第1話:無能な聖女は、魔力口座の解約をご所望です
「ステラ。お前との婚約は、今日この場をもって破棄させてもらう。この偉大なる魔法王国において、魔力を持たない無能な女は次期王妃にふさわしくない」
王宮の天井高くまで響き渡ったその冷酷な声に、華やかな舞踏会の音楽がピタリと止まった。
声の主は、この国の王太子であるユリウス。金糸の刺繍が施された豪奢な夜会服を見に纏い、見下すような冷ややかな視線を私に向けている。
そして彼に寄り添うように腕を絡ませているのは、私の双子の妹であるルナだった。
「お姉様、ごめんなさい。でも、ユリウス殿下もこの国も、膨大な魔力を持つ『真の聖女』である私を必要としているの。魔力ゼロのお姉様は、どうか平民として静かに田舎で暮らしてちょうだい」
ルナは儚げに目を伏せながらも、その口元ははっきりと勝ち誇ったように歪んでいた。
周囲を取り囲む貴族たちからは、私に対する嘲笑と、ルナに対する賞賛の囁きが漏れ聞こえてくる。無理もない。今、ルナの体からは淡い黄金色の魔力の光が溢れ出し、彼女を女神のように美しく見せているのだから。
対して私は、地味な灰色のドレスを着た、ただの魔力を持たない令嬢。誰もがユリウスの決断を支持していた。
だが。
(……ああ、やっと終わるんだ)
私はドレスの裾を強く握りしめ、必死で込み上げてくる感情を堪えていた。
悲しみではない。絶望でもない。
歓喜だ。
私は深く息を吸い込み、十年間ずっと私の体を縛り付けていた見えない重圧から解放される喜びを噛み締めていた。
誰も知らないことだが、この国の地下に鎮座する『国力の要』である巨大な魔石群。それを稼働させているのは、他でもない私の魔力である。
私の魔力は特殊だった。強大すぎるがゆえに体内に留めておくことができず、物心ついた頃から王国のインフラシステムへ強制的に『預金』させられていたのだ。
王宮を照らす色とりどりの魔法のシャンデリアも、常に快適な温度を保つ空調の魔道具も、王国の兵士たちが振るう強力な魔法剣も。
そして何より、妹のルナが今放っているその神々しい光すらも。
すべては、私が国に貸し付けている『魔力口座』から引き出されたものに過ぎない。ルナはただ、私の魔力を横流しするための管として使われているだけだ。
この理不尽な搾取の契約は、私が王太子ユリウスと結婚し、次期王妃として国に尽くすという『担保』のもとに成り立っていた。
「……ユリウス殿下。それは、王家としての正式な決定と受け取ってよろしいのですね?」
私が静かに問いかけると、ユリウスは鼻で笑った。
「当然だ。貴様のような無能を養う余裕など、この国にはない。今すぐ王都から立ち去れ。これは王命である!」
「承知いたしました。殿下の健やかなる治世と、ルナの聖女としての活躍を、心よりお祈り申し上げます」
私は一切の未練を見せず、完璧な淑女の礼をとった。
そして、顔を上げた瞬間に、私の魂に刻まれていた王家との『魔力貸付契約』を、自らの意志で完全に断ち切った。
(担保は失われました。これより、全魔力口座を凍結。および、貸し付けていた魔力の『全額一括返済』を請求します)
カチャン、と。
私にしか聞こえない、古い錠前が外れるような音が胸の奥で鳴った。
その瞬間。
王宮の天井を眩く照らしていた数百の魔法シャンデリアが、一斉にチカチカと不自然な明滅を始めた。
「ん? なんだ、魔力回路の不調か?」
貴族の一人が不思議そうに見上げる。同時に、心地よかった大広間の空気が急激に冷え込み始めた。
「きゃっ……殿下、なんだか急に、体が重く……」
ユリウスの腕に抱きついていたルナが、ふらりと体勢を崩す。彼女の体を包んでいた黄金の光は、まるで水が干上がるように急速に失われ、ただの薄暗いオーラへと縮んでいく。
「どうしたルナ、疲れたのか? 案ずるな、お前には私がついている。おい、誰か早くこの無能女を追い出せ!」
ユリウスは苛立ち紛れに叫ぶが、その腰に差した王太子専用の魔法剣から、ピキリと小さな亀裂の音が鳴ったことには気づいていない。
私はもう、彼らに振り返ることはしなかった。
貸し付けていた魔力が急激に私の体へと還元されていく。十年間、常に魔力を搾取されて枯渇し、鉛のように重かった体が、今は羽が生えたように軽い。
(すごい……私の魔力って、こんなに温かくて、大きかったんだ)
足取りは軽く、王宮の巨大な扉を開け放つ。
夜空には満天の星が輝いていた。
この国が完全に機能停止に陥り、魔物除けの結界すら維持できなくなるまで、おそらくあと数日。その時になってユリウスたちが真実に気づき、どれほど後悔して泣き喚こうと、もう私には関係のないことだ。
私は向かうべき場所をすでに決めていた。
国境を越えた先にある、強大な武力を誇る帝国。
そこを治める若き皇帝は『魔王』と恐れられているが、彼が抱えるある深刻な問題は、私のこのあり余る『魔力貯金』を全額投資すれば、必ず解決できる確信があった。
「さあ、私の新しい人生を始めましょう」
無能と呼ばれた聖女は、溢れ出す膨大な魔力で夜の闇に光の道を作りながら、ただ一人、迷いなく帝国への一歩を踏み出した。




