狂乱の公家出雲へ
応保2年[1162年]6月
「頼もうー!!、頼もうー!!」
磯の家の前で唸る一人の男
僧のような格好をしている
いや、恰好だけではなく正真正銘れっきとした僧だ
まだ若いが目は非常に鋭く、まるで獲物を狙う獣の如しである
「頼もうー!!、頼もうー!!」
尚も言い続ける男
その余りの五月蠅さに鈴が玄関から出て入口の門を開けた
「お!?]
鈴が門の入り口から出てきた事に男は声を上げる
「すず~、今日こそは磯がおる筈だ」
「え~と、おりませぬ」
このやりとりは四度目である
四度先月から文覚は磯宅に訪ねてきたが、四度とも磯は留守にしていた
それはまるで狙ってやっているかのようなやりとりであるが、文覚も磯も意図してやっている訳ではない
本当にすれ違っているのである
「お?、またしてもおらぬと!?、ええい、さてはこの文覚から逃げておるな!!」
威勢良く吠える文覚に呆れ顔で鈴は言った
「いいえ、本当にお出かけになっております」
「な!!、四度ぞ!!、四度訪ねておらぬとはこれ如何に!?」
「余程貴方様は運がないのでございましょう」
「なんだとぉ!?」
「何でもございません」
この四度のやりとり
そのやりとりで最初は文覚が恐かった鈴も慣れてきた
というかまともに相手にするのが阿呆らしくなってきた
特に毎日家を空けて遠出している訳でもないのだが、何故か遠出している時にこの文覚はまるで狙い済ましたかのように訪ねてくる
これが狙ってやっていないのなら余程この文覚という僧は運がないのであろう
「う、ええい!!、ならばいつならおるのだ!!」
とうとう文覚は堪らずに鈴に聞いた
「明日ならばおられますが」
「な…何?、明日!?」
「左様にございます」
「そ…そうか…ならば磯に伝えておけ、明日の今時分に来るとな!!」
「ではそう磯様に伝えておきましょう」
「む、では帰る」
最初から居る日を聞けば良かっただけの話なのだが、何故かそれが出来なかった文覚
この真言の僧・文覚、俗名は遠藤盛遠と言う
今年24歳
この盛遠、そもそもは摂津源氏の武士団である遠藤氏の出身であり、北面武士として院内の警備に当たり上西門院に仕えていた
この文覚には過去にある悲話がある
それは出家に至った辛くも苦しい悲劇である
時は今から5年前、久寿2年[1157年]の事
袈裟御前という美しい女がいた
この袈裟御前は左衛門尉・源渡の妻であったが、盛遠はその袈裟御前を激しく恋をした
結婚をしている身と知りながらも盛遠はいてもたってもいられなくなり、結婚を何度も申し込んだのだ
夫がある身である袈裟御前はその度に断ったが、盛遠の強引さは日に日に拍車がかかった
とうとう袈裟は断り切れず盛遠が夫の渡を殺すならば一緒になりましょうという提案をした
盛遠は快諾し、ある晩寝所に忍び込み暗闇の中で寝ていた徹を一気に刺し殺した
そしてその首を取って表に出た
徹を殺して袈裟御前を手に入れられると興奮していた盛遠だったが、月明かりに照らされたその首を見て仰天した
その首は袈裟御前だったからだ
混乱する盛遠だったが、暫くしてようやく事の次第が飲み込めた
夫が殺される前に自分が死ぬ事を袈裟御前は選んだのだ
その首を抱きしめ盛遠ははらはらと涙し自分のしでかした事を大いに悔んだ
徹にも全てを打ち明け手打ちにしてくれと懇願したが、袈裟の菩提を弔うようにという条件でその罪を許された
その年盛遠19歳
出家後はすざまじい荒行を繰り返した
真夏の藪の中で裸にて蚊や虫に刺される苦行や、熊野の那智の滝壺に21日間もの間浸かり時に仮死状態に陥り川に流されるといった無茶をしたりしていた
それらは自分が殺してしまった袈裟御前への罪の意識と自分自身への怒りが起点となっている
「また来よったのかそやつは」
帰ってきた磯は鈴の報告に眉を寄せる
「はぁ、明日にまた来るようです」
「そもそも何の用なのだ、その真言僧は」
「さぁ、女が男装とはけしからんとか何とかこの前から言っていたのでそれかと」
「つまらんな、そやつは余程暇なのか」
「さぁ…」
「とても即身成仏できる坊主ではないな」
「まぁ、まだ修行中のお方でしょうから」
「ふん、明日は面白いから居留守でも使うか」
「いや、それはお止めになった方が」
「そうか、まぁ面倒臭いが仕方ないな、会ってみるか」
「これで私も荷が下りまする、あのお方の相手は中々に難儀でございまして」
「ふむ、それはそうと奇人が出雲に流されよったぞ」
「は?、時忠殿がでございまするか?」
「そうだ、先程滋子から聞いた」
「で、今度は何をされたのでございます?」
「資賢の話になるのだがな」
「源資賢殿でございますね」
「そうだ、その資賢の奴が加茂社で二条天皇を呪詛したとやらで解官されおったのは知っておろう」
「はい、その件はこの前にお聞きしましたが」
「奇人も陰謀に加わっていたとかで出雲に流されよった」
「はぁ…」
「まぁ、本人は知らずに巻き込まれたと言い張っておったらしいが二条が激怒しおってな」
「まぁ、そうでございましょうな」
「ただでさえ前年に解官されて二条から目を付けられておるのだから大人しくしておけばいいものを」
「そうでございますね、しかしあのお方は色々と騒がしいお方でございまするな」
「それが奇人の奇人たる所でもあるがな」
「して、という事は資賢殿もどこかへお流れに?」
「うむ、資賢は信濃に、子の通家は伊豆に、藤原範忠は周防に流された」
「とうげんはんちゅう?、ああ、藤原範忠殿でございまするな」
そこまで言って鈴はふと違和感を覚えた
基本的には磯は余り人に関心が無く、他人の名前を流れるように言うのは基本的にはない事だ
「はて、この件に何かご感心があるのでしょうか?」
「良く分かったな」
「長いお付き合いでございますゆえ」
「そうだ、興味はある」
「ほぅ、磯様にしては珍しき事でございますな」
「面白いだろ?、今時呪詛で大の男が地方に飛ばされるとは滑稽の極みだ」
「なるほど、確かに考えてみますともっともあるモノではございませんな」
「呪いで人が病気になったり死ねば苦労はせぬは」
「それは、まぁ…」
磯曰くそういった呪いや怨霊といった類の迷信を信じる者達は『馬鹿』でしかない
そして平安貴族はまさしくその『馬鹿』の中に籠って怯えているだけの愚者にしか過ぎない
占いの吉凶がどうの呪いがどうのと実に下らない
「しかしある意味出雲に飛ばされたのは羨ましいな」
「は?、羨ましいとはどういう事でございまするか?」
「出雲には杵築大社があるのだろう?」
「はい、古来より大国主神が鎮座されている場所にございます」
「それよ、それ、私も杵築大社を見てみたいからな」
「ああ、それで羨ましいと?」
「そうだ」
「まぁ、時忠殿に取っては出雲行きは嬉しくはないと思われますが」
「そうか」
「でございましょうな」
「それにしても出雲は国譲りで舞台となった場所だ、一度でいいから行ってみたいな」
「中々に遠くにございますからな」
「須佐之男命が八俣遠呂智を倒したのも出雲であろう?」
「そう言い伝えられております」
「凄いぞ、八俣遠呂智は、見てみたいな」
「いえ、あれは神話の時代の話であって今はいないと思いまするが」
「おらんのか?」
「はい、断言できます」
「そうか、奇人が戦い勝って帰ってくれば英雄として菓子をやるものを」
「勝った褒美が菓子ではどうにも割に合わないかと…どのみち勝てないでしょうからな」
「奇人では勝てぬか?」
「勝てませぬ」
「どうしてもか?」
「無理にございます」
「そうか、やはり須佐之男は偉大だな」
そういうと磯は皿に盛り付けてある菓子を手に取りひょいと口に運んだ




