賀茂社
『賀茂川の水、双六のサイ、山法師は、是れ朕が心に従わざるもの』
これは第72代・白河天皇の言葉である
双六とは賭博が流行した事に関する事であり、山法師とは延暦寺や興福寺の僧兵による強訴の事である
そして賀茂川とは平安京の東を流れる川の事である
京の東を流れる鴨川は北に賀茂川と高野川の二つの川があり、それが合流して鴨川となり南に流れる
この鴨川は氾濫し度々洪水を引き起こしてきた
そのため堤防決壊等に対応する『防鴨河所』が設置された
洪水がある、それ故に最も鴨川と接する地帯である六条大路から西洞院辺りの区画が開発されだしたのは治水技術が向上した最近になってからだ
ちなみに平安京にはもう一つ大きな川が流れている
東の鴨川に西の葛野川である
こちらも氾濫、洪水を引き起こすため防葛野河所』が設置されたが右京の衰退と共にこちらの所はやがて消えていった
平安京の都市設計に条坊制【碁盤目状で左右対象の形】を取り入れた桓武天皇であったが鴨川の氾濫のために左京の南東部は使い物にならず、右京に至っては西区画の半分が氾濫と湿地帯のために人が住めない状態であった
必然的に京の中央及び北東部に人が集中する事になる
右京区が衰退していく理由はそこにあった
とはいえ最近では湿地帯を埋め立てて人が住める環境がようやく出来つつあり、右京に移転する人も比較的多くなっている
安元2年[1176年]3月
磯は静を連れて賀茂御祖神社【下鴨神社】と賀茂別雷神社【上賀茂神社】に参拝に来ていた
静が一度来たいと言い出して磯もまた乗り気になったので親子でまずは賀茂御祖神社に行く
賀茂御祖神社は賀茂川の傍にある神社で創建の時代は不明
初代・神武天皇の時代とも10代・祟神天皇の時代とも言われているがはっきりした事は分からない
つまり相当に古い歴史を持つ神社であるという事だ
主祭神は玉依姫命と賀茂建角身命
玉依姫は建玉依比売命とも言い、賀茂建角身命の娘である
この賀茂建角身命は別名『八咫烏』であり、神武東征において大和から橿原まで案内した神であり、賀茂県主の祖である
その賀茂御祖神社の境内の一角に鎮守の森たる糺の森があるのだが、磯達が行った時に一人の若者が木の椅子に腰かけてぼけーっとしていた
着ている服は特に悪くはなく浮浪の類ではない事は分かったが、辺りには誰もいない鬱蒼と茂る木々の中にあってポツンとただ一人佇んでいる姿は幽霊を思わせた
磯と静は顔を合わせる
見ればその男の年の頃は20歳そこそこに見える
そんな若者がこんな所で真昼間からお参りもないだろう
「首でもくくるつもりかのぅ?」
磯の言葉に静は目を丸くした
「母様、神社の境内で縁起でもない事を言わないで下さい!!」
「しかし、あれは今まさしく何か思いつめている姿だがな」
「ん~、じゃあ少し話を聞いてくればいいと思います」
「そうだの…」
正直気は進まないが、参拝しに来た傍で死なれれば縁起は確かに悪い
「ではここで待っていよ、静」
「はい、気をつけて」
そろりそろりと後ろから近づく磯
しかし若者はまったく気づかない
やがてすぐ傍まで近寄り声を掛けてみた
「ここで一人で何をしておるのだ?」
「うわぁ!!???」
突然背後から話しかけられた若者は飛び上がった
誇張ではなくまさしく飛び上がり、地に尻を突く
「驚かせたかな?」
「あー、吃驚しました」
「まぁ、立たれよ」
尻もちをついていた若者は立ちあがり衣服に付いた土を払う
「本当に驚きましたよ」
「それはすまぬな、参拝に来たら何やら思いつめた顔をしておった様なので声を掛けてみたのだ」
「はぁ、それはすいません」
「それはそうと、何か困りごとでも?」
「はぁ、実は」
この若者の名は鴨長明という
現在22歳
この賀茂神社に縁のある賀茂氏の一族で、この賀茂御祖神社の神事を統率する禰宜であった鴨長継の次男として生まれた
二条天皇の中宮・高松院の愛護を受け7歳で従五位下に叙される
運気が下がったのは4年前の父の死からである
空いた禰宜の座を継いだのは鴨祐季
しかその祐季と延暦寺の間で土地を巡る争いが起こり祐季は失脚した
父の後を継ぎたかった長明はここぞと発奮した
しかし鴨祐兼もまたその座を狙っていた
後釜を巡り祐兼と争った長明だったが、その争いに負けたのだ
これにより神職の道が断たれた長明は現在大原にいる祖母の下で暮らしている
しかし足を運んでは河合社のあるこの森で物思いに耽っているのだ
「そ…そうか、それは大変だの」
話を聞き磯は扇を広げ口元を隠す
てっきり自殺の気でもあるのかと思っていたが案外そうした訳でもなさそうなので安心した
何せ参拝中に死なれでもしたら縁起が悪い
磯としては縁起などどうでもよいが、少なくとも寝覚めは悪い
この長明、どうやら誇れるモノが何もないらしくしきりに従五位下に拘っている
売官が蔓延っている現在の宮廷を知っている身としては官位など何の意味も持たない事を知っているが、それは言わない方がよいだろう
適当に話を聞き、長明と別れた磯は静と合流し参拝を済ませた
神前に供える場所が設けられていて、米と絹を備える
巫女の話では最近『銭』を供えにくる者がいるらしく困っているとか何とか
そして賀茂御祖神社を出た磯と静は一路賀茂別雷神社へ
これが中々に距離があって歩いていくのでも一苦労である
まだ若いといえど磯ももう35歳である
鞍馬まで休憩入れず歩いていけた時代とは違って体力的にもけっこうきつい
静は今年10歳
若いとはいえまだまだ子供の体力である、さすがにきつそうだ
休憩をいれつつやっとこさ賀茂別雷神社に辿り着いた
着けばこちらのモノである
道中のしんどさなど吹き飛んでしまった
「凄い!!」
神社内で勢いよく流れる川の流れに驚く静
「凄いであろう、これが上賀茂だ」
磯も何度か来た事はあり、龍神の力が強いと思われるこの川の流れは好きである
そして神社に参拝
この賀茂別雷神社の祭神は賀茂別雷大神
母は賀茂御祖神神社に祭られている玉依姫である
ちなみにこの二つの神社には一つの祭りがある
賀茂祭という名前で、春ごろに行われる
起源は欽明天皇の御世の頃と言われ雨によって五穀が実らず困った天皇が占わせた所、賀茂の神々の怒りであると出た
驚いた天皇は祭礼を行なわしめた
こうしてそれが今の世まで続いている『葵祭り』の起源と伝わる
そしてこの葵には一つの奇妙な伝説が伝わる
『二葉葵』は賀茂神社の神紋である
この二葉の名を冠せられた稲荷がこの賀茂別雷神社のすぐ傍にある
玉依比売命を祀った片山御子神社の神宮寺
そしてその鎮守社の神社があった
『二葉姫稲荷神社』と呼ばれる神社
ややこしいが、そのややこしさが神道と仏教を融合させた神仏習合の意味不明さである
「なにここ?」
静は『二葉姫』と呼ばれる神社にて磯を見る
「二葉姫だな」
「何で姫なんだろう?」
「さて?、詳しい事は分からんが二葉なのだから賀茂社に関わりのある稲荷神社なのであろう」
「賀茂社に関わりのあるお姫様の狐さんを祀っているのかな?」
「それは違うの」
「え?」
「稲荷というのは狐ではなく稲荷神という稲の神様の事だ、静」
「え?、狐様が神様じゃないの?」
「うむ、よく勘違いされるが狐はその稲荷神の御使いなのだ」
「そうなんだ」
「まぁ、狐神として祀られている時もあるからあながち間違ってもおらんが、主神は狐ではない」
「なるほど~」
「そういえば以前来た時には向こうの神宮寺に薬師如来が祀られておったぞ」
「薬の神様ね」
「いや、仏様だな」
「あ!!、如来だからそうだね」
「うむ…」
神と仏
ごっちゃに混ぜて祀られているのはどうにもややこしくて厄介である




