白拍子
応保元年[1161年]9月
後白河院の寵愛を受けていた平滋子は第7皇子である憲仁親王[高倉天皇]を出産
この時、後白河院は35歳
平滋子は20歳
後白河法皇と二条天皇の対立が激化する中での誕生であった
「中々にめでたいものだな」
団喜を口に運びながら磯は他人事のように言う
「そうでございますねぇ」
そんな磯に鈴は呆れ顔で言った
「お友達の滋子様もご出産なされたようですし、磯様もそろそろでございましょうか?」
「ん?、何がだ?」
「いえ…もうそろそろ磯様も誰ぞ良いお方と巡り合う時期に来ているのではないかと」
「ああ、面倒くさいな」
「左様でございますか」
滋子の懐妊と出産、それ自体は特に問題はない
問題なのは後白河の子供という点だ
皇位継承に絡んでくるこの問題、それは非常に面倒臭い事柄だ
つまりは今後、滋子自体も権力争いの中に身を投じていかざるを得ない事を表している
「どのみち無事では済むまいな」
「何がでございますか?」
「何でもない、こちらの話だ」
そういうとヒョイッと団喜を口に放りこむ
先程の話としては磯に言い寄って来る男がいない訳ではない
むしろ磯は白拍子として人気は高く、言い寄ってくる相手は多い
しかし磯はすげなく断っているのが現状だ
その多くは平安貴族であり、貴族の正体を知っている磯に取っては正直御免被る案件でありお断る案件だ
かと言って武家は頭が悪過ぎて話にならない
平安京の外にいる一般庶民などそもそも眼中にない
つまりは相手がいないのである
何よりそれ以前に磯には考えなくてはならない事が山ほどあった
学ばなくてはならない事が山ほどある
つまり学問に生きたいのである
そしてそんな磯の知識欲を満たしてくれるのが信西の遺産である
信西は個人的に色々な書物を持っていた
磯はそんな信西の元で明確に読み書きを習い、歴史書にも目を触れる機会があった
気にいった書物は貰っていたりした
その中には海の彼方の国の事を記した書もあり、現在それら原文の翻訳も何となく行っている
それも時間を取られる一方、とある人々との交流も今は楽しい
山背国葛野群『兎豆満佐』の地にいる秦氏と呼ばれる人々との交流である
秦氏は5世紀頃に日本に渡ってきた渡来人であるらしい
その人々は優れた土木灌漑技術、養蚕技術、機織技術、酒造り技術、稲作技術を持ち、この日本の地に広めた
その子孫の人々は今だに京の外れにある兎豆満佐の地で暮らしている
普通に歩いていける距離なので磯は度々彼らに話を聞きに行ったりしていた
何より現在平安京で使われている高級織物も兎豆満佐で織られているしその織手も秦氏の子孫達である
だから興味があるのだ、彼らに
そしてその地に面白い神社がある
正式名称は『木嶋坐天照御魂神社』と言う
一般的には『蚕の社』と呼ばれている
蚕養神社が本殿側にあって蚕を祀っている
創建は定かではないが、一説では第33代・推古天皇の御代と言われている
推古天皇の時代と言えば有名な人物では聖徳太子が挙げられる
蚕は言わば秦氏と密接に関係しており、この社は秦氏ゆかりの神社だ
面白いのはこの神社には三本足の鳥居がある事だろう
『三柱鳥居』と呼ばれるこの鳥居
元糺の池という湧水の湧き出ている池の中に立つこの鳥居はどちらの方向から見ても正面に見える
真上から見ると三角形の形を成している不思議な鳥居だ
何故にこんな形のモノが出来たのかは判らない
それは現在の秦氏の子孫達に聞いても判らないという謎の多い神社だ
「あれは面白かったな」
再び磯はヒョイッと団喜を口に放りこむ
「何がでございますか?」
「いや、蚕の社の三本足だ」
「ああ…あるようですが私は見た事がありません」
「ほぅ、鈴にしては珍しいな」
「わたくしの場合は知ってはおりますが知っているだけで終わっている事がしばしばでございます」
「勿体ないな」
「磯様のように活動的ではございませんので」
「同じ事を滋子にも言われた事があったな」
「あ!!」
磯の言葉に鈴が思いだしという声を上げる
「何だ、どうした?」
「いえ、滋子様で思いだしましたが」
「ふむふむ」
「兄の時忠様が清盛様の異母弟君である平教盛様と共に二条帝により解官された様でございます」
「……何をやらかしたんだ、あの奇人は」
「何やら憲仁親王を東宮に立てようと画策した事が発覚したとか」
「阿呆だな、奇人は」
「まぁ、分からなくはございませんが」
「機会は後にいくらでもあろうものを、守仁が神経を尖らせている時にそれをやるか」
ここで言う守仁とは二条天皇の事である
「まぁ、大事には至っていないようなので今は様子見という所でしょうか」
「馬鹿な兄を持って滋子は難儀だな」
「左様でございますな、滋子様の心痛を思えば…」
「あ!!」
今度は磯が思いだした
「何事でございますか?」
「忘れておったわ、今日の夜は会に出なければならん」
「会?、ああ、白拍子の会でございますね」
「そうだ」
白拍子の会とは文字通り白拍子達が集まる会である
白拍子を最初に打ち出したのは磯だが、人気は人気を呼び各地から白拍子になろうと若い女の子達が集まってきた
白拍子はそもそも磯独自の今様恰好であったが、何故か職業として白拍子は認識されそれを目指す子が増えた
ただ、いきなり京に来て白拍子など到底できない
磯ですら舞や歌の基本を信西から学び、その後ろ盾があって出来た事である
何も知らない子達では貴族の前では到底踊れない
特に最近はいきなり若い子が京に来て色々と事件沙汰になっている状況が続いていた
貴族の慰みモノになって捨てられたり、京を彷徨ううちに野党に攫われたり、仕事が無く野垂れ死にして果てるという事が起こっている
そういう状況から磯の元に何とかならないかと言ってくる貴族もいた
その一人が後白河である
今様を好む後白河は若い白拍子達を取り巻くその悲惨な現状に頭を悩ませているらしい
ならばお前が何とかすればいいだろと思う磯だが、後白河は後白河で二条との対立に動きが取れないらしい
そうした事で仕方なく磯にお鉢が回ってきた
とは言え自分を目指して各地から上洛してくる若い子達が可愛くないかと言われれば可愛くはある
将来は商売敵になるかも知れないが、現状確かに放ってはおけない部分はある
だから白拍子の勉強会を開いて基本的な事を学ばせている
会の入門者には食事も住む場所も提供はする
でなければ到底京では生きていけない
勿論その為の費用の一部は後白河にももたせている
そして後白河の姉である上西門院も協力を申し出てくれていた
それと同時に滋子もまた動いてくれている
持つべきものは友達である
「しかし面倒だの」
「面倒がらずに、人助けと思いなされませ」
「仕方がないのぅ」
そういうと磯は皿に乗っていた最後の団喜を口に入れた