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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青

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怪文書

 だが進展はなかった。

 多賀峰はどこかのメディア企業に勤務しているはずなのだが、それさえ特定できず……。せめて西那さんに話を聞ければいいのだが、俺では取りつく島もナシ。お姉さんも西那さんと対立している。師匠はそもそもこのコミュニティに来たがらない。

 お手上げだ。


 ある日、食事を済ませた俺は、自宅へ向かって歩いていた。

 すると俺の姿を見つけた西那さんが、ダダダと猛ダッシュで駆け寄ってきた。一瞬、逃げようか応戦しようか迷ったが、そのまま立ち止まって様子を見ることにした。


「ちょっと霧島さん!」

「はい……」

 どうせまた皮肉でも言ってくるつもりだろう。

 もしなにか言ってきたところで、空気が振動しているだけなのだから、無視すればいいのだが。

「みゅーちゃんが……みゅーちゃんがいなくなっちゃったんですよ! なにか知りませんか?」

「ああ、例の野良ネコですか? そういえば見ませんね」

「なにか危ないことに巻き込まれてなければいいんだけど……」

 うーん。

 巻き込まれてるんだよなぁ。

 しかも足が……。


「ちょっと前に見かけたんで、また戻ってくると思いますけどね」

「見た? ちょっと前っていつ? どこで?」

「えーと、数日前に……どこだったかな……あのー、まあ、どこかで……」

「そう……。あの、もしみゅーちゃんを見かけたら、絶対に教えてくださいね。どんな些細な情報でもいいんで」

「分かりました。そうします」

 ネコのことになると真剣だ。

 お姉さんのところで治療に専念してるはずだから、無事なのは間違いないのだが。


 *


 帰宅すると、ドアの前にお姉さんが立っていた。

 今日もバスケットを抱えている。

「おや、こんにちは。今日はどんなご用で?」

「ええ、あの……こんにちは。少し……」

「ああ、ごめん。中で話そうか」

「はい……」

 落ち込んだ顔をしている。

 まさか、治療が進んでいないのか?


 俺はクーラーボックスに腰をおろし、お姉さんにソファを勧めた。

「えーと、たまこちゃんのこと、だよね?」

「はい……」

 泣き出しそうな顔。

 想像以上に深刻そうだ。


 俺がコップの水を用意していると、彼女はクーラーボックスの上にお菓子を用意し始めた。またアップルパイだ。用意しながら泣いている。


「あの、お水しかなくてごめんなさい」

「いえ。ありがとうございます」

 緊張していたのか、彼女はこくこくと飲み干した。

 そして何度も呼吸を繰り返す。

「様子、あんまりよくないの?」

「うぅ……」

 いきなりぽろぽろと涙をこぼして、泣き出してしまった。

 話が進まない。

 泣きながらアップルパイを進めてきたが、とても食える空気じゃない。においはうまそうなのに。いや、ここはあえて空気を読まず、食うべきか。間が持たないしな。


 俺が無遠慮にアップルパイを食い始めると、持参したお茶を出してくれた。動いてるほうが気がまぎれるようで、彼女の気持ちも落ち着いていった。


「あの、たまちゃんね、足は治ってきてるんです」

「それはよかった。じゃあ体は無事なんだね」

「はい、体は……。でも……もうずっとネコちゃんのまま……。なにもお話ししてくれなくなって……」

「……」

 凄惨な体験をしたせいで、心を閉ざしてしまった……ということか。

 気ままに外を出歩く気分にもなれないのだろう。


 お姉さんはうつむいている。

「たまちゃん……ずっとネコちゃんのままなのかなって……。で、でも……それがいいなら、私、そのままでもいいんですけど……。でも、少しは……お話ししたいなって……」

 あのクソ生意気な態度も、なくなると寂しいものだ。

 しかもプリンを食いに来ないせいで、ストックが溜まり続けている。たまに自分で食べているが、あまりにも寂しすぎる。


 お姉さんは両手で顔をおおってめそめそ泣き始めてしまった。

 気の効いた言葉のひとつでもかけてやりたいところだが、なにも思いつかない。俺が多賀峰の追跡をさせなければ、こんなことにはならなかった。気安くフォローできるような立場じゃない。


「ごめんなさい。私、ずっと泣いてばっかりで」

「いいんだ。教えてくれてよかった。俺もあの子の気持ちを直せないか、ちょっと考えてみるよ」


 誰かの心が傷ついたとき――。周囲の人間がなにをしても、絶対に、空回りになる。優しさが逆に傷つけてしまうこともある。

 やり過ぎなければ、最終的にはプラスになるとは思うが。

 根本的には解決しないと考えたほうがいい。

 忘れたフリをできるようになるだけで。


 もし笑顔でいても、ふっといなくなることがある。

 それを思うと、どうしようもなくぞわぞわする。


 なぜ俺は完璧じゃないのか。

 俺が完全無欠の存在ならば、治したいと思ったものはなんでも治せるのに。

 守りたいものも守れるのに。

 殺したいヤツも殺せるのに……。


 無力感にさいなまれてばかりだ。

 力が欲しい。

 すべてを解決する力が。

 そうすれば、もう二度と大切なものを失わずに済む。


 いや、極端な考えはよそう。

 そんなことは不可能なのだ。

 問題から目をそらしているだけだ。

 俺たちは、自分にできることをやるしかない。

 できることを、なんとか見つけるしかない。


 *


 それから数日、俺は廊下を歩くたび、野良ネコの姿を探した。

 だが、見かけることはなかった。

 食堂で煎餅をもらっても、一人で食べるしかない。神さまにプリンをお願いするのも、もうやめた。

 ひとつも進展がない。

 心が摩耗してゆく。

 俺たちの争いは、傷しか残さなかったのか……。


 *


「手、治ったんですね」

 ぼうっと歩いていると、横から声をかけられた。

 メガネくんだ。

「ああ、これ? まあ、ね……」

 いったいなんの用だ?

「霧島さんもネコを探してるんですか?」

「えっ?」

「このところ、あちこち覗き込んでるようなので。あ、いえ、監視してたわけじゃないですよ。僕も西那さんに言われて、ネコを探してまして」

「ああ、そういうこと。俺もたまに遊んでたりしてたんで。急にいなくなって寂しくなったっていうか……」

「もしお時間あれば、少し話しませんか?」

「いいけど」

 ちょうど休憩所に近かった。

 ベンチは埋まっていたので、俺たちはフェンスに寄りかかった。


 いつもなら、特に話すことはない。

 だが、師匠の話を聞いてからというもの、俺もこの人物が気になっていた。


 メガネくんは言った。

「じつは怪文書が出回ってまして」

「はい?」

「これとこれです」

 二枚。


 一枚目は、阿家智あけちという人物が、かつて共和国で毒をバラまいていたという情報。いまもどこかに潜伏しているから注意しろという内容だ。かなり特徴をつかんだ写実的な似顔絵まで掲載されていた。指名手配写真のようだ。


 二枚目は、金田という共和国の生き残りが、市民を扇動し、アパートで革命を起こそうと暗躍しているという内容。絵柄はコミカル。たぶんお姉さんが描いたものだろう。予算がなかったのか、紙質がやたら安っぽい。


 どちらも事実ではない。

 たしかに師匠は共和国で特権的な地位にいたらしい。だが、毒をバラまいてはいない。そうするのを止めもしなかったようだが。

 二枚目は完全にデマ。だと思う。否定材料はないが、肯定材料もない。

 事実なのは、両者が共和国にいたということだけ。


 俺はそしらぬ顔でチラシを返した。

「なんなの、これ?」

「どう思います?」

「共和国って、あの毒で消えた連中だよね? なんでいまさら」

「じつは、僕が共和国にいたのは本当なんです。そしてこの阿家智という人も知ってます。彼が毒をバラまいていたというのは正確ではありませんが、それを止められる立場にいたのは間違いありません」

 情報が正確だな。


 彼は遠くを見ながらこう切り出した。

「先日、この似顔絵によく似た人物が、霧島さんの部屋から出てきたという目撃情報がありまして」

「えぇっ、誰がそんなことを?」

「情報提供者の素性は明かせません」

「どうせ西那さんでしょ? あの人、俺を嫌ってるから。でもたぶん、その情報は間違ってるよ。俺の部屋に来る人間なんて誰もいないよ」

「それはウソでしょう。先日、若い女性があなたの部屋を訪れたのを見ましたから」

「まあ、彼女くらいはいるけどね」

 いないけどね。


 メガネくんはこちらを見た。

「その女性、前に西那さんと口論してましたよね?」

「さあ」

「結構大きな声でケンカしてましたよ」

「内容は?」

「そこまでは。目撃証言によると、食べ物の話だったという話もありますが。ナマモノがどうとか」

 食べ物?

 ホモ漫画じゃなくて?


 俺はあえて踏み込むことにした。

「で、どうすんの? 金田さん、当事者だよね? このデマの出どころを突き止めるとか?」

「分かりません。僕も誤解されると困るので、みんなに釈明しようと思ってたんですが。それより先に、みんなが励ましてくれまして。ここのみんな、とっても優しいんです……。僕はそれだけで十分だなって思って」

 絵に描いたような好青年だ。

 裏側はないのか?

 いや、ありそうもないのがまた……。

「言っておくけど、俺も疑ってないよ。あんたが来てから、ここらはホントに平和になった。前はもっと殺伐としてたのにさ。少なくとも、家を出てすぐ獣に出くわすことはなくなった。感謝してるよ」

「僕はなにも。でもじつは、霧島さんに疑われてたらどうしようって思ってて」

「ま、その霧島って野郎はとんでもない偏屈だからね。そう思うのも理解できるよ」

「そこまでは……」

 俺のジョークは通じたらしく、彼は笑ってくれた。

「もしかすると、コミュニティの分断を狙った外部の犯行かも。相反する情報を流しておいて、住民の対立を促したりするんだ。とにかく、俺も怪しいヤツがいないか警戒しておくよ。少なくとも、切り捨てる前に話を聞くようにする」

「できれば穏便にお願いします」

 とはいえ、これは分断工作ではない。

 たまたま二つの情報戦が重なっただけだ。


 まったく、師匠の野郎。

 早まるなって言っておいたのに、こんな怪文書を出しやがって。

 お姉さんもお姉さんだ。クソガキの件で落ち込んでるのかと思いきや、こんなクソ仕事に手を貸して。


 いや、真の問題はもう一件のほう――クッソどうでもいい怪文書だ。

 おそらく多賀峰は、もっとクリティカルな情報をつかんでいるはずなのに。師匠の名前と似顔絵しか出さなかった。基本的に過疎地から出てこない師匠にとって、これはたいしたダメージではない。

 目的はなんだ?

 第二段があるのか?


 多賀峰は手続きや契約にこだわる女だ。

 もし人を殺す場合でも、獣になってしまわないよう、細心の注意を払うはず。

 師匠をいきなり刺すとは考えづらい。


 次はどんな手で来る?

 誰を狙う?

 俺を直接狙ってくれるなら手っ取り早いのだが……。


(続く)

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