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第67話

ここまでお読みいただいて嬉しいです!最後までお付き合いしていただけると本当に嬉しいです!

最後、なのだと思う。


 たぶん。


 金剛龍帝との戦いに勝っても、負けても、私はもう今までの人の世界では生きられない。勝てば、金剛龍帝を食えるところまで育った私が残る。負ければ、私どころか世界が残らない。どちらにせよ、黒パーカーを着てコンビニ前で肉まんを啜り、近所のガキ共に「紬ちゃんまた食ってる」と笑われる生活へ戻れる可能性は、かなり低かった。


 食糧供給は、もう追いついていない。


 世界中が私へ飯を送ってくれている。肉も、米も、魚も、魔物残骸も、汚染廃材も、核廃棄物も、神話生物のサンプルも、どこからどう見ても飯ではないものまで、補給という名目で私の胃袋へ流し込まれている。それでも足りない。食えば食うほど強くなる。強くなれば強くなるほど腹が減る。ダンジョンはほとんど食い尽くした。怪異も、魔物も、迷宮残骸も、私が社会の歯車として回るために食い続けた結果、食べるべき災害が目に見えて減ってしまった。


 大量のアーティファクトと、魔石三百個。


 それは全部、パパへ渡した。解析して、会議して、世界へどう適応させるか考えてもらうためだ。私が持っていても食べるか、使い方を間違えるか、布団の横へ雑に置いてママに怒られるだけだもの。そういうものは、ちゃんとした人間たちが扱うべきなのよ。


 だから、今日だけは遊ぶことにした。


 平日昼間から。


「紬ちゃん! 水鉄砲持ってきた!」


「戦争じゃないの」


「戦争だよ!」


「なるほど。なら仕方ないわね」


 近所の公園で、私はガキ共と水鉄砲を撃ち合っていた。


 ロボットとAIが働きすぎた結果、今の人間の平日はだいぶ軽くなっている。平日の昼間に大人が公園でぶらついていても、昔ほど変な顔はされない。労働は生活のための義務というより、精神修養と社会参加の一種になりつつあった。素晴らしい文明だと思う。私ももっと早くこの時代に生まれたかったわ。面接で死ぬ前に。


 とはいえ。


 黒パーカーの二十六歳女が、泥だらけで小学生相手に水鉄砲を構え、砂場へ伏せて「遮蔽物が足りないわ!」とか叫んでいる光景は、普通に不審者だった。


「紬ちゃん、顔怖い!」


「戦場で顔面偏差値を気にするな!」


「水だよ!?」


「水も当たりどころが悪ければ心が死ぬのよ!」


 私は全力で横っ飛びした。


 泥が跳ねた。水が飛んだ。ガキ共が笑った。


 私も、少し笑った。


 途中で、通りすがりの人が足を止めた。最初は「あの泥だらけの黒パーカー女なに?」みたいな顔だったけれど、すぐに「あれ玉織紬じゃない?」という空気へ変わった。


 そして、肉まんが飛んできた。


「紬さん! 頑張ってください!」


「これ食べて!」


「世界救って!」


「救世主ー!」


「救世主はやめて! 胃が痛い!」


 そう叫びながら、私は飛んできた肉まんを空中で噛み取った。


 んぐっ。


 うまい。


 投げ銭ならぬ投げ肉まん。新時代の応援形態として、わりと悪くないわね。ガキ共は引いていた。


「紬ちゃん、鳩みたい」


「鳩は肉まんを空中で噛み砕かないでしょう」


「じゃあカラス」


「カラスはもう少し社会性があるわね」


「自分で言うんだ……」


 うるさいわね。


 私は水鉄砲を構え直した。


 今日だけは、お山の大将でいたかったのだ。大人相手だと、私はすぐ胃液を吐く。偉い人相手だと、言葉が脳内で詰まって「あっ、はひっ、すみません」しか出なくなる。でもガキ共相手なら、まだ何とかなる。水鉄砲で撃たれて泥まみれになって、肉まんをもらって、馬鹿にされて、たまに「すげー」と言われるくらいなら、私でも王様っぽく振る舞える。


 そう思っていた。


 そこへ、澪が来た。


「こんにちは。楽しそうですねえ」


「げっ」


 私は反射で嫌な声を出した。


 河村澪。


 私の幼馴染にして、にこにこ笑う災害。


「紬さん、私も入っていいですか?」


「駄目よ。ここは私の王国なの。部外者は帰りなさい」


「えー、でも私、水鉄砲強いですよ?」


「そういう問題じゃないのよ! 私がガキ相手にようやくお山の大将をやれているのに、あなたが来たら全部持っていくでしょうが!」


「そんなことしませんよぉ」


 嘘だった。


 五分後、ガキ共は澪の指揮下に入っていた。


「右から回り込んでください。紬さんは食べ物を見せると一瞬止まります」


「分かった!」


「左の子は泥団子を投げるふりだけしてください。本当に投げると怒られます」


「はーい!」


「紬さんは褒められると動きが鈍ります。『すごい』を使いましょう」


「紬ちゃんすごーい!」


「うふふ……そ、そうでしょう……って違うわよ!」


 完全に負けていた。


 私の王国が、澪政権へ禅譲されつつあった。信じられない。私はこいつに抗議した。


「澪! あなたは大人げというものを知らないの!?」


「紬さんに言われると、すごく不思議な気持ちになりますね」


「私はいいのよ! 私は精神年齢がこの子たち寄りだから!」


「自分で言っちゃうんですか?」


 言ってから傷ついた。


 最悪だわ。


 しかも、そこへ以前見たことのある親が通りかかった。金持ちのガキの親だ。前に私がガキから菓子を奪った件で我が家へ押しかけてきたことがあり、逆に私が誘拐犯からその子を助けた時には、たいへん複雑な顔で感謝してきた人である。


 その人は、私と澪を見た。


 やべえのが二匹に増えた、という顔だった。


「あっ……は、はひっ……」


 私は、ふひ、としか言えなかった。


 終わりである。


 でも、澪は普通に前へ出た。


「こんにちは。いつもお子さんには紬さんが遊んでもらっていて、ありがとうございます」


「い、いえ……こちらこそ……」


「この子、さっき水鉄砲の持ち替えがすごく上手でした。判断も早かったですし、周りを見て動けていましたよ。紬さんが何度もやられてました」


「そ、そうなんですか」


「ええ。とても良い子ですね」


 親の顔が、少し緩んだ。


 ガキも照れていた。


 私は吐いた。


 嫉妬で。


「紬ちゃん!?」


「大丈夫よ……胃液がちょっと社会性に反応しただけ……」


「大丈夫じゃないよ!」


 何なのよ。


 普通に会話して、相手の子供の良いところを見つけて、それを自然に親へ伝える。たったそれだけのことが、どうしてあんなにすらっとできるのかしら。私は「はひっ」と「ふひっ」しか言えなかったのに。こいつは本当に腹立たしい。嫌い。大嫌い。でも、こういうところが眩しいから、もっと嫌い。


 親は最後に、私へ向き直った。


「玉織さん……」


「は……はひっ……」


「うちの子、また遊びたいって言ってました」


「……え」


 私は泥だらけのまま、変な姿勢で固まった。


 子供も、澪も、通行人も、こちらを見ていた。


「龍帝のこともありますし、軽々しく言えませんけど……また、遊んであげてください」


 胃が痛い。


 救世主扱いも無理だけれど、こういうのもだいぶ無理だ。世界を救ってくださいより、また遊んでくださいの方が、よほど逃げ道を塞いでくる。


 だって。


 また、なんて。


 私は口の中を妙に乾かしながら、どうにか頷いた。


「……はい。機会があれば」


 機会があれば。


 ずるい言い方ね。


 でも、今の私には、それくらいしか言えなかった。


     ◇


 そのあと、砂場でピカピカ泥団子を作った。


 水鉄砲戦争は、澪に王位を奪われたせいで私の心が折れた。だから、次は泥団子で勝負することにしたのだ。泥なら私に近い。泥の歯車として、ここで負けるわけにはいかない。


「見なさい。これが研磨というものよ」


「紬ちゃん、顔マジすぎ」


「泥団子に魂を込めなさい。表面を撫でるの。力を入れすぎると割れる。弱すぎると光らない。人間関係と一緒ね」


「紬ちゃん人間関係できないじゃん」


「黙りなさい」


 私は真剣だった。


 指先で泥を丸める。乾かす。撫でる。細かい砂を乗せる。また撫でる。水を少しだけ足す。形を整える。


 不思議なものね。


 泥は、手をかければ光る。


 泥なのに。


 汚いものなのに。


 綺麗な球になる。


 私はそれを見ていると、少しだけ胸が静かになった。泥のままでも、手をかければ、形くらいは作れるのかもしれない。役に立つかは知らない。誰かの機構に噛み合うかも分からない。でも、少なくとも、そこにあったという証くらいにはなる。


 私が作ったもの。


 私の手で、壊さずに、食べずに、奪わずに、最後まで整えたもの。


 そう考えると、ちょっとだけ照れくさかった。私は基本的に、食うか、壊すか、奪うか、逃げるか、謝るか、布団へ潜るかの女なのだ。何かを食べずに完成させるというだけで、かなり偉業なのではないかしら。


 世界を救うより偉いかもしれない。


 いや、さすがにそれはないわね。


 でも、私の中では少し近いところにあった。


 完成した。


 最高傑作だった。


 ぴかぴかで、丸くて、少し黒くて、光を受けると鈍く艶めく。私の作ったものとは思えないくらい、ちゃんとしていた。


 私はそれを、金持ちのガキへ渡した。


「え、くれるの?」


「ええ」


「いいの?」


「いいわよ。これは、泥の歯車がここにいたという証なの」


「よく分かんないけど、すげー大事にする!」


「落としたら泣くわよ」


「泣くの!?」


「泣くわよ。二十六歳が本気で」


 ガキは、泥団子を両手で大事そうに持った。


 それを見て、少しだけ満足した。


 肉まんの包み紙を捨てようとして、私はなぜか手を止めた。いつもなら丸めてゴミ箱へ入れる。油の染みた紙だ。記念品でも何でもない。


 でも、今日はポケットへ入れた。


 意味はない。


 意味はないのだけれど、捨てる気にならなかったのだわ。


 門限の時間になると、ガキ共は一人ずつ帰っていった。


「紬ちゃん、またね!」


「また遊ぼ!」


「龍帝倒してね!」


「肉まん投げるね!」


「今度は紬ちゃんチームに入る!」


「入団審査は厳しいわよ」


「マネキンよりは役に立つよ!」


「その通りすぎて傷つくわね」


 私は腕をぶんぶん振った。


 泥だらけの黒パーカーで。


 肉まんの皮を口元につけたまま。


「帰りなさい。車には気をつけるのよ」


 ガキ共は笑いながら帰っていった。


 たぶん、もう会うことはない。


 そう思った瞬間、胸の奥が変に詰まった。


 人恋しい。


 その単語が、嫌なくらい素直に浮かんだ。


「……うふふ。まあ、かわいい私が、あの子たちの美的感覚を少し歪めたかもしれないわね。罪な女にも程があるわ」


 性癖、と言いかけた脳内の私を、まともな部分が即座に殴った。子供相手にその単語はやめなさい。さすがに線引きというものがある。なので美的感覚に言い換えた。偉い。今の私はかなり偉い。


 でも、まともな部分は続けて言った。


 テメーはペット枠だろ。


 私は脳内でそいつをボコボコにした。


     ◇


 家へ向かって歩きながら、澪とくだらない話をした。


 道中、焼き鳥屋と肉まん屋と弁当屋が、順番に補給枠へ沈んだ。店主たちは諦めた顔で「玉織処理補給枠で請求します」と言っていた。龍帝のニュースが出てから、店側も妙に慣れている。世界が終わりかけると、人間の適応速度はかなりおかしくなるのだわ。


「んぐっ……あむっ……はむっ……」


「紬さん、歩きながら焼き鳥屋さん一軒分を消すの、やっぱりすごいですねえ」


「褒めてる?」


「褒めてます」


「なら許すわ」


 渋谷事変で澪を助けてから、私はこいつに何度も飯をたかった。


 それだけではない。子供の頃みたいに遊んだ。新作ゲームもやった。釣りにも行った。中退した大学の学祭へ、なぜか一緒に行った。サバイバルゲームでは、私が敵陣地の備蓄食料を全部食って反則負けになった。モンハンもスマブラもポケモンもやった。澪はだいたい笑っていて、私はだいたい文句を言いながら、なんだかんだで付き合った。


 大嫌いなのに。


 こいつとは妙に波長が合う。


 たぶん、精神年齢が小学生だからでしょうね。澪も、私も。方向性は違うけれど、根っこのどこかが、あの日からあまり進んでいないのだわ。


 澪ハウスへ着いた。


 相変わらず、妙に用意がいい家だった。私が来ることを前提にした食料備蓄。耐酸床材。頑丈な食卓。肉の匂い。ああ、こいつ本当に気持ち悪いわね、と安心するくらいには整っている。


 私が肉へ手を伸ばそうとした時、澪がふいに言った。


「紬さん」


「何よ」


「紬さんは、自分のこと、好きですか?」


「嫌い」


 即答だった。


 迷う余地がなかった。


 私は自分が嫌いだ。食うし、盗むし、逃げるし、嫉妬するし、感謝されるのが下手で、善意を渡すのも下手で、社会性がなくて、褒められると気持ち悪い笑い方をして、すぐ布団に逃げる。そんな女を好きになれるほど、私は目が腐っていない。


 澪は、私の手を握った。


「私は、あなたが大好きですよ」


「……」


 手が温かかった。


 ただし、さっき泥団子を作っている最中に、こいつはたぶん犬のうんこっぽいものを触っていた。見なかったことにしたけれど、私は見た。絶対に見た。


「手、洗った?」


「洗いました」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶんで私の手を握るな」


 澪は笑った。


 でも、手は離さなかった。


「紬さんが、自分のことを一口くらいは許せる日が来るなら、私はだいたい何でもしますよ」


「だいたいって何よ」


「倫理委員会が怒るくらいまでです」


「怒られる前提で話すな」


「でも、自分を嫌いなまま生きるのは、生き地獄ですから」


 澪の声が、少しだけ低くなった。


「本当に」


 私は何も言えなかった。


「あなたと過ごしていた子供時代は、私の救済でした」


「……そんな立派なものじゃないでしょう。私は、あなた相手にもわりとカスだったわよ」


「それでもです」


 澪は、まっすぐ私を見ていた。


「あなたが自分を好きになれるためなら、私はなんでもしますよ」


 気持ち悪い。


 本当に気持ち悪い。


 なのに、少しだけ胃の奥が温かくなるのだから、もっと気持ち悪い。


「ああ、そうだ。お肉どうぞ」


 澪が皿を差し出した。


 焼けた肉だった。香りが強い。脂が濃い。見ただけで分かる。普通の肉ではない。


「これ、何の肉?」


「……」


「ねえ、何の肉!?」


 澪はにこにこしていた。


「龍帝さんとの戦い、頑張ってくださいね」


「答えなさいよ!」


 答えなかった。


 私はその肉を見た。


 怖い。


 でも、うまそう。


 最悪だわ。


     ◇


 こいつと会うのも、これが最後だと思う。


 でも、最後だからって態度を変えることはできなかった。下手に感動の別れをして、龍帝に瞬殺されたら目も当てられないでしょう。私の人生、そういうところで格好をつけるとだいたい滑るのよ。だから私は、いつも通り食って、いつも通り文句を言って、いつも通り澪を気持ち悪がることにした。


 その代わり、紙を渡した。


「これ」


「お手紙ですか?」


「龍帝が死んだら見なさい」


「紬さんが死んだら、ではなく?」


「龍帝が死んだらよ。縁起でもないこと言うんじゃないわ」


「ふふっ。分かりました」


 澪はそれを大事そうに受け取った。


「またね、紬さん」


 手をひらひらと振る。


 私も、少しだけ手を上げた。


「ええ。またね」


 また、なんて言葉を、よく言えたものだと思う。


 でも、言えたなら、それでいい。


 澪ハウスを出て、私は家へ歩いた。


 ポケットの中には、肉まんの包み紙が入っている。油が染みていて、たぶん放っておいたら臭くなる。何の価値もない。けれど、なぜか捨てられない。


 あの泥団子、ちゃんと家まで持って帰れたかしら。


 落として割れていたら、私はたぶん少し泣く。


 龍帝より泥団子で泣く女。


 我ながら、世界の希望としてだいぶ終わっている。


 龍帝復活まで、あと二日。


 帰ったら、朔の誕生日会が待っている。


 これで最後。


 たぶん、家族と過ごすのも。


 私は歩きながら、自分の頬をぱん、と叩いた。


「……いや、何やってるのよ」


 シリアスに寄りすぎている。


 駄目だわ。


 私は玉織紬なのよ。


 黒パーカーで、泥だらけで、肉まんを空中で噛み取り、ガキ相手に水鉄砲でお山の大将を気取り、澪に嫉妬して吐き、謎の肉を食べるか迷っている女なのだわ。


 どう見てもコメディキャラでしょう、私は。


 そう思い直したところで、私は大事なことを思い出した。


 朔への誕生日プレゼントを、まだ用意していない。


 第一候補は、私が食べずに持ち帰った高級プリン。


 第二候補は、私が食べずに持ち帰った高級プリンの空き容器。


 第一候補を維持できる自信がないので、実質第二候補だった。


「……まあ、空き容器でも気持ちは伝わるでしょう」


 伝わるわけがない。


 でも、そういうことにしておかないと、私の人生はわりとすぐ破綻するのだわ。


 私は黒パーカーのフードを深く被り直し、家へ向かって歩いた。


 “最後”の平日は、まだ少しだけ残っていた。

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