姉ちゃんになんか問題でもあるってのか? まさかオマエ……」
「えっ?」
あるのか?
いや、なさそうだが。
たまこは天を仰いだ。
「姉ちゃんのパンツ盗んで、それで逃げてるのか……?」
「なんでそうなるんだよ。全然違うよ」
「あ、でもそうだよな。オマエ、男にしか興味ないもんな?」
「それも違うんだよ……」
どうなってんだよ。
説明するのも面倒だよ。
一二三は家族みたいなものだった。
なにかというと俺にくっついてきて。
俺もあいつを守ろうと思ってた。
イチカと出会ったとき、俺は彼を一二三の代わりにしてしまいそうで怖かった。
だから距離をとった。
つまり、生きてるときには寄り添わなかったのに、死んでから寄り添うフリをしているわけだ。自分勝手としか言いようがない。
とはいえ、死者との付き合い方というものは、生きている人間が決めるしかない。
これは絶対にそうなのだ。
変えられない。
逆もない。
何度考えてもそうだったのだから、それ以外にない。あるなら教えて欲しい。
イチカは死んでいないという話だが……。俺にだって分かっている。もとに戻す方法はない。これは固有情報を発しているだけの液体だ。死んでいる。
死体をどう扱うかは、生きている人間が決めるしかない。
だから俺が決めている。
たまこは座ったままこちらへ近づいてきた。くりくりした目でこちらを見つめてくる。
「なあ、ホントに戻ってこないのか? あーしらを捨てるのか?」
「捨てないよ。だから、そんな顔するなよ」
「オマエが帰ってこないと、毎晩姉ちゃんがあーしを吸いまくるんだよ。頼むから帰ってきてくれよ。吸われ過ぎて腹のとこがおかしくなりそうだゾ」
「……」
実害が出ていたのか。
「料理も三人分作るし……。そりゃ、あーしはいっぱい食うけどさ。一度にはムリなんだ。オマエみたいにガバッて食えないし。なー、帰ってこいよ。あーしもう耐えられそうにねーゾ」
「うーむ」
確かに気の毒だな。
俺のせいにされる筋合いはないような気もするが。まあ、お世話になった相手なのは事実だ。
*
というわけで、お姉さんの家へ向かった。
クソガキはにこにこだ。
「また三人で暮らせるな! 絶対姉ちゃん喜ぶゾ!」
「いや、メシはもう食ったんだが……」
「でも食うだろ?」
「そうだな……」
そうせざるをえないよな。
「姉ちゃん! ただいま!」
「お帰りなさい!」
ドアを開くと、お姉さんはたまこをスルーしてこちらへ来た。
来るのが分かっていたようなリアクションだ。まさか、また行動を監視してたんじゃないだろうな。
「ただいま。またご厄介になります」
「厄介だなんて。ここはもうあなたの家なんですから」
「ありがとう」
ちょっと寄るだけのつもりだったのだが……。それは言わないでおこう。
すでに料理はできていた。
こんがり焼けたミートパイだ。ほとんどピザに近いか。
「霧島さん、お食事はお済ですよね? 明日の朝食にしますから、ムリして食べなくて大丈夫ですよ」
「や、でもうまそうなんで、一切れもらうよ」
「はい! お好きなだけどうぞ!」
愛らしい笑顔だ。
だが、少し哀しい気持ちにもなった。
こんないい子を狙っているヤツがいる。
それも、実の兄が……。
俺たちは以前のようにテーブルを囲み、食事を始めた。
「わ、あちーゾ! 姉ちゃん! こんなの食ったらあーし死ぬゾ!」
「ちゃんとふーふーして」
「姉ちゃんがしてくれよ」
「もう、甘えん坊なんだから」
この姉妹……というか母子のようなやり取りも、なんだかなつかしい。
どうでもいいが、クソガキは当然のように俺のジャージにピザをこぼしている。こいつはこぼさないとメシを食えないのか……。
俺も一切れもらい、かじった。
惜しみなく盛られたチーズが、こんがり焼けたパイと絡まり、絶妙なうまさだった。中のジューシーな肉もガツンとカロリーを感じさせてくれる。メシを食ったばかりなのに、普通に食える。
「うまい……」
「ホントですか? いっぱいありますからね」
お姉さんは、なにを作ってもうまい。
俺が自分で作ると最悪の結果になるから、料理はやらないことにしたが……。正直、羨ましくもある。これだけ料理できるなら、絶対に生活が豊かになる。
「あの、お姉さん、食事中に悪いんだけど……」
「はい?」
きょとんとした顔で見つめてくる。
せっかくの楽しい時間に水を差すのも悪いが。
「俺のこと、監視してたよね?」
「ごめんなさい」
「いや、それはまあ、いいんだけど。もしかして、状況を理解してるかなって……」
「状況? なにかあったんですか? 本館の様子まではさすがに……」
まあ事務所には結界があるから当然として、セキュリティのかかっていない本館の廊下さえ見えないということか。もちろん御所の様子も分かるまい。
「生倉さんから連絡来てるかもしれないけど、じつは本館から依頼が来てね。いや、依頼っていうか命令っていうか……」
命令という言葉を出した時点で、お姉さんの表情がこわばった。
理解したのだ。
「あ……あのぅ……もしかして……会った……んですか?」
「会った。そしてあんたを探すよう言われた」
「……」
生倉さんは連絡を入れていなかったらしい。
先に自分たちで方針を決めてから連絡する予定だったか。だとすれば、俺は事務所を裏切ったことになる。
だが、いい。
こういうことは、まっさきに本人に知らせるべきだ。
「事務所の二人は、まだ結論を出してない。でも安心してくれ。俺は絶対にあいつに引き渡すつもりはない。もし事務所と意見が対立するようなら、俺はあの二人とも戦う」
本気だ。
もう誰かを失いたくない。
死ぬのと同じくらいつらい。
なぜこんな思いを何度もしなければならないのだ。
三度目は絶対に回避する。命に代えても。
クソガキが「かーっ」と声をあげた。
「オマエ、いい度胸だな。彼女の前で、別の女にプロポーズするなんて。あーしと寝まくったのはなんだったんだ? 遊びだったのか?」
「遊びですらない。自分がネコであることを思い出せ」
「ネコだゾ」
よろしい。
お姉さんは困惑している。
「あの……でも……。え、寝たんですか?」
「寝てないよ。こいつが勝手に言ってるだけで」
「そ、そうですか。あのー、じゃあ……。え、プロポーズ?」
「それもこいつが言ってるだけ! 本題に入って!」
お姉さんも相変わらずというか、大概だな。
こっちは命を差し出す覚悟で言ってるのに。
お姉さんは、するとようやく正気に戻ってくれた。
「はい。そうですね。兄……のことは……いつか対応しないといけないと思っていました」
「姉ちゃん、兄ちゃんいたのか?」
たまこは目を丸くしていた。
ということは、ずっと秘密にして暮らしてきた、ということか。
まあ、本館を支配する文車一族の長女であるという情報は、外に漏れたら命にかかわることだ。クソガキに教えるのは自殺行為に等しい。
「うん。私の家、おっきな一族でね……。そこの娘なの。でも、いろいろあって……こっちに逃げてきて……。それでたまちゃんと出会ったのよ」
「そっか。姉ちゃん、家族いたのか……」
たまこはたまこで別のショックを受けている。
どこもかしこも触れづらい。
俺はコップの水を飲み干した。
「かなりの大勢力だったな。本館の大部分を支配してる。あいつらが総がかりで来たら、さすがに俺一人じゃ対応できない。もし許可をくれるなら、隙を見て兄貴だけ殺す」
「その必要はありません。私、実家に帰りますから」
「は?」
なに言ってんだ?
あいつは、自分の子供を産ませるって言っているのに。
たぶん俺の口から言わずとも、お姉さんも知っているはずだ。
「私の抵抗が長引くほど、大切な方の血が流れることになると思います。だから、私は帰った方がいいんです……」
「いや、待ってくれ。事務所の連中をかばうこたない。あの二人、いまいちハッキリしないし。あんたを売り飛ばすことも視野に入ってるぜ。みんな自分のことを考えるので精一杯なんだ。あんたもそうしてくれ」
どこまでお人好しなんだ。
する必要のない自己犠牲ならやめてくれ。
だが、彼女は柔和な笑顔のまま、うなずいた。
「いいんです。いつか決着をつけなくちゃとは思ってました」
「決着なんてつけなくていい」
「私がよくないんです」
「あいつはイチカを殺した術を持ってる。ということは、自前の龍脈も持ってるってことだ。結界も張ってるだろうし。術なんか使ったってかなう相手じゃない」
「分かってますよ。私は戦いに行くわけではありませんから。兄上と、お話しに行くんです」
お話し?
聞くような相手か?
自分の両親を液体に変えてまで即位したような男が。
「ですが、霧島さんにも同伴をお願いします。そして、もし私が辱められるようなことがあれば……そのときは私を殺してください。二度と生き返らないように、あなたの刀に毒を塗っておきますから」
「断る。いや、やってもいいが、その場合、刃を突き立てる相手はあんたじゃない」
「ええ。もちろん兄のことも殺してください。この忌まわしい一族の血を絶やして欲しいのです」
「……」
なにがどう忌まわしいんだ?
こんなに立派に生きてるじゃないか。
血統なんぞで自分の価値を決めないで欲しい。
クソガキがピザを食い、指をぺろぺろなめた。
「おいぃ? 二人で盛り上がってんじゃねーゾ。もし行くなら、あーしもついてくかんな。いいよな?」
「うん。お願いね、たまちゃん」
本人がこの調子なら、止めても聞かないだろう。
ともあれ、俺の死に場所が決まってしまった。
人生に悔いはない。
いや、あるが、どれも取り返しのつかない結果に終わった。
いまの俺にできることは、せいぜい新しい悔いを残さないよう死ぬだけだ。
(続く)
 




