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第47話

ここまで読んでいただけてとても嬉しいです!

健康診断。


 そう聞いた時、私は少しだけ安心したのよね。


 だって健康診断でしょう。身長を測って、体重を測って、視力を測って、血を抜かれて、心電図をぺたぺた貼られて、最後にお医者さんから「もう少し生活習慣を整えましょうね」みたいなことを言われる、あの退屈で人畜無害なイベントでしょう。


 せいぜい、尿検査で「朝から何を食べました?」と聞かれて、食パン八十斤と答えたら看護師さんが少し沈黙するくらいだと思っていた。


 その程度なら、まあ、いつものことだわ。


 少なくとも、会議室で偉い人たちに囲まれて、五分で胃液を吐いて床を溶かすよりは、だいぶ気楽なはずだった。


 だから龍兄が、


「紬。今後、現場で食事と休憩と配慮をちゃんともらうために、健康診断を受けてほしい」


 と言った時、私はわりと素直に頷いたのだ。


「……配慮」


「そう。空腹時の危険性、食事量、代謝、身体負荷、社会性の残量。その辺りを国に正式なデータとして理解してもらう必要がある」


「ご飯が増える?」


「増やせる」


「受けるわ」


 即答だった。


 社会の歯車になるためには、たまにこういう合理的判断も必要なのよね。


 ご飯と休憩と配慮。


 素晴らしい言葉だわ。三種の神器と言ってもいい。


 そして私は、政府が用意した地下の特殊検査施設へ連れてこられた。


     ◇


 結論から言うと。


 あれは健康診断ではなかった。


 国家による、食屍姫玉織紬ちゃん二十六歳の怪異性能評価試験だった。


「まずは通常の身体測定から始めます」


 白衣の研究員が、妙に慎重な声で言った。


 室内には、医療機器と、分厚い強化ガラスと、明らかに医療用ではない防護服と、消火設備と、対怪異用らしい拘束具が並んでいる。


 健康診断に拘束具って要るのかしら。


「……龍兄」


「何かな」


「これ、本当に健康診断?」


「健康診断だよ。かなり広義の」


「広義すぎて国語辞典が泣いているわ」


 付き添いとして同席を許されたのは、龍兄だけだった。


 村山君も一応施設内にはいるらしいけれど、身体能力測定と代謝確認の現場には入れない。万が一の制止役として、玉織龍が必要だと判断されたらしい。


 まあ、妥当ね。


 私は普通に緊張すると吐くし、空腹だと暴れるし、食べ物を前にすると理性が薄れる。そんな生き物の横に、善良な侍君を置くのは、ちょっとかわいそうだもの。


「身長、百六十九センチ」


「はい」


「体重、六十一キロ」


「はい」


「体温、三十九度」


「はい」


「血液型、A型」


「はい」


「スリーサイズ、B九十一、W六十三、H九十三」


「はい」


 研究員が、そこで一度ペンを止めた。


「……なお、これらはすべて可変、と」


「ええ。だいたいそのくらいに落ち着けているだけで、体格も体温も体重も、内臓構造も、胸も、まあ、色々変えられます」


「胸も」


「そこ復唱しなくていいでしょう」


 私は少しだけ不満げに言った。


 けれど事実だから仕方ない。


 【身体変性】は便利なのだ。胸元の実用性と見栄えのバランスを自分で調整できるのは、かなり文明寄りの能力だと思う。


 まあ、文明的な能力を持っているからといって、私が文明的な生き物であるとは限らないのだけれど。


「では、採血を」


 看護師が針を持って近づいてきた。


 そして、私の腕へ針を刺そうとして――。


 かつん。


 針が負けた。


「……」


「……」


「……すみません。皮膚、硬いみたいです」


「硬い、で済む問題でしょうか」


 研究員たちが小声でざわつく。


 仕方ないので、私は自分の腕へ口を近づけた。


「じゃあ、ちょっと開けるわね」


「えっ」


 がぶり。


 自分の前腕を軽く噛みちぎる。


 痛い。


 けれどまあ、朔に理不尽な腹パンを入れられるよりはマシだわ。あれに比べれば、自分で自分の肉を少し齧るくらい、爪を切るのと大差ない。


 いや、大差はあるかもしれないけれど、気分の問題よ。


「ここから刺せばいいんじゃないかしら」


「……では」


 研究員が、震えながら露出した肉の内側へ針を入れた。


 次の瞬間。


 ぬるり、と。


 針が、私の肉の中へ取り込まれた。


「あっ」


「あっ、じゃないですよ」


 龍兄が静かに言った。


「紬、吐き出して」


「いや、食べたつもりはないのだけれど……」


 腕の中から、ぺっと針を吐き出す。


 研究員が、もうかなり嫌な汗をかいていた。


 それでも何とか採血された血液は、試験管へ入れられた瞬間、容器の内側をじゅうじゅうと侵食し始めた。


「容器が……溶けています」


「私の血、そんなに元気なの?」


「元気という表現で済ませてよい現象ではありません」


 龍兄が研究員へ穏やかに言った。


「耐酸、耐毒、耐汚染用の容器へ切り替えてください。あと、彼女の体液は基本的に“外へ出ると食べ始める”と思って扱った方がいい」


「体液が食べ始める」


 研究員が復唱した。


 分かるわ。


 嫌な日本語よね。


     ◇


 心電図では、複数の心音が拾われた。


「……心拍が、三つ、いや四つあります」


「今は四つね」


「今は?」


「さっき五つにしたけれど、多いとちょっと胸がうるさかったから、一つ食べたのよ」


 検査室が静かになった。


「自分の心臓を、食べた?」


「紬ちゃんのハツ、けっこう美味しいのよね」


「紬」


 龍兄が穏やかに名前を呼んだ。


「はい」


「医療関係者の前で、あまり人の心を壊す表現をしないように」


「はい……」


 研究員の一人が、小さく呟いた。


「心臓を食べた場合、これは欠損ですか? 摂食ですか? 自己修復ですか?」


「全部じゃないかしら」


「全部……」


 真面目に記録しようとするほど、日本語が壊れていく。


 少し申し訳なくなってきた。


 私は、自分が怪物かどうかについては、正直どうでもいい。


 人間か怪物か。


 そんな分類は、今さら私にとって大した問題ではないのだ。人間の皮を被った怪物でも、怪物寄りの民間人でも、食欲と社会性の壊れた珍獣でも、別にそこは好きに呼べばいい。


 問題は、そこではない。


 私は歯車になれるのか。


 社会に組み込まれても、すぐに泥みたいに崩れないのか。


 迷惑と食費と空腹だけを撒き散らす不良品ではなく、何かしらの役割を持つ部品として扱ってもらえるのか。


 そこだけが、ずっと怖いのだわ。


 だから、心臓が四つあることよりも、研究員たちが私を見て「これをどう運用すればいいのか」と真剣に考えていることの方が、よほど胃に来た。


     ◇


 胃カメラは、もっと駄目だった。


 カメラが食道へ入った瞬間、胃酸の蒸気で蒸発した。


「消えた……」


「胃に着く前に?」


「食道内の蒸気だけで?」


「すみません。私の消化器官、少し気が早いみたいで」


 レントゲンもひどかった。


 一枚目では、胃袋が異形だった。


 二枚目では、食道の途中に口腔が複数あった。


 三枚目では、肋骨の内側に牙みたいな器官が生えていた。


 四枚目では、胃袋の位置が少し変わっていた。


 五枚目では、たぶん私の方も飽きて、内臓が勝手に最適化を始めていた。


「撮るたびに変わっています」


「姿勢を少し変えたからかしら」


「姿勢で内臓配置は変わりません」


「人間って不便ね」


 研究員たちの目が死んできた。


 体温測定では、さらに混乱した。


「下半身、マイナス三十度」


「上半身、八十度」


「中心部、三十九度で安定」


「……意味が分かりません」


「変えられるのよ。氷系ブレスとか、炎系ブレスとか、体温の応用で」


「ブレス」


「はい」


「健康診断で聞く単語ではないですね」


「私もそう思うわ」


 歯の検査は、逆に単純だった。


 破壊不可。


 以上。


 研究員が専用器具で削ろうとし、曲げようとし、圧力をかけ、魔石由来の測定刃まで持ち出したけれど、私の歯は一ミリも傷つかなかった。


「これ、どうやってメンテナンスを?」


「噛めばだいたい整うわ」


「噛めば」


「あと、生え替えもできるし」


「歯科医療への冒涜ですね」


「そこまで言う?」


健康診断はここまで、そして身体能力検査に移った。


     

いつも閲覧ありがとうございます

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― 新着の感想 ―
あれ? 性欲以外は兄貴はまともじゃんって気になるな。 血液が消化してくるとか、紬さんは細胞片からでも捕食して再生しそう。
現代医療や科学にファンタジーの力を加えても大敗北! 無意識に身体(細胞)全体が捕食しようとしてるのか… 注射針へし折る皮膚を容易く噛み千切れる歯が柔いハズもない…にしてもほんの少し削る事すら叶わない…
聞けば聞くほど面白い診断ね これ体内に子紬居ると思わない?右手千切って放り投げたら子紬ちゃんがジャジャーンと言いながら生まれそう
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