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第63話

ここまでお付き合いしていただけて嬉しいです。感謝を。

柚姉のいる国…メキシコへ着くまでにも、だいぶ色々あったのよね。


 まず、飛行機が飛ばなかった。


 機長さんが、たいへん切実な声で「機内食の重量が想定を大きく超えていて、このままだと重量過多で離陸できません」と告げた時、私は最初、へえ、そういうこともあるのね、くらいにしか思わなかったのだわ。だって普通、自分が原因だなんて、そうそう思わないでしょう。私は一応、女の子(二十六)だし、体重だって六十一キロへ収まっている。食費はともかく、数字だけ見ればそこまで邪悪でもないはずなのよ。


 でも、周囲の視線が妙にこっちへ寄ってきて、そこで、ああ、なるほど、となった。


 私の分の機内食が、二十トン積まれていた。


飛行機は魔石強化済みでも重すぎた


「……分かったわ」


 私は静かに頷いた。


「減らせばいいのね」


 そうして、んぐっ、はむっ、と、ごく自然に積み込み分へ手をつけたのだけれど、ほんとうに納得いかないのよね。何で私、六十一キロとご飯二十トンを足したはずなのに、最終的に六十一キロのままなのかしら。そこ、そろそろ医学も物理学も説明責任を果たしてほしいのだわ。食べたものがどこへ消えているのか、私だって気になってはいるのよ。ただ、気になっていてもお腹は空くので、結局、先に食べるしかないのだけれど。


 ともかく、そのおかげで飛行機は飛んだ。航空工学の最前線が、最終的に「珍獣が積載分を食べたので解決しました」へ着地するの、だいぶ終わっていると思うのだけれど、現実に解決してしまった以上、誰も文句を言えないのだわ。


     ◇


 メキシコへ降り立った瞬間、空気が違った。


 匂いが濃い。熱が濃い。人の生き方そのものが、日本よりもう少しだけ剥き出しのまま道路へ転がっている感じがしたのよ。食べ物の匂い、排気ガス、汗、酒、土埃、花、果物、焼けた肉、油。それら全部が一気に鼻へ流れ込んできて、ああ、海外だわ、と妙に素直な感想が出た。世界って、ちゃんと場所ごとに味が違うのね、と思ったのだわ。味ではないのだけれど、私の場合、匂いと温度と気配がだいたい食欲へ接続されるので、体感としてはかなり味に近いのよね。


 それに、街の景色自体が変わっていた。以前なら見張りでも立っていそうな通りに炊き出しの列ができていて、脅し文句や縄張りを誇示する落書きの上から、救済だの再建だの、妙に希望に満ちたスローガンが塗り重ねられている。銃を隠して歩いていたような年頃の若者の代わりに、子どもが普通に道路脇でボールを蹴っていて、教会や病院みたいな建物の前には、武装した男ではなく、疲れた顔の大人と、毛布を抱えた老人が列を作っていた。


 変わったのだわ。本当に。

 しかも、綺麗に変わったというより、暴力的に塗り替えられた結果として、ようやく人間が人間らしく生きられる余白が戻ってきた、という感じだったのよね。


 ただ、それ以上に困ったのは、見られることだった。


 見られる。かなり見られる。そりゃそうでしょうね。今の私は、ただの日本人観光客ではない。渋谷事変だの、ダンジョン配信だの、魔石回収だの、核廃棄物処理だの、珍獣だの、そういうろくでもない経緯を経て、だいぶ広く顔と名前が知られてしまっているのだもの。自業自得と言われれば、その通りではあるのだけれど、現地で囲まれると、やっぱりちょっと胃が縮むのよね。いや、縮んだ分すぐお腹は空くのだけれど。


 聞こえてきた声も、まあ、だいぶ賑やかだった。


「世界最強のテスターだ!」 「日本の切り札!」 「珍獣!」 「聖女の妹だ!」 「化け物系ダンジョン配信者!」 「メキシコにも来てほしかった奴!」


 中には、初期の配信から見てくれていたらしい人までいたのよね。ペタマックスだの、黒パーカーで床を溶かしただの、できればあまり掘り返されたくない時代から私を知っているらしいのだわ。他人の黒歴史って、どうしてこう、保存状態がいいのかしら。


 そういう人に握手を求められると、ちょっと困る。困るのだけれど、悪い気はしないのよね。私は一応、握手した。向こうはすごく喜んでいた。私はそういうのに慣れていないから、妙にむず痒くなって、つい視線を逸らしてしまったけれど、まあ、嫌ではなかったわ。こういう時にちゃんと相手の目を見て笑えれば、もう少し社会性のある生き物へ近づけるのかもしれないけれど、そこは今さら急にどうこうなるものでもないもの。できる範囲でやるしかないでしょう。


 あと、色々ご飯をもらった。


 これが一番助かったのだわ。


 ケバブをもらった。バケツに入った魚を渡されて「これ食べられる?」と聞かれたので、ついでにバケツごと食べた。彼岸花を勧められたので食べた。河豚の卵巣フルコースまで出てきたので食べた。何なら、カルテルのボスの家を丸焼きにして「記念にどうぞ」と言われたので、それも食べた。治安改善の祝い方としてどうなのかしらとは少し思ったけれど、現地の文化というものもあるのでしょう。おいしかったし、細かいことはよくてよ。


     ◇


 空港の外には、柚姉の迎えが来ていた。


 リムジンだった。小型テレビまでついている。何なのよ、その成金と教団が悪魔合体したみたいな車は、と思ったのだけれど、画面の中に映っていた柚姉を見た瞬間、私は別の意味で吐きそうになったのよね。


 ロングヘアー。

 妙に整った顔。

 人心掌握に最適化しましたと言わんばかりの、ばかでかい胸。

 服装も、慈善家と聖女と詐欺師を煮詰めて、最後に高級ブランドの布で包んだみたいな仕上がり。


 そして何より、あの笑顔だ。


「何度カルテルに潰されても、国を変えようと立ち上がった政治家の皆様。悪の方が容易く生きられる状況下でも、悪へ流れなかった皆様を尊敬しています」


 聖女スマイル。


「……キッショ…吐きそう…」


 反射で腹を裂き、胃袋へ胃液を直接流し込んだ。蒸気がぶわっと上がって、リムジンの屋根が少し溶けた。運転手さんが青ざめていたけれど、仕方ないでしょう。ああいうのを真正面から浴びると、私みたいな社会性の死んだ女は、物理的に吐きたくなるのよ。


     ◇


 ただ、メキシコの現状自体は、たしかに変わってきていた。


 ダンジョンが出て、反社が力を持ちそうになった。そこまではどの国でも似たようなものだったのでしょうね。でも、それをまずいと思った各国が連合して、反社への締め付けを強めた。特に今の日本はかなり強い国家になっていたのよ。


 私が四十個、他のテスターが総計して十個の魔石を納めたことで、エネルギー問題はだいぶ片付いた。社会の歯車たる私が核廃棄物を食い尽くしたおかげで、ゴミ問題もかなり解決した。三日前に納めたエリクサーみたいなもののせいで、医療も変わった。平均寿命百五十歳、なんて数字まで鑑定紙片が出しているらしい。


 それで今度は、人口が増えすぎてやばくないか、みたいな話まで出ているのだから、人類というのは本当に落ち着きがないわね。でも、魔石を使ったロケットでテラフォーミングだの、私が食い尽くして空になったダンジョンを居住地化だの、そういう方向へ話が進んでいるらしい。人間って、やっぱり有能なのよ。


 あと総理も、まあまあ嫌いだ。


 あの人はいい人よ。善意で抱きしめてくるわけじゃない。制度と役割で人を生かそうとするところが偉いのだわ。龍兄や澪みたいな、善であってもキチガイ枠の人たちと違って、総理はちゃんと“社会の側の人間”として私を扱う。役に立つなら使う、使うなら食事と報酬と休憩と身分を出す、という、あの現実的で乾いたやり方は、私みたいな泥の歯車にはわりと優しいのよね。だから嫌いなんだけど


 ま、私がやるのは、リソースとオーバーテクノロジーを取ってくるところまで。その先で世界を良くするのは、人間たちの仕事だわ。


 お互いの領分に踏み込んだら、ろくなことにならないもの。


     ◇


 柚姉ハウスは、宮殿みたいだった。


 広い。白い。高い。無駄にきらきらしている。ああいうの、本当に趣味が悪いのよね。趣味が悪いのだけれど、金と権力とカリスマと洗脳で殴れば、こういう住居になるのだな、という説得力だけはあったわ。


 私は中へ入った瞬間、柚姉を見て眉をひそめた。


「……さっきも思ったけど…何その胸」


 柚姉はふっと笑った。


「身体変性系の術式を少し借りてね。やはり人心掌握において、外見というのは軽視できないからさ。胸が大きいと、相手は話を聞く。愚かだねえ! 人類は!」


 そこだけは、ちょっと分かるのが嫌だった。社会って本当に下劣で、でもだからこそ利用価値があるのよね。私は胸を生やして社会へ少しだけ溶け込みやすくなったし、柚姉はそれを人心掌握に使っている。方向性がクソでも、知恵としては合理的なのだわ。


「ま、良いや。つむちゃん、ご飯、用意してるよ」

「愛してます♡お姉様♡」


 その一言で、私の思考はだいぶどうでもよくなった。


 そして二十分後、宮殿みたいな食堂は壊滅した。

 食べ物の備蓄が、ね。


 パンも、肉も、魚も、果物も、鍋も、スープも、何もかも、かなりの勢いで私の中へ消えていった。柚姉は最初こそ余裕ぶっていたけれど、途中から明らかに引いていたわね。あの女、頭はいいくせに、詰めが甘いのよ。私へ食べ物を用意する時点で、その覚悟はしておきなさいよと思わなくもないけれど、まあ、身内相手だと油断するのでしょう。


そういえば昔もそうだった。


 十年前くらいかしら。柚姉に騙されて龍兄が近所の高級車をどうにかし始め、私が朔の童貞丸出し少女ポエムをメルカリへ売った時。証拠は全部消したのに、俊くんへ柚姉がでドヤ顔でそれを語っていたのを朔に聞かれて、まとめて第580拷問室へ叩き込まれたことがあったのよね。


「そうじゃ……そうじゃ……!! ワシのおやつも朔の魔の手に……!!」

「マネキンも朔に殺された!! ベンツを十個ぽっちレイプしただけで……血も涙もねぇ!!」

「救いは……私達に救いはねぇのか!? 私らこのまま死……死んで……ッ」


 そんなことを言っていた私たち三人は、最終的にバンカーバスターと気化爆弾の刑へ処された。


 あの時は私はまだ人間だったから、普通にICU送りだったわね……。


 思い出すと腹が立つし、でもだいたい自業自得なのがもっと腹立たしいのよ。玉織家って、誰も彼も反省の方向が少しずれているのだわ。ちゃんと痛い目は見るのに、学習が食欲とか下半身とか悪知恵で上書きされる。私が言えた義理でもないけれど、ほんとうにひどい家だわ。


 んで、報酬の前渡しとして差し出された地図を、私はほとんど反射で受け取った。


「グルメテーブルかけ的なものが出るダンジョンだk…」


 その一言で十分だったわ。


 私は即座に立ち上がり転移で外に出て、飛び、五秒で帰ってきた。


「ただいま」


 柚姉が、ちょっとだけ引いていた。


 領域でダンジョン全部を包み込んで、領域に食うと言う指向性を持たせてそのまま食い尽くしたら5秒かからなかった。


あまり味がしなかったので、もうあんまりやりたくないわ、という感想しか残っていないもの。でも、クリア報酬はちゃんと回収した。


 白米が無限に出る寸胴。


 これが、グルメテーブルかけ的なやつね。


 私はその場で、恐る恐るよそった。湯気が立つ。白い。つやつやしている。箸を入れた瞬間のほぐれ方まで綺麗。香りが上がる。ああ、もうこの時点で偉いわ。米って、どうしてこんなに偉いのかしら。日本という文明が長年しがみついてきた理由がよく分かるのだわ。


「んむっ、あむっ……うまっ」


 私は一口食べて、しばらく黙った。


 白米が無限。


 この事実だけで、私の人生の何割かは救われるのではないかしら。いや、救われないわね。おかずは欲しいし、社会性も欲しいし、職歴の穴も埋めたい。でも、白米が無限という一点だけで、世界への信頼度はかなり上がる。これはもはや食器ではなく、社会保障に近いでしょう。飢えに対する最終防壁よ。国家レベルで管理すべきアーティファクトなのではなくて?


 私は寸胴を抱きしめたくなるのを我慢しながら、夢中で何千杯か食べた。白米って、本当に、ただそこにあるだけで精神を落ち着かせるのよね。おかずがなくてもぎりぎり人を生かせる、でもおかずがあればもっと幸せになれる、その余地を持った主食の王。偉いわ。圧倒的に偉い。


     ◇


「じゃあ、本題に行こうか」


 柚姉がそう言って、部屋の照明を少し落とした。


 私の取ってきたドローンが、ダンジョン内部を映し出す。そこにいたのは、三メートルほどの、鎖に縛られた黒い龍だった。


 その瞬間、私は妙な感覚に襲われたのよね。


 それは飢餓だった。

 それは穴だった。

 それは終末だった。


 まず最初に来たのは、駄目だ、だった。


 胃袋が歓迎ではなく拒絶で鳴る。喉の奥が閉じる。龍化してから、世界のだいたい全部が「食べられるかどうか」で塗り分けられるようになっていたのに、こいつだけは、その前に「近づけるな」と身体の深いところが告げてきたのよ。捕食者としての本能が、初めて、もっと上位の、飢餓そのものみたいな何かへ出会った時の反応だった。


そしてこうも思った。


私は、こいつを滅ぼすために生まれてきた歯車なのだ、と。


 嫌な直感だったわ。

 でも、私の直感は、たまに胃袋より信用できる。


 

 なのに同時に、理屈もなくこうも思ってしまった


 柚姉は静かに言った。


「最悪の捕食生物【金剛龍帝】。その分体だよ」


 私は画面を見たまま、低く呟いた。


「……へえ」


「龍兄より強い」


 そう、“柚姉”は言った。


 私はそこで、ようやく顔を上げた。


「………は?」


 その瞬間、私の思考は綺麗に止まった。

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― 新着の感想 ―
ふとおもったのが、この姉、紬さんが正統進化した先の被っていたガワから暴食ぬいて悪知恵たしたような存在なのでは?
バッドエンドの時、紬が死んだ後に湧いた災厄だっけ? こいつとの決戦の時まで紬は別次元で神話生物共相手にひたすら食事トレーニング課せば? クトゥルフ〈おい馬鹿やめろ。正直に言うぞ、貴様我々を茶化すの楽し…
分体で龍兄より強いなら本当に勝ち目が…まぁどうにかなるか!(?) うーん…紬さんがラーニングしたり獲得した技術を全て本気で放つ+龍兄とか朔さんとか家族とかテスター全員とかが協力すれば…いける?のか?本…
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