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見て、月だよ  作者: 不覚たん
第一部 青

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11/82

どうしてこうなった 二

 ヒュッと音がした。

 俺は驚いて顔をあげた。

 多賀峰も驚いた顔をしていた。

 いったい誰が、なにをしたのか……?


 師匠が肩をすくめた。

「これから少し……過激なものを見せる。騒がれたら大変だからな。お姉さんには眠ってもらうことにした」

 見ると、お姉さんは座ったまま身体を傾けてゆき、ついには床へ倒れてしまった。


 多賀峰が眉をひそめた。

「ちょっと、勝手なことしないで」

「だがもし悲鳴でもあげられたら、誰かに聞かれる可能性がある」

「そうだけど。次からは、私の指示通りに動いて。じゃないとあなたのこと、みんなにバラすから」

「了解した」

 師匠が一方的に使われている。

 なにか弱みでも握られているのか?


 多賀峰が「津邑くん」と合図をすると、「はい」と走り出した。どこかへなにかを取りに行ったようだ。


 多賀峰は、また棒の先端で俺の頬をぺちぺちやった。

「津邑くんのこと、死んだと思ってたでしょ?」

「思ってた」

「そうよね。みんな疑いもなく信じ込んでたものね。じつはあそこに散乱してた死体ね、まったくの別人なの。私が契約してた奴隷。つぶしてバラまいて、津邑くんだと思わせようと思って」

 不快な単語がいくつも飛んできた。

 奴隷?

 津邑の偽装のために、その人間を殺害したと?


 多賀峰はまた椅子へ腰をおろした。

「ここって道具がないじゃない? だからDNA鑑定なんてできないし。あれだけバラバラになってたら、個人の特定なんてできないでしょ? 本当にイージーだったわ」

「そんなことして、よく獣にならずにいられるな……」

「ならないわね。きちんと契約を交わした上での行動なんだもの。ああ、もちろんあなたにも契約してもらうわよ。私、ただの人殺しにはなりたくないから」

 そうだな。

 人殺しになんてならなくていい。

 その前に、死体になるのだから。

 あくまで俺の理想では、だが。


 ガラガラと車輪のついたなにかが運ばれてきた。

 十字架?

 そこにはクソガキが磔にされていた。


「くそ、毒を吸っちまった……」

 津邑は咳き込んでいる。

 奥へ行くからだ。


 それよりも……。

 そうだ。

 師匠がお姉さんを寝かせたのは正解だった。


 クソガキは、虚ろな目でぐったりしていた。腕には点滴。そして足は……一部がなくなっていた。それもキレイに切断されたのではない。獣に食い散らかされたかのように……。


 多賀峰は満足そうな表情で立ち上がり、十字架の横に立った。

「どうなってるか説明をするわね。怒るのはそのあとにして。まず、死んでない。見ての通り、点滴で栄養を送ってる。そして足。食べられてるわね。もちろんだけど、私たちが食べたわけじゃない。ネズミに食われたの。可哀相ね。つまりこれは……ネズミに食われた女の子を、私たちが治療している、ということになるわね」


 なぜ俺は獣になれない?

 いますぐ獣になって、この愚かな人間の手足を引きちぎってやりたいのに。

 獣になりたい。

 獣になりたい。

 獣になりたい。


 多賀峰は棒切れで俺の頬を強く叩いた。

「どこ見てるの? 人が説明してあげてるのに、余所見しないで。あなた、仕事できないタイプでしょ? なにもできないダメ男ね」

「……」

 そうだ。

 なにもできないダメ男だ。

 だから獣になるしかない。


「あなたがきちんと指示に従ってくれたから、この子はお姉さんに返すことにするわ」

「……」

「けど、そうなるとこの十字架も寂しくなっちゃうわね……。別のなにかで飾りたいわ」

「……」

 本気で言ってるのか?

 俺は……。


 人が人を殺さないのは、善人だからじゃない。

 そういう状況に追い込まれてないだけだ。


 人が醜い行動をとらないのも、善人だからじゃない。

 そういう状況に追い込まれてないだけだ。


 俺はこのとき……本気で逃げたいと思った。

 クソガキを置き去りにして、逃げたいと思った。

 ネズミに足を食われながら、永遠に苦しみ続けるのは、絶対にイヤだと思ったのだ。


 そしてこうも思った。

 こんな醜い発想に至った俺は、今度という今度こそ、獣になれるだろう、と。

 だが、身体は、変わらなかった。

 無力なままだ。

 理性も残ったまま。


 津邑が、下卑た笑みを浮かべた。

「なあ、多賀峰さん、そろそろいいかな?」

「は?」

「約束してたじゃん。そっちの女は俺にくれるって」

 やはりそういうことか。

 そのためにお姉さんを巻き込んだのだ。


 多賀峰もさすがに眉をひそめた。

「え、いま? サルなの? いいけど、ちゃんと事前に契約しておきなさいよ」

「分かってるって」

「とっとと済ませてね。全部終わったわけじゃないんだから」

「もちろん」

 そして津邑は、気絶しているお姉さんの足を引きずって、どこかの部屋へ消えた。


 二対三だったのが、一対二になった。

 有利になったとは思えない。

 最初から戦力外だった二名がいなくなっただけだ。


 多賀峰はぺしぺしと頬を叩いてきた。

「契約するでしょ? 今後、このベッドで私たちの治療を受けるって」

「治療……」

「口頭の契約じゃ不安だから、この書面に血判を押しなさい」

 スーツの内ポケットから紙を出してきた。

 それをひろげて俺の目の前につきつける。

 近すぎてなにも読めない。


 殺したい。

 殺したい。

 殺したい。


 ブチッと血管の切れる音がした。

 いや、血管ではない。

 血管ではないなにかが、切れた。


 いったいなにが?

 え、ロープ?


 多賀峰が、床へ崩れ落ちた。


「君なぁ、なんで俺の作戦に気づかないんだ? それでも俺の弟子か?」

「は?」

 見ると、彼女の服に針が刺さっていた。

 麻酔針だ。


 師匠、敵じゃなかったのか?

 いや、その可能性も考えなかったわけじゃない。だが、あまりにも状況が読めなかった。点と点がつながらなかった。なにひとつ確証がなかった。


 師匠は肩をすくめた。

「ちゃんとロープに切れ目を入れておいただろう。内側からうんと力を入れれば切れるようになってたんだ。少々頑丈にし過ぎたかもしれないが……。いや、いい。質疑応答はあとだ。まずはこの女を縛り上げる」

「はい……」

 獣になったら、絶対に師匠もぶっ殺そうと思っていた。

 頭がぐちゃぐちゃする。

 気持ちの切り替えがうまくいかない。


「ビー玉の試験を思い出せ。いまここは戦場だぞ」

「はい」


 ビー玉の試験。

 俺が弟子入りして初めて受けた試験だ。

 二つのカップが用意された。一方のカップには赤いビー玉が、もう一方のカップには青いビー玉が入っていた。

「これから試験をする」

 師匠はそう言うと、二色のビー玉を、別のボウルに入れてかき混ぜた。

 ある敵と戦闘していると仮定する。赤と青を分ければ分けるほど戦況が有利になる。師匠が伝令となって戦況を伝える。

 かくして試験が始まった。

 俺は赤と青のビー玉を、機械のように分け始めた。こんなことになんの意味があるのかと思いつつ。

 師匠はずっと黙っていた。

 俺はひたすらビー玉を分けた。

 あと少しで完成といったところで、師匠は言った。「よし、やめ」と。だがあと少しだったので、俺はいくつかビー玉を動かして完全に分けた。

 そのとき師匠は言ったのだ。

「君の負けだ」

 なぜ負けたのか理解できなかった。

 師匠の説明はこうだ。

「俺が『やめ』と言ったとき、君はやめなかったな。自分の気持ちを優先して、伝令の情報を無視したわけだ。では、敵はどうしたと思う? 伝令の報告とともにやめたかもしれない。そうなると、敵はその時点で次の展開に入ることができる。君は出遅れるわけだ。そんなことを繰り返してみろ。一度だけなら小さな差かもしれないが、いつか大きな差となるぞ。つまり、必要なことだけやるんだ。不必要なことはしなくていい。自分の感情を持ち込むと、それだけ出遅れることになる」


 この世界のあらゆる状況は、この試験みたいにシンプルではない。

 だから師匠の試験を万能だとは思わない。

 だが、適合するシーンも多々あると思う。たとえば「いま」だ。


 *


 多賀峰をロープで縛り上げた俺たちは、津邑の部屋を訪れた。

「いや、やめて……」

「へへ。もっとお願いしろよ」

「やめてください……」

 目を覚ましたお姉さんは、まだ動きづらい体で、なんとか部屋の隅へ逃げていた。津邑は完全に隙だらけで追い詰めている。

「あんたが俺を受け入れてくれたら、すぐ終わるんだ。なぁ? こんなでっけぇ乳しやがって」

「いや……」

 お姉さんも目の前の津邑に必死で、俺たちの存在に気づいていない。


 師匠が吹き矢を見せて麻酔針を提案してきたが、俺は手をふって断った。


 歩を進め、津邑の背後に立つ。

「おい、津邑」

「ひぃっ」

 ヘビを見たネコみたいにひっくり返った。

「お前、相変わらずだな」

「えっ? あれ? ウソ……。多賀峰さんは?」

「片付けたよ」

「えっ……」

「えっ、じゃないんだよ」

 俺は拳を振るい、津邑の横っ面を殴り飛ばした。

「ひっ! いぎっ!」

「お前、ホント、まったく反省してないんだな。ん? 一二三のときもそうだったよな? やめてって言ってるのに、やめなかったよな?」

「いや、でも……あれは波谷志が……」

 俺は笑みを浮かべた。

 本当に、笑うしかなかった。

「波谷志が? おいおい。いなくてもやってるじゃないか。自主的にやってるってことだ。な? お前はそういうヤツなんだよ」

「でも多賀峰が……」

「あのなぁ。あいつもやれなんて言ってなかったろ。なんでそう、謝罪の前に自己正当化を始めるんだか」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 津邑はあろうことか、俺に謝罪を始めた。

 謝る相手が違う。

 本当に、自分が助かることしか考えていない。


 俺は津邑の顔面を、思い切り蹴り上げた。

「へぶっ! んっ! んぐっ!」

 鼻血が出たのを吸い込んでしまったらしく、呼吸も苦しそうだった。

 あんまり苦しませたら可哀相かもしれない。


「津邑……。俺は失望してるんだ。人間、反省したらやり直せるかもしれないって、頭のどこかで期待してた。お前だけじゃなくて、俺自身もな。もしかしたら変われるんじゃないかって。けどお前を見てると……どうもダメそうだな。俺たちはさ、一生このままなんだ。反省したフリはできる。だけど、本当の反省はできないんだ」

「ま、待って……やめて……」

「ん? やめてって言ったら、やめるんだっけ? 少なくとも俺は、そんなヤツ見たことないな。お前、あるか?」

 そう尋ねると、津邑はうんうんとうなずいた。

 もうまともに会話が成立するとは思えない。


 身をすくませたお姉さんが、おずおずと声をあげた。

「あ、あの、もう大丈夫ですから……。この辺でもう……」


 うるせーな、と、思ってしまった。

 口を挟んでくるな、と。


 そうだ。

 俺はお姉さんを助けたくてこうしているんじゃない。

 お姉さんを口実にして、津邑を殺したいのだ。


 俺は拳を叩きつけた。津邑の顔面に、何度も、何度も。そのうちに手が痛くなった。だから髪をつかんで、何度も床へ叩きつけた。

 後ろから師匠が「もうやめろ」と言ってきたが、もちろん無視した。

 殺すのだ。

 絶対に。

 こいつは反省しない。

 生かしておけば、また誰かを傷つける。

 こんなヤツは、殺したほうがいい。


 *


 時間をかけ過ぎたかもしれない。

 津邑は死んだ。

 その代わり、縛り上げておいたはずの多賀峰が、姿を消していた。

 いったいどうやったのかは不明だが……。


「たまちゃん! たまちゃん!」

 お姉さんは、変わり果てた姿のクソガキにすがりついていた。

 死んではいない。だが、すねから下が骨だけになっていた……。なぜこんな残酷なことができるのか、まったく分からない。


 泣きじゃくるお姉さんをよそに、師匠が近づいてきた。

「あの子たちは人間じゃない。殺しても生き返る種族だ。足もきっともとに戻る」

「えっ?」

「それより、式見くん。少し相談があるのだが」

「えっ?」

 なにを言っている?


 師匠は敵ではない。

 結果的にそうだった。

 だが、頭はまだ混乱したままだ。作戦と違う行動をとっておいて、俺たちを騙し、勝手に作戦成功みたいなツラでいる。本当に味方なのか?


 俺はさすがにうなずけなかった。

「ちょっと待ってください。その前に言うことがあるでしょう?」

「謝罪しろとでも?」

「そりゃそうですよ。仲間を騙したんですよ? 俺にするのがイヤなら、せめてお姉さんにはしてくださいよ」

 師匠はしかし涼しい顔だ。

「あとでする。だが事情もあった。君の部屋にテレビがあったろう? じつはどの部屋にもあるんだが。あれはな、監視装置なんだ」

「はい?」

「ここの管理人はそんなつもりで設置したわけじゃないのかもしれない。だが、そういう使い方ができてしまう。だから、あの部屋では真実を伝えられなかった」

 本当か?


 敵を欺くにはまず味方から、とは言うが。

 それでも、なんだか納得いかない。

 自分の策を優先し、俺を生き餌として使ったのだ。不愉快だ。

 不愉快だが……。しかし思い返せば、この人はむかしからそういう人だった。俺も詐術に気づきかけていたのに。疑問に思った時点で、もっと追及しておくべきだった。


 俺は呼吸のついでに溜め息をついた。

「はぁ、まあ、分かりましたよ。んで、相談ってのは?」

「俺は命を狙われてる」

 真顔だ。

 たまに真顔でジョークを言うが、さすがにいまこの状況では言わないだろう。

「え、誰に?」

「たくさんだ」

「なにやったんです?」

「それも含めて説明する。あとで俺のアジトに来てくれ。場所を教えておく」

「……」


 まだ多賀峰の問題も解決してないってのに、ここで自分の問題をぶっ込んでくるなんて。

 空気の読めない人だと思ってはいたが、まさかこれほどとはな。


(続く)

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