ぶりんぶりん
「ったく、姉ちゃんにも困ったもんだな。勝手に自分で問題を作って、勝手に悩んで、勝手に答えを出して。その全部がズレてんだからすげーよな」
まだ寝ている途中だというのに、クソガキが話しかけてきた。
えっ?
クソガキ?
俺は飛び起きた。
「お前……人の姿に戻ったのか?」
「は? べつにいつでも戻れるゾ」
いまソファの席は俺が占拠しているから、クソガキは床に腰をおろした状態でソファに寄りかかっていた。足はまだ回復の途中に見える。
「大丈夫なのか?」
「なんだよそれ。ぜんぜん大丈夫だゾ。まあホントはつらかったけどさ……。でもドジ踏んだのは自分のせいだゾ。次はうまくやる」
「でもずっとネコのまま……」
「あのなぁ。足を怪我してんだから、人間のカッコじゃ歩けねーだろ? でもネコなら前足が使える。そんだけの話だゾ。なのに、心をやられたからネコのままでいるとか勝手に決めつけて。べつにそんなことねーゾ」
言われてみれば……そうなのか?
ムリをしていなければいいが。
クソガキはやれやれとばかりに溜め息をついた。
「それより、オマエもオマエだゾ。あーしのぶんのプリン、姉ちゃんにあげやがって」
「悪かったよ。代わりと言っちゃなんだが、ネコ缶がある」
「それはあとで食う。それより頭なでろ」
なんなんだこのクソガキは。
人を叩き起こしておいて、好き放題しやがって。
やむをえず、俺は頭をなでてやった。髪がボサボサだ。ちゃんと洗ってるのか?
「雑だな。もっといつもみたいにわしわしやってくれよ」
「ふざけるな。お前みたいなガキをなでくり回したら変態だろ。俺がお前をなでるのは、ネコのときだけだ」
「差別だ」
「差別じゃない」
グルーミングは、人間のガキにやってはいけない。
たとえこのネコが俺より長く生きてるとしても、関係ない。ガキはガキだ。
「ところで、いったいなんの用なんだ? まさか、俺の安眠を妨害するために来たんじゃないよな?」
するとクソガキは、腕の力でなんとかソファによじのぼり、俺の隣に腰をおろした。
「べつに。姉ちゃんが泣き始めたから、外に出たくなっただけだゾ……」
「泣いてた? なんで?」
あの子もいろいろ抱えているのかもしれない。
このアパートで生き残るのは大変だからな。
クソガキは盛大な溜め息をついた。
「たいした理由じゃねーゾ。自分で描いたホモ漫画読みながら、焼きたくないとか言って泣いて。うぜーからいたくなかっただけだゾ」
「マジでクソみてーな理由だな……」
おっとつい本音が。
心配して損した。
いや、だが他人から見ればクソでも、当人にとっては黄金ということもある。こういうのを軽んじると、たいてい嫌われるものだ。俺はそれで何人もの友人をなくした。皮肉なことに、そのおかげで一人でいるのにも慣れたが。
「あーし、ここに住むゾ」
「は?」
「は、ってなんだ! この服、ネコのまま持ってくんの大変だったんだゾ。何回も往復して」
「お姉さん、心配するだろ」
するとクソガキは、限界まで顔をしかめた。
「うるせーゾ。姉ちゃんはいいヤツだけど、あまりにもウザすぎんだゾ。すぐ吸ってくるしな」
「ネコ吸いか……」
「あーしが怪我して動けねーときも、構わず吸ってきたんだ。姉ちゃんの常識どうなってんだよ」
それは本気でどうかしている。
「けど、待て。部屋にこんなガキを連れ込んでることが知れたら、俺はここにいられなくなるぞ」
「保護ネコってことにしとけよ」
「ネコだともっとマズいだろ。西那さんに見つかったら、マジで大騒ぎになるぞ」
「めんどくせーな。騒がせとけばいいだろ」
「てめぇ……」
こんな場所に思い入れがあるわけではない。
べつにどこでもいい。
ただ、治安についてだけ言えば、ここは格別だ。死の可能性が低い。
するとクソガキは、急にしょぼくれた顔になった。
「もしかして、あーし邪魔か?」
「えっ?」
「いないほうがいい?」
「いや、そんなこと言ってないだろ。是非いてくれ。ただ、俺だけの問題じゃなくなるから、ちょっと調整の必要があるっていうか……な? そんだけのことだ」
「うん……」
ギャーギャー言ってきたかと思うと、今度は泣き落としだ。あまりにもズルい。勝てるわけがない。思えば古人も「泣く子と地頭には勝てぬ」と言っていた。
「そう落ち込むなよ。缶詰あるぞ」
「あとで食う……」
「そうか……」
なにかないのか……。
ふと、ごそごそと物音がした。
背後からだ。
見ると、穴から女が這い出そうとしていた。
「たまちゃん……なんで逃げるの……?」
お姉さんだ。
人間の姿でそれをやられると、間違いなくホラーなのだが……。俺も思わず立ち上がりかけてしまった。ちびってはいない。さすがに。
クソガキは余裕の笑みだ。
「姉ちゃん、ムリすんなよ。そのぶっとい体じゃ穴を抜けらんねーだろ?」
「はい?」
「あーしはここに住むからな。こいつがあーしの新しい家族だ」
「お姉ちゃんも家族ですけど?」
床を掻きながら血走った目でそんなことを言ってくる。
本気で怖い。
「戻って欲しいなら、あーしを虐待するのをやめろ」
「なに虐待って!? 私、たまちゃんのイヤがることしてないっ!」
たぶんまだ夜なのだが、構わず大声で反論してくる。
近隣住民から苦情が来なければいいが……。
勝利を確信したらしいクソガキは、ソファにふんぞり返った。
「自覚ないのかよ。ま、そんなこったろうとは思ってたゾ」
「待って、たまちゃん。お姉ちゃんがなにかしたなら謝るから。ねっ? お姉ちゃん、新しいお姉ちゃんになる。だから帰ってきて?」
「なら、まずあーしを吸うのをやめろ」
「えっ、吸うのを……!? たまにでもダメ? なんで? なんでそんなこと言うの?」
衝撃を受けたような顔。
だがそんなことで衝撃を受けるなと言いたい。
「そして二つ目。あーしを風呂に入れるのをやめろ」
「ダメよ! お風呂は入って! 毎日!」
そうだ。毎日入れ。
前々から洗ってないネコみたいだと思ってはいたが、本当に洗ってないネコだったとは。
「そして三つ目。寝る前にホモ漫画を読むのをやめろ。一人で読むならまだしも、あーしに感想を求めてくんな。これは普通に虐待だぞ」
「それは……ごめんなさい。でもほかに話す相手がいないから……」
「前みたいに友達作れよな」
「作ってもね、いなくなるのよ……」
急に真顔になるな。
俺も似たようなものだから、巻き添えでダメージを負ってしまった。人に合わせることをおぼえないとな……。
「そして四つ目。魚が飛び出してるパイを焼くな」
「あれは由緒ある料理なのよ、たまちゃん」
「味はともかく、見た目がヤバすぎんだろ。なんで魚を横じゃなくて縦に差すんだよ。さすがにこえーゾ」
よくネタにされるスターゲイジーパイか。
実際に作るヤツがいるとはな。
「そして五つ目。あーしの毛布を洗濯するな。せっかくいい感じのにおいになってきたのに」
「ダメよ! 汚いでしょ!」
さすがに姉もキレた。
このクソガキ、人の姿はしても所詮は獣か。
「以上の五つを要求するゾ。反論とか受けつけねーからな。すべて受諾するまで、あーしは戻らねぇ」
「たまちゃん……」
お姉さんは涙目になっている。
気の毒な気もするが。
それはそれとして、早く出てくるか引っ込むかして欲しい。見た目が怖すぎる。
俺はクソガキの頭を乱暴になでた。
「おい、たま公。俺はネコも吸わないし、ホモ漫画も読まない。パイも焼かない。だが風呂には入らせるし、毛布も洗う」
「えっ?」
「イヤなら帰れ」
「帰るゾ」
そんなに風呂がイヤなのか。
即答しやがって。
だが、次は姉からオーダーが来た。
「あの、でもその前に、ちょっと……」
頭と片腕だけなんとか穴を抜けているが、そのままフィットして抜けられなくなっていた。
まあ、向きが逆じゃなくてよかった。
俺は近づいて行った。
「引っ張ったほうがいい? それとも押したほうが?」
「あの、たぶん押されると首が折れるので」
「じゃあ引っ張るよ」
「お願いします! なんでもしますから!」
軽率なことは言わないほうがいい。
俺はお姉さんの手をつかみ、壁に足をかけて引っ張り始めた。
「痛かったら言って」
「痛い痛い痛い!」
少し力を込めただけなのに、お姉さんは喚き始めてしまった。
これじゃ抜けるわけもない。
「少し我慢できる?」
「我慢してます! でも痛いんです!」
「そんなに? なら、あとは壁板をぶっ壊すしかないな……」
「あ、それは……」
そこまでしなくていい、という顔になった。
なぜ?
抜けたいのだろう?
俺は構わず刀を持ち出した。
黒曜石のような刀身だ。人の業によるものではあるまい。
「ひっ」
「動かないで」
俺は木の壁にズブズブと突き刺して、よきところでぐっと振り下ろした。床まで刃が入ってしまったが、まあよかろう。
刀を引き抜いて、もうひとつ縦に刃を入れる。
古い板だから、簡単に裂ける。
あとは横に刃を入れれば……。
「ま、待って! 待ってください!」
「危ないから暴れないで」
「わた、私……このままでいいので、もうやめてください」
「は?」
なぜだ?
まあ死んでも生き返るらしいが……。
「あ、そうだ。お姉さんもネコになれるんでしょ? なったら? 俺、あっち向いてるから」
「いえ、そういうことじゃないんです。ネコにもなれませんし」
「そうなの?」
血のつながった姉妹ではないのか?
まあそんな気はしていたが。
たまこがソファから補足した。
「オマエも知ってるだろ。小銭に潰された男の話。その部屋がそうだゾ」
「えっ?」
「正確にはもっと上だけどな。でも重すぎて床が抜けて、だんだん落ちていって、ちょうどそこで止まったんだ。だから小銭がたんまりある」
「ラッキーじゃん」
俺の率直な感想に、クソガキは溜め息をついた。
「そうやって手を出したヤツは、みんな獣になったゾ。持ち主が死んでるとはいえ、結局は他人の金だからな。なのに、そうと分かっていても、実際に見ちまったら我慢できなくなる」
「お前は平気なのか?」
「あーしは興味ないからな。だいたい、ここじゃカネなんて流通してないし。持ってても邪魔になるだけだ」
その通りだ。
なのに、なぜカネを欲しがる?
俺は壁を横に切り、板を外してやった。
お姉さんを引きずり出して救出。
穴が大きくなったので、俺も中を覗いてみた。
ああ、金だ……。
燦然と輝く黄金だ。
ひとつやふたつじゃない。
ゴールドのコインが、山となって積もっている。
月の光を受けて、そのままキラめいている。暗闇の中とは思えないほど鮮烈に。いや、闇の中だからこそ輪郭が際立っているのかもしれない。
深みのある黄金色。触れたら傷ついてしまいそうな金無垢。
あまりにも美しい。
炎をそのまま結晶にしたかのように。
俺は人生において、金を渇望したことはない。
希少な金属だということは知っているが、それだけだ。希少なだけならほかにもある。そのどれも俺とは無縁だ。普通に生きていれば、金について考える機会は少ない。
だが、目の前に山と積まれている黄金を見ると、考えが変わる。
価値?
知らない。
ただこのキラキラを、すべて自分だけのものにしたい。
「あ、あの、霧島さん?」
お姉さんに体を揺すられて、俺はハッと我に返った。
「ああ、ごめん。ちょっと見とれてた」
「手を出さないでくださいね?」
「そうだな……。そう。手は出さない」
一枚か二枚なら、記念にもらってもいいだろう。などと考えてしまいそうだが。これは危険だ。獣にもなる。
俺はつい笑った。
「なるほどね。こいつは使えそうだ」
「おいおい」
クソガキがあきれたようにつぶやいた。
だが、なにも自分のものにしたいわけじゃない。
「分かってるよ。使うのは情報だけだ。誰かにこの光景を見せれば、そいつは必ず手を出すだろう。確実に獣にすることができるんだ。いわば、欲を使った処刑装置だな」
「オマエ……」
たまこは引いてしまった。
じつは俺も自分に引いている。
俺はこれまで、師匠のロクでもない実績を見てきた。他者を破滅に追い込む策は、巡り巡ってみずからを滅ぼす可能性がある。もし使うとしても、慎重に進めなければ。
ともあれ、ただの金属片なのに、じつに美しい光景だった。
黄金には、一瞬で人を虜にする力があるらしい。
何度でも見たい。
いつまでも見たい。
見ているだけで頭がどうにかなってしまいそうだ。
だから、きっと見るべきではない。見れば見るほど欲しくなる。使い道もないのに。
ま、そういうわけだ。
あとは多賀峰にこの情報を流せばいい。そういえば俺の部屋のテレビは、監視装置になってるんだったな。
駒は最初から揃っていたようだ。
(続く)
 




