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ダヴィネスの形を成すもの達(1)

「本当に痛ましいですわね…」


 城塞街に程近いモイエ伯爵邸の、暖炉の燃え盛る心地よい居間。


 モイエ伯夫人ベアトリスと子息のジェームズ、カレンと娘のアンジェリーナ、パメラと娘のソフィア、アイザック卿の婚約者ジョアン・グレイがお茶を楽しんでいる。


 今日は孤児院への寄付についての相談のため集まっていた。


 年の近い三人の子ども達は、ナニーや侍女に見守られ、機嫌よく遊んでいた。


 お茶を興しながら、話題は様々な方面へと広がる。


 今、城塞街では、先日起こった娼婦殺人事件の話題で持ちきりだった。


 カレンも耳にはしていたが、城塞街近くに住まうベアトリスやジョアンは、事件についてより詳しい。


 カレンは二人から事件のことを聞き、胸を痛める。


 王都では物騒な事件の話もしょっちゅうではないがたまに耳にした。

 しかし、ここダヴィネスにおいてそのような恐ろしい事件のことを聞くのは初めてだった。

 しかも、被害者は娼婦だ。


「まだ犯人は捕まっていないのですよね…」

 カレンは暗い面持ちだ。


「ダヴィネスへの人の流れも急速に増えましたし…でもあまり物騒になるのは怖いですわね」

 ベアトリスの夫のモイエ伯は、ダヴィネスの物流を担っている。物の行き交いはそのまま人の行き交いへ繋がる。

 ダヴィネスの経済の発展は喜ばしい一方で、また別の問題も起こり得る。


「フリード達も頭を痛めているようですわ。捜査もなかなか捗らないようで…娼館を無くそうという意見もあるとか…」

 フリード卿の妻君のパメラも顔を曇らせた。


「私も、アイザックから絶対に一人で出歩くなと強く言われています」

 ジョアンも不安げな顔だ。


 4人は揃って、ふぅ、とため息を吐いた。


 カレンは、個人的には娼館は存在していいと思っている。

 職業に貴賤の差はないと思っているし、ダヴィネスには許可を得た公的な娼館しか存在しない。

 恐らく、騎士や兵士の中にもお世話になっている者はいるはずだ。


「…何か、私にできることがあるかしら…」

 ポツリと呟いたカレンの言葉に、三人はギョッとして一斉にカレンを見た。


「カレン様、事は殺人事件です。専門家に任せましょう」

 ベアトリスは行動力のある義姉の言葉に焦る。


 パメラとジョアンもうんうんとベアトリスに同意する。


「わかっています、ご心配なさらないでください」

 三人には笑って答えたものの、カレンはやはり気がかりだった。


 ・


 城の法務官…いえ捜査官に聞くのが手っ取り早いかしら…


 カレンは、例の娼婦殺人事件の詳細を知りたいと思っていた。


 自分には何もできないにしても、ダヴィネス…しかも城塞街で起こってしまったことなのだ。領主夫人として知る権利はあるだろう。


 カレンは、ふと王都での懐かしい記憶を思い出した。

 まだ幼い頃、カレンは王都で迷子になったことがある。

 母について街に行ったはいいが、あれこれと賑やかな店を見回るうちに人混みに紛れ、母や侍女から離れてしまったのだ。


 母達とはぐれた不安からうろうろと歩き回るうちに、見知らぬ地区へと迷い混んだ。


 身なりからして貴族令嬢の幼いカレンは、人さらいの格好の餌食だ。

 運悪くガラの悪い連中に絡まれたところを助けてくれたのは、一人の娼婦だった。


「こんな見たからに上級貴族のお嬢ちゃんなんかさらったら、間違いなくあんたら死刑だよ」

 カレンを庇うように立ちはだかった娼婦の迫力に、ガラの悪い連中は舌打ちして霧散した。


「さ、ここはあんたが来るとこじゃない。この道を真っ直ぐ走るんだ。そうすると広場に出るよ。恐らく今頃あんたを探して侍女は真っ青だ。早く行きな、振り向くんじゃないよ!」

 と、カレンの背中を強く押した。


 カレンの目線へとしゃがんだ娼婦は、濃い化粧で香水の匂いをプンプンさせていたが、その目はカレンをいたわるような優しく強い眼差しだった。


 カレンは言われるがまま走り、一度だけチラリと後ろを振り向いた時、娼婦は遠くからまだカレンを見ていた。


 すぐに血相を変えた母と侍女達と会うことができたが、当面の間、街へ出掛けることは禁止になった。


 あの時、助けてくれたのが娼婦だったと気づいたのはだいぶ経ってからだったが、カレンはあの強く優しい眼差しを、ずっと覚えていた。


 どんな事情で娼婦になるかなど、当時のカレンには想像もつかなかったが、大人になった今は違う。


 しかしどんな事情であれ、ダヴィネスに住まい生活する人達のことは、常に心に留めておくべきだと思っていた。


 ・


「カレンが殺人事件のことを…?」


 ジェラルドの執務室に捜査官がいた。


「はい」


 ジェラルドとフリードは顔を見合わせた。


 捜査官は、カレンが娼婦殺人事件の詳細を聞きに来たことをジェラルドに報告した。


 領主夫人の権限で、事件のことを聞くのは問題はない。

 しかし、ダヴィネス城の者達は、領主への報告を怠らない。それがカレンに関することになれば己の進退に直結するのは周知の事実なので、尚更だった。


「ふむ…」

 ジェラルドは顎に手をやり考える。


 ジェラルドはカレンから何も聞いていない。

 この傾向は、少し注意が必要だ。

 幾度となくカレンの思いきった行動力を目の当たりにしているので、勘が働く。


「ジェラルド、事が事なので…」

 フリードが眉間にシワを寄せている。カレンをよく知る者として警戒と心配がない交ぜになっている顔だ。


「わかっている…カレンには私から釘を差す」

 ジェラルドの言葉に、捜査官とフリードはあからさまにホッとした。


 ・


「ただ、どのような事件なのか知りたかっただけです」

 ディナーの席でジェラルドに問われたカレンは、サラリと答えた。


「単に好奇心から?」


「…ええ」


 答えたカレンの顔を、瞳を、ジェラルドはじっと見つめた。


 カレンは何のてらいもなく、ジェラルドの深緑の瞳を見つめ返す。


「…それで、どう思った?」

 ジェラルドは敢えて聞く。


「…痛ましい事件だと思います」



 カレンが捜査官から聞いた『娼婦殺人事件』…

 殺されたのは年若の娼婦で名前はエラ。城塞街の外れにある歓楽街にいくつかある娼館のひとつ{Red Moon}の所属で、一番人気ではなかったが陽気な性格と華のある容姿で人気はあった。

 エラは数年前に他の領地から流れてきたとのことで、前の領地でも娼婦をしていたらしい。働きは至って真面目で他の娼婦達とのいさかいはなく、お客ともトラブルを起こしたことはない。店主曰く「模範的な娼婦」とのことだった。

 ただ、捜査をしていく中で発覚したのは、娼館以外で内密に客を取っていたという事実だ。

 これは明らかに違法で、現にエラは娼館ではなく、細い裏路地で遺体となって発見された。恐らく違法に客を取っていた最中の出来事だと推測される。

 喉元をザックリと刃物で切られ、即死の状態だったとのことだ。

 娼館内のことであれば店主は責任を持てるが、勝手にやっていた商売のこととなると、予想の範囲は出ないどころか娼館にとってはいい迷惑だ。

 一人の違法行為によって「娼館を無くせ」という声も出て、歓楽街はあまり捜査に協力的でないのが現状だった。



 エラはなぜ違法に客を取っていたのか、なぜ殺されなければならなかったのか、犯人は一体誰なのか…。


 捜査は行き詰まっていた。



「ジェラルド」


「ん?」


「私、何かできないでしょうか…」


「……」

 ジェラルドはカレンを見つめたまま、厳しい顔でため息を吐いた。

「…例えば?」


「娼婦達に、聞き取りとか…」

 カレンは小さな声だ。


「論外だ。捜査は捜査官が行っている」

 ジェラルドは何を言うという風で、目が怒っている。


「でも、男性相手では言えないこともあると思います。ましてや捜査官はお役人ですから、下手なことを言えば職を失うかもという考えが働きます」

 カレンは勇気を出して意見を述べる。


「カレン、立場を考えて。彼女達があなたに本音を述べても事件が解決する確証はないんだ。事は殺人事件なんだぞ」

 ジェラルドの語気が荒い。


「だからこそです」

 カレンはジェラルドに負けない強い目線だ。


 いつも仲睦まじい領主夫妻の険しい雰囲気に、控えた使用人達は目を丸くしている。


「だからこそ…やってみなくては、わかりません。人ひとりの命が奪われたんです。しかも社会的に立場の弱い女性が…どんな立場であれ、命を断たれていい理由など、ありません…戦争ではないのですから…」


「カレン…」

 ジェラルドはカレンのライトブルーの澄んだ視線に射抜かれる。


 ジェラルドは内心まずいと感じる。

 こうなったカレンを止めるのは至難の技なのだ。


「…とにかく、承諾できない。わかって欲しい、カレン」

 半ば頼むように諭す。


「……はい」

 これ以上は無理ね…。

 カレンは一応返事はしたが、納得していないことはジェラルドの目には明白だった。


 ・


 貴族、平民、領主夫人、娼婦…

 カレンはバスタブに浸かったまま、バスタブの縁に灯されたキャンドルを順番に4つ並べる。


 ディナーのあと自室に戻り、ジェラルドとの会話を思い出していた。


 立場が違えば当然役割は違う。だが、自分で身分を選んで生まれてくるわけではない。

 このキャンドルのように、皆等しくひとりの人間なのだ。


 殺された娼婦には、何か事情があったようにしか思えない。模範的な娼婦が秘密でお客を取るということは、それだけお金が必要だったということだ。


 やはり、気になる。


 カレンは意を決して、再びジェラルドへ話をすることにした。


 主寝室へ行く前に、アンジェリーナの子供部屋を覗く。


 アンジェリーナはすでにスヤスヤと寝息を立て、心地よい眠りについていた。


 カレンは屈みこむと、アンジェリーナのふっくらとした頬にキスをし、頭を優しく撫でる。


 ふと気配を感じ後ろを見ると、ジェラルドが立っている。

 カレンと同じくガウン姿で、アンジェリーナの様子を見にきたらしい。


「よく眠っています」

 アンジェリーナを起こさないよう、カレンはジェラルドに囁く。


 ジェラルドは微笑みながら頷くと、アンジェリーナの額にキスをした。


 しばらく二人でアンジェリーナの寝顔を眺める。

「天使もこれほどには可愛くはないだろうな」

 ジェラルドの言葉にカレンはふふふ、と笑う。


「眠っている時は。でも、ひとたび起きるとかなりのやんちゃぶりです」


「元気が一番だ」


「ええ」


 と、アンジェリーナが「ん…」と起きそうになり、二人は慌てて子供部屋を去った。


 主寝室への廊下を歩きながら、カレンはジェラルドへ話すことにした。


「ジェラルド、私、やはりどうしても気になります」

 カレンの腰に回されたジェラルドの手に力がこもるのがわかる。


「……カレン、その話は…」

「考えがあります」


 二人は寝室に入ると、暖炉の前に敷かれた毛足の長い毛皮へと座る。心地よくクッションの配されたそこは、二人の語らいの場所だ。


 ジェラルドは、モリスがあらかじめ準備していた、二人分のナイトキャップのグラスを持つと、ひとつをカレンへ渡した。


「…話を聞こう」

 カレンは、ジェラルドのすごいのはこういうところだと感服する。

 ディナーの席ではキッパリとカレンを制したが、カレンの気持ちは汲んでくれるのだ。決して機嫌は良くはないが…。


「{Red Moon}のオーナーに会いたいです」


 ジェラルドは無表情で、黙ってグラスに口を付けた。

 カレンは続ける。


「話を聞いて、ミス エラの情報を少しでも得たいです。些細なことでも」


「……」

 なおもジェラルドは無言だ。


「問題は領主夫人のままで会うかどうか…本当は潜入捜査が望ましいとは思いますが…」


「!」

「きゃ…!」

 ジェラルドはグラスを置くやいなや、カレンを抱きすくめた。


「ジェラルド?」

「黙って聞いていれば…」

 と、カレンの顎を掬うと上へ向かせた。深緑の瞳が揺らめいている。

「この唇は私の気持ちをよそに…」


 そして、有無を言わせずカレンの口を塞いだ。


「っん…!」


 いきなりの深い口づけに、カレンは驚きながらも思考を奪われそうになる。

 しかし、うやむやにはしたくはないので、頑張って冷静さを取り戻すことに努める。


「…なにも、娼婦の真似事をするつもりではありません…!」

 やっとのことでジェラルドの唇から逃れた。


 カレンの言葉にジェラルドは目を見開く。

「当たり前だ。カレン、何を考えている?」


 ここで対応を間違えば、取り返しのつかないことになる。ジェラルドは心得ていた。


「…社会的に立場の弱い彼女達は、生きるのに必死です。だから結束も固い。上からの言葉では本当のことは話さないと思います。決して見放さないという確証がなければ…」


「あなたはその確証を与えられると?」


 カレンはジェラルドの瞳を見て、コクリと頷く。


「どうやって?」


「逆立ちしても私には娼婦の真似事はできません。ならば、真正面から」


「領主夫人として会うと?」


「…はい」


 ジェラルドはため息を吐く。

 領主夫人が娼婦と話をする…常識では考えられないが、カレンならばやるだろう。

 カレンは物事をあやふやにするのを嫌う。そして正義感が強い。

 今まで幾度ととなくジェラルドやダヴィネスのために動いてきた事実がある。


 しかし今回は、なにか引っ掛かる。


「カレン、なぜ?なぜそこまでしようとする?」


「ジェラルドは、娼婦を差別なさいますか?我らとは違うと?」


「……!」

 ジェラルドは言葉に詰まった。

 しかし、これはカレンからの挑戦状だ。

「いや…違わない。彼女らもダヴィネスを形なす者達だ」


 カレンはジェラルドの言葉にホッとする。

 やはり、ジェラルドは名君と言われる領主なのだ。


 ジェラルドは、カレンを引き留めることは諦めた。フリードには嫌みを言われることは確実だが、カレンは正しい。ただ、やり方については口出しをする。


「カレン、誰に会うか、どこで会うかはこちらで準備させてもらいたい。でなければ許可できない」


「わかりました。お任せします」


 ジェラルドはカレンの澄んだ瞳を見て、フッと微笑むと額に口づけた。


「あなたには勝てない」


「私もジェラルドには勝てません」


「まさか、私はいつもあなたに屈服しているぞ」

 言いながら、カレンの髪を後ろへ流し、露になった首筋に唇を這わせる。


 燃え盛る暖炉の前で、ふたつのシルエットが溶け合った。


 ・


「カレン・ダヴィネスです」


「…知ってるよ。なんだって領主様の奥様があたしなんかに会うのさ」


 城塞街の騎士詰所の奥の部屋にカレンはいた。

 机の向かいには、娼館{Red Moon}のオーナー、ローザが座り、訝しい目でカレンを見ている。


 午後からにしたが、幾分眠たそうな顔だ。

 意外にも化粧っけはなく、どことなく品もある。ドレスもごく普通のデイドレスだ。ただ、胸元は深く開いている。

 年は…わからない。


 護衛は伴っているが、ローザが警戒するといけないので、部屋には二人きりにしてもらった。


「…殺されたエラのことをお聞きしたいと思いまして」


 とたんに、ローザが警戒の色を露にしたのがわかった。

「なんであんたが?」

 ローザは疑るようにじっとカレンの目を見る。


「犯人を見つけるためです」


「…犯人ねぇ。あたしらの命なんて、あんた達お貴族様にとっちゃ虫けらみたいなもんじゃないの?関係ないでしょ」

 ローザは斜に構え、半笑いでカレンを見る。


 {Red Moon}のオーナーに会うと決まった時点で覚悟はしていたが、カレンはローザの反応に面食らった。

 しかし後には引けない。

 彼女のような老たけた娼館のオーナーには、取り繕った態度は通じないことはわかっている。

 カレンは賭けてみることにする。


「…私は、娼館を無くすのは反対です。あなた達にはあなた達の道理があるのも理解できます。立場は違いますが、守るべきものがあるのはお互い様かと」

 カレンはズバリと本音を言った。

 さあ、ローザはどう出るか。


 カレンの言葉に、ローザは目を見開いた。


「へぇ、あんた、見た目と違って少しはわかる方ってことか…」

 しかし言葉に反して、警戒は解かない。

「でもね、エラのことは全部話したよ。隠してることなんてなんもないね」

 ローザは、レティキュールからおもむろに口紅を取り出し、鏡も見ないで紅を引くと唇をムニムニと合わせた。


 …手強い。


「…奥様さぁ、あたしらの商売を少しはわかってくれてるってことだよね?」

 ローザが挑戦的な目付きでカレンに尋ねる。


「わかる…というのがどういう意味かはわかりかねますが、尊重はしたいと思っています」


 尊重ねぇ、とローザは目線を宙にさ迷わせる。


「来てみる?あたしの店に」


「! 是非行ってみたいです」

 カレンは取っ掛かりに飛び付いた。


 ローザは、カレンの反応にふふん、と笑う。

 何か企みがありそうではあるが、カレンは構わない。

 恐らく、カレンは試されている。でも懐に入らない限り前には進めないのだ。


「じゃ、今夜おいでよ。言っとくけど護衛は控えめにね。目立つし客が逃げちまうから」


「わかりました」


「あ、それと…別に娼婦になれって訳じゃないけど、そのままじゃ場違いだから、なんとなく“それ風”にはしておいでよ」

 ローザは面白そうに話す。


「?」

 “それ風”?

 カレンは意味がよくわからない。

「…つまり、その…?」


「そう。娼婦風。無理なら女給とか…紛れたいならね」


「…わかりました」


 ・


 さて、どうしたものか…


 ローザが去った部屋で、カレンは考える。

 とてもじゃないが、ジェラルドには言えない。

 しかし、せっかくのチャンスだ。ローザとの約束は守りたい。


「うーん…」


 と、部屋をノックする音がした。


「どうぞ」


「失礼します」

 入ってきたのは、今日の護衛のネイサンだ。

 心配そうな顔をしている。


「レディ、ご用はお済みですか?」


「ええ…でも…」


「何か?」


「ねぇネイサン、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「? なんでしょう?」


 ネイサンは古参の騎士だ。城塞街にも詳しい。

 カレンがダヴィネスへ来たときからの付き合いなので、思いきって聞いてみる。


「{Red Moon}って、どんなお店なの?」


「!」

 ネイサンがわかりやすく驚きの反応をする。


「そうですね…ダヴィネスの娼館の中でも高級な方です。派手な客引きもしてませんし、さっきのオーナーも元は王都の貴族の愛妾だったとか…。たまに貴族もお忍びで来ると聞いてますよ」

 ネイサンは冷静に答えた。


 なるほど、とカレンは頷く。


「さ、レディ、城に戻られませんと」

 ネイサンは促すが、カレンは別の考えを思いつく。


「ネイサン、悪いけど{フェランテ・ドレス}へ寄るわ」

 {フェランテ・ドレス}はカレンの御用達のドレスメーカーだ。


「…レディ…...わかりました」

 ネイサンは不承不承従う。


 ネイサンには悪いが、賽は投げられたのだ。


 ・


 {フェランテ・ドレス}


「まあ!いらっしゃいませカレン様!」


 急なおとないにも関わらず、オーナーのマダム ガランテは上顧客のカレンを両手を上げて迎え入れてくれた。


 マダムとも長い付き合いになった。

 今ではカレンの身につけるドレスのほとんどをここで作っている。


「それで?今日は急なお仕立てですか?」

 奥の個室に通されたカレンは、出された香しいお茶を飲む。


「あの、実は内密のお願いで参りました」


「そうでございますの?どうぞなんなりとお申し付けくださいませ」

 気っ風のよいマダムは微笑みながら如才なくカレンに問いかける。


 言いにくいことこの上ないが、意を決して言うことにした。

「娼婦が身にまとうドレスが欲しくて…できれば今日」


 マダムは「まあ!」という顔で驚く。次いでうふふ、と意味ありげな顔でカレンに尋ねた。

「夜の趣向を凝らされるのでしょうか?」


「あ、あのいえ、そういう訳ではなくて…」

 カレンは恥ずかしくて言い淀む。


「心得ておりますわよ、カレン様。ここだけのお話、そういったドレスをお求めのお客様もこちにはいらっしゃいますので」

 マダムはさも当たり前と言わんばかりだ。


「そうなのですか?」

 カレンは驚く。


「ええ」


 もしかして…

「あの、その筋の方も…?」


「ええ、詳しいことは申し上げられませんが…でもカレン様になら…“あちら”の方々の中にもお得意様はおられます」

 マダムは歓楽街の方向へ目線を流して“あちら”と言った。


 そうか、ならば…とカレンはもう一歩踏み込んだ質問をする。

「{Red Moon}のご婦人も…?」


 マダムはおや、と眉を上げた。

「…カレン様、これ以上はお客様の情報ですので申し上げれませんが…」と、一段声を落とす。

「何かご事情がおありですか?」


 マダムの言うことは最もだ。

 しかし、マダムの協力と情報は欲しい。マダムは信用に値する。

 カレンは手の内を明かすことにした。


「実は…」

 と、カレンはエラの事件のことと、カレンの計画をマダムに明かした。


「…そうでしたか」

 カレンの話を聞いたマダムは、珍しく沈んだ面持ちだった。


「ミス・エラのことは残念でした…彼女にもドレスを作ったことはありますの」


 やはり!

 カレンは膝を打ちたい気分だ。


 マダムは続ける。

「明るくて人当たりもよくて。{Red Moon}は貴族のお客様も多いので、ドレスもそれなりに品質の良いものをお好みです。もちろんオーナーのミス ローザも顧客様です。私は商売柄、様々なご身分の女性と接する機会が多うございます。皆様、等しく私の大切なお客様ですわね」


 マダムの話を聞くにつけ、カレンは感じ入った。


 王都のドレスメーカーだとこうはいかない。身分でドレスメーカーもきっちり位分けされているからだ。


 様々な場所から人が集まる辺境だからこそ、考え方や人間同士の結び付きにも特有のものがある。


「カレン様、何か私でお役に立てることがございますか?」

 マダムは優しい眼差しでカレンに問い掛ける。


「ミス エラのことを、できれば詳しく」


「承知しました」


 聞けば、ミス エラがここでドレスを作ったのは2度で、いずれも即金、かなり高級な部類のドレスだったという。

 個人的なことはあまり話さなかったが、どうやら王都でも娼婦、それも高官相手の高級娼婦をしていたとのこと。


 カレンはふんふんと話を聞く。


「ダヴィネスでパトロンになるような特定のお相手がいたかどうかはわかりませんが…」

 とマダムは続ける。


「どうやら王都で恐ろしい目に合われたようで…」


「恐ろしい目に…」


 マダムはええ、と頷く。だからここに流れてきたらしい。


 男性と二人きりになる空間だ。中には娼婦を人とも思わぬ輩がいないとは限らない。


「でもやはり、ここでも娼婦の道を選ばれたのですね」


「それは、王都で{Red Moon}のオーナーと旧知の仲だったそうで」

 手っ取り早く生活の糧を得ることが優先されたらしい。


「でも、あと少しでここを去る、とも言われてました」


「え?」

 カレンは驚く。

「それって、いつのことですか?」


「確か…ちょっとお待ちくださいませ」

 マダムは帳簿のような物を取り出して、パラパラとめくった。

「ええっと…ちょうどふた月ほど前になりますわね。実はその時に注文されたドレス…うちでは3着目になりますが、結局取りにお越しにはなられずに…」

 と言葉を濁した。


 と、マダムがあっと閃きの顔をした。

「カレン様、今日ご入り用のドレス…もしお差し支えなければ…ミス エラが作られたものをお譲りいたしますが?」


 カレンは興味がわく。

「私が…着られるかしら?」


「恐らくサイズは問題ないかと…少々お待ちくださいませ」

 マダムは奥に消えた。


 ふた月前に、近々ここを去ると言ったエラ…。どこへ行くつもりだったんだろうか。


「お待たせいたしました」と、マダムが手にしたドレスを見て、カレンは口を開けたまま驚いた。


 夜目にも鮮やかな輝く深紅のドレス。

 黒いレースが施され、夜の蝶そのものだ。しかも胸元は限りなく際どい。


 カレンは赤いドレスなど着たことがない。


 カレンの様子を見て、マダムはクスクスと笑う。

「カレン様、夜の世界ではこれでもまだお地味な方ですのよ」


 そうなのね…、でもこれ、私に合うのかしら…?


「カレン様、まずはご試着なさっては?」

 カレンは勧められるまま、深紅のドレスを纏う。


「あら!素敵!サイズもぴったりですわ」

 マダムは意気揚々と着付けを手直しをする。

 ついでに髪型やお化粧もあれよあれよという間に“それ風”に直される。


「これは…!」「素晴らしいですわ」「やはり品格が違われます!」

 マダムに加え、店員達もなにやら楽しげにカレンの変身を楽しんでいる。


 黒いレースの長手袋を着け、髪は高く結い上げて少し垂らす。真っ赤な口紅を引くと、即席高級娼婦が出来上がった。


 カレンは鏡に映る自分を、信じられない、という顔で凝視した。


 濃いアイメイクに誘うような真っ赤な唇。ドレスは、肩から胸元まで開いているのはいいが、胸の谷間をむっちりとこれでもかと強調するデザインだ。

 少し力を加えられたら、胸は零れ落ちるだろう。


 どこから見ても、立派に“それ風”だった。


「カレン様のお顔を少し知る者でしたら、領主夫人とは気がつかないと思いますわ…というか、カレン様、女の私でもソクゾクするような女っぷりですわよ♪」

 マダムは完全に遊んでいる。


 更に、本物ならば…と、マダムはイタズラ心を現した。

「下着はお付けにならずに」


「えっ?!」


「娼婦はドロワーズなんて無粋なものは履きませんの」


 これにはカレンもまいった。

 下半身は長靴下とガーターベルトのみ。


 ここまでする必要があるのだろうか…甚だ疑問だが、こうなればままよ、と半ば諦めの気分でカレンはマダムに従う。


 しかし、この姿をジェラルドが知ったら…カレンは心が凍る気がした。


「カレン様、ミス ローザはかなりの遣り手です。駆け引きの天才ですわね…恐らく、カレン様の...領主夫人のお覚悟を試しているのだと察します」


 カレンはハッとする。

 そうだ、確かにローザは挑戦的な目でカレンを誘った。


「ミス エラのこと…真相はどうあれ、カレン様がこのような格好をしてまで、ひとりの娼婦のことをお気に留めてくださっていること…必ずミス ローザも認めざるを得ないかと」

 マダムは真摯な眼差しをカレンに向けた。


「それならいいけど…」

 不安は拭えない。


 マダムはクスリと笑う。

「私も同じ女として、カレン様のお気持ちを嬉しく存じますよ」

 さ、出来ました。

 と、マダムはカレンの頭に黒いレースのリボンを結んだ。

一話読み切りと言いながら、長くなりましたので二話としました。明日も投稿いたします!

お楽しみいただけますよう......よろしくお願いします。

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