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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第二部 朱

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33/82

ラストピース

 先生は自分の行為を正当化している。

 少なくとも、理由を作って正当化した上で行動している。

 獣にならないために。

 だから正当化できないような行動はとらない。

 俺を聖水の材料にしようとしているから、俺のことも殺せない。


 以上が先生の弱点となる。


 きっといまごろ、聖水の上下に術を施して回っていることだろう。ミスを繰り返すような男じゃない。

 いや、ミスと決めつけるのは早計か。

 先生だって、こうなる可能性を想定しなかったわけじゃないだろう。俺の出した戦術は、特に天才でなくとも思いつくものだ。だからヤツは、あえて空けておいたのだ。

 あえて……とも言い難いが。

 リソースというのは、誰しも無限ではない。たとえ弱点を発見しても、他の重要な仕事に取り組んでいる間は、後回しにせざるをえないものだ。


 ヤツには味方がいない。

 従順なペットはいるが、必ずしも術のエキスパートじゃない。ペットを育てるという発想もない。最後はすべて聖水に変えてしまう。

 だから、山ほどある問題に、すべて一人で対処しなければならない。


 まるで社会の縮図だ。

 領土を拡大し過ぎると、防衛線も拡大する。どこから攻め込まれるか分からなくなる。だから普通、仲間を作る。なのにヤツは作らなかった。他者をモノとしか見ていないからだ。


 ヤツは滅ぶ。

 己の傲慢さによって。


 *


 俺たちは、とあるフロアを訪れた。


「すみません! 近隣をパトロールしているものですが! 少々お話しいいでしょうか!?」

 赤尾さんは強めにドアをノックした。

 無遠慮というか、もはや失礼極りないが。


「なんなの? 誰?」

 内側から中年男性の声がした。

 ドアを開けてはくれない。

「パトロールのものです! お宅の階下に危険物があることが判明しまして!」

「そんなに叩くなよ! 近所迷惑だろ!」

「危険なんです! 命にかかわる可能性があります!」

「なら下に言えよ!」

「下から入れないからこうしてお願いしてるんです! もし開けてくれないなら……」

「は? 開けないならなんだよ?」

「……」

「おい、なんだよ? 開けないならどうなんの? 言ってくれよ!」

 赤尾さんが急に黙ったものだから、住人も不安になったらしい。

「いえまあ、他のお宅を訪ねますよ。まったく。こっちは善意で言ってるのに。傷ついちゃうなぁ。あのー、間違いなく注意喚起はしましたんでね、あとはご自分でなんとか……」

「待て! 待って! ちゃんと説明してくれ! 急に言われたら、誰だって警戒するだろ! あんたらを信用していいかも分からないし……」

 その通りだ。

 急にドアを開けろと言ってくるヤツは、たいていロクなヤツじゃない。

 赤尾さんもそんなことは分かっている。

「危害を加えるつもりなんてありませんよ。そんなことしたら、こっちだってビーストになるかもしれないのに。なにが哀しくてそんなリスクをおかすんですか」

「まあ、それもそうだが……」

「ちょっと風呂場に穴を空けて、下の危険物に対処するだけです」

「風呂場に穴? こないだどっかでうるさくしてたのあんたらか?」

「こちらもやむをえずやっているんです。対処しないと危険ですから。もちろん穴は埋めますよ」


 穴を埋めるための補修キットは、神社に依頼して手に入れた。

 本当になんでも手に入るものだ。

 どこから入荷しているのかは不明だが……。


 ともあれ、おじさんはドアを開けてくれた。

 シャツとトランクスという、昭和のオヤジみたいないでたちだ。なつかしささえ感じる。まあここは彼の自宅なのだから、どんな格好でいようが自由ではあるが。


 すかさず生倉さんが名刺を差し出した。

「ご安心ください。活動実績のある探偵事務所です。ご迷惑はおかけしません」

 スーツをピシッと着こなしたクールな女性だ。そこらの住人とは説得力が違う。

 おじさんも目をパチクリさせた。

「ああ、探偵さんなの? へえ。若いのにねぇ。ま、俺の生活を邪魔しないならどうぞ」


 もしそこが空き部屋であれば、先生は勝手に術を施すだろう。

 しかし人が住んでいる場合、踏み込むことができなくなる。無益な殺生はできないのだ。「無益」というか、彼にとっての正当な理由が生じない限りは。


 一方、俺たちには可能だ。なんの信念もない。こうして口八丁で無遠慮に乗り込むことができる。


 かくして、さっそく風呂場に入り込み、作業を開始した。

 今日の作業員は俺だ。ドリルで簡単に穴が空くと思っていたのに、タイルに弾かれて意外とスムーズにいかなかった。肘や肩がぶっ壊れそうだ。ガタガタうるさくて耳もどうにかなりそうだし。


「もうちょっと音どうにかなんないの?」

「すみません。すぐ終わりますんで」

 おじさんに謝りながらの作業だ。

 これが無給なんだからキツい……。


 いや、人助けのためだ。

 絶対にやるのだ。


 穴があくと、わっと光が漏れ出してきた。


「え、なに? なんの光? 燃えてる?」

 おじさんが慌てるのもムリはない。

 まさに燃え盛るような閃光だ。

 液状化した人間が、それでも自分はここにいて、まだ強い感情を抱いているぞと訴えているかのような……。


 生倉さんは表情も変えずに告げた。

「階下に設置された装置は、人体に悪影響を及ぼす毒物のようなものです。とあるテロリストが、アパート内の各部屋に設置して回っています。私たちは、これを排除するため活動しています」

「そうだったの? 知らなかったな、そんなこと……」

 まあそうだろう。

 テレビを見ていれば勝手に情報が入ってくるような世界じゃない。


 赤尾さんが外へ出るよう促した。

「危険ですのでおさがりください」

 さあ、爆弾の出番だ。


 *


 かくしてまたひとつの生命が、排水溝からいずこかへ流れ出た。

 これは望ましい作戦ではないのかもしれないが……。

 それでも、いまは先生を止めるのが先決だ。放っておけば生きている人間が次々と液体洗剤に変えられてしまう。


 *


『休戦しませんか?』

 事務所のテレビに先生がそう訴えてきたのは、数日後のことだった。

 次々と水槽を爆破され、ご自慢の能力が低下してから、ようやく追い詰められたことを認める気になったらしい。さすがというべきか、表情には出さなかったが。


 対する生倉さんは淡々とした口調だ。

「休戦、ですか? こちらになんのメリットが?」

 彼女は煮え湯を飲まされ続けてきた。

 これまで依頼された失踪事件は、すべて未解決のまま棚上げとなってきた。それがようやく前進しようとしている。止まる理由がない。


『私は私利私欲のために動いているわけではありません。醜い世界を浄化するため、長い時間をかけて地道に活動してきました。美しい光で世界を包みたいだけなのです。ご理解いただけませんか?』

「ええ。思想は人それぞれでしょう。しかし残念ながら、弊社とは利益が相反しています。そもそも、あなたが誰かを誘拐しなければ、こちらにも依頼が来なかったわけですから。すべて自業自得なのではありませんか?」

 レスバが強い。

 俺が反論するより全然いい。


『誘拐、ですか。それは哀しい誤解です。私は不遇な人々と手を取り合ってきました。孤立した老人、行き場を失った若者、右も左も分からないまま排除されてしまった年少者……。彼らは、喜んで私の仕事に協力してくれました。誘拐ではありません。私は、自我を失った彼らを、殺さずに保管していただけなのです』

 なかば事実を含んでいるだけに、余計イライラした。

 いい面もあるのかもしれない。だが悪い面もあるだろう。そしてこいつは、いい面だけ見ろという。クソみたいな誘導だ。


 俺はつい横から口を挟んでしまった。

「あんなの、生きてるとは言えない。そもそも弱ってる人間に近づいて、仲間のフリして汚れ仕事をさせてたんだろ? そういうの、貧困ビジネスって言わないか?」

 先生は動じなかった。

『そう呼ばれても構いません。ただ、なぜ彼らは弱っていたのです? なぜ孤立していたのです? なぜ誰も手を差し伸べなかったのです? 彼らが満たされていたなら、私の提案には乗らなかったかもしれません。しかし、そうではなかった。あなたは、一度でも弱っている人間に手を差し伸べたことがありますか? 私の行為を『仲間のフリ』と言いますが、あなたはフリさえしたことがないのでは?』

「……」

 ダメだ。

 反論できない。

 ようやく理解したが、俺はたぶん黙っていたほうがいい。

 レスバは生倉さんに任せよう。


「動機は問題ではありません。重要なのは結果です。善意が人を傷つける例など枚挙にいとまがありませんから。あなたの志は立派かもしれませんが、結果が最悪だと言っているのです」

『結果はまだ出ていませんよ。いまは道は半ばです。来たるべき無欠の世界へのね』

「彼らに選択肢はあったのですか?」

『私はなにも強要していません。力を合わせてなにかを成し遂げる喜びを教えただけ。みんないい顔をしていましたよ。はじめは自信のなかった人々も、私が少し力を授けると、喜んで仕事をするようになりました。術で外道になるのを抑制していますから、彼らはどこまでも前へ進んでいきました。信じられますか? 気力を失い、自分にはなにもないと思い込んでいた人々が、積極的に仕事をこなすようになるのです。あれが精神の輝きです。本当にキラキラしていた……。世界を、あの輝きで満たしたい……』

 歌うように喋る。

 間違いなくイラつく内容なのに、耳に心地よい。この口調と整った顔立ち、そして神秘的な力で、弱っている人たちを信用させたのだろう。


 一方で、こうも思った。

 ヤツの指摘する通り、俺は弱者に手を差し伸べたりしない。クソガキに煎餅をくれてやったのは、単に寂しかったからだ。つまり自分の満足のためだ。

 俺はアパートで弱っている人間を見ても、「ああはならないようにしよう」と思うくらいで、ただ素通りしていた。よほどの場合は声をかけるくらいはしたが。それだけだ。具体的にはなにもしてこなかった。

 なのに、先生がそれを利用すると、俺は怒る。

 怒る資格があるのか?


 この話は、しかも他人事ではない。

 俺が最初に会った相手が、クソガキではなく、先生だったら? こいつの善意らしきものにほだされて、いまごろ俺も水槽の中でピカピカのスープになっていたかもしれない。


 昔から分かっていたことがひとつある。

 本当にいいヤツは、悪いヤツをぶっ殺してるヤツじゃない。他人を助けているヤツだ。

 だからこそ俺は、金田に敬意を払っている。あとからきたくせに地域のありようを変え始めたから、多少の迷惑をおぼえたこともあったが。彼が正しいことは分かっていた。武器を振り回していても、世界は前進しない。

 本当に正しいのは、ああいうヤツだ。


 俺は黙っているべきだとも思ったが、どうしても尋ねたいことがあった。

「なあ、先生。あんたほどの才能の持ち主が、なぜこんな無謀なことをする? 世界をよくするのが目的なんだろ? もっといいやり方はなかったのか?」

『……』

 意外というべきか、彼は遠い目をしたまま返事をくれなかった。

 すぐさま反論してくると思ったのに。

「なんだよ? まさか、無計画ってこたないだろ? 何百年も続けてきたんだろ?」

『ええ。ですが、忘れました。なぜ私がこれをしようと思ったのか……。絶対に成し遂げねばならないことなのに……』

 なんだこいつは……。

 すでに動機を失っているのに、目的だけ果たそうとしていたのか?

 世界のすべての生命を消し去って、光の世界にすると?

 手段と目的を取り違える、という言葉があるが、ここまでハマってるヤツを見たことがない。


 ただ、まあ、こういうのは……。

 忘れたいほどのトラウマが動機、という可能性もある。

 彼は聖水の精製に没頭することで、忌むべき過去から逃げ続けてきたのだ。そして逃げ切ることに成功してしまった。無事、過去は失われたというわけだ。


 生倉さんは溜め息混じりに言った。

「ともあれ、休戦はできません。弊社には、こなさねばならない仕事が山積みでして。おもにあなたに関連した仕事ですが。こちらもプロですから、可能な限り追及させていただきます」

『そうですか。それは残念ですね……』

 いままで表情に出さなかった先生が、珍しく消沈していた。決裂したからじゃない。俺が動機を聞いたときから様子がおかしかった。


 ふと、先生はテレビの角度を変えたらしく、いくらか映像が乱れた。

『そうそう。先日、イチカを精製する瞬間をお見せすると言いましたね。いま、その約束を果たそうと思います』

「は?」

 俺は思わず立ち上がった。


 画面には、水槽が映し出されていた。

 その中にはイチカ。

 眠っているのか、糸の切れた人形のようにぐったりしていた。


 先生は水槽に近づき、コンコンとノックした。

『イチカ、起きなさい。霧島さんに最期の挨拶をするのです』

『ん……なに? ボク……どうなってるの……?』

 目をこすりながら、イチカはきょろきょろした。

 そして自分が水槽の中にいることに気づき、困惑した表情になった。


『先生、これって……?』

『次の段階に進むときが来ました。ほら、ご覧なさい。テレビに霧島さんが映っていますよ』


 なんだこれ……。

 なんだよこれは?

 本当に、いまからヤるつもりなのか?

 その瞬間を、俺に見せると?


『え、待って。先生、ボク、どうなっちゃうの?』

『あなたの身体はもう壊れ始めています。私の術の限界を超えつつあるのです』

『待って! もうなの? ボク、まだしたいこといっぱいあるのに!』

『聞き分けなさい、イチカ。このままではあなたは自我を失い、大切な人たちを傷つけるようになります。それでも構わないのですか?』

『いやだよ……。いやだ! 先生、助けて! ボク、まだ壊れたくない!』

『大丈夫ですよ、イチカ。あなたはこのあと、少しだけ姿を変えて、世界を救う光の力となるのです』

『ひ、光の力……? でも、ボクはボクじゃなくなっちゃう……』

『そろそろ時間です』

『待って! ねえ! 待ってよ!』

『爆ぜなさい』


 先生が印を結ぶと、それまで哀しそうに救いを求めていた少年は……。


 そう。

 これまで見てきた通りのモノに……なった……。

 おぞましい水音を立てながら。

 オレンジ色のスープに。

 イチカのお気に入りの服だけが、いつまでも液体の中で揺れ続けていた。


『霧島さん、いつでも我が家へお越しください。イチカと一緒にお待ちしていますよ。それでは失礼します』

 映像が途絶えた。


 俺は、呼吸さえ忘れて画面を見つめていた。

 ブロックノイズだらけになった画面を、いつまでも。


 ええと、なんだったっけ……。

 そうだ。

 早く、イチカを助けないと。


 けど、助ける?

 いったい、どういう状態から、どういう状態にすれば、助けたことに……。


 なにも考えられない。

 なんだか……なにも。本当に。


 ひとつだけ分かるのは、一秒でも早く、先生を殺さなくちゃいけないということだけ。きっと俺は、こうして突っ立っている場合ではない。

 そうだ。

 殺さないと。

 できるだけ細切れにして。

 この世からヤツの痕跡を消し去らなくては。


(続く)

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