真言僧と天台僧の娘
応保2年[1162年]5月
「たのもうー!!、たのもうー!!」
磯の家の前で唸る一人の男
僧のような格好をしている
いや、おそらくではあるがれっきとした僧であろう
まだ若いが目は非常に鋭く、まるで獲物を狙う獣の如しである
「たのもうー!!、たのもうー!!」
尚も言い続ける男
その余りの五月蠅さに鈴が玄関から出て入口の門を開ける
「お!?]
鈴が門の入り口から出てきた事に男は声を上げた
「何用にございますか?」
いかにも山賊のような男の顔に驚きながら鈴は恐る恐る尋ねる
「おう、儂は真言僧の文覚という、お前が磯か」
「いえ、違いますよ、私は鈴です」
「お?、すず~?」
男の小馬鹿にしたようなモノの言い方に多少いらついた鈴であるが平静を装い答える
「左様です、私は磯様のお世話係です」
「ほ、そうか、磯を出せ」
「あいにくと磯様はお出かけになっておられまして…」
「なに、居ないとな?」
「左様です」
「居留守か?」
「いいえ、違います」
「隠すと為にならんぞ」
「本当に出かけておられるだけですが?」
「ん、そうかそうか、何時帰ってくる?」
「さて?、出かけると暫くは帰ってこないことがしばしばですので」
「む、そうか、邪魔をしたな」
「えーと、何か御用でしょうか?」
「ぬ、儂は文覚という」
「はい、先程お聞きしました」
「磯に会いに来た」
「いえ、ですから磯様に何か御用でございましょうか?」
「京の都に世にも珍奇な女がいると聞いてやってきた」
「はぁ…」
鈴は目を細める
確かに珍奇と言えば珍奇と言える
「女のくせに男装しているらしいではないか」
「まぁ…そういう様なのでございますが」
「女が男の恰好をするなどまさに世も末」
「はぁ…」
「けしからん!!、実に嘆かわしい事だ!!」
「はぁ…」
「磯とやらには袈裟御前の爪の垢でも……」
「あの、お説教は磯様直々にお言い下されませ」
「お、そうであるな、邪魔をしたな」
そう言うと背中を向け、歩いていった
「…何でしょうね、あれは」
男の睨みつける目と静かな剣幕に内心冷や汗をかいていた鈴はほっと胸を撫で下ろした
暫く男の背中を見ていたが、建物を曲がって姿が見えなくなると門を閉めた
磯様が不在で良かったと思う
いれば恐らく喧嘩になっていよう
とは言えまた来る可能性は多いにある
その時にはどしたうモノかと考える鈴であった
一方その頃、京の外にある山科陵を見物に出かけた磯
この陵は御廟野古墳と呼ばれていて第38代・天智天皇が眠る御陵である
天智天皇とは中大兄皇子の事であり、藤原氏の祖・中臣鎌足と共に蘇我政権を打倒し大化改新を行った人物である
磯自体特に興味がある人物ではないが、暇なので見に来た
そしてその帰り際、どうにも付けられている気配が濃厚なので磯は建物の角を曲がってそのまま見張ってみる
そうすると足音が速くなりひょこっと首だけ出して此方を窺う少女が一人いた
「何じゃ、お前は?」
その少女に声を掛ける磯
「!!」
その途端首を引っ込める少女
「隠れんでもおるのは判っておる」
その磯の変な言葉遣いに少女は観念して姿を現した
年の頃は10歳前後か
かなり身なりは良く顔色も良い
何より体もやせ細ってはいない
それだけでも一般の民とは違うのは見て取れる
「何じゃお前は?」
「変な喋り方!!」
そう言うと少女はケタケタと笑いだした
磯は子供に対しては何故かこういう口調になってしまう
「すまぬのぅ、子供相手にはこういう喋り方になってしまうのじゃ」
子供と言われムッとした表情になる少女
その表情の変化っぷりに磯は扇を広げ口元に当てた
「で、何故私を付けてきておったのじゃ?」
「貴女は磯御前です?」
「ん?、そうじゃが」
「やっぱり!!、私は栄子!!」
「ふむ、そなたは栄子という名前か?」
「そう、私の名前は高階栄子」
「高階?」
その氏族の名を聞いて磯は少し考えた
その氏の事は少なからず知っている
「なるほど、それで?」
「貴女が有名な白拍子です?」
お前も変な喋り方だな…と思った磯だが言わない事にした
「有名かどうかは知らぬが、確かに私は白拍子である事には違いないのぅ」
「白拍子の磯御前でしょ?」
「そうじゃな」
「やった!!」
そういうと少女は目を輝かせた
「実は私、貴女に憧れているの」
「ほぅ、そうか」
「あの…」
「ん?」
「どうすれば磯御前のように有名になれます?」
「白拍子としてかのぅ?」
「有名人として!!」
「……」
白拍子に…ではなく単に有名になりたいというこの少女の考え方は磯が教えてやれる範疇にはない
そもそも磯自体が有名になりたくてなった訳ではないし、有名であるという自覚もない
「栄子は何故有名になりたいのかの?」
その言葉に少女は腕を組んで少し考えた
「ん~とぉ、有名になった方が楽しいから」
「楽しいかの?、疲れると思うが」
「疲れないです!!」
「まぁ、何にせよ有名になれる方法なんで知らん」
「え~~~」
「あ!!、あと楽して生きて悠々自適の暮らしがしたい!!」
「ほぉ、悠々自適かの」
「どうすれば出来ます?」
「いや、知らぬ」
「え~~~」
不満そうに磯を見る栄子
そんな栄子に磯は少し尋ねてみる
「それはそうとそなたの氏じゃが」
「な~に?」
「高階とはもしかして…」
「その通りにございます」
磯が言いかけた言葉を遮るように一人の僧が磯に手を合わせる
「ああ、そういう事か澄憲殿」
磯の目の前に現れたこの僧の名は澄憲という
信西の7男であり、平治の乱にて下野国に配流されたが暫くして帰京
現在は出家し天台宗延暦寺の僧となっている
「お久しぶりりにございます、磯御前
相変わらずのお美しさでございますな」
「世辞はよい、という事この娘は」
「はい、私の娘でございます」
「なるほどな、高階という氏で気付いた」
この澄憲は信西と高階重仲の娘との子である
故に栄子が高階の氏を名乗っていても何ら不思議はない
ちなみに磯はもう一人高階の氏の人間を知っている
名前は高階泰経
後白河上皇の側近であり現在の官職は摂津守
この澄憲や栄子とは親戚筋に当たる
泰経を見た磯の第一印象は『いかにも死にそうな顔』の男であった




