その後
プレミアム・デス・マトリクスの運営会社が所有する病院の特別治療室にて、坂神ライトは治療を受けていた。
綺麗に切断されればまだ接合できる可能性もあったらしいが、今回は圧迫と電流、それにゲーム終了まで応急処置だけで動き続けたことも重なり、切断された右脚を元に戻すことはできなかった。
――いや、厳密にはできた。
最新医療を駆使すれば、以前のように足を動かすことはできなくなるかもしれないけれど、片足を繋ぎ合わせることは可能だったが、それには3000万の治療費が必要だった。
3000万で片足がくっつくのなら安い買い物だろうが、ライトにはヤクザに返さなければならない借金があった。運営から借り、次のデスゲームに出場することでその借金を返すこともできただろうが、ライトはもうゲームに参加すること言う思考はなかった。
――その後の生活を考えれば、そこまでして片足をくっつける気にはなれなかった。
結果として、ライトは膝より少し下から先を失った。
「…………」
白い天井を見上げたまま、何度目になるか分からない溜息を吐き、手元にある通帳を捲る。病室を出ることを許された時に一番最初に向かったのは、病院の一回に併設されているATMだった。
病院の裏手の一角には大手銀行のATMがずらりと並んでいて、デスゲームの参加者たちはまずそこで振り込まれた金額を確認することが可能となる。
ライトは通帳記帳をした。三番目に新しい更新履歴には運営会社の口座から「4500万」が振り込まれていた。そこから、スライドで個人口座へ「2000万」の振り込みされ、一番新しい出勤履歴はこの病院の「450万」が振り込まれていた。
ライトの手元にはトータルで2050万がある。
――トータル4500万。それは、ライトがホスト時代に一夜で稼いだ金額に近い数字。エース客がいれば決して稼げない額ではなかったけれど、ホストとしての稼ぐ能力を失われたライトにとっては伸ばしても手が届かない金額だった。
その金を、数日前に死戦に身を投じ、片足を失った代償として手にいれた。
稼げた時代なら、これをブランド物や高いマンションの家賃に当てていたが、これは文字通り「命賭け」で手に入れたお金で無駄遣いするのはもったいないと思った。
…………それに、これは、三日前のことだった。
ライトは治療を終え、一人部屋の病室で療養していると、このゲームに連れて来た元凶たちが「借金の取り立て」に来た。
本来は、申請をすれば運営が勝手に債権者の元に支払いの手続きをしてくれるそうだが、ライト自身は「飛び入り参加」だったため、その手続きが間に合わず、ヤクザたちはライトから直接取り立てることになったのだ。
ヤクザは通帳の記帳欄を確認し、この振り込まれた4500万全てをよこせと言ってきた。
ライトは、当然拒否をしたが、それなら実力行使だと手を振り上げた時だった。
「ライト、いる? お見舞いに来たんだけど」
「は?」
ライトは仰天した。そこには、なぜかあのゲームと一緒になったアリス――明日香がいて、片手には銀座の一流ホテルが運営するパティスリーのケーキの箱を持っていた。何故知っているのかというと、偶然にもライトはそこのケーキを買っていた。
もちろん、太客のご機嫌取りに、だが。
「おじさん、邪魔なんだけど」
場違いな女の出現にヤクザたちは凄んで威圧をするが、明日香は怯まない。なんだ、こいつはと首を傾げると、舐めた態度を取られたと若手のヤクザが明日香の胸倉を掴んだ時だった。
「おい、兄ちゃん、若い女に大人気ねぇな?」
ゴン、と幅広のシルバーリングを嵌めこんだ太い腕がその若いヤクザの左頬を打った。
不動明王を思わせるような筋骨隆々の、ブランド物のサングラスをかけた、顎髭を生やした中年の大男だった。
見るからに、ライトを取り巻く同業者で、この場の人間の中で明らかに空気が違う。
「橋爪さん、やめてよ。ここ運営直轄の病院なんだから、あまり騒ぐと面倒だよ」
「まさか、大鷲組の橋爪さんですか?」
ライトは「橋爪」という名前に心当たりがあった。歌舞伎町の大手キャバクラ、有料動画配信サイトで俳優とコラボして人気急上昇中のホストクラブのグループやらのケツ持ちをしている組織で、ライトの店のケツ持ちをしていたヤクザたちなど比較にならないくらい大きな組織の傘下にあるのが、大鷲組だった。
橋爪はその大鷲組の若頭でもあった。
明日香の大きい態度にも納得がいった。これだけ大きな組織が後ろにいるのなら、目の前の末端など視界にも入らないと。
でも、なら。何故、彼らはここにいるのか。
「私、借りは返す主義だから」
「借り?なんかあったっけ」
「私の指示に従って、私を先に脱出ゲートに通してくれたでしょ? だから、そのお礼」
「あれは、あの時の戦略だったんだろ?」
「そうだね。でも、あなたはあの時、ペナルティスコアに後がなかった。無駄に後ろに下がった時、さらにペナルティが加算されて、もう片方の腕が吹き飛ばされそうだったし、自分が先に出て、最後に私を通せって提案もできたのに、しなかったでしょ。だから、そのお礼」
「私がクリアできたおかげで橋爪さんたちも儲かったんだから、お礼言いたいんだって」と橋爪に視線を送ると、橋爪は仕方がないと肩を竦めた。裏で賭博をしてたみたいで、明日香の生存のおかげで別口でまぁまぁ儲かったらしい。
「まぁ、こいつが死ななかったおかげで俺らも儲かったのは事実だ」
「でしょ?」
「だからって、なんで俺が他所のガキの借金問題に首突っ込まなきゃならねぇんだ」
「儲かったんだから、それくらいいいじゃん。お金出さないんだから、口出すだけだったら安いものでしょ?」
二人のやり取りを聞きながら、ライトは何とも言えない顔になる。ゲーム中から思っていたが、明日香という女は距離感がおかしい。
大鷲組の若頭を相手にしているというのに、まるで近所の気のいい親戚にでも頼み事をするような態度だった。それが許されているということは、それだけ長い付き合いなのだろう。
橋爪は大きく息を吐くと、ライトのベッド脇に置かれていた通帳へ目を向けた。
「で。お前ら、こいつからいくら取る気だった」
先ほどまで明日香に凄んでいた男たちは、もう完全に勢いを失っている。
「……4500万です」
「借金はいくらだ」
「2000万です」
「残り2500万は?」
「迷惑料と、手数料と……まあ、色々です」
「実際の借金はいくらなの?」
「1000万、です」
明日香は橋爪と顔を合わせてそりゃあ、取りすぎだとため息を吐く。ライトのホストクラブのケツ持ちのヤクザは半グレ上がりで中規模の組織の傘下にある組織で、取り立てに容赦がない。
「俺もお前たちと同業だし、取り立て自体には口を出す気はない。借りた金を返すのも、利息を払うのは当たり前だ。通さなきゃならねぇ筋を通さないと、俺たちの「面子」は丸つぶれだ」
「で、ですよねっ!?」
橋爪に同意を得られたと思ったのか、男は露骨に顔を明るくした。だが、橋爪はそんな男を見て、呆れたように鼻で笑った。
「だが、だからって4500万全部持ってくのは話が違ぇだろ。元は2000万返せって話だったんだろ? 大金見て目ぇ眩むのはわかるが、欲の掻きすぎはいただけねぇな」
「それに、取り立てる相手は他にもいるでしょ?」
明日香は橋爪の話に横から入る。お前は黙ってろと睨むが、明日香は話を続ける。
「元1000万の借金って、売掛かなんかで客に飛ばれたからって話でしょ?じゃあ、2000万はライトが払って、残り2500万はその客から取り立てれば解決でしょ?」
明日香は一枚のメモ用紙を窓際にいたヤクザに渡す。その紙にはいかがわしい名前の店名、源氏名、本名、電話番号が書かれていた。
「これは?」
「ライトの支払いを飛んだ風俗嬢の情報。あの後、白石と話す機会あったんだけどさ。あの子、風俗嬢だったみたいで、そういう横のつながりあるんだって。聞いたら、ホストやメンコンの売り掛け飛ぶ常習犯みたいで、結構有名な子だったっぽい。客の間でも結構金銭トラブルがあって、稼げる時は沢山貢いでくれるけど、後先考えずに売り掛けして、払えなくなると飛んで、友達や知り合いにその話を得意げに話すから、情報入手するの容易かったよ」
ライトは、しばらく何も言えなかった。
「……お前、そこまで調べたの?」
「たまたまってのもあるけど。白石に感謝しなよ」
ライトは呆れながら、男が持っているメモを見る。
そして、男は、訝し気に明日香を見た。
「……本当にこいつなのか?」
「白石が顔写真も確認したって。今はその店にいるみたい。少なくとも、この番号は昨日まで生きてるし、今朝も確認の電話を橋爪さんがかけたら出勤してるって。ここからその子のお店まで高速は知らせて4時間くらい。今ならバレずに回収できるんじゃない?」
「――おい」
取り巻きの中で一番偉い男がメモを振り、合図をする。
借金を回収しに行くのだろう。
「片足失ったホストと五体満足の風俗嬢。どっちが金になるっていうなら後者だな」
ライトの借金を回収しにきたヤクザは病室を出る前に、ライトを睨む。
「……2000万、きっちり振り込めよ」
男はそう言い残すと、明日香から渡されたメモを握ったまま仲間を連れて病室を出ていき、廊下の向こうから車を回せという声が聞こえたことで、本当にそのまま売掛を飛ばした女の元へ回収に向かうつもりなのだと分かった。
急に静かになった病室で、ライトはしばらく閉じた扉を眺めていたが、明日香に2000万を振り込むよう促され、渋々スマートフォンを手に取る。
画面に入力した二千万という数字は、ホスト時代なら売上として何度も目にしてきた額だったし、稼げばまた入ってくるものだと思っていた頃なら、ここまで指が止まることもなかっただろう。
けれど今の2000万は、目の前で何人もの人間が死に、自分自身も右脚を失い、あと数秒処理順が違えば腕まで持っていかれていたかもしれない状況を生き延びて手にした四千五百万の中から消えていく金だった。
「……勿体ねぇな」
思わず零したライトに、明日香は以前ならもっと無駄遣いしていたのではないかと平然と返したが、だからこそ勿体ないのだとライトは思った。
以前なら2000万を使っても、また働けばいいと思えた。
高い時計を買い、ブランド物を身につけ、家賃の高い部屋に住み、客に見栄を張り、その見栄を使ってさらに金を引っ張ればいい。
けれど、片脚を失った今の自分が、もう一度同じだけ稼げる保証はどこにもない。
それでも、払えば借金は終わる。
ライトはしばらく画面を睨んだあと、ようやく送金ボタンを押した。
数秒後、振込完了の表示が出る。
あれほど自分を追い詰め、逃げ道を塞ぎ、最後にはデスゲームへ放り込まれる原因になった借金が、あまりにも呆気なく消えた。
「……終わった」
嬉しいというより、長い間胸の奥にあった重石が一つなくなったような感覚だった。
橋爪のスマートフォンにも入金確認の連絡が届いたらしく、これで本当に終わりだと言われて、ライトは改めて自分の口座残高を確認する。
治療費と借金を差し引いて、残ったのは2500万。ここから病院の費用を差し引いて2050万。
以前なら十分すぎる大金だったはずなのに、これから先の人生すべてを考えた途端、急に頼りない数字に見えた。
「……俺、これからどうすっかな」
ホストへ戻れないだろうし、義足でどこまで健常者と同じように動けるかも分からない。
それ以前に、あれだけのことを経験したあとで、また誰かに金を使わせることだけを考えて生きていきたいのかさえ、今のライトには分からなかった。
明日香はそんなライトを励ますでもなく、大丈夫だと無責任なことを言うでもなく、2000万残っているなら今後を決めるまでの時間くらいは買えるのではないか、とだけ言った。
「……まあ、それはそうか」
妙に現実的な言葉だったからこそ、ライトは素直に納得できた。
橋爪は自分の役目は終わったと病室を出ていき、二人きりになると、明日香はそれまでの騒ぎなどなかったかのように持ってきたケーキの箱を開け、どれがいいかと訊いてくる。
ライトが選んだのは苺のショートケーキだった。
何度も買ったことのある店のケーキで、誕生日や同伴、機嫌を損ねた太客への手土産として使ったことは何度もあったが、自分のために食べたことは一度もなかった。
フォークを入れ、一口食べる。
「……うま」
「でしょ」
それだけの短いやり取りのあと、ライトはもう一口食べた。
借金はなくなった。
右脚もなくなった。
仕事も、これからの生活も、何一つ決まっていない。
――そういえば、田舎に残してきた親父は元気かな。
舌に残る甘い余韻と共に、脳裏に父親と自分が育った田んぼだらけの田舎の風景がよぎる。
今は、誰かに金を使わせるためでも、見栄を張るためでもなく、自分のためだけに高いケーキを食べている。
そんな時間は、ホストになってから初めてだったのかもしれない。




