どうしてこうなった 三
俺はクソガキを背負い、お姉さんの部屋へ運び込んだ。
医者へは連れて行かずに、お姉さんが看病するという。まあ人間じゃないのだから、そのうち生えてくるとかいう話だが。彼女たちはそれでもいいんだろう。
その後、一度解散となった。
俺は帰ると同時に、テレビの画面を壁へ押し付けた。
ただの前衛アートかと思いきや、とんだクソ装置だった。コンセントを引っこ抜いても動き続ける。ある意味、ホラーだ。いや普通にホラーか。
ソファに身をあずけ、クーラーボックスのプリンを食った。
疲れ切った体にやわらかな甘みが染みる。
拳はクソ痛い。細かい骨が何本か折れているかもしれない。拳が、通常の倍とは言わないが、いくらか膨らんでいる。人間の頭部というのは、それくらい頑丈なのだ。俺も鉄パイプでやればよかった。いや、刀ならもっと楽だった。
素手で人を殺すべきではない。
漠然とではあるが、獣にならないという確証はあった。
襲われていたお姉さんを救う格好になってしまったからだ。いや、比企地を殺したときも獣にならなかったのだから、お姉さんの件がなくても同じだったかもしれない。
なにが人間性だ……。
クソガキによれば、自分の人間性を疑わない限り、そいつは獣にならないとかいう話だった。
俺はそれでもいくらか疑っているつもりだが……。いくらかではダメなのかもしれない。心の底から疑わなくては。
結局のところ、俺も自己を正当化しながら生きている、というわけだ。
ただの人殺しのくせに。
悪いヤツと戦って倒すという構造だけ見れば、模範的なヒーローと同じことをしているのに。
俺はちっともヒーローではなかった。
*
翌日、師匠の「アジト」とやらを訪れた。
普段、俺が立ち寄らないエリアだ。
こんなアパートにも、人気のあるエリアと、そうでないエリアとがある。
人気なのは、もちろん平和なコミュニティが構築されているエリア。
住民が多く、交流も活発。
獣の発生率も低い。
その代わり、ご近所づきあいが面倒。なにかあったとき積極的に参加しないと、それだけで俺みたいに敵視される。特に迷惑をかけておらずとも、参加していないというだけでNG判定を食らう。
いや、だったら出ていけと思われるかもしれないが、俺が住み始めたころはそんなご立派なコミュニティではなかったのだ。あとからそうなった。俺の知ったこっちゃない。
次点は、やや過疎だが落ち着いているエリア。
獣の発生率は低い。
しかし過疎なので、外から問題を持ち込まれると一気に瓦解する。
ゆえに部外者には厳しい。廊下を歩いているだけで「誰だこいつ?」という目で見られる。
その次は、人はいるけど治安の悪いエリア。
住民同士の仲も、特にいいわけではない。
獣も普通に発生する。
しばしば死人が出る。
あとは、過疎な上に、住民同士が連帯していないエリア。
住人は偏屈な人間ばかり。他人に干渉しない。誰が被害に遭おうが知らん顔。
師匠のアジトもここ。
最悪なのは、問題を起こして行き場を失った連中が溜まっているエリア。
アパート内のスラム。
獣が出ようが出まいが、しょっちゅう人が死ぬ。
ともあれ、師匠のアジトへ来た。
普通の住宅だが。
ノックすると、中から「合言葉を言え」と帰ってきた。
「なんです? いいから開けてくださいよ」
「少しは乗ってくれてもいいと思うが」
師匠は渋々といった様子でドアを開けてくれた。
そもそも俺の趣味でここへ来たわけではない。相談に乗って欲しいというから来てやったのに。
見ると、普通にテレビが置かれていた。
監視装置のはずだが。
「まあ座ってくれ」
「はい」
ソファが二つもある!
テーブルもある!
結構いい生活をしている。
「で、誰に狙われてるって言うんです?」
俺がそう尋ねると、師匠はキッチンで湯をわかしながら応じた。
「君は、昨日行ったエリアがどんな場所か知ってるか?」
「もちろん。くだらない支配ごっこをしてた連中が、毒で滅んだんですよね? ザマないですよ。俺もあいつらには迷惑してたし」
「俺はそこで顧問をしていた」
「……」
なにやってんだよ、師匠。
そのご自慢の頭脳を使って、クソ支配システムの構築をお手伝いしてたのか?
頭がいいからといって、頭のいいことをするとは限らないようだな。
師匠は渋い顔でこちらへ向き直った。
「俺の人生の汚点だ。それは分かってるから、あまり責めないでくれるとありがたいんだが」
「責めてないですよ」
少なくとも口には出してない。
顔には出てたかもしれないが。
「ま、そういうわけで、いろんな人間の恨みを買ってる。言っておくが、俺は毒の使用は推奨してないぞ」
「その言い方だと、貨幣制度と、支配の連鎖に関しては推奨してたみたいですね」
「やはり君は俺の弟子だな。正解だ。あれはじつによくできたシステムだった」
「自慢しないでくださいよ。哀しくなりますから」
貨幣を発行し、独自の価値を創作して、コントロールする。
それを報酬として使う。
無から価値を生み出すのだ。
「俺たちはあれを共和国と呼んでいた。こんなアパートに国を作ろうとしたわけだな。毒さえ使わなければ、いまごろ成功していたと思うが」
「成功しなくてなによりですよ」
「君のコミュニティに金田というものがいるだろう? 彼は共和国の生き残りだ。俺を恨んでる」
「……」
金田というのは、例のメガネくんだ。
彼が来てからというもの、コミュニティが活発になり、安全性がぐんと高まった。人も集まってきた。まさか共和国の生き残りだったとは。
俺は思わず溜め息をついた。
「どういう因縁です?」
「彼は市民側の顔役でな。毒の汚染が始まったころ、政府に調査しろと迫ってきた」
「どう考えても彼のほうが善人なんですが」
「そう言うな。俺だって好んで毒を流通させてたわけじゃない。あくまで顧問だからな。雇用主の希望を聞いた上で戦略を立てる」
クソ野郎が。
その才能を、人の搾取のために使いやがって。
「俺が顧問をしていたという情報を、なぜか多賀峰もつかんでいてな。協力しなければ、金田らにバラすと迫ってきた。そんなことになれば、彼のコミュニティは俺を排除しようと動き出すだろう」
「それがイヤで多賀峰の言いなりに?」
「遺憾ながら、な」
「そういう話を、このテレビの前で言って大丈夫なんですか?」
「その点は大丈夫だ。セキュリティをかけてるからな」
なにが大丈夫なのか分からないが、師匠がそう言うのなら信じよう。
俺はふたたび溜め息をついた。遠慮なく。盛大に。
「そして多賀峰を敵に回してしまった以上、師匠の素性がバラされるのは避けられない、と」
「ここを追い出されたら、あとはスラムに行くしかない。こう見えて俺は繊細だからな。スラムでの生活には耐えられない」
おそらくそうだ。
この落ち武者みたいなヘアスタイルも、維持が難しくなるだろう。
「それで? 俺はなにをすれば?」
「君のコミュニティから金田を追放して欲しい」
「はい?」
正気か?
いつもなら彼我の戦力を把握した上で作戦を立てる師匠が、こんなことを言うのか?
師匠は真顔だ。
「もちろん作戦は俺が立てる。君にすべてを押し付けるつもりもない。あくまで駒のひとつとして動いてもらう」
「駒として動くのはいいんですけどね、また昨日みたいに騙して使うのはナシですよ」
「途中で気づいてくれると思ったんだがな」
「師匠でも、希望的観測をするんですね」
「するさ。あらゆる可能性を排除しない」
言うことだけはご立派だが、昨日はそのせいで一線を超えそうになった。もし俺がロープを切れなかったら、どうしていたのだろうか。
数年前は本当に信頼していたが、いまはその信頼も揺らぎつつある。
師匠はコンロの火をとめ、茶をいれ始めた。
「ふうちゃんが漫画を描いてるのは知ってるか?」
「ホモ漫画でしょ? 聞きましたよ」
なぜいまその話をするのか。
一二三の件もあるから、じつはその話題には触れたくない。
「彼女に依頼してチラシを用意してもらう。金田という男が、いかに信用できない人間であるかを。四コマ漫画で表現してもらうんだ」
「いや、ちょっと待ってください。彼が悪人ならともかく、そうじゃないんですよね? 俺はそんなのに手を貸すつもりありませんよ」
「そのシーソーの一端には、俺の命がかかってるんだが?」
「自業自得じゃないですか。解決したかったら、金田さんとサシで話し合ってくださいよ。それとも、話し合えないほど異様なことをやらかしたんですか?」
たとえ相手が師匠であろうと、クソ仕事には手を貸せない。
師匠はふざけたような態度で肩をすくめた。
「おいおい。なにも殺そうってんじゃないんだ。金田が俺の悪口を言いふらす前に、俺の命を救うセーフティーネットを用意しようってだけの話だ。引っ越しと人殺し、止めるとしたらどっちだ? ん?」
卑怯な男だ。
そんな二択を用意されたら、人殺しを止めるほかない。
それに、俺は師匠を切り捨てるわけにはいかない。多賀峰はまだこのアパートをうろついている。そいつと戦って勝つには、師匠の頭脳が必要だ。
師匠は、リスクをおかし、多賀峰を裏切ってまで俺たちに手を貸してくれた。
俺もなにか返すべきなんだろうとは思う。
俺はソファからおりて、床へ手をついた。
困ったときの土下座だ!
「すみません、師匠。手を貸したい気持ちはあるんです。ただ、金田さんを追放することはできません」
「おいおい。頭をあげてくれ。俺だって、君をそこまで追い詰める気はないんだぜ? ただな、こう考えてみてくれ。金田くんは、とてもコミュニケーション能力の高い人間だ。もし他のコミュニティに行ったら、今度はそこの環境を改善してくれるだろう。彼が移動するたび、アパート全体が幸福になっていくんだ。この作戦には、デメリットだけでなく、メリットも含まれてる。そもそも俺は、誰か他人に不幸になって欲しいとか、そういう原理で行動してるわけじゃない。そこだけは理解してくれ」
マジで口だけはうまい。
数年前の俺なら、ここで納得していたかもしれない。
俺は顔をあげて、師匠のツラを凝視した。
「いえ、それでも手は貸せません。ですが、多賀峰をぶっ殺すのは引き続き手伝ってください」
「うわー、自分勝手……」
俺もそう思う。
「でも、多賀峰が情報をバラまく前にぶっ殺せたら、そもそも金田さんは問題にならないわけですよね? だったら、俺の都合を優先したほうがいいのでは?」
「一理ある。あくまで一理だがな。そしてもちろん、多賀峰の件は俺も進めようと思ってる。あいつは裏切りを許さない。徹底的にやるタイプだ。君を殺したら、次は俺をターゲットにするだろう。彼女はメディア側の人間だからな。みずからの手を汚さずとも、世論を誘導して俺を追い込むことができる。幸い、俺の前にターゲットになるのは君のほうだが」
「ちっとも幸いじゃないですよ」
ぶっ飛ばすぞ師匠。
もっと優しく言って欲しい。
いや、ぶっ飛ばすのはいいとしても、肝心の手が……。
「ところで師匠、なんか薬ありませんか? 昨日から手がヤバくて」
「そうだな。さっきから気になってたんだが、話題にしていいものか分からなかった。早めに治療したほうがいいぞ」
「ですから薬を……」
「さすがに薬学の知識まではない。神さまにお願いするんだな。きっと適切な薬を処方してくれる」
「はい」
お願いするにも、紙に書かないといけないのだが。
ちゃんと読める字を書けるだろうか……。
(続く)




